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憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

10月16日付け朝日新聞朝刊社説に、「デジタル通貨 変化への備えは万全に」の見出しが載った。今日はこの社説を学習することにした。

 まず社説は、「日本銀行がデジタル通貨の実証実験に乗り出す。経済の基盤を担う中央銀行として、技術と社会の変化に備えるのは当然の務めだ。日本経済の健全な発展に資するような、安全で便利な方法が実現できるのか。見極めに万全を期す必要がある。

 日銀が実験するのは、個人や企業が日々の買い物や取引に使える「一般利用型」のデジタル通貨だ。現金(紙幣や硬貨)に近い機能を持たせ、誰もが簡単に持ち運んで使えることを想定している。具体的な形は今後の検証次第だが、スマートフォンのアプリや「スイカ」のようなガード状のものに“デジタル円”が入金され取引できるといったイメージに近そうだ。」と切り出した。

 続けて社説は、「日銀は今年に入り、欧州中央銀行や米連邦準備制度理事会など主要中央銀行と、デジタル通貨の共同研究を進めてきた・

 フェイスブックが独自の仮想通貨「リブラ」構想を打ち出したり、一部の国で現金の流通が減り続けたりしていることが背景にある。

 中国も独自に実現に向けて動いており、通貨の「デジタル化」の仕組みの標準をめぐり競争も意識されている。

 共同研究の成果は三つにまとめられ、

 ①金融システムや物価の安定といった政策目的を損なわない

 ②現金や銀行預金などと相互に補完し共存する。

 ③技術の発展や競争を通じて効率性を向上させる、とうたわれている。

 いずれも出発点としては妥当な基準だろう。

 発行の是非や当然、各国の判断とされる。日本では現金流通は減っておらず、日銀は「現時点では発行の計画はない」とする。

 ただ、キャッシュレス決済の普及の動きもあり、準備を怠ってはならない。

 暮らしに広く関り、技術的にも大きな変化となるだけに、検討すべき点は多い。」と指摘した。

 最後に筆者は、「課題の一つは、民間との共存と協調だ。日銀は、デジタル通貨を発行する場合も、現金同様に、銀行などを介して個人や企業に流通する「間接型」にするという。

 銀行預金を置き換えてしまわないよう、使える額の上限も検討する。安全や確実性が必要な基幹部分は中央銀行か担い、使い勝手や効率性の向上は民間の創意工夫を生かすという役割分担後求められる。

 プライバシーをどう考えるかも重要だ。

 お金の詳細なやり取りがわかれば、その個人の経済活動は丸裸に案る。すでに少額の現金取引以外は、犯罪防止などのために記録が強化されているが、デジタル通貨の個人データの扱い方については慎重な検討が欠かせない。

 いずれにせよ、広く国民の声を聞き、透明な議論を重ねながら、検討を進めていくべきだ。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「日本銀行がデジタル通貨の実証実験に乗り出す」とのこと、

 「日銀が実験するのは、個人や企業が日々の買い物や取引に使える「一般利用型」のデジタル通貨だ。」とのこと、

 「具体的なかたちは今後の検証次第だが、スマートフォンのアプリや「スイカ」のようなカード上のものに“デジタル円”が入金され取引できるといったイメージに近そうだ。」とのこと、

 「日銀は今年に入り、欧州中央銀行や米連邦準備制度理事会など主要中央銀行と、デジタル化通貨の共同研究を進めてきた。」とのこと、

 「中国も独自に実現に向けて動いており、通貨の「デジタル化」の仕組みの標準をめぐる競争も意識されている。」とのこと、

 「共同研究の成果は三つの原則にまとめられ、①金融システムや物価の安定といった政策目的を損なわない

②現金や銀行預金などと相互に補完し共存する

③技術の発展や競争を通じて効率性を向上させる

 とうたわれている」とのこと、

 「発行の是非は当然、各国の判断とされる。日本では現金流通は減っておらず、日銀は「現時点では発行の計画はない」とする」とのこと、

 「課題の一つは、民間との共存協調だ。日銀は、デジタル通貨を発行する場合も、現金同様に、銀行などを介して個人や企業に流通する「間接型」にするという」とのこと、

 「銀行預金を置き換えてしまわないように、使える額の上限を検討する」とのこと、

 「プライバシーをどう考えるかも需要だ。お金の詳細なやりとりがわかれば、その個人の経済活動は丸裸になる」とのこと、

 等々を知ることができた。

 そして社説は「広く国民の声を聞き、透明な議論を重ねながら、検討を進めていくべきだ」と主張した。

 社説の指摘や主張に賛同しながら、考えた。

 スイカのようなものと、デジタル通貨を考えれば、バスや電車に乗る時に便利に使えるし、自動販売機での買い物も便利にできるので、良さそうに思う。が、日常的な買い物は現金んで、お店に出かけ、品物を選んで、支払い時に「レジの人」とする一言二言の対話が、楽しい。何よりも、ものを買って、お金を払って、「ありがとうございます」の言葉を聞くのが、なんとも楽しい。

 また、大きな支払いも現金か小切手で、面談での支払いで、「ありがとうございました」と言われるのが、いい。

 むかし、先輩に言われたことがある。「税金はいくら多額」を払っても、「ご苦労さん」だけ、同じをお金を「バー、キャバレー」で使えば、ニコニコ笑顔とありがとうございましたの言葉が返ってくる」と。

 年を取ったせいか、やはりデジタル通貨より「現金」が幅を利かす社会の方が、いいとおもっている。

 日銀は「現時点では発行の計画はない」ときいて、ほっとしている。

 

 


# by sasakitosio | 2020-11-01 16:34 | 朝日新聞を読んで | Trackback
11月1日l曇り、午後2時過ぎ。パソコン疲れの目と足腰をいやすため、近所の散歩。市役所下図書館脇の諏訪神社の境内で、美しいものを発見、帰り道では舗道にタンポポが咲いていた。写真は出会いの順番に。_d0049909_16071534.jpg
11月1日l曇り、午後2時過ぎ。パソコン疲れの目と足腰をいやすため、近所の散歩。市役所下図書館脇の諏訪神社の境内で、美しいものを発見、帰り道では舗道にタンポポが咲いていた。写真は出会いの順番に。_d0049909_16065602.jpg
11月1日l曇り、午後2時過ぎ。パソコン疲れの目と足腰をいやすため、近所の散歩。市役所下図書館脇の諏訪神社の境内で、美しいものを発見、帰り道では舗道にタンポポが咲いていた。写真は出会いの順番に。_d0049909_16063613.jpg
11月1日l曇り、午後2時過ぎ。パソコン疲れの目と足腰をいやすため、近所の散歩。市役所下図書館脇の諏訪神社の境内で、美しいものを発見、帰り道では舗道にタンポポが咲いていた。写真は出会いの順番に。_d0049909_16061789.jpg
11月1日l曇り、午後2時過ぎ。パソコン疲れの目と足腰をいやすため、近所の散歩。市役所下図書館脇の諏訪神社の境内で、美しいものを発見、帰り道では舗道にタンポポが咲いていた。写真は出会いの順番に。_d0049909_16060416.jpg

# by sasakitosio | 2020-11-01 16:15 | 今日の感動 | Trackback

10月31日付け東京新聞朝刊27面に、「本音のコラムという欄がある。筆者は、文筆家・師岡カリーマ氏だ。今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「フランスで表現の自由の授業に予言者ムハンマドの風刺画を使ったサミュエル・パティさんの殺害を受け、事件前に一部保護者らが中傷キャンペーンを張っていたことから、ヘイト投稿を規制する動きがあるとの報道に一抹の皮肉を見出す人は少なくないと思う。」と切り出した。

 続けて筆者は、「ヘイト規制は必要だ。でも厄介なことに、多くのムスリムの目には問題の風刺画自体がヘイトに映ることは見過ごされている(彼らの対応にも問題はある)。

 いやパティさんは気づいていたからこそ、「傷つけたくないから」とムスリムの生徒に例の教室からの退去を許可したのだろう。

 先生たちの任務の難しさを物語っている。」と教えてくれる。

 さらに続けて筆者は、「「表現の自由」か「ヘイト」か。絡んでくるのが(中東のリベラルなムスリムの憧れである)フランスの厳格な政教分離の理念だ。

 この理念によってこそ、少数派であるムスリムにも信仰の自由が保障される。

 フランスが誇る価値観は絶対に守るべきものだ。

 一方で移民に対する差別や社会的疎外が問題を複雑にしていると英BBC放送の記者は指摘する。

 「自分に適用されない価値観を守るのは難しい」。

 さらに「事件に対する生徒たちの反応は、キリスト教の祝日、諸聖人の日にともなう2週間の休暇が明けるまで分からない」と書き、必ずしも絶対ではないフランスの政教分離をほのめかしているようだった。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「ヘイト規制は必要だ。でも厄介なことに、多くのムスリムの目には問題の風刺画自体がヘイトと映ることは見過ごされている」とのこと、

 「パティさんは気づいていたからこそ「傷つけたくないから」ムスリムの生徒に例の授業からの退出を許可したのだろう」とのこと、

 「「表現の自由」か「ヘイト」か。絡んでくるのが(中東のリベラルなムスリムの憧れでもある)フランスの厳格な政教分離の理念だ」とのこと、

 「この理念によってこそ、少数派であるムスリムにも信仰の自由が保障される。フランスが誇る価値観は絶対に守るべきだ」とのこと、

 等々を知り、よく理解できた。

そして筆者は、「一方で移民に対する差別や社会的疎外が問題を複雑にしていると英BBC放送は指摘する。「自分に適用されない価値観を守るのは難しい」。さらに事件に対する生徒たちの反応は、キリスト教の祝日、諸聖人の日に伴う2週間の休暇が明けるまで分からない」と書き、必ずしも絶対ではないフランスの政教分離をほのめかしているようだった」とも指摘した。

 指摘で、フランスにある「政教分離の理念」「フランスが誇る価値観」の存在を知り、素晴らしいと思った。そのうえで、「キリスト教の祝日、諸聖人の日に伴う2週間の休暇」があることは、必ずしも絶対ではない「フランスの政教分離」の現状を知ることもできた。

 ただ、その歴史的現実の中で、ムスリムの信仰の自由を保障することを、当然と思うか、かなり努力していると思うかで、これからの対応に違いが出てくるだろうな、と思った。

 願わくば、「ヘイト」もいいとは思わないが、「人殺し」は絶対悪だと思うので、キリスト教の祝日の期間中に「テロ」などが起きないことを、心から祈りたい。 

 

 


# by sasakitosio | 2020-11-01 06:52 | 東京新聞を読んで | Trackback

10月18日付け朝日新聞朝刊3面に、「日曜に想う」という欄がある。

 筆者は、編集委員・福島申二氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「「いやな感じ」が残る小さな本紙記事を読んだのは3年前のことだ。

 見出しは<「国批判番組に賞、いかがなものか」/文化庁職員、芸術祭賞審査で>。

 その前の年の芸術祭賞テレビドキュメンタリー部門の審査過程で、自衛隊の国連平和維持活動を検証したNHKの番組(優秀賞を受賞)に対して、見出しのような発言があったという。当時の文部科学相もそれを認め、釈明した。

 3年たって、「いやな感じ」がはっきり姿を見せたと思ったのが、今回の日本学術会議における任命除外だった。

 すでにご承知だろうが、任命されなかった6人は、濃淡の差はあれ安倍晋三政権に疑義や意見を述べてきた人たちだ。

 聞けば2016年ごろから任命をめぐる首相官邸の介入があったという。

 霞が関は敏感だ。文化庁職員の発言は、そうした空気が蔓延している小さな証拠だったかもしれない。意に染まぬものへの警告めいた政治介入は、ひいては学問や表現などの自由の首を絞めかねない。

 こんな時思い出すのは、朝日新聞の大先輩でもある故・むのたけじさんが戦時の苦い反省から絞り出した警句だ。

「はじめに終わりがある。抵抗するなら最初にせよ」。

 歴史に学べば、初めの小さな芽の中に深刻な結末が内包されていることは多い。手遅れになる前にーーと先達の言葉は教えてくれる。」と切り出した。

 続けて筆者は、「多くの人たちが声を上げている。是枝裕和さんら映画人有志22人の抗議声明にあるドイツ人、マルティン・ニューメラー牧師の良く知られた言葉にも、むのさんの警句と響き合うものがある。

 <ナチスが共産主義者を攻撃しはじめたとき、私は声を上げなかった。私は共産主義者ではなかったから。次に社会民主主義者が投獄されたとき、私はやはり抗議しなかった。社会民主主義者ではなかったから。労働組合員が攻撃された時も私は沈黙していた。そして彼らが私を攻撃したとき、私のために声を上げる人は一人もいなかった>(一部略)

 思えばドイツの悲劇もはじめのちいさな芽の中に内包され、そこから膨れ上がった凶事の総体だった。

 見て見ぬふりの順応組や、無関心な沈黙組、いわば普通の市民が果たした「役割」を、牧師の言葉は深い後悔と共に照らし出す。

 今は21世紀。ここは日本。戦争とかナチスとか、暗い過去を引き合いにするのは大仰だという人もいるだろう。 

 確かに時代も状況も違うーー。

 しかし、今は当たり前の民主的な諸価値が、どれほどもろく侵されやすいかは、最大の用心と想像力をもって考える必要がある。

 「歴史は繰り返さないが韻を踏む」と前に書いた。その時代時代に応じた貌付きで、良からぬものが立ち現れてくる可能性は常にあるのだと心したい。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「それにしてもと思う。

 自民党の個々の議員は危機感を覚えないのだろうか。

 思っても口にしないのだろうか。

 当方の寡聞ゆえかもしれないが、船田元衆議院議員による批判を知るぐらいだ。

 <身内から聞こえぬ異論こりゃ魔窟>と本紙川柳の一句は静けさの怖さを突く。

 むのさんの話に戻せば、危ういのはむしろ自主規制だと口を酸っぱくして言っていた。

 戦中の新聞社も「権力と問題を起こすまいと自分たちの原稿に自分たちで検閲を加える」ことをやった。

 今回の任命除外も、そうした萎縮を学術界にもたらすことが懸念される。

 しかしそれ以前に、政権党の内部が危ういのではないかと心配になる。議員個人とりわけ若手は、自由に考え、表現できているのだろうか。

 上意をうかがい、自己規制で縮こまっているとしたら、まとも自浄力、復元力は期待できなくなる。

 同調の空気に締め付けられ、分断と排除にささくれる時代である。

 かみしめたいのは戦後すぐの英国の首相だったクレメント・アトリーが残した言葉だ。

 「民主的自由の基礎は、他の人が自分より賢いかもしれないと考える心の用意です」。

 異なる意見に胸を開き、謙虚で寛容であることを平易に語った、みごとな民主主義であり、人生訓だと思う。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「「いやな感じ」が残る小さな本紙記事を読んだのは3年前のことだ。見出しは<「国批判番組に賞、いかがなものか」/文化庁職員、芸術祭賞審査で>」との指摘、

 「3年たって「いやな感じ」がはっきり姿を見せたと思ったのが、今回の日本学術会議における任命除外だった」との指摘、

 「聞けば2016年ごろから任命をめぐる首相官邸の介入があったという。」との指摘、

 「こんな時思い出すのは、朝日新聞の大先輩でもあった反骨のジャーナリスト、故・むのたけじさんが戦時の苦い反省から絞り出した警句だ。 「はじめにおわりがある。抵抗するなら最初に抵抗せよ」」との指摘、

 「ドイツ人、マルティン・ニューメラー牧師のよく知られた言葉にも、むのさんの警句と響き合うものがある。<ナチスが共産主義者を攻撃しはじめたとき、私は声を上げなかった。私は共産主義者ではなかったから。次に社会民主主義者が投獄されたとき、私はやはり抗議しなかった。社会民主主義者ではなかったから。労働組合員が攻撃されたときも私は沈黙していた。そして彼らが私を攻撃したとき、私のために声を上げる人は一人もいなかった>」との指摘、

 「「歴史は繰り返さないが韻を踏む」と前にも書いた。その時代その時代に応じた貌付きで、良からぬものが立ち現れてくる可能性は常にあるものだと心したい」との指摘、

 『むのさんに話を戻せば、危ういのはむしろ自主規制だと口を酸っぱくして言っていた。戦中の新聞も「権力と問題を起こすまいと自分たちの原稿に自分たちで検閲を加える」ことをやった』との指摘、

 「今回の任命除外も、そうした萎縮を学術界にもたらすことが懸念される」との指摘、

 「かみしめたいのは戦後すぐの英首相だったクレメント・アトリーが残した言葉だ。「民主的自由の基礎は、他人が自分より賢いかもしれないと考える心の用意です」。異なる意見に胸を開き、謙虚で寛容であることを平易に語った、みごとな民主主義論であり、人生訓だと思う」と教えてくれる。等々の指摘や、教えは実によくわかった。

 特に、むのたけじの警句、マルティン・ニーメラー牧師の言葉、英首相だったクレメント・アトリーの言葉、は日本の国会議員も、国民もしっかりかみしめなけらばならない、と思った。 
 また、好奇高齢者過ぎのジジイの私は、中でもアトリーの「他の人が自分より賢いかもしれないと考え」て、日々周囲から吸収することを心がけている。また、自分の意見はしっかり持つが、それと違う多数の意見で「日本や日本国民」が地獄へいくなら、地獄までも付き合おう、とも思っている。

    


# by sasakitosio | 2020-10-31 06:49 | 朝日新聞を読んで | Trackback

10月30日付け東京新聞朝刊23面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、ジャーナリスト・北丸雄二氏だ。今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「個人ジャーナリストに統計は取れないので、分かることは有権者達の空気とか話題とか、あまり科学的でないものです。

 それを感じ取るのは個々の経験や臭覚みたいなもので、正しいかどうかは証明できない。

ただ、今回は、反トランプの人たちの4年に及ぶ圧倒的な怒りの蓄積を感じるのです。

 それは選挙直前のどさくさに紛れて、トランプ共和党が保守派判事を最高裁にねじ込んだことで沸点に達しました。」と切り出した。

 続けて筆者は、「激戦州のバイデン支持集会で、銃やライフルを構える人たちの姿が目立ちます。

 従来はトランプ支持者たちに銃所持者が多いのですが、彼らに対抗するために銃規制を訴える民主党支持のリベラル派にも銃の購入者が増えているのです。

 そこにまたフィラデアフィアで警官による黒人射殺事件。一触即発の空気が各地を覆います。

 今回世論調査の主体は前回のミスを繰り返さぬよう非大卒者の支持動向を正確に反映させる修正を行っています。そこで出てくる「バイデン優位」は恐らく正しい。」と指摘した。

 最後に筆者は、「最新12ポイントのリード(CNN)は総得票数でバイデンが1500万票多いことを示します。ヒラリーは300万票のリードをトランプに負けたーーーもし1500万票のリードでバイデンが負けるなんてことが起きたら、巷間言われるトランプ信者の武装ミリシアより、リベラル市民の蜂起が怖いです。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「今回は、反トランプの人たちの4年に及ぶ圧倒的な怒りの蓄積を感じるのです」とのこと、

 「それは選挙直前のどさくさに紛れて、トランプ共和党が保守派判事を最高裁にねじ込んだことで沸点に達しています。」とのこと、

 「激戦州のバイデン支持集会の周囲で、銃やライフルを構える人たちの姿が目立ちます」とのこと、

 「従来はトランプ支持者たちに銃所持者が多いのですが、彼らに対抗するために銃規制を訴える民主党支持のリベラル派にも銃の購入が増えているのです」とのこと、

 「今回、各世論調査の主体は前回のミスを繰り返さぬよう非大卒者の支持動向を正確に反映させる修正を行っています」とのこと、

 「最新12ポイントのリード(CNN)は総得票数でバイデンが1500万票多いことを示します」とのこと、

 「ヒラリーは300万票のリードでトランプに負けたーーー」とのこと、

 等々を知ることができた。

 また筆者は、「もし1500万票のリードでバイデンが負けるなんてことが起きたら、巷間言われているトランプ信者の武装ミリシアより、リベラル市民の蜂起の方が怖いです」という。
 朝夕のテレビニュースの映像を見る限り、候補者の元気も支持者の熱気も「トランプ陣営」が圧倒しているように見えるのだが?

 「リベラル市民の蜂起」は、南北戦争ならぬ「共和・民主内乱」か。そのとき、アメリカ軍と州兵はどのように動くのだろうか?

 世界一の経済大国、世界一の原爆保有国の内乱?

 誰も止められない内乱?

 筆者の言う通り、確かに怖い!

 アメリカ大統領選の11月3日以降のアメリカが、心配になってきた。

 その時、日本は日本国民はどう備えればいいのか?


# by sasakitosio | 2020-10-31 06:36 | 東京新聞を読んで | Trackback