憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

出稼ぎ傭兵

 7月1日付東京新聞朝刊27面に、「本音のコラム」という署名入りの囲み記事がある。筆者は、ルポライター・鎌田慧氏だ。今日はこの記事に学ぶことにした。
 筆者は、「戦争への道をつんのめっている安倍政権と一団となって、公明党は閣議決定に踏み込むようだ。
 「反対だ」と言いながら、へ理屈解釈で加担する。その姿がやがて「集団的自衛権行使」へ強制される、日本そのもののように見える。
 この原稿は「花岡事件」の現場、秋田県大館市で書いている。中国から強制連行されて虐待労働、敗戦直前の1945年6月末、ついに決起して百人以上が殺害された殉難者慰霊式があったからだ。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「安倍首相とそのブレーンの頭の中の戦争は、米海軍に同乗した日本人母子を救助するとか、米国に向かう某国のミサイルを撃ち落とすとか、いわば妄想の類である。
 戦争での殺し殺される醜い関係とか、ふき飛ばされた死体や恐怖から破壊された精神とかを削除した意識操作でもある。
 国内での空襲の阿鼻叫喚とか、労働力不足を補うための強制連行も含めて、人間を堕落させる行為への戦きがない。」と指摘した。
 最後に筆者は、「他国のための戦争する国になれば、そのつもりのない賢明な自衛官諸君の多くは退職し、要員不足になるであろう。
 「戦争仲間」の米国務省から、外国人技能実習制度は強制労働だ、と批判されている。いまでさえ、3k仕事の日本人従業員が足りないのだ。
 一方での兵器輸出、その一方での海外からの出稼ぎ傭兵、それで帳尻を合わせるつもりだろうか。」と締めくくった。
 読んで、勉強になった。
 「安倍首相とそのブレーンの頭の中の戦争は、戦場での殺し殺される醜い関係とか、吹き飛ばされる死体や恐怖から破壊された精神とかを削除した意識操作」、
 「国内での阿鼻叫喚とか、労働力不足を補う強制連行をふくめ、人間を堕落させる行為への戦きがない」、との指摘は、よく分かった。普通の爺としては、自分の孫子が自衛官だったら、歯止め策ができないうちに、できるだけ早く退職させ、再就職させたいと考えたいが? 
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# by sasakitosio | 2014-07-06 19:34 | 東京新聞を読んで | Trackback
 7月1日付朝日新聞社説に、「首相の「慈悲深い圧政」」という見出しで、「安倍不条理劇場」の記事が載った。
 今日はこの社説に学ぶことにした。
 社説は、「1950年代から60年代にかけて注目を集めた劇作家ウージェーヌ・イヨネスコの「禿の女歌手」は、ひとびとの対話から、言葉の意味や倫理が抜け落ちていく不条理劇だ。
 最初はその異様さに笑うが、無意味な「音」と化した言葉の応酬を聞くうちに、もしかしたら、おかしいのは言葉が通じると思い込んでいる自分の方ではないかという気分になってい来る。不条理劇の妙味である。
 いま集団的自衛権の行使容認をめぐり政治の世界で繰り広げられている事態はまさに「安倍不条理劇場」とでも呼ぶにふさわしものだろう。」と切り出した。
 つづけて社説は、「なぜ憲法改正ではなく解釈改憲なのか。自衛隊員に命を捨てろというのか。この根本的な問いに、首相が真正面から答えたことがあるだろうか。代わりに発せられるのは「日本は戦後、平和国家としての道を歩んできた。この歩みが今後、変わることはない。」「自衛隊の諸君に愛する家族がいることを私は知っている」。全く答えになっていない。対話や説得の意思を欠いているから、言葉は言葉として機能しない。言葉が最大の武器である、政治という舞台で。
「「必要最小限度」の集団的自衛権の行使」という疑念は、「正直なうそつき」「慈悲深い圧政」というような語義矛盾である~~。政治学者や憲法学者らが結成した「立憲デモクラシーの会」はこう指摘している。
 だが首相は、「必要最小限」の歯止めはある、私があるというのだから、あるという態度を崩さない。「批判があっても、現実と向き合うことが政治家に任された責任だ」と力を込める。
 そうだろうか。「現実」は10人いれば10通りだ。だからこそ言葉を駆使して議論や対話を重ね・「現実」の大枠を決めていく、それが民主政治である。」と指摘した。
 さらに社説は、「首相はある種の全能感すら抱いているのではないか。「現実」は私が決める。私の現実に合わせて、解釈を変えればいいではないかと。そして、公明党は語義矛盾の世界に身を沈める覚悟を決め、いつの間にか国民の「時の内閣」の「総合的」「合理的」「主体的」判断に身を預けることにされている。」と指摘した。
 最後に社説は、「この不条理劇の幕が下ろされたとき、外の光景は以前とは違ったものになるだろう。
 他国で戦争ができる国へ。
 時の政権が憲法を都合よく解釈できる国へ。
 終幕は迫っている。観客ではなく主権者である私たちは声をあげ続ける。昨晩も首相官邸に多くの人が集まった。おかしい、認められないと。カーテンコールの喝采の代わりに」と締めくくった。
 読んで、安倍総理の精神構造への理解が深まった。
 社説指摘の
 ①「対話や説得の意思を欠いているから、言葉は言葉として機能しない」、
 ②「「必要最小限度」の集団的自衛権の概念は、「正直なウソ」「慈悲深い圧政」と同じような語義矛盾である」、
 ③「、「批判があっても、現実と向き合うのが政治家に任された責任だ」と力をこめる。」
 ④「首相はある種の全能感すら抱いているのではないか。「現実」は私が決める。私の現実に合わせて、解釈を変えればいいではないかと」、
 これらは、すべてを理解はできても、すべてが納得はできない。主権者の一人として。
 即刻、総理を辞して頂きたくなった。
 「安倍不条理劇場」は一日も早く、興行中止にして欲しい。
 社説の主張のように、「おかしい、認められないと。カーテンコールの、喝采の代わりに。」、興行中止まで、叫び続けよう。
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# by sasakitosio | 2014-07-06 19:10 | 朝日新聞を読んで | Trackback
 6月30日付東京新聞社説に、「世界市場へ日本の力を」の見出しで、燃料電池車のことが載った。
 今日はこの社説に学ぶことにした。
 社説は、「燃料電池自動車(FCV)が世界に先駆けて国内で市販される。日本メーカーは伝統の技術を生かし、国とも連携しつつ、エネルギーの有効活用につながる究極のエコカーを追及してほしい。
 トヨタ自動車は先日、FCVを年内にも7百万程度で発売する計画を発表した。時期や価格が明らかになり、これまで遠い未来の車と見られていたFCVが、ぐっと身近な存在になった。
 環境にに優しい車の開発には、世界の自動車メーカーが取り組んでいる。トヨタは「プリウス」を筆頭にハイブリッド車(HV)でエコカー市場をリードしているが、将来FCVを軸に展開する方向に舵を切ったと言える。
 ホンダも来年のFCV発売を目指し、日産自動車も3年後には欧米メーカーとの共同開発車を市販予定だ。」と教えてくれる。
 つづけて社説は、「トヨタの発表で異例だったのは資源エネルギー庁の担当室長が同席していたことだ。安倍政権が新しい成長戦略で示したように、水素を燃料とするFCVの普及を通じ、水素エネルギーの活用を目指す姿勢が表れている。FCVの推進は、国策でもある。
 資源の少ない日本では新しいエネルギーの実用化が急務だ。福島第一原発事故後、原発を再稼働して電気を沢山使うことは難しい。水素は現在、都市ガスなどから生成するが、下水汚泥からも取り出せるし、水の電気分解でもつくれる。太陽光発電や風力発電の電力で水を分解すれば、再生可能エネルギーによる「完全エコカー」の実現も見えてくる。」と教えてくれる。
 さらに社説は、「普及にとって大切なことのは、消費者に理解してもらうことだ。安全性や経済性、使い勝手は利用者の重大関心事である。
 水素爆発という言葉から危険なイメージを抱く人も多く、メーカーは車に積む水素タンクの安全性能を説明し、安心してもらう努力をしてほしい。車両価格は、普及して量産できればさらに下がる。
 国の補助制度も購入、利用の各段階で十分検討してもらいたい。電気自動車(EV)は充電に何時間もかかることが普及の障害になっている。FCVの水素充填は3分で終わる代わりに、現状ではステーションが圧倒的に足りない。時間はかかるが、すこしずつ増やしていくしかない。」と指摘した。
 最後に社説は、「水素を活用する社会は、日本が理想とする姿だろう。環境を整えた上で技術立国の強みを発揮し、FCVを新たな切り札として世界市場に挑んでほしい。」と期待を込めて締めくくった。
 久しぶりに明るいニュースだ。中学生時代に水の電気分解で、酸素と水素ができるのに驚いたことを思い出す。
 そして太陽光発電が誕生した時に考えた。日本は四面海、排他的経済水域は世界6番目(約450万平方キロ)で、離島の数は6847島があり、技術・文化・人材・経済力を生かして、「太陽光発電・水素の生産、加工」で、世界有数の資源大国になれるのではないか。
 その水素で、車を走らせ、発電に使えれば、一石二鳥にも一石サントリーにもなるような気がした。
また、そうすれば、集団的自衛権行使容認の口実に、石油輸送のシーレーン防衛に自衛隊を派遣するなどということは、使えなくなり、万事ウインウインではないか?
 
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# by sasakitosio | 2014-07-06 17:57 | 東京新聞を読んで | Trackback
 6月29日付東京新聞社説横に、「太郎の国際通信」という署名入りの囲み記事がある。筆者は、ジャーナリスト・木村太郎氏だ。今日はこの記事に学ぶことにした。
 筆者は、「不覚にも私はその見出しの意味が理解できなかった。
 「EU(欧州連合)が二本指を突きだしていることに英閣僚が激怒」
 先週はじめの英紙メール電子版の記事なのだが、その日の英国のマスコミの多くが同じ問題で「二本指を突きだす」という表現を使っていた。
 記事の内容は、EUの次期委員長にルクセンブルグ前首相のジャンクロード・ユンケル氏が各国首脳の支持を得て有力視されていることに対し、英保守党元党首イアン・ダンカンスミス雇用・年金相が強く反発しているというものだ。
 そこで「二本指を突きだす」だが、Vサインのようなしぐさならユンケル支持派がすでに勝利宣言をしたかとも考えてみた。しかし、それでは記事との整合性が取れない。
 いろいろネットで調べていくと、実は相手に掌を見せるVサインとは逆に、手の甲を表にして指を二本突き出すしぐさは英国では他人を侮辱するものだということがわかった。」と教えてくれる。
 つづけて筆者は、「その由来だが、長年の英国との戦いの中でフランスは英国の長弓に悩まされたので、英国の兵士を捕まえると二度と弓をひけないように右手の中指と人差し指を切断したという。その二本の指が健在だということを示すジェスチュアーは「おまえなんかには負けないぞ」という意味が込められているそうだ。
 それはともかく、委員長選出を巡って英国は改革派の登用を強く主張していたのに対し、ドイツなど大陸の国々は保守派のユンケル氏を支持。27日に行われるEU首脳会議で、EUより大きな権限を与えて将来は連邦化しようという考えのユンケル氏が指名された。」と教えてくれる。
 さらに筆者は、「同氏に対す英国の反感は相当なもので、キャメロン英首相は今月初めの週刊誌シュピーゲルとのインタビューで「もしユンケル氏が委員長に選出されるようなことになれば、英国はEUを離脱することもありうる」と語っていた。英国はかねてEUの権限強化には否定的で、先のEU議会選挙でもEU批判派の独立党が英国での第一党になったことにキャメロン首相も危機感を抱いていると伝えられている。
 2017年末に英国のEU離脱を巡る国民投票も予定されているが、最近の世論調査では「EUにとどまるべきでない」とする意見が48%にのぼり「とどまるべき」の37%を大きく上回っている。
 その背景には、EUの中核では大陸諸国が歴史的な親近感で固く結束しており、前回大統領(欧州理事会議長)の選出で事前の呼び声の高かったブレア元英国首相ではなく、ベルギーのファンロンバイ元首相がえらばれたことなどに対する島国英国の疎外感もあると言われている。」と教えてくれる。
 最後に筆者は、「いずれにせよ、欧州がユンケルを選び「二本指を突きだした」ことで、欧州情勢が劇的に変わることにもなりかねない。」と締めくくった。
 読んで勉強になった。
 「手の甲を表にして指を二本突き出すしぐさは英国では他人を侮辱すものだ」とのことは初めて知った。ロンドン独り歩きで、無知のままでも、まちがってもその仕草をしなかったことに、今更ながらホットした。
 また、大陸諸国が歴史的親近感で固く結束しており、島国英国に疎外感がもあるといわているとのこと。これは島国日本はにとって、大いに考えさせられる、テーマではないかと思った。
 
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# by sasakitosio | 2014-07-06 16:49 | 東京新聞を読んで | Trackback
 7月6日(日)、晴れのち曇り、風少し、草に露あり、人多し、走る人多し。
 毎朝の手賀沼散歩、入りの柏公園5時半。ハトの声あり。
 公園を抜けて、大堀川の河口へ。川岸をあるく、釣り人あり。土手に月見草咲く。ハクチョウの親子6羽、緑道の草原で、クローバーを食べたり、毛づくろいに余念がない。
 中で、白くないハクチョウの子ども、近くでゆっくり観察した。クチバシを使って、アシの爪を噛んだり、しっぽの毛を噛んだり、長い首と頭を使って、背中や羽根の付け根を撫でていた。白くないが、コクチョウのような黒さもない。不思議なハクチョウだ。成鳥になったら白くなるのだろうか?
 柏下の水路沿いを歩く、ショウジョウトンボ一匹朝露に羽を濡らし、重そうに飛ぶ。
 歩きはじめると、柏の森から、ホーホケキョ、ホーホケキョ、とウグイスが鳴きはじめる。
 機場の林を抜け、戸張側の機場の林で、もも上げ体操。
 戸張下の、水路沿いの草原を歩く、モンシロチョウがヒラヒラ舞う。休耕田のアシ原、蒲原からは、行きも帰りも、オオヨシキリが渾身の叫びをきかせてくれる。あの声は、何を食べて出るのだろうか?
 ひどり橋、横の柵を使って、腕立て伏せ、スクワット。眼下の大津川の対岸には、ハクチョウの親子4羽が、羽根の繕い中。大井の山寺から、明け六つの鐘がごーーんと、聞こえる。大井の村から、コケコッコー、コケコッコー、の声が聞こえる。
 帰路の草原歩きでも、なぜか、7月3日のアミュゼでの「シャンソン発表会(パリ祭)」が思い出される。それは、50年ぶりの同級生が豪華絢爛の衣装で、生の伴奏つきで、堂々と歌っていたことの感動だ。あわせて、出演者が皆が皆、中高年の女性たち。歌の歌詞は「愛と恋」、女心を切々と、豪華な衣装を着て、歌っていた。客席もほとんどが中高年の女性たち。年をとっても、女性パワー恐るべし。
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# by sasakitosio | 2014-07-06 13:23 | 手賀沼をたのしむ | Trackback

事態は変えられる

 7月2日付東京新聞朝刊26面に、「本音のコラム 集団的自衛権行使容認に物申す」という署名入りの「集団的囲み」記事がある。
 今日は、「事態は変えられる」という見出しの、「法政大学教授・山口二郎氏のコラム」を学ぶことにした。
 筆者は、「日本には「泣く子と地頭には勝てぬ」ということわざがある。
 安倍首相は、泣く子がそのまま地頭になったようなものである。
 集団的自衛権の行使を正当化する閣議決定は、それを必要とする新たな問題に対処するものではない。安倍首相が駄々っ子のように「僕、これが欲しいんだもん」と言い張って、決められた。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「だから、論理は皆無である。政府与党は、集団的自衛権が必要となる理由を一応あげて、国民を説得しようとした。それらの事例なるものはことごとく机上の空論であり、詭弁である。そのことを我々が指摘し、集団的自衛権は有害であることを論証しても、相手は泣く子である。いくら道理を言い聞かせても、無駄である。」と指摘した。
 最後に筆者は、「しかし、諦めるわけにはいかない。泣く子と地頭に勝てぬとは、権力に従順な日本の政治文化を表している。
 いまこそそんな文化を変えなければならない。閣議決定されても、本当の政策転換はこれからだ。
 長い戦いが続く。安倍首相が単なる泣く子だということを国民に理解してもらえば、事態は変わる。」と締めくくった。
 変な人が国会議員になれ、変な人が自民党の総裁になり、変な人が総理大臣になり、変な社会が続いている。
 泣く子状態の人を、最高権力者にした自民党は、党が丸ごと、泣く子に見えてくる。公明党も、泣く子と一緒に泣いている子のように見えてくる。ここは一番、大人の政党・政治家の出現で、泣く子を黙らすしかないか。そのチャンスは、一日も早い総選挙、遅くても次の参院選だ。その時、有権者の手で、泣く子の「子守した政党・議員」は、落選かやめてもらうしかあるまい。泣く子も、子守役の政党・議員がいなくなれば、黙るのではないか?何よりの薬は、子守している議員の失職ではないか?
 そうして、はじめて、泣く子も、権力は国民の信託によってのみあるということを、気付くのではないか?
 忘却は罪である、公憤のメモリーを増やそう、新聞を読んで公憤を持続させよう!!!
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# by sasakitosio | 2014-07-06 07:18 | 東京新聞を読んで | Trackback
 7月5日(土)、厚い雲、時々雨。風なし、人多し。
 入りの柏公園5時10分。小鳥の声あり。アベリアの植込みは、満開の花、脂粉の香り、麗しき女性のごとし。
 公園を抜けて、大堀川の河口へ。緑道沿いの路肩の草薮に、月見草三本、三輪の小ぶりの花を咲かせていた。
 土手を降りて、川岸を歩く。花も種も、落とした大輪の月見草の、紅い茎をたしかめながら歩く。川の中ほどから、ハクチョウの親子6羽が、岸へ向かって進んできた。餌を充てに向かって来たとすると、申し訳ない気がした。ところが、ハクチョウたちは水面まで築かれた、ブロックの上を、羽根でバランスを取りながら、上ってきて、草原の土手の斜面をよちよち登って行った。
 柏下の水路沿いの草原を歩き、機場の林に入り、通路へ出た。通路に、大型のミミズが動いている。一匹見つけたら、また一匹、また一匹、計4匹ゲット。
 戸張側の機場の林で、もも上げ体操。
 戸張下の水路沿いの草原を歩く、ツバメが一羽歩く先々、ついてくる。草原を歩くたびに、小さなチョウがわさわさ飛び出す。ツバメは草原すれすれに飛ぶ。
 所々にあるアベリアの植込み、近づくと、濃厚な脂粉の香り、くらくらしそうだ。
 休耕田のアシ原、蒲原から、今日も賑やか、騒がし、元気な、オオヨシキリたちが叫んでいる。
 ひどり橋、横の柵を使って、腕立て伏せ、スクワット。
 帰路も草原を歩く。
 機場の通路へ来ると、今度は少し細めのミミズ、一匹、また一匹、ゲット。
 家に帰って、小さ目なミミズは、我が家のペット、金魚がぱくりと一飲みした。大きなミミズは敷地の隅に放す。
 
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# by sasakitosio | 2014-07-05 19:41 | 手賀沼をたのしむ | Trackback
6月29日付朝日新聞4面に、「政治断簡」という署名入りの囲み記事がある。筆者は、編集委員・松下秀雄氏だ。
 今日はこの記事に学ぶことにした。
 筆者は、「徴兵をやめるのは「軍国主義」への回帰を意味する。そんなドイツ軍将校の発言を、ニューズウィーク日本版で見かけ、目を疑った。
 日本では、徴兵制こそ軍国主義の象徴だ。体験者はしばしば「おまえの命は一銭五厘だ」と召集令状一枚の値打ちしかないように上官に扱われた理不尽を振り返る。どういことだろう。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「ドイツ人で、近現代日本史を研究する上智大のスヴェン・サーラ准教授に尋ねると、答えが帰ってきた。
 「戦後のドイツは市民軍を理想としたからです。かってのの軍はナチスに反対しなかった。だからネオナチが政権をとろうとするとき、民主主義を防衛する市民軍をつくろう。閉ざされた軍は道を誤るから皆で加わろう。そんな理想のもと徴兵制をとりました。
 だから、軍事費削減を迫られ、小規模で能力の高い軍をめざして2011年から徴兵制が停止されると、理想との逆行を懸念する声が上がった。
 それでも、「制服を着た市民」と称される軍の核心は残る。抗命権・抗命義務だ。
 みんなで軍に加わっても、、命令に絶対服従では暴走を防げない。そこで、人の尊厳を傷つける命令には従わなくてよい、違法な命令に従ってはならないと法に記した。命令の適否を判断する権利と義務を一人ひとりに負わせたのだ
 ある少佐は03年イラク戦争は国際法違反で、米軍には協力できないと任務を拒んだ。裁判になったが結果は無罪。少佐は来日時の講演で「ドイツにいる私は恵まれている」と話した。
 この問題を研究し、講演の通訳も務めた京都女子大の市川ひろみ教授は問いかける。
 「日本でも、おかしいと思うことには、異議を唱えられるでしょうか」
 上官の命令は天皇の命令と心得よという軍人勅諭は失効した。けれども日本人は、自分の意見をいうのに不慣れで、「空気」を読んであわせるくせを感じるからだ。」と教えてくれる。
 最後に筆者は、「私には徴兵制を進めるつもりはかけらもない。ただ、くむべき示唆は多いと思う。
 市川教授はいう。
「ベトナム戦争から撤退した73年、米国で徴兵が停止されると、大半の国民にとって戦争はひとごとになり、国は戦争をしやすくなりました」
 なるほど、ベトナム戦争の時ほど反戦運動の盛り上がりは、その後に記憶にない。
 ところで、集団的自衛権である。この議論も、ひとごとのように軽くはないか。
決めようとしている政治家が、みずから戦うことはないだろう。私たち一人ひとりも「自分なら人を殺せるか」を問い、悩んでいるか。
 自衛隊員は、日本の防衛のために危険を顧みないと誓っていても、ほかの目的で戦うことは想定せず入隊している。殺し、殺される恐れが格段に高まる憲法解釈の変更を、おかしいと思う人は多いはずだ。彼ら、彼女らは本音を言えているだろうか。
 国民全体で悩みもせず、踏みだしてはならない。
 それは民主主義に反する、」と締めくくった。
 よんで、勉強になった。
 ドイツでは「ある少佐が03年、イラク戦争は国際法違反で米軍には協力できないと任務を拒んだ」こと、「裁判になったが結果は無罪」とのこと、これは日本でも真似をした方がいいと思った。 
 またドイツで。「人の尊厳を傷つける命令に従わなくてよい、違法な命令に従ってはならないと法に明記した」とのこと。これも素晴らしい、法規だ。国家的にも、社会的にも、政党のなかでも、宗教団体のなかでも、会社の中でも、社会の隅々に、全体主義の芽が出ないようにすることが、自由と民主主義を守る道のはずだ。
 ドイツは、ナチによる国家支配から、全体主義の根絶を狙い、「抗命権・抗命義務」を法で規制しているようだ。これも日本は真似をしたいものだ。
 筆者の「私達一人ひとりも「自分なら人を殺せるか」を問い、悩んでいるか」の問いは、とりあえず派遣されるのは「自衛隊」だとか、まだ他人事だと思っている自分には、重い問いであった。
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# by sasakitosio | 2014-07-05 07:03 | 朝日新聞を読んで | Trackback
 7月4日(金)、小雨、風なし、人ほとんどなし。
 毎朝の手賀沼散歩、入りの公園5時半。カラスの親子5羽騒ぐ、あちこちムクドリ静かに草原を走る。公園を抜けて、大堀川の川岸へ降りる。川岸を歩く、雨で水かさは増し、水は濁り、流れは速い。
 柏下の水路沿いの草原を機場の林まで一気に歩く。
 機場の通路で、ハグロトンボ一匹、ヒラヒラ飛んで、過ぎた。
 戸張側の林で、もも上げ体操。
 戸張下の水路沿いの草原をヒドリ橋まで歩く。
 途中、オオヨシキリが騒ぐ休耕田のアシ原を過ぎて、農道にあがると、目の前にキジの雄が、雨にぬれて立っていた。立派な体形だ。声をかけ、手を振ったが始めは気がつかなかったらしい。何回も手を振ったらようやく気がついたらしく、頭を低くして歩き始めた。今日は、羽ばたきもせず、鳴きもしなかった。
 近くの萩の植込みの前の、セメントで舗装された道路。水たまりが彼方此方にある。そこで、ミミズを次から次と捕まえて、何と24匹捕獲した。
 大津川の土手に上がって、ひどり橋、横の柵を使って、腕立て伏せ、スクワット。始めると、不思議なことに、大井の山からウグイスの声が聞こえてきた。鶏のコケコッコーも聞こえてきた。
 帰路は、アスファルト舗装された緑道は歩いた。行き交う人が全くない、だから、道路をふらふら、きょろきょろ、歩けるから。そして、雨の日は、緑道にミミズが出ることが多いから。予想通り、柏公園近くに来て、立て続けに、長さ15~20センチ、胴回り3~5ミリの大物三匹が、急いで進んでいるところを発見、ゲット。
 帰って、敷地の土の山において、しばらくして動かなかったら、金魚のえさにと思っていたら、皆が皆、姿を隠してしまっていた。
 
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# by sasakitosio | 2014-07-04 13:44 | 手賀沼をたのしむ | Trackback

ブラジルからの警告

 6月29日付東京新聞社説に、「ブラジルからの警告」という見出しで、税金の使途、貧富の格差という日本にも通じる問題の記事が載った。今日は、この社説に学ぶことにした。
 社説は、「BRICs、頭文字で、ブラジル、ロシア、インド、中国を示す言葉が生まれたのは2001年でしたか。後にアフリカ共和国が加わりますが、米国の投資銀行が、人口が多く、経済成長率の高い国を選び名づけたのでした。
 成長はもちろんグローバリゼーション効果です。
 安価な労働力が外資を招き、生産増加は輸出を生む。伴って天然ガスや鉄鉱石など地下資源は高値となり、外資はさらに流れ込む。そんな地球規模の経済循環でしょうか。」と切り出した。
 つづけて社説は、「それなのに目下のブラジルの混乱です。
 不満を訴えるデモは一年前から、地下鉄・バスの値上げ発表とインフレが発端でした。
 プラカードは「必要なのはスタジアムではなく学校だ」とワールドカップ大会より教育の充実を訴えています。
 また税金は医療や福祉に振り向けよと唱えます。一時的な大会よりも永続的な社会共通資本を求めるのです。
 それにしてもグローバリぜーションの恩恵は民衆にどれほど届くのか。ブラジルでは中間層はぐんと増えました。それは良いのですが、トリクルダウン、富裕層の繁栄から滴り落ちるしずくに貧困層があずかるという話は、金持ちに都合よすぎはしないか。問いは尽きません。」と指摘した。
 さらに社説は、「経済学というと難しそうですが、高校や大学で副読本としても読まれた「世界経済入門」(岩波新書)という本があります。1988年の初版以来、三版を重ねたロングセラー。
 著者の西川潤さんは経済学史、開発経済学を教え、現在、早稲田大学名誉教授。目下のグローバリゼーションの荒波を見かねたように、最近「新・世界経済入門」を出しました。
 こう見ています。
 ①先進国でだぶついた膨大なマネーが国境を越えて動いている。
 ②そこから米国発のサブプライムローン危機、リーマンショックなど「市場の失敗」を示す経済危機が起きた。
 ③金融機関や市場を救済する措置は動員されているが、いまや先進国の低い経済成長は国家債務を増やすことでかろうじて維持されている
 ④そして世界的に環境の悪化が続き、貧富格差など社会分裂が拡大している。
 目を引くのはやはり貧富格差、社会分裂という言葉です。
 国の膨大な借金と合わせ、残念ながら日本も該当国でしょう。経済を市場と政治の共同作業とするのなら、その二つともがなかなかうまくゆきません。
 もう一人、経済学者を紹介しましょう。
 1928年生まれ、立派な白髭を蓄えた文化勲章受章者の宇沢弘文さん。過去の著作を集めた本「経済学は人々を幸福にできるか」(東洋経済新報社)の中でこんな体験を述べています。
 1つは、83年、文化功労章に選ばれ昭和天皇に業績を説明した時のこと。すっかり上がってしまい支離滅裂になりかけたら、陛下はこうおっしゃったそうです。
「君― 君は経済、経済というけど、人間の心が大事だと言いたいんだね」、宇沢さんは経済の核心が言い当てられたと述懐しています。
 もう一つは90年夏、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世から世界中の司教に通達する回勅の作成を手伝ってほしいと依頼されたときのことです。
 その百年前に発せられた回勅は「資本主義の弊害と社会主義の幻想」と述べて、資本主義の搾取の悪と社会主義の危うさを警告していました。 
 それを逆手に取るように。宇沢さんは「社会主義の弊害と資本主義の幻想」と助言したそうです。
 社会主義は独裁を生んだが、資本主義は人間や環境を守り切れているのか。お会いした法王は市場経済制度のあまりに早いペースを心配していたそうです」と教えてくれる。
 最後に社説は、「回勅にならうわけではありませんが、経済又は経済学は、それが本当に人を幸せにしているいるのかどうか。ときどき見直す必要もありそうです。
 グローバリゼーションは世界の富を増やしたのに貧富の格差はなぜ生まれ、広がるのか。富の再分配の失敗、先見性のなさは政治の失敗にほかなりません。
 米国では1%対99%という怒りの声が噴出しました。一握りの人間でなく、最大多数の人びとの幸福を実現してこその経済です。
 ブラジルから世界へ、また日本への問いかけです。」と締めくくった。
 読んで、刺激を受けた。
 新しく知識となったのは
 ①BRICsのグローバリゼーション効果による成長。
 中で、ブラジルは、税金の使途、貧富の格差問い問題を抱えていること。
 ②グローバリゼーションの恩恵は民衆にどれほど届くのか、という問題が残ったこと。
 ③西川潤氏の「新・世界経済入門」で以下のように見ている。
  A、 先進国でだぶついた膨大なマネーが国境を越え動いている。 
  B そこから米国発のサブプライムローン危機、リーマン・ショックなど「市場の失敗」を示す経済危機が起きた。
  C 金融機関や市場を救済する措置は動員されているが、いまや先進国の低い経済成長率は国家債務を増やすことでかろうじて維持されている。
  D そして世界的に環境の悪化が続き、貧富格差など社会分裂が拡大している。
 ④宇沢弘文さんは著書「経済は人々を幸福にできるか」で、以下の体験を述べている。
  A 83年。陛下は「君― 君は経済、経済というけど、人間の心が大事だと言いたいのだね」とおっしゃり、宇沢さんは経済の核心が言い当てられたと述懐していること。
  B 90年。宇沢さんはローマ法王ヨハネ・パウロ二世から世界中の司教に通達する回勅の作成をてつだってほしいと依頼された時、「社会主義の弊害と資本主義の幻想」と助言したとのこと。
 新たな疑問は、社説が指摘している「グローバリゼーションは世界の富を増やしたのに貧富の格差はなぜ生まれ、広がるのか。」ということだ。
 これを社説は「富の再分配の失敗、先見性のなさは政治の失敗にほかなりません」と指摘している。
 そうかもしれないが? 政治に対する無いものねだりをしているようにも思えるが?
 今一つの疑問は、「先進国のだぶついた膨大なマネー」を「国内で封じ込め」スリムにする方策はないものか?
 だぶついているマネーは所有者の生活に不要なものと見なして、社会へ還元してもらう、なんて考え方はできないものでしょうか?そのお金を基に、貧困撲滅、環境保全、難民対策等、人間の安全保障の備えにできないものか?
経済を全く知らないものの空想かもしれないが?
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# by sasakitosio | 2014-07-04 07:35 | 東京新聞を読んで | Trackback