憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio
 3月30日付朝日新聞朝刊4面に、「波聞風問」という署名入りの囲み記事がある。筆者は、編集委員・多賀谷克彦氏だ。
 今日はこの記事に学ぶことにした。
 筆者は、「高齢者市場、シルバーマーケットというと、どんなビジネスが思い浮かぶだろう。介護ロボット、配食、見守りサービス、医薬品と幅広い。ただ、どうしても低下した身体機能を補ったり、改善したりする方を考えてしまう。
 介護が必要になる前に手を打つ「介護予防」に対する企業の取り組みを二つ知った。
 一つ目は、神戸市に本社を置くネスレ日本と神戸市のプロジェクト。カギは、小学校区ごとに高齢者のコミュニケーションの場となるカフェを設けることだ。カフェは、高齢者が外に出たり、会話したり、介護予防についての知識を得たりする貴重な機会となる。神戸市が場を設け、ネスレはコーヒーマシンを提供し、栄養や運動に詳しい講師を派遣する。
 ネスレはこれまでも、オフェス、病院などにコーヒーマシンを無償で提供してきた。全国に9万人いる「アンバサダー」がコーヒー代を集め、補充分を発注する。ネスレにしてみれば、コーヒーなどを買ってもらえば本業への効果ものぞめる。新年度の実施に向けて準備を進めている。
 もう一つはシャープが1月から2か月間、奈良県檀原市と組んだ実証実験。65歳以上中心の約200人にタブレット端末をただで貸与し、血圧や睡眠時間、服薬情報などを端末に入力してもらった。脳の活性化のためのゲーム、体操メニュー、写真撮影といった機能も使える。
 今後の本格展開は決まっていないが、アンケートによると、半数が「継続して使いたい」と答え、3人に一人がほぼ毎日、端末を使っていた。シャープは端末販売による収益よりも、自治体向けの介護予防システムのビジネス化に向けた開発を続けている。」と教えてくれる。
 つづけて筆者は、「健康寿命という指標がある。2000年に世界保健機構(WHO)が提唱したもので、「日常生活が制限されることなく生活できる期間」をいう。平均寿命と健康寿命の差は「不健康期間」を意味し、10年の統計では日本人男性9.13年、同女性12.68年だった。
 平均寿命が上がっても、健康寿命が延びなければ、医療費や介護費用はかさみ、社会の負担は重くなるばかりだ。
 例えば、要介護となる原因上位には、「骨折・転倒」がある。転倒防止策はネスレ、シャープの介護予防メニューにある。介護と縁遠そうな商品でも、高齢者向けに事業化でき、介護費用の軽減にもつながる可能性がある。」と指摘した。
 最後に筆者は、「超高齢化や介護費用の削減というテーマの前に立ちすくむ企業、自治体は少なくない。「介護予防」の視点から、手元の材料やネットワークを見直してみる価値はありそうだ。」と締めくくった。
 よんで、参考になった。持続する運動になるかどうかは、それがビジネスとして成り立つかどうかにかかっていると、かねがね思ってきた。紹介された、ネスレとシャープの件は、企業も行政も利用者も、みなウインウインウインになるいい例だ。柏の地域にも、東大も、日立メデコも、その他全国展開の会社がたくさんある。また市には近隣センター・ふるさとセンターがあり、アイデアが生まれ、育まれる環境は整っている、事に気が付いた。
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# by sasakitosio | 2014-04-05 09:58 | 朝日新聞を読んで | Trackback

さよなら 北海道

 3月30日付東京新聞27面に、「本音のコラム」という署名入りの囲み記事がある。筆者は北海道大教授・山口二郎氏だ。 今日はこの記事に学ぶことにする。
 筆者は、「私はこの3月末で30年ほど勤めた北海道大学を辞めて、東京に移る。この20年ほど日本政治の変革を夢見て自分なりに闘ってきたが、矢尽き刀折れという心境である。この辺で気分を変えるために本拠を変えようというのが最大の動機である。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「北海道から日本政治を観察し、発信できたことは大変な幸運であった。
 東京だけにいては決して見えない日本の現実を知ることができた。私の政治批評は北海道に育ててもらったようなものである。残念ながら今の日本は、オリンピック開催、戦略特区、環太平洋連携協定(TPP)、原発再稼働など、東京圏の都合だけを優先する路線に傾斜している。そして、農業に対する過保護、公共事業の無駄など地方をテコ入れする政策について、否定的なステレオタイプが蔓延している」と指摘した。
 さらに筆者は、「しかし、日本の将来を考えれば、東京圏と地方が反目することは愚かである。金の亡者は地方を邪魔者と思っているようだが、日本はシンガポールのような都市国家にはなれない。大都市と森林や田園があって、日本という国はできている。東京圏を大地震が襲えば、援助の手を差し延べるのは地方の人びとである。」と指摘した。
 最後に筆者は、「多様な風土に多様な文化や産業が存在することに感謝することから、経済や社会の再建築の議論を始めるべきである。」と結んだ。
 毎回楽しみに読ませていただいている。歯切れの良さ、突っ込みの鋭さが気に入っている。東京に本拠を変えられることは、首都圏に住むものとしては、氏を身近に見ることができたり、お話を聞く機会が期待できる点で歓迎だ。
 また、東京新聞で、本音のコラムの執筆者の講演会を企画されたら、ぜひ参加したいと思っている。
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# by sasakitosio | 2014-04-05 09:29 | 東京新聞を読んで | Trackback
 3月28日付朝日新聞社説下に、「記者有論」という署名入りの囲み記事がある。筆者は、編集委員・中島隆氏だ。
 今日はこの記事に学ぶことにした。
 筆者は、「中小企業で経営者に話を聞くと、頭が下がる思いに駆られることが多い。
 京都祇園にある居酒屋「おくんち」。この店を営んで30年になる長崎県出身の村岡和也(60)は15年ほど前、児童養護施設を出た少年を雇った。
 長崎の言葉が通じなくて無力感を抱いた昔の自分と、親のいない彼とがだぶった。彼がマンションで、ボヤを出してしまった時、弁償などすべてを村岡さんが担った。絶対見放さないと決意したからだ。そんな彼も30歳を過ぎた。「後を継いでもらおうと仕込んでいます」と村岡さんは話す。
 福岡市のクリーニング業「プラスアルファ」は従業員45人のうち35人が障害者。雇用の義務がない「50人未満」の会社なのに、小川行治さん(57)は、自立を助けたいからと、さらにふやすつもりだ。」と教えてくれる。
 つづけて筆者は、「厚生労働省のまとめでは、2013年の障碍者雇用達成率は、従業員50~55人以上の中小企業で34.5%。1千人以上で47.7%。大企業の方が積極局的に雇用しているように見えるが、統計に出ていない50人未満の中小企業で、雇用に力をいれている会社はアルファ社だけではない。
 北九州市でガソリンスタンドを営む野口義弘(71)さんは、非行に走ったり、刑に服役した若者ら延べ100人以上雇ってきた。裏切られても裏切られても、「信じているよ」と言って。
 元受刑者らを積極的に雇うことを表明している「協力雇用主」は約1万社あるが、ほとんどが中小企業だ。
 もし彼らのような経営者がいなかったら日本の社会は行き詰まるだろう。
 「施設を退所して、中小企業の現場で仕事をつかんだ2人の女性は言った。「絶対自殺するもんかと。抱き合って泣いたことがあります。」
 刑務所を出所後に働く場がないと、働く場がある時に比べて再犯率は5倍になる、とされている。」と指摘した。
 最後に筆者は、「大企業は施設へ寄付などして」貢献している。しかし、重要なのはお金ではなく、持続的な雇用だ。
 会社経営は性別、年齢国籍にとらわれずにさまざまな人材をいかす「ダイバーシティー(多様性)」の時代と言われている。多様性を言うなら、社会的なハンディを負った人にも目を向け、すべての人が働ける社会づくりを考えよう。働くことはいきることなのだから。」と締めくくった。
 読んで、いい人が日本に沢山いることに驚いた。自分にはなかなかできないを事を、よくやっているなと感心した。
 こんないい話を聞くと、心があたたくなる。犯罪だの汚職だの天下りだののニュ-スが多い中、こういういい話をニュースでも聞きたいものだ。
 
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# by sasakitosio | 2014-04-05 08:07 | 朝日新聞を読んで | Trackback
 4月4日(金)。霧雨、時々小雨。風なし、暖かし、人ほとんどなし。
 毎朝の手賀沼散歩。入りの柏公園6時20分。昨夜来の雨に、ソメイヨシノの花房に、雨のしずくが宿り、桜の枝は一段と地面に這ってきた。今日初めて考えたのだが、桜の枝が地面に這うように伸びているのは、花の重さが、つぎは葉の重さが、時には雨のしずくの重さが、枝をして地面に這うように、成長させたのではないか?お蔭で、桜の花がより広がりを見せてくれて、より優雅に見えるのではなかろうか?
 小雨に濡れる桜の花見をしながら、公園を抜け、柏下の水路沿いの草原に降りる。見たこともないような大きな水たまりができていた。昨夜来の雨が、朝方まで降り続いたせいで、水が引くよりも、たまる方が多かったのかもしれない。
 雨の畑には、いつものキジがいない。
 鳴き声は聞こえる。
 機場の林へ入ると、樹の下にキジの雄がいた。動かない、羽ばたいてケーンと鳴いた。手を振って応える。
機場の林の中の「ユリノキ」の一本から、葉っぱが出始めた。標識では、花は蜜がおおく、葉っぱは祭り半纏のようだと書いてあった。親指の頭ほどに育った「ユリノキの葉っぱ」が、確かに、祭り半纏の形状をしていた。次は花の蜜が待ち遠しい。機場の植込みのドウダンツツジに花が咲き始めた。
 戸張側の機場の林で、体操。
 戸張下の水路沿いを歩く、水路に魚が跳ねる。アシの新芽もどんどん伸びてきた。スミレの花もたまに見える。
 ひどり橋、横の柵で、腕立て伏せ、屈伸運動。眼下には、泥水が増した大津川河口、釣り人2人あり。
 帰路、河津桜の、残りの花と元気な若葉を見ながら歩く。
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# by sasakitosio | 2014-04-04 13:11 | 手賀沼をたのしむ | Trackback
 3月28日付朝日新聞朝刊4面に、「集団的自衛権 行方を問う」という囲み記事がある。聞き手・塩倉裕氏、語り手・藤原帰一・東京大学教授(57)だ。
 今日はこの記事に学ぶことにした。
 語り手は、「集団的自衛権の問題を考えるとは、どういうことか。それは突き詰めれば、同盟国が軍事行動で協力を求めてきたとき応じるかどうか、という問題だ。
 今の日本で言えば、米国から軍事行動の協力要請があったっときにどうするか、が主眼になる。
 米国への軍事協力は、イラク戦争などで過去にも議論されてきたテーマだ。それらの議論には従来、一つ明確な枠組みがあった。「日本を戦争に巻き込もうとする米国と、巻き込まれる日本」という枠組みだ。
 日本政府は、集団的自衛権は行使できないという憲法解釈に立つことで、軍事協力の範囲に制約をかけてきた。
 だが今、枠組みは反転している。米国は、日本のせいで中国との紛争に巻き込まれることを真剣に恐れている。日本は「中国に譲らない」ことを重視する強硬策を採り、その対立に米軍を巻き込みかねない勢いだ。
 つまり今は、集団的自衛権の問題、すなわち「米国からの軍事要請にどう応じるか」が日本の重要課題という状況ではない。日本と世界の平和と安定を守りたいなら、何より中国との関係改善と東アジアの緊張緩和に取り組むべきなのだ。そしてその作業を米国と連携しつつ進める。それらが真の課題だ。」と切り出した。
 つづけて語り手は、「なぜ議論がその方向にむかわないのだろう。戦後約70年間、日本は幸い、戦争の当事者になってこなかった。だがそれは、戦争のリアリティーが失われて行くことにもつながった。
 日中関係を見てほしい。日本政府も中国政府も「相手に対して譲らない」ことを重視していないだろうか。そうした強硬策を両国のナショナリストが支持する状況は、紛争が起こりやすい状態の典型例である。最初は偶発的で小規模な衝突でも、もし双方が引かなければ本格的な軍事紛争が始まってしまう。世界の歴史はそう教える。私たちが警戒すべきは、楽観に基づく希望的観測なのだ。」と指摘した。
 さらに続けて語り手は、「一部には、「日本が集団的自衛権の行使を容認すれば、中国との有事の際、米国からの協力を取り付けやすくなるはずだ」との期待もあるようだ。しかし、それも希望的観測に過ぎない。まず、米政府の政策の優先順位を同盟国が変えることは非常に難しい。また米政府は、東アジアの地域の緊張が高まることは自国のコスト増大につながる、と警戒するだろう。」と指摘した。
 最後に語り手は、「なぜ今、集団的自衛権が浮上しているのか。私には「国内政治の力関係の投影」にしか見えない。改憲勢力が議会で力を強めた変化の投影だ。国際政治の現実を反映した動きとは思えないのである。」と結んだ。
 語り手のいう「今は、集団自衛権の問題、すなわち「米国からの軍事要請にどう応じるか」が日本の重要課題という状況でない。日本と世界の平和と安定を守りたいなら、何より中国との関係改善と東アジアの」緊張緩和に取り組むべきだ。そしてその作業を米国と連携しつつ進める。それらが真の課題だ。」と教えてもらった。
 また、今集団的自衛権が浮上しているのは、「国内政治の力関係の投影にしか見えない、国際政治の現実を反映した動きとは思えない。」との指摘は、成るほどと納得できた。中国との関係でいえば、できるだけ事を荒立てないでいれば、早晩中国では、内部から民主化の嵐が吹き荒れると思うのだが?
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# by sasakitosio | 2014-04-04 07:59 | 朝日新聞を読んで | Trackback
 4月3日(木)。小雨。風なし、人少なし。釣り人なし。
 毎朝の手賀沼散歩。入りの柏公園6時30分、小雨に濡れるソメイヨシノの花見。雨のしずくを花に抱いた枝が、一段と垂れて、青空の花見と異なる風情だ。木の下には、つれなくも小枝を離れた、花びらが散る。しだれ柳にも花が。
 公園を抜けて、緑道に出ると、歩道の上に大きな鳥がいる、キジの雄だ。いつも柏下の畑で、鳴いてくれる「かのキジ」らしい。ゆっくりと、悠々と歩いて、植込みの陰に隠れた。柏下の水路沿いの草原に降りて歩く。草原に鴨が数羽、クローバの葉を食べている。いつも水路で見かける鴨の2羽もいるようだが。遠回りして歩いた、2羽が飛び立って、3羽が残ったようだ。
 機場の林に入ると、枯草の中に、キジの雄が2羽静かに立っていた。
 しばらく前に、大井の田圃で、キジの雄2羽が激しく闘っているのを見たことがある。縄張りは、野生動物の生きる空間だから、必死に守るはずだ。だから、オスのキジが仲良く争わないで、立っていることに不思議を感じた。
 戸張下の側の機場の林で、ヒヨドリの元気な声を聞きながら、体操。
 戸張下の水路沿いの草原を歩く。暖かさと小雨で、草木はイキイキしている。山吹にも、黄色い蕾が出てきた。
 ひどり橋の、横の柵で、腕立て伏せ、屈伸運動。雨のせいか、釣り人ひとりもなし。春先の雨は、魚が騒ぐ、絶好の釣りタイミングだと思うが。
 帰路、まだ花をつけている河津桜、ただ、若葉が大きくなり花を包んだ状態なので、花が目立たない。これを葉桜、乳母桜というのだろうか?
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# by sasakitosio | 2014-04-03 13:18 | 手賀沼をたのしむ | Trackback
 3月27日付朝日新聞15面(オピニオン)に、「あすを探る 外交」という署名入りの囲み記事がある。
 筆者は、千葉大教授・中東研究・酒井啓子氏だ。
 今日はこの記事に学ぶことにした。
 筆者は、「戦争は、意外な発端から起きる。
 100年前、一発の銃弾で4年間も世界を巻き込む大戦争が起きるなどとは誰も思わなかったし、パレスチナでの一件の交通事故が10年以上断続的に続いたインティファーダにつながることも、想像できなかった。
 戦争の「こんなはずじゃなかった」には様々な要因がある。
 敵国が弱体化していると読み間違える例。 
 イラクはイラン革命の混乱を過大視してイラン・イラク戦争を起こした。同盟国が手のひらを返すなどと思いもよらなかったという例。
 クウェート侵攻直前にイラクはアメリカと蜜月関係にあった。戦争を回避しようという官僚の必死の努力にもかかわらず、指導者の挑発的な態度が国際社会の信頼を得られず、取り返しのつかない戦争に突入した例。
 イラク戦争直前、国連査察団の無理難題に、懸命に応えようとしたイラク職員の姿が目に浮かぶ。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「いま、世界が東アジア情勢に危惧するのは、この「不測の事態」だ。最近の海外論調は、東アジア一色即発を懸念する。日中いずれも戦争を希望していない。だから戦争には至らない、と希望的観測をしつつも、「ただし」と続ける。「偶発的な衝突が起きなければ、だが」
 偶発的な衝突の原因として危険視されているのは、関係諸国のナショナリズムに突き動かされた非合理的な行動だ。そしてその懸念は、日本に向けられる。安倍総理の靖国参拝、村山談話見直し発言、ダボス会議での第一次大戦への間違った言及などがそれだ。こうした日本の行動をみると、むしろ関係悪化を挑発しているのは日本ではないか、というのが、国際社会の反応だ。」と指摘した。
 さらに筆者は、「ならば、外国など頼るに足らず、という議論が浮上する。アメリカは同盟相手として頼りにならない。靖国参拝批判などなにごとか、と考えて、自力救済のための富国強兵を目指す。だが、その行動は軍事大国化とみなされるので、ますます「戦争をしたくない」意図は伝わらない。
 相手国は、対抗的に軍備強化する。
 安全保障の「ジレンマ」という概念は、国際政治学の基本のキだ。
 このジレンマから抜け出すには、「国際社会の誤解を解く必要がある」とよく言われる。だが、海外の危惧はただの誤解だ、広報を上手にやればいい、程度にしか考えていないことが、怖い。耳障りな意見は聞かなければいい、という空気が、メディも含めて蔓延している。
 東アジアの緊張は日本以外から来る、海外の対日危惧は誤解だ、との議論が目を瞑っている点がある。
 第二次大戦以降国際社会に定着した日本への信頼感は、日本が富国はしても強兵しないということに対して醸成されてきた、ということだ。その信頼こそが、海外の日本に対する攻撃意思を阻んできた。そして戦後外交は、戦争をしないという真摯な日本の主張を届けてきた。
 国際社会が感じる「危惧」は、こうした過去の平和日本の変質だ。」とも指摘した。
 最後に筆者は、「戦後対米追随と言われながらも、日本の外交は対米と対アジア、対国連外交の、時には矛盾する三つの目的を追求してきた。対中東の歴史を見れば、アメリカの虎の尾を踏んでも中東者諸国との独自の関係構築しようとした時期がある。
 しかし、それは決して上記三つの目的のどれかを犠牲にしようとするものではなかった。目指されたのは孤立ではなく、調整である。国際社会の目を気にしすぎと言われながらも、国際社会との共生を、武力を用いず確立することを目指した。
そうして確立された平和日本は。「国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない」との国連憲章の精神を体現している。
 なぜそのことに日本は自信を持てないのか。
 過去に構築してきた「国委社会に信頼された日本像」を日本自らが崩していることに、国際社会は不安を抱いている」と指摘した。
日本は国連憲章の「国際紛争を平和的手段によって国際平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない」との精神を体現している。なぜそのことに日本は自信を持てないのか。との、筆者の指摘は全く同感だ。
 自信をもって日本の指導者は、日本の平和憲法を世界へ広げ、世界に向かって、軍備費に血税を費やす、「地球的無駄・人類的無駄・歴史的愚かさ」をアピールできないものか?
 人類は、殺しあうことに喜びを感じるのでなく、いつくしみあうことに喜びを感じるように、地球上に誕生した「動物」の一種だと信じたい。 
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# by sasakitosio | 2014-04-03 08:04 | 朝日新聞を読んで | Trackback

沼の柳にウグイスが鳴く

 4月2日(水)。晴れ。風なし、草原に露あり、人少なし。
 毎朝の手賀沼散歩。入りの柏公園6時10分、桜の花が満開、ソメイヨシノの花の白さが、周りを一段と明るくしてくれるようだ。小鳥はさえずり、ヒヨドリは桜の枝から枝へ飛びまわる。桜の下を選びながら、歩く。桜の枝は、花房の重みに長く伸びた枝の先は手が届くところまで垂れている。
 公園を抜けて、柏下の水路沿いを歩く、今日も畑のなかからキジのケーンが聞こえた。近づいても逃げず、こちらへ向かって歩いてきた。キジの全身をしっかり見させてもらった。
 機場の林で、ユリノキ数本がすこし葉っぱを出し始めた。
 戸張側の機場の林で、桜の枝を飛び交うヒヨドリを見ながら、体操。
 戸張下の水路沿いを歩く。草原に露が降り、お日様の光りが反射して、きらきら輝いていた。路地は日に日に緑を増し、名をしらない花が彼方此方に咲く。ひどり橋に近い田圃の畔で、ケーンとキジが鳴く。所在を確かめて、手を振って挨拶。
 ひどり橋の横の柵で、腕立て伏せ、屈伸運動。
 帰路、すっかり葉桜になった、河津桜をみながらキョロキョロ。何の花かと思っていた、蕾が開いて、モクレンであることがわかった。花は咲いてこそ、キジは叫んでこそ、ウグイスはさえずってこそ、感動だ。
 帰路の柏下の水路沿い、今日はキジが羽ばたいて鳴いてくれた。振り返って、所在を確かめて、手を振った。
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# by sasakitosio | 2014-04-02 11:31 | 手賀沼をたのしむ | Trackback

システム破綻の刑事責任

 3月27日東京新聞朝刊27面に、「本音のコラム」という署名入りの囲み記事がある。筆者は、法政大教授竹田茂夫氏だ。 今日はこの記事に学ぶことにした。
 筆者は、「法曹界で重職を歴任した古川元晴氏が、興味深い議論を提起された。国会事故調などが原発事故の責任の所在を明らかにしたのに、裁判では規制当局や東電の刑事責任を問えない。
 現在の法解釈では、大震災は予見不可能だから対策を講じなくても過失に当たらない。だから刑事責任がないというわけだ。そこで氏は未知の危険でも、科学的に危ぶまれるものは刑事責任を問うべきだと主張する。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「確かに、経済産業省や東京電力の元幹部ら原発推進組の責任がウヤムヤになるのは正義に反する。
 米国では、バブルと経済危機の張本人であるウオール街の大物が、一人も投獄されていないことに国民のいら立ちが深まる。司法省は昨年、オバマ政権の威信にかけ、詐欺的な証券化を指弾してJPモルガンから130億ドルという巨額の和解金を引き出した。年間利益の半分だが、幹部は刑事罰を遁れた。」と教えてくれる。
 さらに筆者は、「司法省は訴訟で大銀行をつぶしてしまえば、影響が大き過ぎるという判断だが、著名な地裁判事は危機再発を防ぐためにも、組織より経営トップを「犯罪の故意の無視」で刑事訴追すべきだと批判している。
 重大な情報や兆候を意図的に無視することは罪なのだ。」と指摘した。
最後に筆者は、「原発や金融は多様な力が交錯する複雑で巨大なシステムだが、そこに切り込んで破綻の責任を追及することこそ法曹の役割だ。」と締めくくった。
 読んで、福島原発で東電の役員や経産省の高官が何の責任も取らず、しかも天下りで法外な所得を得ていることを、東京新聞の「こちら特報部」の記事をよみ、やり場のない怒りを感じていた。日本の古川元晴氏が「未知の危険でも、科学的に危ぶまれるものは刑事責任を問うべきでだ」戸の主張は、賛成できる。また、アメリカの地裁判事は危機再発を防ぐためにも、組織より経営トップを「犯罪の故意の無視」で刑事訴追すべきであると批判していること、筆者が重大な情報や兆候を意図的に無視することは罪なのだとの主張にも、賛成できる。政策決定の責任者、政策遂行の責任者は、広範な国民的被害の結果に対し、民事・刑事ともに責任を問う「法律」がないことが、無責任な為政者を生む元になっているのではなかろうか?
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# by sasakitosio | 2014-04-02 07:46 | 東京新聞を読んで | Trackback
 4月1日(火)。晴れ。風冷たし。人少なし。
毎朝の手賀沼散歩。入りの柏公園6時10分。ヒヨドリ声頻り、ソメイヨシノは満開。花の下をめぐりながら、公園をでて、柏下の水路沿いを歩く。水路に動くものあり、小鮒は跳ね走る。機場近くから、ケーンとキジの声。姿は見えす。先に進むと、耕したばかりの畑にいつもの雄のキジが立っていた。近づいても動かない、キジの雄と目があった。怖いほど、美しい顔立ちだった。姿、形、配色、すべて完璧。手を振ってバイバイ。
 機場の林へ入る。堅い芽を弾かせたユリノキに声を掛けながら。戸張下の田圃を前に、桜の花を見ながら、小鳥のさえずりをききながら、体操。
 戸張下の水路沿いの草原を歩く。ナズナの林や、土筆の林や、クローバの山や、レンギョウの植込みや、雪柳の植込みを、見ながらヒドリ橋まで急ぎ歩く。ひどり橋近くの萩の植込みが、大きく刈り込まれた地面に、初めてみる「青い花」。小ぶりだが、青いドレスの貴婦人のような、清楚で、それで華やかな一輪。写メール。よく周りを見ると、近くに数輪の花があった。
 ひどり橋、横の柵で、腕立て伏せ、屈伸運動。
 帰路の緑道は、河津桜の花見。世間はソメイヨシノでにぎわっている。河津桜も引き際だ。花びらはまだ残っているが、若葉が日に日に大きくなって、花を覆ってしまいかねない状態、葉桜。
 沼の我孫子側では、花をつけた桜並木が見える。我孫子の山から鶯の声が聞こえた。
 
 
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# by sasakitosio | 2014-04-01 13:09 | 手賀沼をたのしむ | Trackback