憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

責任野党という疑似餌

 2月2日付東京新聞朝刊27面に、「本音のコラム」という署名入りの囲み記事がある。今日の筆者は、北海道大教授・山口二郎氏だ。
 今日はこの記事に学ぶことにする。
 筆者は、「安倍首相は国会で責任野党と協力して、憲法改正などに取り組みたいと言っている。責任野党とは、形容矛盾の見本のような言葉づかいである。
 統治の責任を負うのは与党である。責任を分かち合おうというなら、相手方の党を連立与党に加えるのが政党政治の常道である。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「野党はその定義上、統治の責任を負えない。議会政治においては、野党の責任は政府与党を的確に批判し、その誤りや行き過ぎを掣肘するところにこそある。
 政府与党に反対することが、あたかも税金の無駄遣いで、国政を停滞させるかのように首相は言うが、それは民主主義の本質を理解していないからである。そもそも民主党政権時代、ねじれ国会を利用して、何でも反対を貫いていた自民党の指導者がいまさら野党に反対するな、などと叫ぶのは天に唾するようなものである。
 安倍首相や彼が任命した公人が、愚かな言動や行動を繰り返すのを見れば、それを批判し、反対するのは当然である」と厳しく批判した。
 最後に筆者は、「責任野党という疑似餌につられて権力に食いつき、いいように利用されて、最後には政党としての命脈が尽きるという道筋が、みんなの党や日本維新の会の政治家に見えないとすれば、度し難い政治音痴である。そんな連中はすぐに政治の世界を離れる方が、当人と国のためである。」と結んだ。
 筆者の、言われる通りだと思う。いつも思うのだが、なぜ、我々の社会は、信念や節操のない人が、国権の最高機関へ、入ってくるのだろうか?
 今急ぐべきは、選挙制度をかえて、知性・信念・節操・胆力・感性の備わった「人々」が選挙に出られ、そして国政に参画してもらうことが、日本再生に不可欠のような気がする。
 もしそれが、難しかったら、直接民主主義による「国家統治」の方法で、平和や人権や民主主義が守られる、システムを考えてみたらどうか?しかも、憲法を変えないでできる方法も考えられると、ベストだが。
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# by sasakitosio | 2014-02-06 07:47 | 東京新聞を読んで | Trackback
 2月5日(水)。快晴、雲ほとんどなし。風少なし、草原に昨夜の雪あり。人少なし。
 毎朝の手賀沼散歩。道路の雪は解けてなく、草原に数センチの雪つもる。雪の上を風が渡る、砂丘にできる風紋に似た、風の跡が雪に残る。誰も歩かない、雪の原を、足を挙げ手を振って、一歩一歩踏みしめながら歩いた。雪は、踏むと、クイと音をたてる。
 公園の草原、柏下の水路沿いの草原、機場の草原、戸張下の草原、すべての草原は、雪原に変わっていた。十数年の散歩で、はじめての経験のような気がする。
 雪柳に雪が解けて、できた氷片が、お日様に光る。
 土手のスイセンも、ホトケノ座もすべて、雪の下だ。
 開いた紅梅にも、雪が積もり、それが解け、花に氷がついていた。
 帰路の雪の原は、雪に残る波のような風紋、雪の原に朝日をあびて、きらきらひかる小さなものが、無数にある。
 雪の原の田圃に「ススメ」だけが数十羽、飛んでは止まり、飛んでは止まり。ときどき小綬鶏が、雪の原を走る。
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# by sasakitosio | 2014-02-05 20:18 | 手賀沼を楽しむ | Trackback
 1月31日付朝日新聞社説に、「新万能細胞 常識を突破する若い力」の見出しで理化学研究所の小保方春子ユニットリーダー(30)らのグループの記事が載った。今日はこの社説に学ぶことにした。
 社説は、「輝かしい新星が現れた。理化学研究所の小保方晴子ユニットリーダー(30)らのグループが、まったく新しい万能細胞「STAP細胞」の作成に成功した。」と切り出した。 
 つづけて社説は、「筋肉や神経などさまざまな細胞に変化できるのが万脳細胞だ。万能性があるのは、生命の初期である受精卵など、特殊な細胞に限られるというのが生物学の常識だった。
 だが近年、万能細胞を人の手で生み出す研究が進み、すでに受精卵を壊してつくるES細胞、山中教授らが遺伝子を導入する方法で開発したiPS細胞がある。
 STAP細胞の大きな特徴は、弱酸性の液体に浸すなど細胞を外から刺激することで、ずっと簡単に作れることだ。
 一昨年英科学雑誌ネイチャーに論文を投稿した当初は突き返された。だが追加の証拠をそろえ、掲載にこぎつけた。最初に拒絶した専門家は「何百年にもわたる細胞生物学の歴史を愚弄している」と激しい意見をつけてきた。これは最大級の賛辞と読まれるべきであろう。まさに教科書を書き換えるような大発見である。」と教えてくれる。
 さらに社説は、「博士号をとってわずか3年。若い小保方さんの研究過程はけして順風満帆ではなかった。
 「誰も信じてくれない中で、説得できるデータをとるのはむつかしかった。」「泣きながら明かした夜も数知れないですが、今日一日、明日一日だけ頑張ろうと思ってやってきた。」と振り返る。
 化学畑の出身で、生物学の既成観念にとらわれず、自らの実験データを信じた。一人また一人と周囲の研究者を味方につけ、数々の壁を乗り越えた。
 変わってきたとはいえ女性の働きづらさが指摘される日本で、これほど信念に満ちた研究成果を上げた小保方さん、そして彼女を支えた共同研究者のみなさんはすばらしい。
 「21世紀は生命科学の時代」といわれ、日本政府も力を入れる。小保方さんの属する理研の発生・再生科学総合研究センターは00年に神戸市にできた。基礎研究から治療への応用まで、再生医学を総合的に進める態勢づくりが結実したようだ。」と指摘した。
 最後に社説は、「特大ホームランを放った小俣さんに限らず、きっと同じように「もう一日だけ」と頑張っている研究者がたくさんいるだろう。そう考えると、日本の科学への希望も膨らむ。
 教科書を学ぶ学習を卒業し、教科書を書き換える研究の道に進む。強い信念と柔らかな発想に満ちた若い世代の飛躍を、もっともっと応援したい。」と、明るく期待を込めて、締めくくった。
 私は、ここ十数年、毎年の年末年始の日本的休暇を利用して、世界の都市を一か所決めて、連泊して歩き回る、一人旅をしている。それは、人間とはなにか?そのために、自然環境、地理的環境、歴史的環境、の違うところで営まれている「今現在の人間の暮らし」を見て歩き、自分の日常と異なる、「場所」での自分を再発見したい。
 そんな思いで、今年はインドの田舎ブッタガヤの街中、近くの村、川、田圃を歩いてきた。いつも、日本に帰って思うことは、地理的に日本に生まれてよかった。自然環境的に日本に生まれてよかった。
 歴史的に、今の時代の日本に生まれてよかった。と思う。
世界の中で、比較的には経済的に繁栄している日本、平和で自由な日本、四季豊かな日本。とりわけ、戦後約70年、軍事国家・軍事優先の国づくりでなく、1億の民の「力」を経済・文化に集中できたことは、人類の歴史の中で、特筆すべきことだとの思いを、強くしてきた。
 そんな中で、iPS細胞の発見、STAP細胞の発見、が続いている。願わくば、社会科学の分野でも、世界をうならせるような「論文」が、出てほしいと願っている。それは、学者研究者に限らず、新聞記者、小・中・高の先生、その他市井の研究者のなかから、マルクスの「資本論」に匹敵するような、時代を切り開く「社会・経済」の指針が出ることを期待したい。宗教で戦争が起きる矛盾の解決法。経済が不幸な人間を生まない方法。世界から武力衝突・国家間戦争をなくする方法。人が他者に優しく生きられる社会づくり等。
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# by sasakitosio | 2014-02-05 17:09 | 朝日新聞を読んで | Trackback
 1月31日付東京新聞社説に、「STAP細胞  めげない情熱が生んだ」と、「STAP細胞」の記事が載った。
 今日はこの社説に学ぶことにした。
 社説は、「再生医療の未来を明るくする研究成果だ。「STAP細胞」開発の成果を生んだのは日本の若い女性研究者である。生命科学の常識を覆す柔軟な発想とめげない研究姿勢が大発見につながった。
 理化学研究所発生・再生科学総合センターの小保方晴子研究ユニットリーダー(30)が開発した万能細胞「STAP細胞」の作り方は単純だ。
 体細胞を弱い酸性の溶液に約30分浸し培養するだけ。その刺激で筋肉や血液など多様な体細胞に分化する前の状態である万能細胞にもどる。
 万能細胞は再生医療や創薬などに役立つと期待されている。
 常識破りなのは、体細胞は分化すると逆戻りは起きないとされている点を覆したことだ。」と教えてくれる。
 つづけて社説は、「京都大学の山中伸弥教授が開発した人工多能性幹細胞(iPS細胞)は遺伝子を使って人工的に万能細胞を作る。小保方さんは、STAP細胞は細胞自身が逆戻りすることを見つけた。
 関連論文の掲載を求めた英科学雑誌ネイチャーに信用されず、論文を突き返されていたことから発想の独創性が分かる。
 「誰も信じてくれなかったことが何より大変だった」状況のなかで、得られたデータを信じ柔軟な発想であきらめすに研究に取り組んだ姿勢が浮かぶ。
 小保方さんの研究室に5人ほどいるスタッフも女性だ。実験室の壁紙をピンクにしムーミンのグッズがあふれ、おしゃれも楽しむ姿は、男性中心の研究現場の常識も覆したようにみえる。」とも、教えてくれる。
 さらに社説は、「政府は2020年までに社会の指導的立場に立つ人材の30%を女性にする目標を掲げるが、日本では理系の女性が活躍する場もなかなか広がらない。今回の研究成果は女性の活躍の場を広げるきっかけにもなる。
 政府は生命科学の発展を重視してきた。安倍政権も再生医療の研究開発に力を入れている。理研もその拠点だ。今回の研究は第一人者の研究者が支援した。成果にはこうした後押しもあったろう。
 応用研究など目先の成長ばかりに目を向けるべきではない。手薄といわれる基礎研究の充実が欠かせない。」と指摘した。
 最後に社説は、「STAP細胞は限定された成果だ。ヒトに応用するには確認すべき課題は多い。「百年後の社会への貢献を意識して研究したい」と小保方さんは見据える。政府はこれに応えるよう息の長い支援を続けるべきだ。」として、締めくくった。
 人類の歴史に残るような「大発見」は、優れた「個」の」存在と同じくらい、それを生み出した「社会」の存在が大きいと思う。
 優れた「個」が、それぞれ持てる能力を伸ばし発揮できる「環境」が日本に、今あることの「証し」が、「STAP細胞の発見」ではないか?優れた個が生まれ、それを育む自由な環境が今の日本には、世界のどの国よりあるような気がする。
 だから、秘密保護法だの、憲法改正だの、集団的自衛権行使だの、今の日本を変えては、いけないのではないか?世界の現実に、日本を合わせるのでなく、世界が日本を見直すまで、じっくり待つ我慢が大切なのではないか?
 国の内外で、国家・政府の武力行使を禁止してきた、日本国憲法、その憲法を70年近く変えないで「擁護」してきた「日本国民」、そのなかで世界有数の経済大国になった「日本」。
 その歴史の中から、これから続々と開花する「日本発の文化」の先駆けとして、iPS細胞の発見を、STAP細胞の発見を、みたいと、一人で考えている。
  
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# by sasakitosio | 2014-02-05 08:15 | 東京新聞を読んで | Trackback

今日もカワセミに会う

 2月4日(火)。小雨。風あり。人少なし。釣り人なし。
 毎朝の手賀沼散歩。入りの柏公園6時20分。薄暗く静か。
 柏下の水路沿いの草原を歩く。薄暗い中、カワセミはいない。
機場の林をぬけて、戸張下の水路沿いの草原を歩く。乾いた草原は、少しぐらいの雨はまさに干天の慈雨。ホコリが立たず、枯草もしっとりした感じだ。
 ひどり橋近く、水路の土手に咲く、三本のスイセン、小雨に濡れて、薄黄色の花びら、芯はダイダイ、満開だ。
 帰路、梅は満開の花の数、数え切れず。早咲きの桜は、蕾をほころばせ始めた。冷たい風に背中をおされながら、草原を歩く。戸張下の水路初めの水たまり、行きは見えなかったが、帰りは明るくなったせいか鮒3匹プカプカ顔を見せた。
 機場の林を抜け、滝に音あり、水は濁っていた。近くの椿の植込みが二か所、花が咲き乱れる。
 柏下の水路へ。水路のT字路にカワセミは見えないので、離れたら、川の中からカワセミが壁の上に着地。今日はいつものカワセミより、大型で、背中全体が瑠璃色で、ときどき羽をパタパタ。今日は、散歩の終わりに、美しいものを見た。
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# by sasakitosio | 2014-02-04 10:15 | 手賀沼を楽しむ | Trackback
 1月30日付朝日新聞朝刊15面に、「あすを探る」という署名入りの囲み記事がある。今日の筆者は、映画監督・作家・明治大学特任教授・森達也氏だ。今日はこの記事に学ぶことにした。
 筆者は、「前略。かってヨーロッパを舞台に戦争は何度も起きた。領土問題も恒常的にあった。でも現在はほぼ消えた。少なくとも東アジアの現状とは相当に違う。帰国してから考え込む。なぜ東アジアは今も国境線を挟んでいがみ合い続けるのか。街場の喧嘩のようなフレーズが双方のメディアの間で躍るのか。
 ヨーロッパの融和が進んだ理由はいくつかある。その一つはホロコーストだ。ナチスドイツほどでないにせよ、他のヨーロッパ諸国もユダヤ人を長く迫害し続けてきた。だからこそ被害者意識だけに埋没できない。他民族を蔑視して差別し続けてきた自分たちの加害性と戦後も直面し続け、後ろめたさを保持し続けてきた(これには功罪あるのだが)。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「鎖国の時代が終わって新しい国家体制を創設するとき、この国は富国強兵と脱亜入欧をスローガンとした。この時期のアジアはほとんどが列強の植民地だ。でもこの国は辛酸を舐めなかった。アジアの盟主として君臨し、中国とロシアを相手にした戦争でも勝利をおさめた。
 この国は特別なのだ。万世一系の現人神に統治されたアジアの一等国。その意識がこの国の伝統的な排他性(村落共同体的メンタリティー)と化学変化を起こす。アジアへの蔑視や優越感を燃料にした思想が正当化され、アジア太平洋戦争へとつながり、やがて敗戦を迎える。でも大きな犠牲を強いられながらもこの国は自分たちの加害性から目をそらし続けてきた。日本を統治するために天皇性存続を選択したアメリカは平和主義の天皇を騙したり追い詰めたりしてこの国を戦争に導いたA級戦犯という存在をつくりあげ、結果として1億国民は彼らに騙された被害者となっていた。
 そのA級戦犯を合祀した靖国問題が、今も東アジアとの関係を揺さぶり続ける。誤解を解きたいと安倍晋三首相は言った。再び戦争の惨禍にお人々が苦しむことのない時代を創る決意を祈念したのだとも。
 ならば同時に宣言するべきだ。戦争とは一部の指導者の意志だけでは始まらない。彼らを支持する国民の相互作用が必要だ。戦争責任をA級戦犯だけに押し付けるべきではない。私たちは被害者であると同時に加害者の末裔でもあるのだと。
 アジア太平洋戦争でこの国はアジアにも負けた。そころがその記憶と実感は薄い。だからこそアメリカに従属しながらアジアへの優越感は保持されて戦後の経済発展の原動力の一つとなった。つまり脱亜入米だ。」と指摘した。
 さらに筆者は、「ヨーロッパの人はよく、ユーラシア大陸を東に行けば行くほど夜が明るくなると口にするが。確かに極東の島国は夜も煌々と輝いていた。世界第三位の54基の原発に電力を支えられながら。そんな時代が今終わりかけている。でもアジアの一部になることを認めたくない。ずっと抱いてきた優越感や蔑視感情をどうしても中和できない。そのいら立ちが反中や嫌韓の感情へとリンクする。
 一部の指導者にのみ戦争責任を押し付けた観点において、東京裁判は明確な過ちを犯している。責任は天皇と当時の国民すべてにある。だから、(靖国が適当かどうかは措く)A級戦犯も同じように祀る。そう宣言して自分たちの加害性を直視することで、ようやく戦争のメカニズムが見えてくる。」と指摘した。
 最後に筆者は、「歴史上はほとんどの戦争は、自衛への熱狂から始まっている。指導者やメディアは平和を願うと言いながら、結局は危機を煽って、国民の期待や欲求に応えようと暴走する。とくに安倍政権誕生以降、自衛の概念が肥大している。大義になりかけている。ならば、この国はまた同じ過ちを犯す。積極的な平和主義を唱えながら。」と締めくくった。
 読んで、今までなかなか理解できなかったことの一つがはっきりした。
 それは、8年がかり約30回余の「憲法のビデオ学習会」で、誰も戦争の責任を論ずる人がいないのはなぜか、ということだった。戦争の原因と、結果の責任をはっきりさせなければ、再び戦争が起きないようにする「手だて」が見えないと、自分ではかねがね考えていたから。
 筆者のいうとおり、太平洋戦争は、天皇も国民もすべてが原因であり結果であるとすれば、誰からも戦争責任論が出ないことが納得できた。となると、今までの反戦・護憲の運動は、練り直さなければならないようだ。
 
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# by sasakitosio | 2014-02-04 07:46 | 東京新聞を読んで | Trackback

顔の見える労使関係

 1月30日東京新聞朝刊27面に、「本音のコラム」という署名入りの囲み記事がある。今日の筆者は、法政大学教授・竹田茂夫氏だ。
 今日はこの記事に学ぶことにした。
 筆者は、「先日、出版労組の討論集会で労働運動の一端を垣間見る機会を得た。出版社の編集者などの労組で、約100名の代表者が集まった。参加者には女性と若者が多く、賃上げ以外にも子育てや労働時間などの切実な問題が議論された。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「非正規の分科会で伺った興味深い話だが、派遣社員を物件費扱いしてきた経営者が、労使交渉に現れた当人を相手にさすがにモノ扱いはできずに態度を変えたという。
 同じことが異色の研究「不況時になぜ賃金は下がらないか」(未訳)でも報告されている。著者T・ビューリーは米国の不況期に300人以上の関係者(経営者・労組員・失業者等)にこう尋ねた。「多くの失業者がいるのになぜ企業は思い切った賃下げをしないのか」
 市場原理が支配するかに見える米国でも、関係者は労働力の需給以外に社会的公正・労働者の意欲・職場の雰囲気を考慮する。現場の賃金決定には実践感覚のレベルで過度の商品化の嫌悪や連帯などが組み込まれているのだ。ただし、例外がある。パートなどの非正規部門では公正や意欲などの話は一切聞かれなかったという。まさにモノ扱いだ。」と指摘した。
  最後に筆者は、「人として扱われる、顔の見える労使関係こそ働く者の望みなのに、安倍政権は派遣法再改正等で非正規雇用の固定化にかじを切りつつある。」と締めくくった。
 安倍首相は、施政方針演説で、35か所も「世界」を連発したと、東京新聞の記事を読んだ。その世界は、世界並みなのか、世界一悪いのか、世界一良いのか。気になるところだ。
 労働者が、世界一「大事にされている社会」を目指したいものだ。
 それを、日本から世界への「日本モデル」の発信にしてほしいのだが。安倍政権は派遣法の再改正等で非正規雇用の固定化に舵を切りつつあるとの指摘は、ゆゆしき事態である。
正規で普通に暮らす人たちが、非正規雇用の固定化は阻止しなければ、平和な社会・安全な社会が壊れる。日本が壊れる。
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# by sasakitosio | 2014-02-03 19:21 | 東京新聞を読んで | Trackback
 2月3日(月)。曇り。風なし、人あり。
 毎朝の手賀沼散歩。柏公園6時10分。東の空高く雲厚く、空に日の光なし。公園は街路灯が照らしていた。
 柏下の水路沿いの草原から、機場の林へ。モズが鳴き、飛ぶ。
 戸張下の水路沿いの草原を、ヒドリ橋まであるく、ときどき小綬鶏が目の前を走り、飛び立つ。
 ヒドリ橋6時40分。樋管の入り口に、ダイサギ一羽立ち、白鳥二羽浮かぶ。
 帰路は、明るい。気が付けば、天井には雲がない。青空だ。気温は春のように暖かい。紅梅二本、次々に花を開く。土手の草は、一斉に立ち上がり始めた。白い綿毛のタンポポの中に、ときどき黄色い花が地面すれすれに咲いている。
 帰路の戸張下の水路のはじめ、水たまりに鮒が3匹ぷかぷか。昨日の午後11匹救助したが、私の救助の網に入らなかった「鮒」が3匹いたらしい。救助され、広いプールに放流された方が、人から見ればよかろうと思っても、実のところ鮒の気持ちはわからない。
 柏下の水路沿いの草原を歩いての帰路。水路のT字路の壁の上に、小鳥の宝石「カワセミ一羽」、発見。
 柏公園には、シジュウカラらしき小鳥が、木の枝を鳴きながら飛びまわる。
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# by sasakitosio | 2014-02-03 16:50 | 手賀沼を楽しむ | Trackback
 1月30日付東京新聞社説に、「核のゴミ処理  注目したい学術会議案」という見出しで、核のごみ処理についての記事が載った。
 今日はこの社説に学ぶことにした。
 社説は、「使用済み核燃料から再利用できるウランとプルトニュームを抽出する。それが再処理。搾りかすの液体をガラスで固め、金属製の容器に入れて、地中深く埋めるーー
 政府は再処理、再利用が前提の核燃料サイクル計画破綻後も、地層処分の方針は変えていない。 
 科学者の立場から役割を担う日本学術会議は一昨年9月、独自に「暫定保管」を提案し、私たちも支持している。」と切り出した。
 つづけて社説は、「核のゴミを数十年から数百年、いつでも取り出せるように保管しながら、並行して安全に処分できる新技術、方法を探す。技術が確立するまでは、格のゴミを増やさない「総量管理」の必要性も唱えている。
 人体に影響のないレベルになるまで10万年。そんな先まで地中の変化を予測できないという、科学者の良心に基づく提言だ。
 ドイツの地層処分候補地だったゴアレーベンでは、想定しない地下水脈が見つかって、白紙撤回を決めたばかりだ。火山も水脈も多い日本で適地は見つけがたい。
 処分場候補地の選定は、全国の電力会社などで組織する原子力環境整備機構(NUMO)が、自治体から立候補地を募る公募方式を採ってきた。開始から11年。最大20億円の交付金が出るにもかかわらず、進展がない。」と指摘した。
 さらに社説は、「政府は昨年末、国が複数の適地を選び、直接自治体に受け入れを求める積極関与を表明した。
 福島事故の処理や補償が進まず、国、電力会社への不信がなくならない現状では、候補地の名前が挙がっただけで、大混乱を招くだろう。
 だとすれば、現状では学術会議が言うように、最終処分の看板は掲げず、再処理せず、冷却装置つきの容器にいれるなどして厳重に暫定保管するしかない。だが、どんな方法か、コストは、場所は・・・。検討はこれからだ。」と指摘した。
 最後に社説は、「総量管理の観点からは、少なくとも最終処分の方法が決まるまでは、原発の再稼働はすべきでない。だが、すでに出してしまった膨大な核のゴミは無視できない。
 学術会議は9月には、技術課題や合意形成について見解をまとめるという。国民議論のたたき台として国も注目すべきである。」と締めくくった。
 核のごみ処理を、現実的に前へ進めるには、学術会議案に期待したい。
 それにしても、この国には、原発事故について、俺が責任をとるという指導者が一人もいないことが情けない。誰も主体的に、原発を主導的に推進してきたという人がいない。事故が起きようが起きまいが、主体的に原発推進をしてきたと自覚する「人」が居ない、不思議な「指導者」たちだ。こんなモラルのない指導者たちは一日も早く一掃できないとすれば、日本人の不幸はまだまだ続くしかない。 
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# by sasakitosio | 2014-02-03 07:46 | 東京新聞を読んで | Trackback
 2月2日(日)。曇り、全天雲厚く、お日様全く見えず。風なし、人多し。
 毎朝の手賀沼散歩。入りの柏公園7時。草原にムクドリ数羽。
 公園の草原から、柏下の水路沿いの草原へ、機場の林へ。林を出ると、戸張下の水路の始まりがある。そこが今、ゴミで水路の中に堰がてきて、水たまりになっている。のぞくと、鮒らしきものが10匹よ、ぷかぷか水面に顔と口を出して浮いている。酸欠ではなかろうか?
 昨日の朝も、広い機場の滝の落ちるプールへ救出しようと思い、散歩の道々、網を探していて、ひどり橋の近くの水路脇に「捨てられた昆虫網」が、柄はなく丸い網だけ落ちていた。そこで、帰路の水路で、拾った小さな網を入れたが、魚は一匹も入らなかった。救出できなかった。
 今日の朝も、帰路の水路で、土手に手をついて、網を入れたが、不発であった。
 そこで、午前中の顧客の自宅へ訪問しての仕事を終え、午後から、今度は直径40センチの手編みをもって、10リットルの蓋つきバケツを車に積んで、鮒救出作戦に出動した。
 午後3時、水路に着くと、相変わらず鮒がぷかぷか浮かんでいた。早速網をいれて、いっぺんに数匹網に入った。みれば、30センチ近いの数匹、すべて、20センチ以上の、大きさであった。昨日拾ってきた、昆虫網では10センチがいっぱいだったことに気付いた。さらに、数回網を入れ、合計12匹捕獲。ヘラブナ11匹、真ブナ一匹。鮒でいっぱいのバケツと網をもって、機場のプールへ土手を超えており、一匹づつ手でしっかりとつかみ、元気でな!と声をかけながら、放って放流した。あのまま放っておいたら、ギバチと同様酸欠で生きておれなかったろう、と勝手に考え、今日はなにか好いことをした気分だ。
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# by sasakitosio | 2014-02-02 16:07 | 手賀沼を楽しむ | Trackback