8月6日付け東京新聞朝刊社説に、「被爆地にともる「聖火」」という見出しが載った。今日はこの社説を学習することにした。
まず社説は、「毎月9日、そして毎年8月6日にも、長崎市の爆心地公園の一角に「聖火」がともされます。
「長崎を最後の被爆地とする誓いの火」。核兵器が完全に禁止されるその日まで、長崎市民有志が守り続ける祈りの灯火です。
ギリシャ政府の許可を得てオリンピアの丘で、五輪と同様古式ゆかしく、太陽から採火された「誓いの火」=写真。「平和の象徴を被爆地に」という市民の願いが実を結び、長崎市平和公園の平和記念像前にしつらえたのは、1983年8月7日の夜でした。
五輪以外で“聖火”が海を渡るのは異例のことでした。当時文化相だった女優、メリナ・メルク―リさんの特別な計らいがあったと言われています。」と切り出した。
続けて社説は
ギリシャ政府に「聖火を下さいと」と呼びかけた平和運動家
渡辺千恵子さんは、長崎最初の被爆者団体「長崎原爆乙女の会」の設立メンバーです。16歳のとき、「学徒報告隊」として勤労動員された軍需工場で被曝しました。
崩れた鉄骨の下敷きになって脊椎を骨折し、下半身不随になりながら、車いすで世界を駆け巡り、93年64歳で亡くなるまで、核廃絶を訴え続けた人でした。
渡辺さんは五輪の聖火に込めた思いをこのように書いています。
<古くからギリシャでは、聖火が灯されている間は、どんなに激しい戦闘が行われていても、直ちに休戦する習慣になっていたといわれる。聖火は平和のシンボルなのである。私たちの願いも、核兵器のない、平和な社会を実現することにあるので目的は合致する>「長崎よ、誓いの火よ」(草の根出版会)。
「誓いの火」は87年、全国から基金を募り、現在の場所に常設された灯火台に移されました。
高さ約5メートルのタイル張り、仮設から移されるまでの間は、被ばく者の一人が自宅の仏壇の前で大切に種火を守り続けたそうです。
コロナ禍と猛暑の中で開催中の東京五輪。首都では今日も五輪の聖火が燃えています。
「五輪の聖火が戻ってきたのは喜びたい。しかしオリンピックそのものがコロナと闘っているようなこの時期に、あの聖火を「不戦の火」読んでもいいのだろうか・・・」。
「誓いの火」を管理する市民有志の代表里正善さんの東京五輪に対する気持ちは複雑ですが、「ナガサキの聖火」に込めた祈りは揺らぎません。
国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長は、五輪開幕前の先月16日に広島を訪れて、原爆慰霊碑に献花したあと被爆者と面談し、「東京五輪、パラリンピックがより平和な未来への希望の光になると確信している。五輪を通じて世界平和に貢献したい」とのメッセージを出しました。
原爆資料館の芳名録には「広島市民と広島市に対し敬意を表し、ここに我々の平和への努力を誓う」と記録しました。
同じ日、コーツ副会長は長崎市を訪れて「平和は五輪の中心理念で、平和の街としての長崎に敬意を払うために私はここにいる」というスピーチをしています。」と教えてくれる。
最後に社説は、「被爆地と被爆者への敬意、そして五輪が掲げる平和の理念が真実ならば、76年前に広島で原子爆弾がさく裂したきょう6日午前8時15分、選手や大会関係者に黙とうを呼びかけてほしいという広島市などの申し出を、IOCが拒絶したのは不可解です。
せめて8日に迫った閉会式、長崎原爆忌の前夜には、短くていい、ヒロシマ、ナガサキ、さらに世界に向けて、核のない平和な時代を希求する、具体的なメッセージを残してほしいと願います。
視聴率至上、商業主義のうねりの中で、五輪の存在意義が大きく揺らぐ今だからこそ、そもそもの理念を、この世界で唯一の戦争被爆国で再確認したもらいたい。
そこの希望を見いだす人がいる限り、五輪は今も「平和の祭典」、聖火は今も「平和の象徴」であるべきです。8月のこの時期ならば、なおのこと。
<夜、聖火は太陽へ帰った。人類は4年ごとに夢を見る。この創られた平和を夢で終わらせていいのであろうか>
1964年の五輪を記録した映画「東京オリンピック」(市川崑監督)の掉尾を飾る字幕の言葉。
明後日、聖火は再び太陽へ帰ります。新しい希望の種火を、ヒロシマ、ナガサキ、そして世界に残していきますように。」として締めくくった。
読んで勉強になった。
「毎月9日、そして毎年8月6日にも、長崎市の爆心地公園の一角に「聖火」がともあれます。」とのこと、
「長崎を最後の被爆地とする誓いの火」。核兵器が完全に禁止されるその日まで、長崎市民有志が守り続ける祈りの灯です」とのkと、
「「平和の象徴を被爆地に」という市民の願いが実を結び、長崎市平和公園の平和記念像前にしつらえた仮設灯火台に点火されたのは、1983年8月7日の夜でした」とのこと、
「当時文化相だった女優、メリナ・メルク―リさんの特別な計らいがあったと言われています」とのこと、
「ギリシャ政府に「聖火をください」と呼びかけた平和運動家の渡辺千恵子さんは、長崎最初の被爆者団体「長崎原爆乙女の会」の設立メンバーです。」とのこと、
「渡辺さんは五輪の聖火に込めた思いをこのように書いています。<古くからギリシャでは、聖火が灯されている間は、どんなに激しい戦闘が行われていても、直ちに休戦する習わしにのなっていたと言われる。聖火は平和のシンボルなのである。私たちのねがいも、核兵器のない、平和な社会を実現するということにあるので目的は合致する> 「長崎よ、誓いの火よ」とのこと、
「「誓いの火」は87年、全国から基金を募り、現在の場所に常設された灯火台に移されました」とのこと、等々を知ることができた。
そして社説は、「被爆地と被爆者への敬意、そして五輪が掲げる平和の理念が真実ならば、76年前に広島で原爆談がさく裂したきょう6日に午前8時15分、選手や大会関係者に黙とうを呼びかけてほしいという広島市などの申し出を、IOCが拒絶したのは不可解です」との指摘し、
「せめて8日に迫った閉会式、長崎原爆忌の前夜には、短くていい、ヒロシマ、ナガサキ、さらに世界に向けて、核のない平和な時代を希求する、具体的なメッセージを残してほしいと願ます」と訴え、
「明後日、聖火は再び太陽へ帰ります。新しい希望の種火を、ヒロシマ、ナガサキ、そして世界に残していきますように」と祈った。
社説の指摘や、訴えや祈りに共鳴しながら、閉会のセレモニーを注視しなければ、思った。もし、閉会式でナガサキ、ヒロシマへの具体的なメッセージが出されるなら、それが東京オリンピックの大きな「レガシー」だと思った。