憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

<   2018年 04月 ( 56 )   > この月の画像一覧

 4月10日付東京新聞朝刊27面に。「本音のコラム」という欄がある。筆者は、ルポライター・鎌田慧氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「米海兵隊は「殴り込み部隊」として勇猛を誇る。沖縄での米兵犯罪は、戦場または戦闘訓練が海兵隊員に与えた、精神的荒廃の表れである。その海兵隊をマネして創設されたのが水陸機動団だ。」ときりだした。

 続けて筆者は、「米国の要求を受けて閣議決定された、憲法違反の疑いの強い集団的自衛権の行使のときには、真っ先に戦場に送られそうだ。といっても、水陸機動団の目的は、沖縄南西諸島の「島嶼防衛の推進」といわれ、水陸両用車52両(1両7億4千万円)が配備される。

 水陸両用車は敵陣上陸する海兵隊員を従えて進軍する。南西諸島に上陸する事態とはどういう状況か。日本の島嶼が敵に占領されたのを奪還する事態が想定され、その時島は、かって沖縄本島のような阿鼻叫喚の地獄になっていよう。

 防衛省は護衛艦「いずも」を専守防衛逸脱の空母に改造し、短距離滑走路や垂直離陸できる、ステルス戦闘機を搭載する計画をひそかに進める。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「河野克俊・統合幕僚長は、安倍首相のお気に入り。2014年12月訪米したときにオスプレイ、水陸両用車の購入を決め、そればかりか「来年(15年)夏までに安保法制を成立させる」と約束して帰国した。

 安倍首相が「この夏までに成立させる」と国会に諮りもせず、米上下院で見えを切った時より4か月も早い。政権も自衛隊も秘密裏に暴走している。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「水陸機動団の目的は沖縄南西諸島の「島嶼防衛の推進」といわれ、水陸両用車52両(一両7億4千万円)が配備される。」とのこと、

 「防衛省は護衛艦「いずも」を専守防衛逸脱の空母に改造し、短距離滑走や垂直離陸が出来るステルス戦闘機を搭載する計画をひそかに進める」とのこと、

 「河野克俊・統合幕僚長は、2014年12月に訪米したときにオスプレイ、水陸両用車の輸入を決め、そればかりか「来年(15年)夏までに安保法制を成立させる」と約束して帰国した」とのこと、

 「安倍首相が「この夏までに成就させる」と国会に諮りもせず、米上下院で見えを切った時より4カ月もはやい。」とのこと、等々を知ることが出来た。

 そして、安倍晋三首相や河野克俊・統合幕僚長が、アメリカの政府や兵器産業や米軍にのみ「忖度」して、「法律」を通したり、税金を使っていることが分かった。それって、アメリカに蔑まれ、バカにされ、日本国民の国益を損なっているのではないだろうか?

 


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by sasakitosio | 2018-04-11 06:56 | 東京新聞を読んで | Trackback

4月8日付朝日新聞朝刊3面に、「日曜に想う」という欄がある。筆者は、編集委員・福島申二氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

まず筆者は、「暖地の桜はあらかた散ったが、岩手県盛岡市辺りはまだつぼみが春を抱いている。市内の大慈寺に、この地の出身で平民宰相と呼ばれた原敬の墓がある。

 原は1921年(大正10)に東京駅で凶刃に倒れた。なきがらが戻って埋葬されるとき、妻は穴の深さをしきりにたずねたそうだ。「深さをよく覚えておいてくださいね」とまわりの人たちに頼んだ。わけを聞かれるとこう言った。

 「私が墓に入ってから、あなた、と呼ぶのに深さが違うと困りますから、横を向けば話ができるように、平らに並べてくださるようお願いしますよ」

 1年4カ月のち、後を追うように他界した浅は、望み通りに同じ深さに埋葬されたという。それからほぼ1世紀、二人の墓石は同じ形で左右に並び、仲よく語らっているかに見える。

 「永眠の地」「終のすみか」の一つの理想を見る思いだが、ここに来て、墓をめぐる世相は旧変しつつある。

 少子化につれて人口が減り始め、家族のかたちや人の生き方が多様化する時代である。

 守る人の絶えた無縁墓が各地に目立ち、夫と同じ墓に入りたくないという妻も珍しくない時世になってきた。

 原敬と浅のエピソードは、どこか遠いお伽噺のように聞こえてくる。」と指摘した。

 続けて筆者は、「亡くなった者をあの世で結び合わせる冥婚という言葉は古くからあって、旧習ながらどこか詩的に響いてくる。

 片や死語離婚は新しい言葉で、散文的だ。

 亡くなった配偶者の親族との法的関係を断つことを言う造語だが、もともとは配偶者と同じ墓を拒む場合をそう称してきたようだ。本紙記事には1994年に後者の意味で初めて登場する。

 それからほぼ四半世紀、いずれの場合も、死後離婚に至るすきま風は専ら妻の側から吹いてくるようだ。家族という役割の中で、これまで女性が負わされてきた忍耐ゆえと想像はつく。

 昨年秋の本紙Reライフプロジェクトのアンケートによれば、配偶者と同じ墓に入ることについて「悩む」「できれば避けたい」「絶対に避けたい」「絶対に嫌だ」と答えた女性は4人に1人を数えた。男性は7%程度と低かった。

 婚家の代々の墓への抵抗感がある人もいることだろう。

 これこそお伽噺かもしれないが、評論家の花田清輝が次に話を書いた。

 パリのペール・ラシューズ墓地に二つの墓が並んでいて、先にできた墓にはこう書いてある。

 「ジャック・ジランーーお前を待ってるよ!」。

 後の墓には「ジャクリーヌ・ジュランーーはい、まいりましたよ!」

 思わず頬がゆるむ。とはいえ昨今、それが理想とばかり思っていては素朴に過ぎよう。百人いれば生き方と逝き方に百の考え方がある。

 近年広まった「終活」という言葉には、形はともあれ、人が一個の人間に戻って退場しようとする静かな意思があるように思われる。」と指摘した。

 最後に筆者は、「北から向かう桜前線は、今日はどこまで行ったか。ときに生きがいに結びつき、ときに死にざまに重ねて、日本人は桜に思いを託してきた。

<死に支度致せいたせと桜かな>一茶

 不吉な句ではあるまい。桜の恬淡とした美しさが一茶にそう言わせる。生きているうちの旅支度を「縁起でもない」と嫌う時代では、もうないだろう。

 単身で暮らす世帯が4分の1を超えたいま、弔いも墓も「家」から、「個」へとかたちを変えるのは自然な流れだ。女性専用をうたう墓所も近年目につく。

 自分らしく。あの人らしく。

 昨今はそれがエンデングのキーワードだと聞いたことがある。残ったものの思い出の温め方も人それぞれでいい。

 美しい桜に仮託する散りざまとは異なり、人の死にはリアリズムの縮図のような事柄が入り乱れる。加えてこれからは少子に多死が重なる未体験のゾーンに我々は踏み込んでいくことになる。

 難しい時代だけれど、賢く処したいものだ。人生の機微に

通じたシェークスピアの劇にこんなセリフがあった。

 「終わりよければすべてよし、終わりこそつねに王冠です>(小田島雄志訳)」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「盛岡市内の大慈寺に、この地の出身で平民宰相と呼ばれた原敬の墓がある」とのこと、

「原は1921年(大正10)に東京駅で凶刃に倒れた。なきがらが戻って埋葬されるとき、妻の浅は、墓の深さをしきりにたずねたそうだ」とのこと、

 「わけを聞かれると,こう言った。「私が墓に入ってから、あなた、と呼ぶのに深さが違うと困りますから、横に向けば話ができるように、平らに並べてくださるようお願いしますよ」」とのこと、

 「1年4か月のち、後を追うように他界した浅は、望みどおりに同じ深さに埋葬されたという」とのこと、

 「評論家の花田清輝が次の話を書いた。

 パリのペール・ラシューズ墓地に二つの墓が並んでいて、先にできた墓にはこう書いてあるそうだ。「ジャック・ジュランーーお前を待ってるよ!」。あとの墓には「ジャクリーヌ・ジュランーーはい,まいりましたよ!」」とのこと、

「<死に支度致せいたせと桜かな>一茶」とのこと、

 「シェクスピアの劇にこんなセリフがあった。<終わりよければすべてよし、終わりこそつねに王冠です>」とのこと、等々を知ることが出来た。

 古希すぎて喜寿近くなって、妻に墓のことを訊かれる今日この頃。妻に感動的な「セリフ」は吐かせた、原敬やジャック・ジュランの偉大さがよく分かった。妻と同じ墓に入るためには、妻より長生きし、自分で二人の墓を造るのが一番、と思っているが!?


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by sasakitosio | 2018-04-10 17:00 | 朝日新聞を読んで | Trackback

4月8日付朝日新聞朝刊3面に、「日曜に想う」という欄がある。筆者は、編集委員・福島申二氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

まず筆者は、「暖地の桜はあらかた散ったが、岩手県盛岡市辺りはまだつぼみが春を抱いている。市内の大慈寺に、この地の出身で平民宰相と呼ばれた原敬の墓がある。

 原は1921年(大正10)に東京駅で凶刃に倒れた。なきがらが戻って埋葬されるとき、妻は穴の深さをしきりにたずねたそうだ。「深さをよく覚えておいてくださいね」とまわりの人たちに頼んだ。わけを聞かれるとこう言った。

 「私が墓に入ってから、あなた、と呼ぶのに深さが違うと困りますから、横を向けば話ができるように、平らに並べてくださるようお願いしますよ」

 1年4カ月のち、後を追うように他界した浅は、望み通りに同じ深さに埋葬されたという。それからほぼ1世紀、二人の墓石は同じ形で左右に並び、仲よく語らっているかに見える。

 「永眠の地」「終のすみか」の一つの理想を見る思いだが、ここに来て、墓をめぐる世相は旧変しつつある。

 少子化につれて人口が減り始め、家族のかたちや人の生き方が多様化する時代である。

 守る人の絶えた無縁墓が各地に目立ち、夫と同じ墓に入りたくないという妻も珍しくない時世になってきた。

 原敬と浅のエピソードは、どこか遠いお伽噺のように聞こえてくる。」と指摘した。

 続けて筆者は、「亡くなった者をあの世で結び合わせる冥婚という言葉は古くからあって、旧習ながらどこか詩的に響いてくる。

 片や死語離婚は新しい言葉で、散文的だ。

 亡くなった配偶者の親族との法的関係を断つことを言う造語だが、もともとは配偶者と同じ墓を拒む場合をそう称してきたようだ。本紙記事には1994年に後者の意味で初めて登場する。

 それからほぼ四半世紀、いずれの場合も、死後離婚に至るすきま風は専ら妻の側から吹いてくるようだ。家族という役割の中で、これまで女性が負わされてきた忍耐ゆえと想像はつく。

 昨年秋の本紙Reライフプロジェクトのアンケートによれば、配偶者と同じ墓に入ることについて「悩む」「できれば避けたい」「絶対に避けたい」「絶対に嫌だ」と答えた女性は4人に1人を数えた。男性は7%程度と低かった。

 婚家の代々の墓への抵抗感がある人もいることだろう。

 これこそお伽噺かもしれないが、評論家の花田清輝が次に話を書いた。

 パリのペール・ラシューズ墓地に二つの墓が並んでいて、先にできた墓にはこう書いてある。

 「ジャック・ジランーーお前を待ってるよ!」。

 後の墓には「ジャクリーヌ・ジュランーーはい、まいりましたよ!」

 思わず頬がゆるむ。とはいえ昨今、それが理想とばかり思っていては素朴に過ぎよう。百人いれば生き方と逝き方に百の考え方がある。

 近年広まった「終活」という言葉には、形はともあれ、人が一個の人間に戻って退場しようとする静かな意思があるように思われる。」と指摘した。

 最後に筆者は、「北から向かう桜前線は、今日はどこまで行ったか。ときに生きがいに結びつき、ときに死にざまに重ねて、日本人は桜に思いを託してきた。

<死に支度致せいたせと桜かな>一茶

 不吉な句ではあるまい。桜の恬淡とした美しさが一茶にそう言わせる。生きているうちの旅支度を「縁起でもない」と嫌う時代では、もうないだろう。

 単身で暮らす世帯が4分の1を超えたいま、弔いも墓も「家」から、「個」へとかたちを変えるのは自然な流れだ。女性専用をうたう墓所も近年目につく。

 自分らしく。あの人らしく。

 昨今はそれがエンデングのキーワードだと聞いたことがある。残ったものの思い出の温め方も人それぞれでいい。

 美しい桜に仮託する散りざまとは異なり、人の死にはリアリズムの縮図のような事柄が入り乱れる。加えてこれからは少子に多死が重なる未体験のゾーンに我々は踏み込んでいくことになる。

 難しい時代だけれど、賢く処したいものだ。人生の機微に

通じたシェークスピアの劇にこんなセリフがあった。

 「終わりよければすべてよし、終わりこそつねに王冠です>(小田島雄志訳)」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「盛岡市内の大慈寺に、この地の出身で平民宰相と呼ばれた原敬の墓がある」とのこと、

「原は1921年(大正10)に東京駅で凶刃に倒れた。なきがらが戻って埋葬されるとき、妻の浅は、墓の深さをしきりにたずねたそうだ」とのこと、

 「わけを聞かれると,こう言った。「私が墓に入ってから、あなた、と呼ぶのに深さが違うと困りますから、横に向けば話ができるように、平らに並べてくださるようお願いしますよ」」とのこと、

 「1年4か月のち、後を追うように他界した浅は、望みどおりに同じ深さに埋葬されたという」とのこと、

 「評論家の花田清輝が次の話を書いた。

 パリのペール・ラシューズ墓地に二つの墓が並んでいて、先にできた墓にはこう書いてあるそうだ。「ジャック・ジュランーーお前を待ってるよ!」。あとの墓には「ジャクリーヌ・ジュランーーはい,まいりましたよ!」」とのこと、

「<死に支度致せいたせと桜かな>一茶」とのこと、

 「シェクスピアの劇にこんなセリフがあった。<終わりよければすべてよし、終わりこそつねに王冠です>」とのこと、等々を知ることが出来た。

 古希すぎて喜寿近くなって、妻に墓のことを訊かれる今日この頃。妻に感動的な「セリフ」は吐かせた、原敬やジャック・ジュランの偉大さがよく分かった。妻と同じ墓に入るためには、妻より長生きし、自分で二人の墓を造るのが一番、と思っているが!?


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by sasakitosio | 2018-04-10 17:00 | 朝日新聞を読んで | Trackback

4月8日付朝日新聞社説に、「米中貿易摩擦」のことが載った。今日は、この社説に学ぶことにした。

 まず社説は、「米国と中国の貿易摩擦が激しさを増している。制裁と報復の応酬に歯止めをかけ、貿易戦争に陥ることは何としても避けねばならない。

 口火を切ったのは米国だ。中国などを対象に鉄鋼・アルミニウムに高関税をかけ、中国が報復措置として、米国産の果物など計30億ドル(約3200億円)を対象に上乗せ関税を課した。 

 すると米国は、中国による知的財産権侵害を理由に、25%の関税を約1300項目に上乗せする制裁措置を発表。

 中国は直ちに、米国から輸入する106項目に同率の関税を上乗せする報復措置を発表した。

 対象の総額は、米中ともに500億ドル(約5.3兆円)。緊迫度は一気に上がった。」と切り出した。

 続けて社説は、「深刻なのは、双方が互いの「本丸」に切り込む構えを見せていることだ。

 米国は中国が国家戦略に掲げるハイテク分野を狙い撃ちする。

 中国は大豆や自動車、航空機など、米国の輸出にに占める中国の割合が高いものを対象にした。

 大豆は米国の共和党支持者が多い地域の農家に打撃を与え、自動車などはトランプ大統領を支えるラストベルト(さびついた工業地帯)を直撃する。

 ただ、今回の米中の措置はすぐに実施されるわけではない。

 米国は一定の猶予期間を設け、中国は米国の出方をみている。この間に落としどころをさぐらねばならない。

 問題は、相手を揺さぶることで少しでも有利な取引をしようというトランプ氏の姿勢だ。

 中国の2度目の報復措置に対し、高関税の対象を1千億ドル増やすことの検討を、米通商代表部(USTR)に指示した。

 韓国との自由貿易協定(FTA)見直し交渉では、大筋妥結を発表しておきながら、「北朝鮮との取引が終わるまで、棚上げするかもしれない」と、安全保障と絡める姿勢も見せる。

 米国がこんな態度では、中国も対抗上、国内向けに強い姿勢を取らざるを得なくなる。」と指摘した。

 最期に社説は、「一方、中国の知的財産権の侵害は日欧も批判してきた。中国も世界第2の経済大国にふさわしい対応が求めれる。」と指摘した。

 米国が二国間の通商交渉で強気を通せるのは、最大の経済大国だからだ。しかし経済的に強い国が弱い国に圧力をかけることがまかり通れば、保護主義の連鎖を呼びかねない。

 多国間の協調による自由貿易体制を守ることは、日本とって死活的に重要だ。今月は日米、来月には日中韓の首脳会談が予定される。

 米中が冷静に対応するよう、強く促すべきだ。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「米国と中国の貿易摩擦が激しさを増している」とのこと、

 「中国などを対象に鉄鋼・アルミニュームに高関税をかけ、中国が報復措置として、米国産の果物など計30億ドル(約3200億円)を対象に上乗せ関税を課した。」とのこと、

 「すると米国は、中国による知的財産権の侵害を理由に、25%の関税を1300項目に上乗せする措置を発表。中国は直ちに、米国から輸入する106項目に同率の関税を上乗せする報復措置を発表した」とのこと、

 対象の総額は、米中ともに5800億ドル(約5.3兆円)。」とのこと、

 「深刻なのは、双方が互いの「本丸」に切り込む構えを見せていることだ。

 米国は中国の国家戦略に掲げるハイテク分野を狙い撃ちにする。中国は大豆や自動車、航空機など、米国の輸出に占める中国の割合が高いものを対象にした」とのこと、

 「今回の米中の措置はすぐに実施されるわけではない。米国は一定の猶予期間を設け、中国は米国の出方を見ている」とのこと、

 「中国の2度目の報復措置に対し、高関税の対象を1千億ドル増やすことの検討を、米通商代表部(USTR)に指示した」とのこと、

 等々を知ることが出来た。

 もはや米中の貿易戦争は始まっていると、思った。
 そして、米中貿易戦争は、不可避として日本政府は「自国の利益」を守る最善策を急ぎ構築すべきではないか、と思った。貿易戦争における専守防衛とは、どのようなものになるのだろうか?

 その貿易戦争は、国家的にどの国が利益を得、どの国が損をするのか?

 その時、国民の損得はどのようになるのか?

 日本国民は如何に備えれば被害を最小限に食い止められるのか、是非とも専門家の意見を聞きたい、と思った。


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by sasakitosio | 2018-04-10 06:49 | 朝日新聞を読んで | Trackback

4月8日付社説に、「プーチン大統領とロシア」のことが載った。

 今日は、この社説に学ぶことにした。

 まず社説は、「5月に通算4期目の任期に入るプーチン大統領の下で復権を果たしたロシア。ところが意外に足元はおぼつかない。大国にはアキレス腱がありました。

 プーチン氏は3月に行った年次教書演説で、積極的な子育て支援策のおかげで人口問題の否定的な傾向に歯止めがかかったと成果を強調しました。

 一方で、「残念ながら出生率は相変わらず低い水準だ。1990年代がもたらす損失は避けられないことを思い知らされる」と述べました。」と切り出した。

 続けて社説は、「ロシアはソ連末期も89年、一人の女性が生涯に産む子どもの数を示す合計特殊出産率が2.0を超えて、人口を維持できる水準に迫っていました。

 ところが、90年代の混乱期に入ると修正率は急落。ソ連崩壊後の92年には死亡数が出生数を上回る人口の自然減が始まりました。

 金融危機の99年、出生率は1.16まで落ち込みました。

 それが翌2000年から上昇に転じ、政府が07年に始めた子育て支援策後押しする形で13年には1.70を突破しました。自然減が続いた人口も増加に転じました。

 だが、喜んだのもつかの間でした。元々数の少ない90年代生まれの人が子供を産む年齢を迎えたからです。プーチン氏の演説はこのことを指します。

 ロシア統計局のデータでは、昨年の出生数は前年より20万人以上減りました。予想もしなかった落ち込みです。出生率も1.70を割り込んだようです。

 ロシアの人口問題に詳しい一橋大学経済研究所の雲和広教授は、クリミア半島併合に伴う欧米の経済制裁による経済環境の悪化が大きく影響しているとみています。

 収入から税金や社会保険料などを差し引いた可処分所得は、14年から4年連続で減り、落ち込みは10%を越えます。

 人口動態は出産行動に伴って20~30年の周期で繰り返します。出生数の上昇は当分望めません。

 プーチン氏は労働人口も昨年はほぼ百万人減少した、と明らかにしました。千葉市の人口に匹敵する働き手が一年間で失われた計算です。

 プーチン氏は減少傾向はしばらく続くとして「経済成長に厳しい足かせとなる」と危機感を示しました。

 国連の推計では全人口も50年には1億3千2百万人となり、いまより1千万人以上減ります」と指摘した。

 さらに社説は、「人口減社会でも、国力を増やすにはどうすればいいのか。プーチン氏は「技術革新の波に乗れた者は先に進めるが、出来ない者は沈むだけだ。技術の停滞は国の安全保証や経済力の低下を招き、その結果として主権すら喪失する」と訴えました。

 人工知能(AI)などを原動力とする第四次産業革命が、国際社会の勢力図を塗り替えるこになるのではあるまいか、と各国が身構えています。

 プーチン氏も昨秋、学生に向かって「AIを制する者が世界を制する」と激励しました。

 ただし、技術革新を進める上でロシアは頭の痛い問題を抱えています。

 公共政策分野の有名大学・ロシア国民経済行政学アカデミーの聞き取り調査では、ウクライナ危機で欧米との関係が悪化して以来、海外に移り住むロシア人は年間10万人に達しています。これは公式統計の7倍近い数字です。移住者の内4割は高学歴者で、移住の理由は収入減など生活状況の悪化と政治への失望です。

 メドベージェフ首相は昨年、投資家との会議で「ロシアは石油、天然ガスと知能を輸出している。石油・ガスは金になるが、知能は看過できない損失だ」と嘆きました。

 頭脳流出を食い止めるためには「新しい世代がロシアで自分の潜在能力を発揮できる環境をつくらないといけない」とメドベージェフ氏も分かってはいますが、たやすいことではありません。

 英国で起きたロシアの元スパイ暗殺未遂事件は、欧米とロシアの外交官追放合戦に発展し、対ロ経済制裁の解除は遠のきました。

 本来なら欧米と敵対している場合ではありません。」と指摘した。

 最後に社説は、「実権を握って18年になるプーチン氏の下で、ロシアは90年代の混迷期を抜け出し、安定を手に入れました。

 半面、政治・経済構造は硬直化し、社会には閉塞感が漂います。

 長期政権のあかがたまっています。優主な人材が国を見限るのも無理はありません。

 停滞を生み出した体制をプーチン氏自身が変えていかないと、ロシアはゆき詰まるでしょう。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。98年11月、民泊一泊を含むモスクワ一人旅をした。その頃は、モスクワで銀行に長蛇の列ができ、その写真を日本の新聞でみて、モスクワではドルが歓迎されと思って、日本でルーブルに両替えしないで行って夕方ホテルについて、ドルではコカコーラ一本買えなかった、事を思い出した。

 「プーチン氏は3月に行った年次教書演説で、積極的な子育て支援策のおかげで人口問題の否定的な傾向に歯止めがかかったと成果を強調しました。

 一方で「残念ながら出生率は相変わらず低い水準だ。1990年代がもたらす損失は避けられないことを思い知らされる」と述べました」とのこと、

 「ロシア統計局のデータでは、昨年の出生数は前年より20万人以上減りました。予想もしなかった落ち込みです。出生率も1.70を割り込んだようです」とのこと、

 「収入から税金や社会保険料などを差し引いたいわゆる手取り収入を示す可処分所得は、14年から4年連続減り、落ち込みは10%を越えます」とのこと、

 「プーチン氏は労働力人口も昨年はほぼ百万人減少した、と明らかにしました。千葉市の人口に匹敵する働き手が一年間で失われた計算です」とのこと、

 「プーチン氏は「技術革新の波に乗れた者は先に進めるが、出来ない者は沈むだけだ。技術の停滞は国の安全保障と経済力の低下を招き、その結果として主権すら喪失する」と訴えました」とのこと、

 「公共政策分野の有名大学・ロシア国民経済行政学アカデミーの聞き取り調査では、ウクライナ危機で欧米との関係が悪化して以来、海外に移り住むロシア人口は年間10万人に達しています。これは公式統計の7倍近い数です。」とのこと、

 「移住者の内4割は高学歴者で、移住の理由は収入減など生活状況の悪化と政治への失望です」とのこと、

 「メドベージェフ首相は昨年、投資家との会議で「ロシアは石油、天然ガスと知能を輸出している。石油・ガスはカネになるが、知能は看過できない損失だ」と嘆きました」とのこと、

 「英国で起きたロシアの元スパイ暗殺未遂事件は、欧米とロシアの外交官追放合戦に発展し、対ロ経済制裁の解除は遠のきました」とのこと、

 等々を知ることが出来た。

 経済のグローバル化の中で、独裁政権は維持できても、経済の発展は容易ではないことが分かった。経済の停滞は、ロシアでは知能の流出、労働者の流出で、悪循環を示している。独裁政権が経済不振から大衆の信頼をなくする事態も予測される。そのとき、地域紛争が起たり、その地域紛争が世界戦争に発展しないことを、祈りたい。

 


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by sasakitosio | 2018-04-10 06:30 | 東京新聞を読んで | Trackback

4月8日付東京新聞朝刊27面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、法政大教授・山口二郎氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「このところ、官庁で文書の隠蔽、捏造、改ざんが相次いている。

 われわれの日常的な活動において、契約書の文言をこっそり書き換えるとか、あるはずの文書を隠して廃棄したと言い張るとか言ったことが起これば、取引は成り立たない。役所には我々の常識は通用しない。」と切り出した。

 続けて筆者は「しかし、雨が降ろうが槍が降ろうが安倍政権を正当化したい人はいるものである。

 彼らの言い分は、朝鮮半島情勢や日米関係が急展開する中、日本の国会やメデイアはいつまで文書改ざんや隠蔽に没頭するのかという。

 一見国益を重んじる議論である。

 冗談ではない。非常識な政府が重要な政策を決めること自体が国益を損なっているのである。

 自衛隊の活動記録にせよ、国有地の不正な値引きにせよ、一年以上前から野党やマスコミは疑問を呈し、真相の究明を要求してきた。」と指摘した。

 最後に筆者は、「しかし、安倍政権は官僚の子供じみたごまかしを擁護し、根拠もなしに問題ないと強弁し続けた。政府の指導者が初動の段階で率直に問題の所在を認め、情報公開を実行していれば、いまごろ野党に足を引っ張られるなどと泣き言う必要はなかったはずである。

 自民党の改憲案は緊急事態への対応が必要だという。

 今がその緊急事態なのだ。

 そして、それへの対応策は改憲ではなく、内閣総辞職あるのみである。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「われわれの日常的な活動において、契約書の文言をこっそり書き換えるとか、あるはずの文書を隠して廃棄したと言い張るとか行ったことが起これば、取引は成り立たない。役所には我々の常識は通用しない」との指摘、

 「非常識な政府が重要な政策を決めること自体が国益を損なっているのである」との指摘、

 「政府の指導者が書道の段階で率直に問題の所在を認め、情報公開を実行していれば、いまごろ野党に足を引っ張られるなどと泣き言を言う必要な無かった」との指摘、それぞれその通りだと思った。

 これは、日本社会が不治の病にかかった兆候なのだろうか?  

 野党やマスコミという社会の免疫力が衰えたのだろうか?

 社会の老化が進み、日本社会全体が「認知症」になったのだろうか? 

 


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by sasakitosio | 2018-04-09 07:01 | 東京新聞を読んで | Trackback

4月7日付東京新聞朝刊25面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、文筆家・師岡カリーマ氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「「この写真を覚えていますか」と言う言葉でリポートは始まった。三角形の頭巾をすっぽりかぶせられ、身体を電気コードに繋がれて脚立に立つ男性。誰が忘れられよう。2003年のイラク進攻後、アブグレイブ刑務所で米軍兵士に虐待された捕虜のひとりだ。」と切り出した。

 続けて筆者は、「彼の名はアリ・カイス。

 15年たった今、カメラの前で重い口を開いた。

 電流を流されると,目から火花が出るような苦痛であること。

 放尿させられたり、ぎざぎざの木の棒を急所に差し込まれたりしたこと。

 父親の前で強姦される少年を見たこと。

 水責めを思い出すから、今も浴槽から目を逸らすこと。

 刑務所の写真は他にもあった。

 犬のように首輪でつながれた。

 または折り重なるように積み上げられた全裸の男たち。そばでは米軍の男女が、笑顔でポーズをとる。

 英国に拠点を置く中東ニュースサイトがカイスのインタビューを発信した翌日、本紙で「日米(軍事)一体化進む」の見出し。心が沈んだ。」と指摘した。

 最後に筆者は、「米政府はアブグレイブの一件は例外的と言ったが、人権団体などはイラク以外でも常習的に行われていると訴えた。

 英兵が関与した同様のスキャンダルもあった。

 「一体化」が進み、何らかの「例外的」場面に、何らかの用事で偶然日本人が居合わせたら?長年かけて築かれた信頼も、崩れるときは一瞬かもしれない。」として締めくくった。

 読んで、ひどい話だと思った。戦争が、普通の人間を狂人にしてしまうことの証明みたいな話だ。アブグレイブ刑務所の虐待も、ソンミ事件の虐殺も、日本兵の慰安婦問題も、みな戦争が人間を狂わせたのだと思う。戦争を世界からなくさないかぎり、悲劇は避けられないのでないか。

 普通の人間を狂人にしないためにも、兵器・弾薬の経済的損失や戦死と言う人材の喪失、等々をなくするためにも、世界から「戦争」をなくすしかないと思うのだが。

 


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by sasakitosio | 2018-04-08 07:25 | 東京新聞を読んで | Trackback

 3月29日付朝日新聞社説下に、「ザ・コラム」という欄がある。

 筆者は、編集委員・駒野剛氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「20年たった。1998年1月26日寒い日だった。夕刻、大蔵省中央のらせん階段を大勢の男たちが上がっていく。「省中の省」と呼ばれ、官僚機構の頂点にあると自他ともに認めた役所に、東京地検特捜部が強制捜査に入った瞬間を眺めながら、私は「官僚とは何者か」と考えていた。

 当時、大蔵省を取材する記者が所属する「財政研究会」の朝日新聞キャップとして、同僚と銀行破綻や財政改革などのニュースを追っていた。

 その、取材対象の人々が、収賄容疑で逮捕され、過剰接待の責任を問われて、役所を追われ、降格された。

 金融部局は分離され、名前も財務省になった。自民党幹事長だった加藤紘一氏は、「あれは罰なんだ」と言った。

 事態の処理に当たった元官僚から、決裁文書改ざんを受け手便りをもらった。

 「今回の事件はあってはならないことです。

 世間様の信頼を失ってはどうにもなりません。過剰接待で大蔵省は倒産し財務省で再生するはずだったのに、また倒産です。言葉もありません」。私も同感だ。」と切り出した。

 続けて筆者は、「1948年大蔵省入省、国税庁長官を異例の3年間務めた官僚がいた。6年前に亡くなった磯部律男だ。東大法学部在学中に学徒出陣で陸軍士官となり、敗戦後、故郷に帰ったが「食えないので」大蔵省の試験を受けた。縁あって、この人の最晩年、何度か杯を交わし、話を聞いた。

 国税庁や金融畑を長く歩み、多くの大事件に遭遇した。

 国税庁査察課長時代に代議士田中彰治の脱税、銀行局総務課長で富士(現みずほ)銀行不正融資、国税庁調査査察部長に戻って、中曽根康弘元首相の有力な支援者だった殖産住宅会長の脱税、翌年証券局審議官で日本熱学粉飾決算・・・。着いた異名は、「大蔵省の事件屋さん」。

 そして75年7月に東京国税局局長になって直面したのがロッキード事件である。

 米航空機メーカーから旅客機や軍用機の選定を巡って、巨額の賄賂が行き交い、前首相田中角栄ら受け取った政治家や、商社首脳が処断された大型疑獄事件だった。

 立憲は容易ではなかった。事件の表面化が米議会発だったうえ、政財界のトップらの犯罪だ。

 捜査着手に検察が腹を固められない中、東京国税局が動き出す。大物右翼で、資金力をテコに政界中枢に食い込んだ、ロッキード社の代理人、児玉誉士夫。

 磯部は部下に児玉の所得を調べさせる。

 当時、法務省刑事局参事官で、その後東京地検検事となって事件解明に関わった堀田力さん「この人ほど部下の信望を集め。検察から信頼された国税幹部はいない」と磯部を語る。

 国税庁の動きは捜査当局の決意を促す呼び水となっていく。

 76年2月24日、国税局査察部と特捜部は、児玉の自宅など27カ所を家宅捜索する。米国での発覚から20日ほどの電撃的な着手で突破口が開く。

 児玉金脈について磯部は「戦後の残滓」「おかしいおかしいと思いながら手を付けられなかった問題」と考えていた。

 査察の前日、東京・大手町にあった国税局に、査察官ら約300人を集めた。

 「この事件を解明できるかどうかに、税務の威信がかかっている。徹底的に追求しよう」。そして加えた。 「私が責任を取る」。時の蔵相は角栄の盟友、大平正芳元首相である。査察官らのむせび泣きが聞こえた。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「磯部の巨悪追及への執念の根っこには戦争体験があった。終戦間際、砲兵隊を率いて鹿児島県薩摩半島にいた。配備された4門の大砲に砲弾はわずか72発。撃ち続ければ数分でなくなる。どうやって戦うか。上官に問うと「いざというときには、うなるほどの砲弾が来る」とごまかされた。

 なぜか。「軍人は自分の階級を上げることしか関心がなく、国や国民のためにどうあるべきか考えなかったからだ」。

 だから、うそや不正を許さぬことが国民のためであり、生き残った己の使命と考えた。

 「正義なんてありますか」。私の問いに「ある」と断言した。しかし、正義は所与のものではない。追及してこそ得られる。

 先日、富士山麓にある磯部の墓を訪ねた。

 肩書などは記されず、ただ、「やすらぎ」と刻まれたいた。そんな大蔵官僚もいた。

 今は昔のお話である。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「1948年大蔵省入省、国税庁長官を異例の3年間も務めた官僚がいた。6年前に亡くなった磯部律男だ。」とのこと、

 「付いた異名は「大蔵省の事件屋さん」」とのこと、

 「当時、法務省刑事局参事官で、その後東京地検特捜部検事となった堀田力さんは「この人ほど部下の信任を集め、検察から信頼された国税幹部はいない」と磯邉を語る」とのこと、

 「児玉金脈について磯邉は「戦後の残滓」「おかしいおかしいと思いながら手を付けられなかった問題」と考えていた。」とのこと、

 「査察の前日、東京大手町にあった国税局に、査察官ら約300人を集めた。「この事件を解明できるかどうかに、税務の威信がかかっている。徹底的に追求しよう」。そして加えた。「責任は私がとる」」とのこと、

 「磯部の巨悪追及への執念の根っこには戦争体験があった」とのこと、

 「「軍人は自分の階級を上げることしか関心がなく、国や国民のためにどうあるべきか考えなかったからだ」。だから、うそや不正を許さぬことが国民のためであり、生き残った己の使命と考えた」とのこと、

 「富士山麓にある磯部の墓を訪ねた。肩書きなどは記されず、ただ、「やすらぎ」と刻まれていた。」とのこと、等々を知ることが出来た。

 そんな大蔵官僚がいたとのこと、今は昔の話であると、筆者言う。

 昔でも、いい人がいたことを知って、これからまたいい人が出るかもしれない、と言うささやかな「希望」を持つことが出来た。いい講談のネタになりそうだ、と思った。


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by sasakitosio | 2018-04-07 07:25 | 朝日新聞を読んで | Trackback

 3月29日付朝日新聞社説下に、「ザ・コラム」という欄がある。

 筆者は、編集委員・駒野剛氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「20年たった。1998年1月26日寒い日だった。夕刻、大蔵省中央のらせん階段を大勢の男たちが上がっていく。「省中の省」と呼ばれ、官僚機構の頂点にあると自他ともに認めた役所に、東京地検特捜部が強制捜査に入った瞬間を眺めながら、私は「官僚とは何者か」と考えていた。

 当時、大蔵省を取材する記者が所属する「財政研究会」の朝日新聞キャップとして、同僚と銀行破綻や財政改革などのニュースを追っていた。

 その、取材対象に人々が、収賄容疑で逮捕され、過剰接待の責任を問われて、役所を追われ、降格された。

 金融部局は分離され、名前も財務省になった。自民党幹事長だった加藤紘一氏は、「あれは罰なんだ」と言った。

 事態の処理に当たった元官僚から、決裁文書改ざんを受け手便りをもらった。

 「今回の事件はあってはならないことです。

 世間様の信頼を失っては同にもなりません。過剰接待で大蔵省は倒産し財務省で再生するはずだったのに、また倒産です。言葉もありません」。私も同感だ。」と切り出した。

 続けて筆者は、「1948年大蔵省入省、国税庁長官を異例の3年間務めた官僚がいた。6年前に亡くなった磯部律男だ。東大法学部在学中に学徒出陣で陸軍士官となり、敗戦後、故郷に帰ったが「食えないので」大蔵省の試験を受けた。縁あって、この人の最晩年、何度か杯を交わし、話を聞いた。

 国税庁や金融畑を長く歩み、多くの大事に件に遭遇した。

 国税庁査察課長時代に代議士田中彰治の脱税、銀行局総務課長で富士(現みずほ)銀行不正融資、国税庁調査査察部長に戻って、中曽根康弘元首相の有力な支援者だった殖産住宅会長の脱税、翌年証券局審議官で日本熱学粉飾決算・・・。着いた異名は、「大蔵省の事件屋さん」。

 そして75年7月に東京国税局局長になって直面したのがロッキード事件である。

 米航空機メーカーから旅客機や軍用機の選定を巡って、巨額の賄賂が行き交い、前首相田中角栄ら受け取った政治家や、商社首脳が処断された大型疑獄事件だった。

 立憲は容易ではなかった。事件の表面化が米議会発だったうえ、政財界のトップらの犯罪だ。

 捜査着手に検察が腹を固められない中、」東京国税局が動き出す。大物右翼で、資金力をテコに政界中枢に食い込んだ、ロッキード社の代理人、児玉誉士夫。

 磯部は部下に児玉の所得を調べさせる。

 当時、法務省刑事局参事官で、その後東京地検検事となって事件解明に関わった堀田力さん「この人ほど部下の信望を集め。検察から信頼された国税幹部はいない」と磯部を語る。

 国税庁の動きは捜査当局の決意を促す呼び水となっていく。

 76年2月24日、国税局査察部と特捜部は、児玉の自宅など27カ所を家宅捜索する。米国での発覚から20日ほどの電撃的な着手で突破口が開く。

 子だ尼金脈について磯部は「戦後の残滓」「おかしいおかしいと思いながら手を付けられなかった問題」と考えていた。

 査察の前日、東京・大手町にあった国税局に、査察官ら約300人を集めた。

 「この事件を解明できかどうかに、税務の威信がかかっている。徹底的に追求しよう」。そして加えた。 「私が責任を取る」。時の蔵相は角栄の盟友、大平正芳元首相である。査察官らのむせび泣きが聞こえた。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「磯部の巨悪追及への執念の根っこには戦争体験があった。終戦間際、砲兵隊を率いて鹿児島県薩摩半島にいた。配備された4門の大砲に砲弾はわずか72発。撃ち続ければ数分でなくなる。どうやって戦うか。上官に問うと「いざというときには、うなるほどの砲弾が来る」とごまかされた。

 なぜか。「軍人は自分の階級を上げることしか関心がなく、国や国民のためにどうあるべきか考えなかったからだ」。

 だから、うそや不正を許さぬことが国民のためであり、生き残った己の使命と考えた。

 「正義なんてありますか」。私の問いに「ある」と断言した。しかし、正義は所与のものではない。追及してこそ得られる。

 先日、富士山麓にある磯部の墓を訪ねた。

 肩書などは記されず、ただ、「やすらぎ」と刻まれたいた。そんな大蔵官僚もいた。

 今は昔のお話である。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「1948年大蔵省入省、国税庁長官を異例の3年間も務めた官僚がいた。6年前に亡くなった磯部律男だ。」とのこと、

 「付いた異名は「大蔵省の事件屋さん」」とのこと、

 「当時、法務省刑事局参事官で、その後東京地検特捜部検事となった堀田力さんは「この人ほど部下の信任を集め、検察から信頼された国税幹部はいない」と磯邉を語る」とのこと、

 「児玉金脈について磯邉は「戦後の残滓」「おかしいおかしいと思いながら手を付けられなかった問題」と考えていた。」とのこと、

 「査察の前日、東京大手町にあった国税局に、査察官ら約300人を集めた。「この事件を解明できるかどうかに、税務の威信がかかっている。徹底的に追求しよう」。そして加えた。「責任は私がとる」」とのこと、

 「磯部の巨悪追及への執念の根っこには戦争体験があった」とのこと、

 「「軍人は自分の階級を上げることしか関心がなく、国や国民

のためにどうあるべきか考えなかったからだ」。だから、うそや不正を許さぬことが国民のためであり、生き残った己の使命と考えた」とのこと、

 「富士山麓にある磯部の墓を訪ねた。肩書きなどは記されず、ただ、「やすらぎ」と刻まれていた。」とのこと、等々を知ることが出来た。

 そんな大蔵官僚がいたとのこと、今は昔の話であると、筆者言う。

 昔でも、いい人がいたことを知って、これからまたいい人が出るかもしれない、と言うささやかな「希望」を持つことが出来た。


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by sasakitosio | 2018-04-07 07:25 | 朝日新聞を読んで | Trackback

 4月4日付朝日新聞15面に、「リレーオピニオン~維新150年[5]」と言う欄がある。

 今日の発言者は、フリーライター・高山みな子さんだ。

 今日は、この発言者に学ぶことにした。

 まず、高山みな子さんは、「小説や映画で、明治維新は新旧勢力が対立する構図で描かれがちですが、少し違うのではと思います。

 新政府と徳川幕府はどちらも、欧米列強の植民地にならずに日本という国が独立国として生きるということで一致していました。政治形態の変化を目指すための手法が少し違っただけです。

 私の高祖父である勝海舟が、明治維新のときにあれだけの大仕事が出来たのは、人に恵まれたからでしょう。

 幕臣だった勝の下には、多くの若い弟子が集まりました。自分が得た海外の知識を次世代に伝えたいという思いを持っていたからだと思います。弟子のひとりが坂本竜馬でした。勝は松坂の商人らとの付き合いを通じて、勝ちと負けだけではない「三方よし」の精神を学んでいた。

 世界に通用する海軍をつくるには膨大なカネがかかり、それは貿易で稼ぐことが不可欠だ。このことをすぐ理解できたのが、豪商をルーツにもつ竜馬だったのでしょう。」と切り出した。

 つづけて高山みな子さんは「勝の最大の功績は、150万の市民の生命と財産を守った江戸城の無血開城でした。

 成功した一因は、開明派だった薩摩藩主の島津斉彬と知己だったからです。

 「尊敬する斉彬公が評価している勝は良いやつだ」。

 西郷隆盛はそんな好印象を持って対談に臨み、勝も斉彬からの情報で西郷を評価していた。交渉事の成否を握るのは相手を人として信頼できるかどうかです。誰とつながり、誰から情報を得るか。現代社会でも通じる処世術だと思います。

 勝は旧幕臣の助命を嘆願し、新政府への就職の仲立ちもしました。

 幕府は海外に多くの留学生を送り、最先端の技術や法律をまなばせていた。新政府は函館戦争を戦った榎本武揚や永井尚志をはじめとする旧幕臣を受け入れ、適材適所に重用しました。

 敵味方なく、「ノーサイド」でみんなが日本のために働いた。恨みつらみを越えて、地道にこつこつ仕事をした人たちがいた。これが真の明治維新の姿だと思いますが、あまり語られてきませんでした。」と指摘した。

 最後に高山みな子さんは「明治150年を機に、多くの人に幕臣たちの生き様を知ってもらいたい。

 歴史を学ぶのはなぜか。

 クイズで勝つための暗記でなく、今の自分や世の中につなげ生かすためでしょう。

 勝は幅広い人脈を造り、世の中を動かしました。私たちはそれを参考に自分が生きていくには、どんな人とつながればよいかを考えることが出来ます。

 最近の日本の社会は近視眼的なモノの見方が広がっています。勝は日本が世界で生き残るために50年100年先を見据えて行動しました。

 世界が複雑化している今こそ、長期的な視座が求められています。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 勝海舟は実に興味をそそられる歴史上の人物だ。その孫の孫が実存し、新聞紙上に登場すること自体も驚きだ。講釈師5代目宝井馬琴の出し物に「勝海舟の話」があった。この講釈話は、いつか覚えて、修羅場塾の公演会で披露したいと思っていた。この記事を読んで、付け加えることがいくつか発見できた。

 「勝の最大功績は、150万の市民の生命と財産を守った江戸城の無血開城でした。成功した一因は開明派だった薩摩藩主の島津斉彬と知己だったからです」とのこと、

 「「尊敬する斉彬公が評価している勝は良いやつだ」。西郷隆盛はそんな印象を持って対談に臨み、勝も斉彬からの情報で西郷を評価していた。交渉ごとの成否を握るのは相手を人として信頼できるかどうかです」とのこと、

 「勝は旧幕臣の助命を嘆願し、新政府への就職の仲立ちもしました」とのこと、

 「勝は日本が世界で生きるために50年、100年先を見据えて行動しました」とのこと、等々を知ることが出来た。

 筆者の「交渉事の成否を握るのは相手を人として信頼できるかどうかです」との指摘は、その通りだ、と思った。

 今の世界の指導者間で、相手を人として信頼できている関係者はいるのだろうか?
 日本の安倍総理とトランプ大統領、プーチン大統領、習近平国家主席、等が人として信頼居できる関係にあるとは思えない。この状態では、世界から戦争をなくす話し合いなんて、夢の又ゆめかも知れないが?
 しかし、勝海舟ファンの一人として、50年.100年先まで見据えて、世界から戦争と貧困を無くすることに「ささやかなことでもいいから」貢献したいものだ、と思った。


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by sasakitosio | 2018-04-07 07:11 | 朝日新聞を読んで | Trackback