憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

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平和な心

 10月31日付東京新聞朝刊27面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、作家・楊逸氏だ。
 今日は、この筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「アジアとヨーロッパを懸け橋のようにつなぐトルコ。一時期「欧州連合(EU)加盟」を目指していると聞いたとき、妙にさびしくなったのを覚えている。日本や中国と同じアジアの国であるという「仲間意識」があったからかもしれない。中東一の親日国家として知られ、日本のメディアによく取り上げられている。私の好きなケバブを露店や車で売る人たちの大半が、トルコ人ということもあってか、明るくて親切、国が穏やかで平和という印象が、ぼんやりながらも頭にあった。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「だがここ数カ月、シリアの難民問題から発して、ショックなニュースが相次いだ。シリア紛争で飛び火したのは難民問題だけではないらしい。国内での民族問題は、この10日にアンカラで起きた自爆テロから少なからずうかがうことができる。
 家や財産を捨てて、紛争から命からがらに逃げる難民、彼らが望んでいるのはただ一つ、平和な国で暮らしたいということなのだろう。」と教えてくれる。
 最後に筆者は、「平和な日本で今、さまざまな民族・国籍の人が平和に暮らしている。だがそんな平和な、ある日の朝、トルコ大使館の前で乱闘事件が起きた。
 国や民族、政治、宗教・・・・。原因が複雑すぎて私のようなものにわかるわけもなかろう。それでも考えずにはいられない。
 平和とは場所より以前に、心で持つべきではないか、と。」として締めくくった。
 よんで、過日、イスタンブール独り歩きをしたことを思い出した。中で、一番の思い出は、ボスポラス大橋を歩いて「ヨーロッパ側からアジア側」へ渡ろうと、ホテルから2時間ほど地図を頼りに、海岸沿いの道路から50メートルもある山道をふみわけ、ようやく橋の端にたどり着き、渡ろうとしたら、番小屋から若いポリスだ飛び出してきて、制止された。よく聞けば、歩いては渡れないとのことだった。
 あとで、ホテルに帰って、現地ガイドに聞いたら、かっては歩いてボスポラス大橋は渡れたのだが、橋の上から海に飛び込み自殺する人がでて、それ以来、歩行禁止になったとのこと。日本でガイドブックをできる限り読んでいったが、そんなことはどこでも書いてなかったのに。
 また、トルコ人は、電車に乗っても席をすすめてくれたり、親切であったことも思い出した。
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by sasakitosio | 2015-11-03 07:16 | 東京新聞を読んで | Trackback

結び合いを創造する政治


11月1日付東京新聞朝刊4面に、「時代を読む」という欄がある。筆者は、哲学者・内山節氏だ。
 今日は、この筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「かって日本の人びとは、すべてのものは奥の方で結び合っていると考えてきた。見えない世界でつながっていると。
 見える世界では「私」は「私」だ。森の木々も一本一本独立しているし、そこにさまざまな生き物たちも暮らしている。だが奥の方ではすべての人間も、自然の生き物たちも、山や岩や川や海も、つながりあう世界をもっていると考えてきたのである。
 そしてこのつながりあう世界を守っているのが、神や仏だとも感じてきた。だからつながりにトラブルを起こすようなことをすると、神罰や仏罰を受けると思っていた。他の人たちや自然に対して悪いことをすると、奥の方のつながりあう世界に問題が生じ、それが自分に帰ってくるのが神罰や仏罰ととらえられていたものでる。
 不思議に思われるかもしれないが、宗教や信仰は明治時代に外国語を翻訳するためにあてられた言葉で、それ以前の日本では宗教,信仰という言葉は用いられていない。
 だから、明治以前の日本には、厳密に言えば、宗教も信仰もなかった。
 結びあう世界の無事を祈るのが神仏への祈りであり、この祈りをとおして自分たちの生きる世界や人間のあり方をつかみとっていただけである。だからそれは、宗教、信仰という特別なものではなく、ごく日常的な、日本の人びとの世界観、生命観だったといった方がいい。」と教えてくれる。
 つづけて筆者は、「もちろん私も、すべてのものを奥の方で本当に結びあっているのかと聞かれたら困ってしまう。
 それは証明できるものではないのだから、そうかもしれないし、違うかもしれないと答えるほかない。
 つまりそれが真実かどうかではなく、つながりあう世界の無事を祈りながら暮らしていた人間たちの姿に、私たちが忘れてきた大事なものが隠されているように感じているだけである。
 全てのものは結びあっているという精神を忘れたとき、人間たちは自分の表面的な都合だけで自然を破壊するようになった。人間同士も、ともに暮らしていこうという精神を失った。その結果はバラバラになった個人の社会の出現であり、孤立し、追い詰められていく人たちの拡大であった。」と指摘した。
 さらに筆者は、「私は今の政治には基本デザインがないと感じている。
 政治の基本デザインとは、これからの日本の社会はどんな結びあいをつくって運営していったらよいかを提示することである。
 人間同士も、自然とも、諸外国の人びととも無事なつながりをつくっていく。その方向性を示すのが、基本デザインであるはずだ。
 そしてそのデザインにしたがって、つながりを断ち切っていくような今日の社会や経済の在り方を変える方策を提起する。さらに自然とも、諸外国の人びととも結びあって生きていくための政策を提案する。それがいま求められている政治のはずだ。
 それらの根底にあるのは。無事なつながりの創造である。」と指摘した。
さらに筆者は、「集団的自衛権や環太平洋連携協定(TPP)を成立させることによって、米国と協調していけば何とかなるとか、金融緩和をすれば経済成長する、原発再稼働は必要だとか言っているだけでは、政治をつかさどるための基本デザインにはなっていない。
 もっと根本的な基本デザインが必要だということに気づかない政治は、社会を退廃させてしまうばかりなのである。」として締めくくった。
 読んで、大変面白く、刺激的であった。
 「かって日本の人びとは、すべてのものは奥の方で結びあっていると考えてきた。見えない世界でつながっている、と。」、
 「このつながりあう世界を守っているのが神や仏だとも感じてきた」、
 「他の人たちや自然に対して、悪いことをすると、奥の方のつながりあう世界に問題が生じ、それが自分に帰ってくるのが神罰や仏罰ととらえられていたものである。」、
 「結びあう世界の無事を祈ることが神仏への祈りであり、この祈りをとおして自分たちの生きる世界や人間のあり方つかみとっていただけである」、等の筆者の指摘は、よく理解出来た。
 幼児の頃から、今まで、すべてのものは「奥の方で」、「元のところで」結びあっている、つながっている、と思われる事象に出会ってきた。なぜかを考えた時、思い浮かんできたのが、「ビックバン」であり、「遺伝子情報」のことであり、「生命の誕生と成長」の不思議であった。
 また筆者は、「私は今の政治には基本デザインがないと感じている。」、
 「政治の基本デザインとは、これから日本の社会はどんな結びあいをつくって運営していったらよいかを提示することである。」、
 「それらの根底にあるのは、無事なつながりの創造である。」、
 「もっと根本的な基本デザインが必要だということに気づかない政治は、社会を退廃させてしまうばかりである。」、等の指摘は、その通りであり、いまが「社会の退廃途上」かもしれないという気がしてきた。この流れは、止まるものなのか、止められるものなのか、止めなければならないことは確かだが?
 
 
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by sasakitosio | 2015-11-03 06:55 | 東京新聞を読んで | Trackback

真ん中とは何か

 11月1日付東京新聞27面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、法政大教授・山口二郎氏だ。
 きょうは、この筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「野党結集について、野党第一党である民主党の態度が煮え切らない。この党の政治家はいったい誰に支持してもらいたいと思っているのか、気が知れない。
 細野豪志政調会長は、共産党と組んだら保守票が逃げるという。逃げるほどの保守票を貰っているのかねと、嫌みの一つも言いたくなる。安倍自民党が右傾化する中、中央が開いているので、民主党は中央を取らなければならないという細野氏の主張には同感する。
 しかし、中央とは何か細野氏が理解しているとは思えない。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「中央あるいは中庸とは、足して二で割る微温的な態度ではない。さまざまな立場を尊重し、常識に基づいて合意する政治的態度である。真に人道や常識を重んじる穏健・中庸の持ち主なら、権力をかさに着て、憲法を意図的に踏みにじり、沖縄や原発事故被害者を無視する安倍政権に対しは、性根が腐っていると断罪すべきである。」と指摘した。
 最後に筆者は、「民主党では、国会前のデモに参加して市民の思いに触れた政治家と、そうでない政治家の分離現象が起こっている。市民に背を向け、保守票とやらにしがみつくならば、民主党は遠からず消滅する。日本の政治に必要なのは、自民党の二軍ではなく、安倍政権の政策と政治手法を正面から批判し、別の道筋を提示する野党である。」として締めくくった。
 読んで勉強になった。
 筆者に、「中央あるいは中庸というのとは、足して二で割る微温的態度ではない。さまざまな立場を尊重し、常識に基づいて合意を目指す政治的態度である。」と教えてもらった。ならば、やはり、自民党も公明党も、その所属議員も、政府も、みんな中庸でないということだ。
 また筆者の、「日本の政治に必要なのは、自民党の二軍ではなく、安倍政権の政策と政治手法を正面から批判し別の筋道を提示する野党である。」との指摘は、理解できる。
 ただ、いいも悪いも戦後の野党はすべて「自民党や政府」を批判しすることに終始し、存在して来た「批判政党」「改革政党」であって、もともと「別の筋道」「自民党や政府を乗り越える別の道」を持っていなかったのではないか?
 すくなくとも、「別の筋道」をもって、国民を説得してこなかったような気がするが?
 だから、筆者の「別の道筋」を、今の野党に期待しても「ないものねだり」になるような気がしてならない。
 ここは、一番、筆者も含めた「真の有識者」の皆さんに、「別の道筋」を創造してもらうしかないような気がするが?
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by sasakitosio | 2015-11-02 06:39 | 東京新聞を読んで | Trackback
 10月31日四谷の司法書士会館で、10時から13時まで、冤罪事件に強い弁護士・戸舘圭之氏の講演を3時間にわたって聞いた。
 講師が具体的に弁護した事件を元に、分かりやすい講演であった。
 自分のその日の課題は、無辜の自分が冤罪事件に巻き込まれないためにどうすればいいか、であった。
 結論は、間違って、捜査・訊問されたときでも、けして無罪主張も含めて「捜査官と、一対一での、密室での、尋問」には応じないようにし、、黙秘権を主張し、しゃべらないことに徹することであった。
 また、日頃の友達づきあいも含めて、人間関係に注意するようにしなければと思った。
 その後、16時から、生まれて初めて、東京へ出てから初めての「はとバス」を経験した。長い待ち時間を「はとバス」の待合室で、立ち寄り集う人々の話を聞いていて、楽しかった。
 そして、都内でバスに乗って、新宿から東京駅までが、意外と近いことを知った。
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by sasakitosio | 2015-11-01 19:16 | 今日の出会い | Trackback
 10月30日付東京新聞社説に、「政治を動かすのは市民」との見出しで、「核と人類」に関することが載った。
 今日は、この社説を学習することにした。
 まず社説は、「原爆の開発を当時のルーズベルト米大統領に提言したのは物理学者のレオ・シラードだった。シラードは、ナチスドイツが核兵器を先に開発することを恐れていた。
 だが、日本への原爆使用は「核軍拡競争を招く」と反対した。
 米大統領は、核兵器開発の助言は聴いたが、不使用には耳を傾けなかった。それが「核の時代」の始まりの風景だった。」と切り出した。 
 つづけて社説は、「核兵器保有国は、旧ソ連、英、仏、中と増えていった。核実験が繰り返され、放射性降下物による汚染が地球規模で広がった。
 核実験に伴う健康被害は第五福竜丸だけではない。各国とも軍事機密扱いで、情報がほとんど公開されていないだけだ。秘密が多いのも、核に特有の暗部である。
 核の利用は軍事から民政に広がっていく。アイゼンハワー米大統領は、1953年の国連演説で「平和のための原子力」という考え方を示した。核不拡散の推進の目的の一つして、海外での原発建設を進めた。インドが原発からプルトニウムをとり出し、原爆の製造に成功するなど、核の拡散を招いた。
 旧ソ連のチェルノブイリ原発事故(86年)は多くの死者を出した。福島第一原発事故(2011年)では今も、10万人を超える住民が故郷に戻れないままである。
 戦後、核兵器が実戦で使われたことはないが、最近、テロリストによる核の使用が心配されている。過激派組織「イスラム国」(IS)のような組織には、核の抑止力は働かない。原発の安全神話だけでなく、平和利用も核の抑止力も壊れた神話になっている。」と指摘した。
 最後に社説は、「希望もある。世論調査会社「ユーガブ」は今年7月「原爆開発は間違いだった」と答えた米国人が62%もいたと発表した。
 シラードは晩年、「住みよい世界をつくる協議会」を設立した。
 核軍拡競争に反対する政治家を支援するのが目的だった。核兵器と戦争の廃絶をめざすパグウォッシュ会議にもかかわった。
 第61回の同会議が来月1日から長崎市で始まる。200人近い専門家が世界から集まる。
 歴史は、学者の知性だけでは政治を動かせないことを教えている。政治家を動かすには、市民(有権者)の力が必要だ。
 人類は核と共存できるのか。
 会議ではその答えを探り、世界に向けて発信してほしい。
 科学者にそうする責任がる。」として締めくくった。
読んで勉強になった。
 「原爆の開発を当時のルーズベルト米大統領に提言したのは物理学者のレオ・シラードだった」とのこと、
 そのシラードは「日本への原爆使用は「核軍拡競争を招く」と反対した」とのこと、
 またシラードは、「核兵器と戦争の廃絶を目指すパグウォッシュ会議にも関わった。」とのこと、
 「原発の安全神話だけでなく、平和利用も核の抑止力も壊れた神話になっている」とのこと、
 そんな中での希望は、「世論調査会社「ユーカブ」は今年7月「原爆開発は間違いだった」と答えた米国人が62%もいたと発表した」とのこと、等等を知ることができた。
 社説は、「歴史は、学者の知性だけでは政治を動かせないことを教えている。政治家を動かすには市民(有権者)の力が必要だ」と教えてくれる。
 たしかに、市民(有権者)の多くが、学者の知性を理解しなければ、市民が政治を動かす力にはなり得ない。
 学者の知性を、市民にとどけ、拡散するのが新聞を筆頭にマスコミの「力」ではなかろうか。
 集団的自衛権行使が違憲だと言い切った「憲法学者」の知性を、分かりやすく「市民」に伝えることができた「結果」、しばらく見なかった「国民的連帯」が国内の隅々に発生したように。 この現象を、ナガサキで行われている「パグウォッシュ会議」の成果を世界に拡散し、世界の市民の中に「戦争根絶」のうねりを、再現出来ないものか?
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by sasakitosio | 2015-11-01 11:03 | 東京新聞を読んで | Trackback
 10月29日付東京新聞社説に、「抑止より脅威を語ろう」との見出しで、「核と人類」に関わることが載った。
 きょうはこの社説に学ぶことにした。
 まず社説は、「被爆者の平均年齢は80歳を超えたが、核廃絶の歩みは進まない。世界に今1万6千発の核兵器が配備され、米国とロシアが90%以上を保有する。5月、国連本部での核拡散防止条約(NPT)再検討会議は最終文書を採択できず、決裂して閉幕した。」と切り出した。
 つづけて社説は、「オバマ大統領は2009年、「核兵器のない世界の実現」を訴え、翌年には米ロ両国が配備する戦略核兵器を約30%削減する条約に調印した。しかし、ウクライナ問題をめぐる対立などで、軍縮交渉は行き詰まった。プーチン大統領は戦術核の有効性を示唆する発言さえしている。中国も配備数をあきらかにしていないままだ。
 不拡散ではイランの核活動を大幅に制限する合意が実現したが、北朝鮮はNPT体制を否定し、公然と核開発を続ける。
 保有国側は核兵器があるからこそ大規模な戦争はできない、という抑止論を変えようとはしない。
 まず核実験や核物質生産を禁止するなど、段階的な軍縮が現実的だと主張する。
 一方で国際社会では近年、「使用された場合、壊滅的な結果をもたらす」現実を重視する考え方が広がる。
 万が一、核攻撃が行われたら、一帯は放射能で汚染され、医療チームや消防、軍隊さえも救助活動ができない。それほど非人道的な兵器はつくってはならず、持つべきではないという考えだ。百を超す国々が核兵器を禁止する条約の制定に賛同している。
 日本は安全保障を米国の「核の傘」に頼っているため、核兵器の法的禁止には距離を置いている。
 だが唯一の被爆国である以上、政府は核の抑止力より脅威をもっと語るべきではないか。非人道性をめぐる国際的な議論に、積極的に関与する努力が求められる。」と指摘した。
 最後に社説は、「広島市で来年4月、主要国首脳会議(サミット)の外相会合が開催される。参加国、とりわけ核保有国である米英仏の外相は被爆地を訪問し、軍縮への取り組みを明確に発信するよう望む。
 核問題への取り組みは政府だけでは進まない。反核運動は日本原水爆被害者団体協議会(被団協)を中心に、政党、労組、宗教団体、生協など消費者団体、非政府組織(NGO)と幅広い組織が担ってきた。
 学者や医師、法律家も積極的に発言した。
 思想や信条を超え、各国の組織とも手を結び、核廃絶を若い世代に引き継ぎたい。(山本勇二)」、として締めくくった
 読んで勉強になった。
 「世界にはいま、1万6千発の核兵器が配備されているとのこと」、
 「5月、国連本部での核拡散防止条約(NPT)再検討会議は最終文書を採択できず、決裂して閉幕した」とのこと、
 「保有国側は核兵器があるからこそ大規模な戦争はできないという抑止論を変えようとはしない。」とのこと、
 「100を超す国々が核兵器を禁止する条約の制定に賛同している」とのこと、
中で日本は「安全保障を米国の「核の傘」に頼っているため、核兵器の法的禁止には距離を置いている。」とのこと、
 等々を知った。
 核保有国にとっては相手に核があると、核で攻撃されかねないので、相互の攻撃や戦争はしない、という意味で「抑止論」なのだろう。しかし、自然発生的であろうと、偶発的事故であろうと、意図的悪意でろうと、核戦争が始まったら、人類は滅亡するような気がするが、世界の大国の指導者は、自分たちだけは生き延びられるとでも思っているのだろうか?それこそ、幻想ではないか?
 世界の指導者には、私益、会社益、団体益、国益、も全て地球あっての、人類あってのものであることを深く自覚し、「戦争根絶」の方策を一日も早く構築してしてほしい。その中には、必ずや「核兵器廃絶」が不可欠だと思うが。 
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by sasakitosio | 2015-11-01 10:26 | 東京新聞を読んで | Trackback
 10月28日付東京新聞社説に、「戦争ができてはイケン」という見出しで、「核と人類」に関することが載った。
 今日はこの社説に学ぶことにした。
 まず社説は、「広島の原爆ドーム前の名物ボランティアガイド、三登浩成さん(69)は、三つのモットーを掲げて訪れる人と向かい合う。
 事実を正確に、わかりやすく、そして心に響くーー。理性に訴え、感情を揺さぶるようなガイドを心掛けているという。」と切り出した。
 つづけて社説は、「しかしやっぱり、揺るぎない事実がすべての基礎になる。
 約7300発、地球上に存在する核弾頭の半分近くを保有する米国からの旅行者は、概して自国の核に対する認識が浅いと、三登さんは感じている。
 たとえば1961年1月に、米ノースカロライナ州で起きた「ゴールズボロ空軍機事故」のことを知る人は、めったにいない。
 二発の水爆を搭載したB52爆撃機が空中分解し、起爆可能な状態のそれらが投げ出されたものの、地上30メートルで落下傘が開き、奇跡的に事なきを得た。二発とも広島型原爆250発以上の破壊力があったという。
 その一方で「原爆投下は戦争終結を早め、米軍兵士50万人の命を救った」という”定説“は根強く信じられている。
 「核兵器が1発でもある限り、何が起きてもおかしくない。核の抑止力なんてものはない」
 三登さんはそう断言し、「核の傘」の話で解説を締めくくる。」と教えてくれる。
 最後に社説は、「日本は米国以上に強く、抑止力神話に呪縛されている。
 昨年10月、日本は国連の「核兵器の非人道性と不使用を訴える共同声明」に賛同した。なのに、平和憲法をねじ曲げてまで集団的自衛権を容認し、米国の核の抑止力にしがみつく。
 唯一の被爆国がなぜーー。
 ヒロシマが、ナガサキが、私たち一人一人に突き付けている問いである。
 平和記念公園の被曝アオギリ写真=の前で、自らの被爆体験を語って平和を説き続け、三登さんをガイドボランティアに導いた故沼田鈴子さん。その珠玉の言葉をいまあらためてかみしめたい。
 「日本を戦争のできる国にしてはいけんよ」」として締めくくった。
  読んで勉強になった。
 1961年1月に、米ノースカロライナ州で起きた「ゴールズボロ空軍機事故」のことを知る米国からの旅行者は、めったにない、とのこと。
 恥ずかしながら、1961年と言えば自分は高校3年生だった。その頃は、新聞も読まない、ラジオも聞かない、ただ大学受験勉強に気を奪われていた。だから、この事件の記憶さえない。この社説で初めて知った。
 事件は、2発の水爆を搭載したB52爆撃機が空中分解し、起爆可能な状態のそれらが投げ出されたものの、地上30メートルで落下傘が開き、奇跡的に事なきを得た。2発とも広島型原爆の250発以上の破壊力があったという、とのこと。
 おそらく、日本が全滅するほどの威力があったのではないか。奇跡的に事なきを得たことが、核の抑止論を今日まで延命させてきたのではなかろうか?
 「原爆投下は戦争終結を早め、米軍兵士50万人の声明を救った」という”定説“は、米国からの旅行者に強く信じられているとのことである。
 戦争終結を早めたことはそうかもしれないが、それが広島長崎での「無辜の市民」の命がひきかえにされて言い訳がない、と思うが?
 人の命のと尊さは、アメリカ人も日本人もないはずではないか?
 原爆投下を肯定する発想は、戦争という「悪魔」がもたらした「心の歪み」であって、人類の平和的存続のためには、認めてはならない「考え方」ではないか?
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by sasakitosio | 2015-11-01 09:51 | 東京新聞を読んで | Trackback
 10月27日付東京新聞社説に、「いちばん若い被曝者が」がの見出しで、「核と人類」のことが載った。
 今日は、この社説を学習することにした。
 まず社説は、「広島県府中町の三登浩成さん(69)は、毎朝9時には原爆ドームの前に、“教室”をしつらえる。
 折り畳みの机を置いて、手作りの教材を積み上げ、「始めますよ」と、よく通る大きな声で呼びかける。
 元は高校の英語教師。「アオギリの語り部」と呼ばれた故沼田鈴子さんと原爆の碑巡りをしたのをきっかけに、早期退職してボランティアガイドになった。」と教えてくれる。
 つづけて社説は、「そして9年3か月。166カ国約4万7千人の外国人、日本人を入れると25万人以上の人々に、被曝の実相を伝えてきた。
 旅行者の求めに応じ、英語、中国語、そしてスペイン語の教材を整えた。イタリア語と韓国語版が間もなくできる。
 英語版に興味を示したカナダ人夫婦に三登さんは、流ちょうな英語で語り始めた=写真。
 「私の母は原爆投下3日後に、疎開先から広島市内へ自宅の様子を見に行きました。妊娠4か月。お腹にいたのが私ですーー」
 母は入市被爆者、三登さんは体内被爆者として、被爆者健康手帳を受けた。祖父は、爆心地から600メートルのところで原爆の放射線を浴びた直接被爆者だった。
 体内被爆者は、今全国に約7千4百人。原爆が残した目に見えない無数の小さな“とげ”が生まれる前から心と体に刺さったままの人たちだ。
 発がんなど、後障害への不安は生涯、解消されることがない。核兵器の破壊力はすさまじい。しかし、通常兵器とまったく異なるその非人道性の本質はここにある」、と指摘した。
さいごに社説は、「三登さんも幼いころは病弱だった。母親は「この子はよう長生きできん」と、自らを責めていた。
 去年8月、胎内被爆者の全国連絡会が結成された。高齢化が進む中、「一番若い被曝者」として、積極的に証言活動を展開し、体験や思いを記録に残そうと。
 二代に及ぶ悲しみを知る人たちの願いはきっと、刻まれた不安を乗り越えて「最後の被爆者」になることだ。(飯尾歩)」として締めくくった。
 恥ずかしながら、この社説を読んで「体内被爆者」という言葉、「入市被爆者」という言葉を初めて知った。
 自分と同じ世代の元高校の英語教師の三登浩成さんが、体内被爆者として被曝手帳を受けていて、毎朝9時に原爆ドーム前に“教室”をこしらえ、ボランティアガイドをされているとのこと。偉いものだと感心した。
 発がんなど、後遺症への不安を生涯抱えながらの活動、頭が下がる。できるだけ長くボランティアガイドを続けられることを祈りたい。
 戦争を根絶しない限り、核戦争の恐れはなくならない。
 核戦争の恐れがなくならない限り、人類滅亡の恐れはなくならない。神や仏や地球や宇宙は、人類の滅亡を望んではいないと思いたいが?
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by sasakitosio | 2015-11-01 07:26 | 東京新聞を読んで | Trackback
 10月26日付東京新聞社説に、「核と人類 世界を動かした死の灰」の見出しで、パグウォッシュ会議のことが載った。今日はこの社説を学習することにした。 
まず社説は、「秋の修学旅行シーズン、真っ盛りだ。東京・夢の島にある「第五福竜丸展示館」にも、小中高生たちの姿だ目立つ。
 第五福竜丸は1954年、太平洋で操業中に、米国がビキニ環礁で行った水爆実験で被ばくした。
 大量の放射衛降下物(死の灰)を浴び、乗り組員の一人が帰国後死亡した。展示館には、ガラス瓶に入った「死の灰」=写真=がある。瓶のラベルが茶色く変色しているのとは対照的に、食塩の様な純白の小さな粒だ。サンゴが水爆で破壊され、その熱に焼かれてできた。放射線はもう測定できない程だという。」と切り出した。
 これがきっかけで、原水爆禁止運動が国民的な広がりを持った。
 翌年8月6日、広島で開かれた「第一回原水爆禁止世界大会」には3千万人を超える署名が集まった。展示館にはその署名簿の一部も展示されている。
 影響は海外にも広がった。哲学者バートランド・ラッセルと物理学者アルバート・アインシュタインは「核兵器の廃絶」を訴えたラッセル・アインシュタイン宣言を発表した。宣言を出す理由として、水爆実験で日本の漁船員が被ばくしたことに触れている。宣言には湯川秀樹博士も署名した。
 2年後の57年、カナダの漁村パグウォッシュに、米、旧ソ連、西欧、東欧、中国などの物理学者ら22人が集まり、核兵器の危険性、放射線の危害、科学者の社会的責任について討議した。この後、パグウォッシュ会議のグループ名で毎年、開催されている。
 来月1日から5日まで長崎市で第61回パグウォッシュ会議世界大会が開かれ、40か国から200人近い科学者らが参加する。
 国内での開催は1995年、2005年の二度、広島市で開かれたのに続き3回目だ。被爆地広島での開催は、参加者にとって貴重な経験になったという。」と教えてくれる。
 最後に社説は、「今回は、参加者と長崎の被爆者との対話を予定。福島第一原発事故後初めてプログラムに入った。
 「平和と共存の北東アジアめざして」というセッションでは、将来の非核化を探る。
 会議が開かれるのを機に、人類は核と共存できるのか、皆さんと一緒に考えたい。(井上能行)」として締めくくった。
 読んで、いろいろ思い出したり、新たに知ることがあった。
 第五福竜丸の被ばくの頃は、新潟の田舎町で小学生であった。「死の灰」という言葉、映画のニュースで被ばくした第五福竜丸の映像を見た。雨にぬれると髪の毛が抜けるといううわさが家庭や村に広がっていた、ことを思い出した。
 これがきっかけで1955年原水爆禁止世界大会が広島で開かれたこと。
 また、この影響で「ラッセル・アインシュタイン宣言」が発表されたこと。
 そして、二年後の57年、カナダの漁村パグウォシュに物理学者ら22人が集まり、核兵器の危険性、放射線の被害、科学者の社会的責任について討議し、この後、パグウォッシュ会議のグループ名で毎年開催されていて、11月1日から5日まで長崎市で第61回パグウォッシュ会議世界大会が開かれ、40か国から200人近い科学者らが参加する、とのこと。
 等々を初めて知った。科学者の皆さんには、人類、自分以外の他人に害を与える、毒薬、ばい菌、兵器、爆弾、原水爆等を所持している人が、真っ先に被害を受ける、そういう「装置」を発明して頂けないものか?そうすれば、誰も、どこの国も、安全な暮らしができるかもしれない、と勝手に期待している。
 
 
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by sasakitosio | 2015-11-01 06:58 | 東京新聞を読んで | Trackback