憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

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5つき18日(日)、晴れ。人少なし。
 毎朝の散歩、今日は和歌山市、和歌山城の周辺だ。静かで、緑があって、人も車も少なくて、町はきれいで好い街だ。5時過ぎに部屋でラジオ体操をして、出発。昨日のうちに、ネットで、朝の散歩コースを決めておいた。目標を絞って、勝海舟の寓居あと、時の鐘の鐘楼、地図で大体の場所を確認して、出発。
 ホテルからまっすぐの大通りを行って、横断歩道橋に登り、地域の周りを確認して、舟大工町の勝海舟の寓居 跡を発見。写真一枚。道々にある街路樹や植え込みに咲く花を見ると、柏市内よりも和歌山市内が暖かいことがわかった。アベリアの花が咲き始め、キバナコスモスは盛んに咲いていた。
 博物館の前に、近年建立された「吉宗公」の騎馬姿の銅像があった。
 博物館の入り口への階段をのぼり、入り口の左に小高い山があった、頂上に銅像があった。
 神社らしき物との境に、金網の出入り口があって、施錠されていなかったので、入ったら、右の一段高いところに、「時の鐘」の鐘楼があった。かねつきの撞木が、外に出ていて、全体は木で覆われていた。見た目、相当年季が入っていることがわかる。写真一枚。そこから、城の天守閣が見えた。現在は天守閣と時の鐘は大きな道路で隔てられているが、当時は、同じ城内ではなかったか?
 労金のローンセンター、朝日生命の和歌山支店が、お城沿いの大通りにあった。
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by sasakitosio | 2014-05-18 07:09 | 今日の感動 | Trackback
5月17日(土)晴れ。朝の手賀沼散歩は中止。朝早く東海道新幹線に乗って、和歌山へ12時に着いた。
 わけは、6月の修羅場塾での発表会の演目が、「笹野権左道場破り」 で、話の中に「和歌山城」があったので、参考のために、お城を見物に来たからだ。
 新幹線は、名古屋まではトンネルや目かくしが多くて、車外の景色が楽しめなかったが、名古屋から京都・大坂まで、大坂から和歌山までは、春の日本の景色、水田の作業風景、山や野原に草木の緑がいっぱい。
 和歌山の駅を降りて、驚いたのは、道路は広々して、街路樹も立派に手入れされ、きれいな町だが、商店街はお休み、人はほとんど歩いていない。人の数は、私が毎日の手賀沼散歩でであう程度のちょぼちょぼであったことだ。歩いていて、人にぶつかる心配はまったくなかった。ホテルの新聞で見たら、和歌山県は毎年人口が減っているとのことであった。
 ホテルのチェックインが午後の3時なので、それまでゆっくり、お城見物。忍者姿の黒ずくめの男女5人が、来場者のサポートをしていた。その中の和歌山大学の国際経済学部の学生さんと話ができて、よかった。
 また、カメラが入っていて、忍者の型を見ることができた。これもラッキー。
 天守閣からは、町を一望でき、地形がよくわかった。天守閣の展示物にほんものの「長槍」が展示してあった。これも、大いに参考になった。
 ホテルのチェックインの後は、お城の堀をみながら、城の外周を歩いた。外側から、門をひとつづ 確かめ、さわり、由来を写真に収め、ながら歩いた。約5時間あるいて、15000歩万歩計はしめしていた。
 持参したタブレットで何回も投稿を試みたが、いずれも失敗に終わり、結局ホテルからパソコンを借りて、投稿できた。
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by sasakitosio | 2014-05-17 21:33 | 今日の感動 | Trackback

グローバルな臓器事情

 5月15日付東京新聞朝刊29面に、「本音のコラム」という署名入りの囲み記事がある。筆者は、法政大教授・竹田茂夫氏だ。今日は、この記事に学ぶことにした。
 筆者は、「日本では法的にも国民感情からも問題外だが、米国では断続的に臓器売買の提案が行われてきた。移植医、哲学者、経済学者らが見解を表明している。生体移植も可能な腎臓について提案が多い。 
 背景には人工透析をしながら移植を待つ患者が10万人いるのに、年間の移植手術は1万7千件程度しかないという現実がある。米国の法律が前提とする善意のドナー(利他主義)だけに頼っていては、救える患者が死んでいくというのだ。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「臓器売買の見解表明はおのずから思想やイデオロギーを明らかにする。先日逝去した経済学者ベッカーの最も極端な腎臓商品化の提案(腎臓の市場価格を試算している)から、年金や税控除を対価として支払うというマイルドな提案、社会的にも医学的にも不利な立場の黒人患者のために検体(死体)移植だけを認めようとする苦渋の議論もある。(グッドウイン「闇の市場」未訳)。」と教えてくれる。
最後に筆者は、「臓器商品化への批判も多い。
 主要な論点は二つある。報酬を求める臓器提供が利他主義を駆逐してしまう可能性だ。善意のつもりがカネ目当てと誤解されてはたまらないといいわけだ。
 もうひとつは上記市場が途上国貧困層に及ぼす構造的効果だ。臓器が高値で売れるとなれば黒い手が動き始め、グローバルな臓器市場がますます拡大する。」と指摘する。
 読んで、臓器市場と聞いて、とんでもないと思った。
 また、STAP細胞やIP細胞の研究が進み、自分の細胞から自分の体のすべての部分が「生産」できるようになれば、臓器は売買でなく「委託生産」に変わるだろう。
 そして、「生産された自分の臓器」を保存し、必要な時にいつでも使えるようにしたいものだ。
 臓器市場はいらない「日本の文化」をつくり、世界へ未来へ広めたいものだ。
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by sasakitosio | 2014-05-17 05:38 | 東京新聞を読んで | Trackback
 5月11日付朝日新聞社説に、「原発と火山 噴火の脅威を直視せよ」の見出しで、新規制基準に基づく、原発の安全審査についての記事が載った。今日はこの社説に学ぶことにした。
 社説は、「日本は世界有数の火山国である。そこに原発を抱えるリスクを改めて熟考すべきときだ。
 九州電力が再稼働をめざす川内原発(鹿児島県)の審査で、周辺火山の噴火の影響がクローズアップされている。
 昨年できた新規制基準に基づき、原子力規制委員会が噴火の影響や対策の有効性を検討している。原発の安全性を火山との関連で本格的にチェックするのは、実はこれが初めてだ。
 福島第一原発の事故で、津波対策の遅れが大きな反省材料になった。津波に限ったことではない。事故の深刻さを踏まえれば、噴火やテロなど従来軽視されてきたリスクも真剣に考えるのは当然である。」と切り出した。
つづけて社説は、「新基準は160キロ以内の火山の検討を求めており、九電は39の火山の影響を評価した。その結果、桜島の火山灰が敷地に最大15センチ積もる想定で対策をとれば十分とした。火山灰の重みで送電線が切れた時に備えて非常用発電機の燃料を備蓄したり、換気設備や非常用発電機のフィルターの目詰まりに掃除や交換で対処したりするという。
 しかし、数ミリの降灰で人や物の移動が難しくなる恐れが指摘される。対策は実際に機能するだろうか。原子炉を冷やす水の取り込みに支障が出れば、たちまち原発は危険な状態になる。
 こうした中規模の噴火の影響は、現実的な脅威として十分に検討されなければならない。」と指摘した。
 さらに社説は、「頻度が低い破局的噴火のリスクは、判断がさらに難しい。
 高温の火山噴火物が火山ガスと一体となって広がる火砕流が半径100キロ以上も流れ、破滅的な被害を出す。川内原発の周辺には破局的噴火で山が陥没しカルデラ地形が複数ある。
 九電は、カルデラをまとめて破局的噴火が約6万~9万年間隔で起こっていると評価。「最新の破局的噴火からあまり時間がたっていないので、原発が運用される数十年のうちに次の破局的噴火に見舞われる可能性は十分低い。予兆を継続的に監視すれば大丈夫」と主張する。
 これに対し火山学者らは「こうした噴火間隔の推測には疑問がある」「予兆が観測できるか分からない」と反論する。」と指摘した。
 最後に社説は、「破局的噴火で壊滅的打撃を受けるのは原発だけではない。だが、原発が破壊されれば放射性物質は世界にまき散らされ続ける。川内に限らず、日本の多くの原発に共通する難題だ。
 噴火の影響評価手法は世界的にも確率していない。規制委には火山噴火をめぐる人知の限界も含めて、国民にわかりやすく説明する責任がある。」と、締めくくった。
 よんで勉強になった。以下のことを改めて教えられた。
「原発の安全性を火山との関連で本格的にチェックするのは、これが初めて」とのこと、
 九電は「最新の破局的噴火からあまり時間がたっていないので、原発が運用される数十年のうちに次の破局的噴火に見舞われる可能性は十分低い。予兆を継続的に監視すれば大丈夫」といっているとのこと。
 「噴火の影響評価手法は世界的にも確率していない」とのこと。
 社説は、「規制委には火山噴火をめぐる人知の限界も含めて、国民にわかりやすく説明する責任がある。」としているが、特に「人知の限界」についての分かりやすい説明が聞きたい。
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by sasakitosio | 2014-05-16 19:32 | 朝日新聞を読んで | Trackback
 5月16日(金)快晴。風なし、草に露多し、人あり。
毎朝の手賀沼散歩。入りの柏公園5時半。静か。公園の草原を抜けて、柏下の水路沿いの草原を歩く。森から、チョットコイ、チョットコイ、チョットコイ、の大きな声が聞こえる。
 沼の葦原からは、ヨシキリの声が、機場までの道のり、絶えない。機場の林でユリの木の芽を見、草薮の花を愛で、滝の音を聞き、戸張側の機場の林へ。入って田植えが終わって、水をたたえる田んぼを見た。途端、ケーンと鳴く声。キジが田圃の畔にいた。
 手を振って、挨拶。何回か手を振ったら、またキジが鳴いた。小鳥の声を聞きながら、体操。
 戸張下の水路沿いの草原を歩く。すこし近くの田んぼにキジが来た。また、2.3回手を振ると、かのキジ君、ばたばたと羽ばたいて、一声ケーンと鳴いてくれた。
 稲の育ち具合をみながら歩く。鉄塔下の休耕田にアシが生えたままにここ数年ほってあったところ、枯れ葦を、重機で取り払い、畔塗までしている。しかし、耕すわけでもない、また新しいアシが伸びてきた。新芽だけの葦の天辺で、一羽のヨシキリが盛んに鳴いている。ヨシキリの声だけ、響き渡る。
 ひどり橋、横の柵を使って、腕立て伏せ、スクワット。 
大井の寺から、明け六つの鐘が、ガーンと聞こえる。大井の森から、ウグイスの声、ケキョ、ケキョ、ケ-と聴こえる。
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by sasakitosio | 2014-05-16 17:45 | 手賀沼をたのしむ | Trackback

難しい相手だからこそ

 5月13日付朝日新聞社説下に、「社説 余滴」という署名入りの囲み記事がある。筆者は、国際社説担当・沢村亙氏だ。 今日はこの記事に学ぶことにした。
 筆者は、「北京に住む中国人の友人からネットで届く写真の便りがほほえましい。家族の誕生日に焼いた自慢のケーキ、愛息とのベビースイミング。
 裕福とまではいかなくとも、それなりに心豊かな暮らしを望む中間層が中国の都市で増えている。スーパーには日本製の包装用ラップが積まれ、日系衣料品店には行列ができる。「日式」は質の高さの代名詞だ。モノだけではない。日本の児童書は良書と喜ばれる。「窓ぎわのトットちゃん」(黒柳徹子著)は10年以上もベストセラーだ。
 ネットを使いこなして海外事情に通じる彼らは、中国が抱える問題にも敏感だ。かさむ教育費、就職難、遠のくマイホーム。介護制度が整わないのに容赦なく進む少子高齢化。誰が自分の老後をめんどうみてくれるのかーー。
 別の友人からは大気汚染にけぶる風景が送られてくる。
 「毎日これ。生きるのがいやになる」。急成長がもたらすひずみの不満も大きい。
 都市化や公害への取り組みも福祉政策も、日本の知恵や経験が生かせる分野だろう。
 冷え込んだ日中関係を意識して大声でいいにくくとも「日本に学んでみたい」と考える中国人はまだまだいる。」と教えてくれる。
 つづけて筆者は、「ひるがえって今の日本に目を転じれば、中国の「反日」をしのぐ勢いで「嫌中」がひろがっている。「嫌い」というよりも「面倒な国と関わりたくない」という空気か。
 中国で学ぶ欧米やアジアの若者が年年増えるのに、日本人留学生は減っている。北京の中国人民大学では2007年200人いた日本人学生が現在は50人ほど。日本語を勉強する中国人学生が会話の練習相手を見つけるのに苦労するほどである。
 公害が心配で中国行きをためらう人もいよう。だが周囲から「なぜ中国なんかに」と言われてきた若者が少なくない。日本で中国語を履修する学生も減っている。難しい隣国だからこそ深く知る人材が求められるのに、心配だ。」と指摘した。
 さいごに筆者は、「日本語が読めるようになった中国の学生は、日本のニュースサイトに並ぶ中国人への悪意に満ちたコメントにショックを受ける。中国にも日本人を中傷するサイトはある。向き合わずに反感だけを増幅しあう構図はむなしい。
 中国政府も共産党も、ネットを通じて国民の本音を探ろうと懸命だ。膨らみゆく中国の中間層に「日本ファン」の種をまいておくのも、立派な安全保障ではあるまいか。」と締めくくった。 
 若いころから、漢字を習い、仏教の話を聞き、聖徳太子や空海・最澄など遣隋使・遣唐使の話を聞き、中国総体にいつも敬意を払ってきた。だから、外国のまちの中で、中国の街(北京、承徳、南京、蘇州、上海、香港、桂林、西安、曲阜)を一番数多く訪ねている。ただ、3年前に孔子のふるさと「曲阜」一人歩きの旅の以後は、共産党の一党独裁下の資本主義は、ここ数年で「膨らみゆく中間層」によって民主化されるだろうと、希望的楽観的観測をしている。
 その時に、筆者の言われる「膨らみゆく中国の中間層に「日本のファン」の種をまいておくことは、不可欠・必須・最大の「国民を守る」安全保障・国防政策だと思っている。
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by sasakitosio | 2014-05-16 07:17 | 朝日新聞を読んで | Trackback

個人として

 5月6日付東京新聞朝刊23面に、「本音のコラム」という署名入りの囲み記事がある。筆者は、鎌田慧氏だ。今日はこの記事に学ぶことにする。
 筆者は、「「戦争をさせない1000人委員会」は全国各地に1000人委員会を千箇所つくろうとする運動である。
 米国の戦争に参戦する「集団的自衛権」行使を閣議で認めてしまおうとする安倍政権に、危機意識をもった人たちが、作家の大江健三郎さん、瀬戸内寂聴さんなどを発起人として立ち上げた。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「まるで夜盗のように憲法の裏口から隙をついて入り込み、戦争放棄の9条を踏みつぶそうとするのは、集団的自殺行為といえる。憲法は「国の交戦権」を認めていない。
 それなのに尻馬に乗って他国を攻撃するなど、第二次世界大戦の犠牲者に対する冒涜である。」と怒っている。
 さらに筆者は、「敗戦の年の8月、「国民学校」1年生だったわたしは、夏休み明けからはじまった戦後の平和と民主教育とともに歩んできた。憲法によって身体の骨格をつくられた。憲法前文は私の精神であり、その否定は私の否定である。同じ思いの人たちは多いと思う。
 10代で労働組合の結成に参加したのも、学生の時に60年安保闘争に参加したのも、物書きになったのも、原発反対運動をしているのも、日本国憲法の平和と名誉に生きようとしたからである。」と、告白した。
 最後に筆者は、「この理想に公然と泥を塗って恥じない政治家たちによって、現われたのは怒りである。戦争に結びつく、政府のあらゆる策動に対して、「個人として」(憲法13条)」行動する。」と締めくくった。
 筆者の意見に共鳴する。地域にできる1000人員会へは枯れ木も山の賑わい程度に、参加したいと思っている。
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by sasakitosio | 2014-05-15 18:08 | 東京新聞を読んで | Trackback
 5月15日(木)。雨、風なし、人少なし。
 入りの柏公園5時20分。駐車場に車を止め、歩き始めた途端、柏の森からウグイスが、ホーホケキョ。声のするたびに、パチパチと拍手をおくる。公園を出るまで、ホーホケキョの声は続いた。
 柏下の水路沿いの草原を歩く。沼の葦原からはしきりにヨシキリが鳴いている。機場の林、マツヨイグサの黄色い花を愛でながら、草薮を通って、戸張下へ。
 機場の林で、体操。
 戸張下の水路沿いの草原を歩く。ツバメが周りを飛び始める。稲の苗の葉先が水面に揺れる、雨が降ると、田圃の水面が跳ねる、60年以上前の、家の裏に広がる「蒲原平野」を思い出した。
 ひどり橋、横の柵を使って、腕立て伏せ、スクワット。
 帰路は、草原を歩きながら、捨て稲の苗チェック。
 時々、燕が来て、周りを旋回する。白いウツギが咲き始め、白い山法師も咲いている。沼側の湿地には、黄色い花菖蒲が咲きだした。
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by sasakitosio | 2014-05-15 13:04 | 手賀沼をたのしむ | Trackback
 5月10日付朝日新聞社説に「年金の未来㊦ 漠たる不安からの脱却」と題して、年金問題の社説シリーズの最終回が載った。今日はこの社説に学ぶことにした。
 社説は、「年金制度への不信は根強い。
 ただ、多くの場合、「少子高齢化だからもらえなくなる」といった漠然とした理由によるものでは無かろうか。
 働けなくなった高齢者を支える制度は、いつの時代でも不可欠だ。不信や不安の「形」を見定め、それに合った解決策を見つける必要がある。
 何をすれば、どのくらい年金の足腰を強くできるのか。シリーズ最終回では、あと1カ月ほどで結果が発表される「財政検証」の枠組みを踏まえ、検討してみたい。」と切り出した。
 つづけて社説は、「年金の財政検証は5年に1度だが、今回は新しいやり方を試みている。
 前回は、現行制度がそのまま存続する前提だった。今回は、いくつかの制度改革(オプション)を実施した場合、将来の年金水準にどのような影響を及ばすかを計算する。
 オプション1では、少子高齢化に対して、賃金や物価の上昇率より年金の引き上げ幅を圧縮する仕組み(マクロ経済スライド)を、賃金や物価が下がっている場合でも適用する。
 結果的に、賃金や物価の下落幅より年金の減少幅は大きくなる。物価や賃金が少し上昇する程度なら、年金額は逆に減る事態も起こり得る。受給者は怒るに違いない。
 しかし、マクロ経済スライドをフルに適用しないと、今の年金水準が高止まりして、将来世代の年金が減る。
 シリーズの㊤(4月21日付)や㊥(20日付)で主張したとおり、経済変動に耐えうる年金にするためにフル適用は避けて通れない道だ。今の高齢者の反発に正面から向き合い、将来世代を守る覚悟が問われる。」と指摘した。
 さらに社説は、「年金をめぐる大きな不安は「少子高齢化に加え、年金にメリットがないと考える若い人が保険料を払わず、余計先細りになる」という点にあろう。
 現在未納者は約300万人で、公的年金全体から見れば5%程度だ。保険料を払わないと将来、年金も受けれないので年金財政上は「ほぼ中立」だ。
 ただし、収入が不安定な非正規社員を背景に未納者が増え続ければ、いずれ生活保護費の膨張に繋がり、国の財政全体を圧迫する。
 この課題に対応するのが、オプション2だ。
勤め人が入る厚生年金にパートやアルバイトをもっと加入させる。保険料は給料天引きになるため、基本的に未納は防げる。将来受ける年金額も増える。
 問題は、パート従業員に依存する企業側が労使折半で保険料を担することに強く反発することだ。パート労働者自身も、当座の負担が増えるので反対しがちだ。
 しかし、年金が国民全体の仕送りシステムである以上、オプション2を実行して、裾野を広げていく必要がある。」と指摘した
 さらに続けて社説は、「あらゆる年金制度の変更はせんじ詰めれば「誰がどれだけ負担するのか」「誰の年金が減るのか」というリアルな「痛み」に帰着する。
 これまで民主党の最低保証年金の創設」や「年金の税方式化」など数多くの案が「抜本改革」として提唱されてきた。
 それらが尻つぼみなったのは、いざ改革の影響が誰にどんな形で及ぶかを試算すると、消費税の大幅引き上げや中堅層の年金引き下げといった痛みが明らかになったからだ。
 今回のオプションも現行制度の延長線上にあるとはいえ、大きな改革であり痛みを伴うことに変わりはない。それを乗り越えないことには、どんな年金制度もうまく機能しない。」と指摘した。
最後に社説は、「大切なことは、年金改革を負担増や給付減という「憂鬱な問題」としてのみとらえるのではなく、前向きな課題に変換していく回路もつくっていくことではないだろうか。
 年金は「カネを集めて配る」という単純な仕組みだ。年金改革の痛みは、そもそも少子高齢化に手が打てず、働く人の数が減ってしまう「体質の悪化」に源がある。
 であれば、より多くの人がより長く、元気に働ける社会をつくる事が重要だ。
 30年前と比べて、男女とも平均寿命は5年前後伸びている。65歳まで働ける社会の実現にもめどが立ってきた。その期間分ぐらいは働いて保険料を払うとしたら年金はどうなるか。今回の検証ではそんなオプションも用意される。
 加えて、労働者一人あたりの生産性を上げるために、教育・研修を充実させる。
 こうした働き手の暮らしを良くする「社会の体質改善」ができれば、年金の目減りが抑えられ、高齢者の痛みも少なくてすむ。
 現実を直視した年金の改革と同時に「こんな社会をつくろう」という議論にもバランスよくエネルギーを向けていくのが建設的だろう。」と締めくくった。
 よんで勉強になった。いくつか考えるヒントになった
 「受給者が高齢者で・退職者で・長年掛け金を収め・受ける年金が死ぬまでの生活設計の柱になっていること・対象者が全国民・全地域にわたっていること」等を考えると、年金改革は「社会全体の体質改善」を避けられないということではないか?
 それは、現代における「革命」なのではないか?
 それが、民主主義国家で実現するためには、社会全体に「改革のエネルギー」が満ち満ちてくる必要があるような気がするが?。
 社会に壊滅的危機が訪れる前に、国民の多数を覚知させることができた階層が、次の指導者層になるのではないか?
 掛け金を徴収した時の「政権・役人」と、積立金を使った「政権・役人」と、給付する「政権・役人」が異なり、いずれの為政者も責任感を感じにくい構造になっていることも、問題解決を難しくしているのではないか。
 経済変動の期間が、専門家と称する人たちにも、読み切れてないところに、「財政検証」の限界があるのではなかろうか?

 
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by sasakitosio | 2014-05-15 07:17 | 朝日新聞を読んで | Trackback
 5月14日(水)、晴れ、霧深し、草に露多し、風なし、人あり。
 入りの柏公園5時10分。霧深く、100メートル先は霧の中。お日様も霧の中、空に白い満月のような太陽。樹の間をシジュウカラが飛び回る。地には、ムクドリが走る。
 公園を抜けて、柏下の水路沿いの草原を歩く。水路壁にへばりつき、紅い小さな花を見せてくれるのが、アカバナユウゲショウだ。
 左の沼の葦原からは、盛んにヨシキリが鳴く。
 機場の林の藪を歩く、いろいろな植物の花や実を鑑賞。
 機場の林で、体操。
 戸張下の水路沿いの草原を、ひどり橋まで歩く。
 水路の壁には、白い小ぶりのはな、野ばらの花がきれいにさいている。地面には、緑の中に時々赤い実が顔をだす、。ヘビいちごだ、名前はいやらしが、実にかわいい。
 100メートル先は霧の中、草原を歩いていて、水路に架かった「橋」の上に少し大きめなカラスがいるなと、おもって近づくと「キジの雄」であった。キジも驚いたらしく、急ぎ足で田圃の畔をあるいて離れて行った。声をかけ、手を振ったが、しばらく反応なし。土手の上から手を振ったら、羽ばたいてケーンと鳴いてくれた。
 ひどり橋、横の柵を使って、腕立て伏せ、スクワット。
 帰路は、稲の捨て苗を投げておいた、水たまりを覗き、樹の枝で、根をしっかり土に押し込んだ。田植えをしたとおなじように。稲の生命力は素晴らしい、日に日に元気になるようだ。
 帰路の草原散歩にも、燕が近くに飛んでくる。機場近くの戸張下の水路沿いの草原、街からは明け六つのカネの音が、ゴーン。田圃からはケロケロケロとカエルの音が、沼側かわの葦原からはホーホケキョとウグイスの声。
 手賀沼は、春の賑わいだ。
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by sasakitosio | 2014-05-14 14:46 | 手賀沼をたのしむ | Trackback