憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

カテゴリ:今日の出会い( 50 )

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第一分科会は、9.30~12.30まで、RCC文化センター7Fで開催された。180名の定数で、満席であった。講師は、ジャーナリストで軍事評論家・前田哲男氏、米国・憂慮する科学者同盟のグレゴリー・カラキ―氏、韓国のコリア国際フォーラム運営委員長のリュ・ギョワン氏の3人。

 前田氏の話での中で、EU諸国の軍事費は、今日ではEU発足前の半分になった、との話を聞き、「アジア連合」(AI)誕生の条件を教えてください、と質問した。

 グレゴリー・カラキ―氏の話の中で、アメリカはアメリカ軍基地を守るために「核兵器の使用」をためらわないし、その時の日本人の被爆も辞さないとのこと、 そして日本政府は日米協議でそのリスクを受け入れた、との話を聞いて、びっくりした。我慢しきれずに質問した。将来、日本人の核戦争による被爆を防ぐには、米軍基地を日本からなくするしかないのですか、と質問した。

 また、リュ・ギョンワン氏の話の中で、韓国と北朝鮮が国民同士の連帯で統一を実現するような話を聞いて、ドイツ統一がブランデンブルグ門の崩壊によってなったことを思いだし、つい質問してしまった。金正恩氏の北朝鮮は、共産党一党独裁の国で、国民による民主的統一が可能なのだろうか、と質問した。

 それぞれ、回答を頂いたが、私の納得できるものではなかった。が、時間もなかったし、論争の自信もなかったので、それ以上突っ込みを入れなかった。


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by sasakitosio | 2018-08-07 05:58 | 今日の出会い | Trackback
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千葉県からの参加者と一緒に、会場の県立総合体育館 大アリーナへ。会場への道々は、参加者であふれていた。
気がつたことだが、参加者の多くが壮年から青年だった。この、暑さで、年寄りは参加しずらかったのかもしれないが。
 また、若い層の参加は運動の将来に明るさを感じた。が、講演の最中、疲れが出たのか結構「居眠り」していた若者が私の目に入った。
 講演者の話の内容は、皆が皆、正しいことをしっかり発言され、自分的には大いに共感を覚えた。が、寝た子を起こすほどの、迫力と面白さに欠けていたのかもしれないと思った。ちなみに主催者発表で参加者約2200人であった。最後にみんなで合唱した、「原爆を許すまじ」を40年ぶりに、大声で歌ってしまいました。
 

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by sasakitosio | 2018-08-06 06:59 | 今日の出会い | Trackback
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8月4日、4時起床。妻の用意してくれた「おにぎり2個」をもって、出発。これで、東京駅6.00時発の「のぞみ」に乗れそうだと、数日前から痛み出した右足の「ふくらはぎ」を気遣いながら家を出た。少し歩いて、スパゲティ屋さんの横にある道路標識の近くに「大きなゴミ」があると、思いながら近づくと、なんとそれは人間だった。熱射病で倒れているのか、とビックリ。110番する前に触らずにまず声をかけて、起きなかったら110番、起きたら119番と考えた。三回ほど声をかけたら動きはじめた。大丈夫!救急車呼ぼうか?と声をかけたら、立ち上がって救急車はいらないと手を振って答えた。よかった!!
 もし行き倒れだったら、第一発見者として警察に事情を聞かれ、広島行きが大幅に遅れ、所期の目的である原水禁世界大会・広島大会の総会(17時開会)前に、宮島へ上陸して「勝海舟の宮島談判」会場の「大願寺の書院」を見ることが出来なくなった。あとで思ったが、前の晩に酔っぱらって、路上に寝込んだ、だけかもしれないと。いずれにしても、よかった。
 そんなことがあって、東京発6.00の「のぞみ」ではなく、6.20発の「のぞみ」で広島へ。
 新幹線は実に快適で、快速!広電は宮島口終点まで、数えきれないほどの「停車場」があり、ゆっくりと車窓の外の景色を楽しんだ。宮島へのフェリーは本数も多く、乗客も少なく(船が広いのかも)ゆったり、約15分であこがれの宮島に上陸。宮島も暑かった!!桟橋から、神社を通って(一方通行で、300円)大願寺へ。入り口の左右の仁王像に手を合わせ、境内へ。さして広くない。勝海舟と桂小五郎会談の看板がまず目に入った。中は15畳、正面に仏壇があった。できたら、中に入って、どっかと胡坐をかいて、勝海舟の気分を味わいたかったが、それはかなわなかったというより、次の予定もあったので、希望実現の努力をしなかったというのが正解か。

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by sasakitosio | 2018-08-06 06:36 | 今日の出会い | Trackback

4日は広島の原水禁広島大会の「総会」へ、5日は「平和と核軍縮」の分科会に出に参加したついでに、勝海舟や福嶋正則ゆかりの場所を訪れたいと思っている。

 中でも、第二次長州征伐中止の宮島談判が行われた厳島の大願寺・書院を何とか見たい、と思っている。

 さらに、福島正則が幕府の許可を得ずに城の石垣の修復工事をしたために、信州に国替えになったと言われている「広島城の石垣」を見てきたいと思っている。

 ために、できるだけ早い新幹線で東京駅を出発することにした。


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by sasakitosio | 2018-08-04 04:29 | 今日の出会い | Trackback
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手賀沼の草原散歩。今日は数日前から捨ててある網、ところどころ穴が開いている網、を使って水路の端に伸びている草の下を、引網をした。田んぼの排水路のあちこちでヘラブナが産卵をしていたのは、連休前に確認していたので、稚魚が誕生していることは想像していたが、ステ網、破れ網、稚魚が3匹とモエビが数匹入った。モロコは背びれが釣り針に引っかかったのか赤く血がにじんでいた。稚魚とモロコとモエビに驚かせてゴメン!と言いながら、写真を撮ったらすぐ元の水路に放流した。元気でなーと声をかけながら!!

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by sasakitosio | 2017-06-08 14:12 | 今日の出会い | Trackback

<講釈話のように臨場感を漂わせて、経験話を語る―五島幸雄講師>
 東京司法書士会主催の刑事裁判実務研修の勉強会だ。
 第一回目は、8月27日「犯罪捜査と真実の発見」、第三回目は、9月10日「告訴・告発状の作り方~具体的な事例を基に!」。二回目は地元での準公務のため欠席。
 聴講生という立場だが、刑事事件の深さ、真実追求ぬの大変さを少し知ることができた気がした。
 犯罪被害者の無念を晴らすことになる捜査・起訴・処罰。
 犯罪被害者の泣き寝入りを防ぐ為の、告訴・告発。
 仕事と直接関係ない分野だが、社会理解の教養としていい勉強になった。
 また、テレビドラマのファンの一人として、現代版必殺仕置き人「ハングマン」が欲しくなった。
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by sasakitosio | 2016-09-10 19:44 | 今日の出会い | Trackback
 2月24日午後、「再び戦争させない1000人員会」の記者会見に同席した帰り、県庁記者クラブからJR千葉駅まで歩いた。健康のために往復歩いたが、帰りに信号待ちをして、ここは海抜3.5Mという電柱の看板が目に入った。道路のはす向かいには、デパート三越があった。
 こんなに駅に近い所が、海抜3.5Mしか高さがないことに驚いた。東京湾直下型地震で3.5Mの高さの津波がきたら、ここは水浸しになるのかもしれない。
 その時、12月15日付東京新聞の社説を思い出した。中で、「平均気温が4度上がると、東京、大阪、名古屋だけでも1700万人以上の居住地域が、海面下に沈むという研究成果もある」との記載を見て、にわかには信じがたいと思った。が、千葉駅近くの標高3.5Mの標識を見て、あらためて「かの研究成果」が大げさな数字でないような気がして来た。
 ちなみに、自分の住居にごく近い「一等水準点」の標高は21.67Mであった。
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by sasakitosio | 2016-02-25 20:27 | 今日の出会い | Trackback
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  再び戦争させない千葉県1000人委員会は、千葉県内の市民運動や労働組合と一緒に、「戦争法を使わせない・廃止を求める2.27千葉県民集会を、2月27日(土)14時から、千葉市中央公園で、開催します。
 応援に、評論家の佐高信氏も来て、激励のあいさつをされる予定です。

 
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by sasakitosio | 2016-02-15 17:27 | 今日の出会い | Trackback
 原子力ムラの対極、熊取6人組の安全ゼミ終わる。
 2月14日、YAHOO!ニュースで、「原子力ムラの対極」の見出しに引かれて、記事を読んだ。
 筆者は、ネットジャーナリストで元新聞記者・団藤保晴氏だ。今日は、この筆者に学ぶことにした。
まず筆者は、「福島原発事故で原子力ムラが見せた狼狽と無責任の対極にある存在が、京大原子炉実験所を拠点とした批判科学者集団「熊取6人組」でした。
 2月10日、彼らが35年余り続けてきた原子力安全問題ゼミが幕を閉じました。グループ最期の実験所職員、助教の今中哲二さん(65)が定年退官するためです。
 最後の講演で今中さんが「行政の意思決定や政策実行にかかる人々、つまり役人や政治家に間違いや不作為があった場合には個人責任を問うシステムが必要だ」と締めくくりました。世界の原子力史で未曾有の惨状を招きながらぬくぬくとしている原子力ムラの政治家・官僚・学者への痛烈な非難です。
 <中略>
 その飯館村の今について今中さんは「除染という環境破壊が進み、惨憺たる有り様です。国は来年には村民を返す方針ながら、村民一人当たりで何千万円という無駄な除染費用を使っています」と主張します。
 個人の生活再建こそが目的のはずなのに、村の再建に目標がすり替わり、除染しても放射能レベルは半分にしかならないのですから多くの村民は帰村しないでしょう。
 <中略>
 この112回安全ゼミの最期で小出さんが厳しい発言をしています。「福島原発事故で出された原子力緊急事態宣言は5年経ってもまだ解除されていません。この宣言があるために放射線防護関連法令が停止され、これから何十年もこのままでしょう。それなのに経済優先の安倍内閣は「アンダーコントロール」と嘘をついてオリンピックを誘致しました。こんな国なら私は喜んで非国民になります」。他の地域なら放射線管理区域並びに汚染として禁じられる場所に、福島では人が住み、飲食して寝ているのです。
 <後略>
 読んで勉強になった。
 最期の講演での今中さんの「行政の意思決定や政策実行に関わる人々、つまり役人や政治家に間違いや不作為があった場合には個人責任を問うシステムが必要だ」との締めくくりの言葉は、原発事故で今明らかになり、過去の戦争でも当たっていると思った。
 戦争根絶請負法案なるものの話を聞いたことがある。その中身は、戦争に賛成した総理以下指導者及その家族を、前線へ直ちに派遣する、という中身であった。自分が痛い目に遭わない、自分は結果に対し無責任でおれる、ならどんな「危険・リスク」も気楽に決断できる。だから、リスク回避の最善の策は、直接の決定者に直接にリスクを負わせることではないか。
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by sasakitosio | 2016-02-15 13:52 | 今日の出会い | Trackback
 
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 2015.1.1午前のベルリンの日本大使公邸
2016年1月1日(金)ベルリン快晴、冷たし、歩く人まばら。
 前の夜、細かく予定を立てていたのだが、朝起きてまた気が変わった。
 6時前から朝の散歩。ホテルの前の大通りをまっすぐ歩くことにした。薄暗らがりのなか、歩道にはいろいろな花火の筒が散乱していた。
 道沿いに「桜」という名のレストランがあった。カウンター席とテーブル席で約50席あった。帰るまでに開いていたら、客になるつもりであったが、正月はお休みらしく、その希望はかなわなかった。
 7時近くにホテルで8時過ぎまでゆっくり食事。
 ①パン数種    全部少しづつ食す。
 ②ヨーグルト数種 全部少しづつ食し、2回目は気に入ったものだけ。
 ③ハムの数種 全て一切れづつ試し食べ。
 ④ジュース数種 少しづつ全部飲んでみる。
 ⑤果物 スイカ、パイナップル、ミカン、リンゴ、 
     バナナ等満足。
 ⑥甘味  蜂蜜、イチゴジャム、チョコレート、バ
      ター。
 ⑦コーヒー ボトルで、ミルク、砂糖。
  毎日、これで、朝食は今まで数カ国・数都市訪れたが、ベルリンのホテルが一番よかったような気がした。
 8時過ぎ、携帯、拡大鏡、腕時計、電子時計、電子辞書、タブロイド、お金・パスポートを、身に付けて、帽子は手賀沼歩きで使っているものをかぶり、出かけた。
 ちなみに、昨日はロシア(モスクワ)で買った、ヤクの毛皮の耳に覆いのある、モンゴル風で出かけた。
ホテルの前の道路を右折し、べルリンホテルの在る交差点を左折して、戦勝記念塔の手前の信号を右折して、林の中の道を歩く。まっすぐ行けば、ポツダム広場への道だ。
 途中、日本を含む、数カ国の大使館が右の林の中にあった。
 外国へ行って、ほっとするのは、日本の国旗と、日本の会社の支店の看板を見た時だ。また、何となく嬉しいのは、日本製の商品を街中で見る時だ。外国へ出ると、なぜか愛国者になってしまうから不思議だ。
 ところが、なぜか、1月1日の午前、大使公邸の菊の紋章のうえのポールには、日の丸が翻っていなかった。大使館の入り口はどうなっているかと、好奇心で行ってみたら、受付には明かりがついていて「外国人が2人」いてニコリともしなかった、受付の建物の後ろに、風になびく、一階くらいの高さで、日の丸がちらちら見えた。ほっとした。
 大通りを先に進むと、トルコの大使館(帰国後、国旗を調べて分かった)の中にある「数本の石碑」に全て落書きがされていた。現在は柵があって、中に入らなければ書くことも消すこともできない状態だ。不思議に思って、写真を撮ったり、何回も行き来していたら、警官二人がやってきて、質問を受けた。まず、警官のひとりが英語ができるかと質問してきた。少しできると答えて、大使館の中の石碑の落書きは、なぜかと質問した。そしたら、ドイツの統一前からあるとの答えであった。1987年ころとのことなら、今の警官が分かるわけはない、と勝手に納得して、バイバイ。
 先に進むと、黄色いユニークな建物が見えてきた。
 ベルリンフィルハーモニーの建物だ。入り口の柱を触りまくり、周りの写真を撮りまくった。
 近くに、ソニーセンターの高いガラス張りで半円形の建物が見えた。一体がショッピングモールになっていた。ガイドブックによると、年間数百万人が訪れる名所らしい。
 そこの十字路を左折すると、十字路に「ベルリンの壁の本物」が数ピースになって立っていた。そこに説明書きや壁の存在していた頃の、西側からのブランデンブルグ門の写真も掲示してあった。
 過去に壁があり、今撤去されたところは、道路に石が埋められ「ベルリンの壁の位置と方向」が分かるようになっていた。
 先に歩いて、ブランデンブルグ門を見て触りたいと思っていた。途中、道路の右側に「ホロコースト記念碑」が見えてきた、近づくと信号のところの標識に「Hannah-Arendt-Straʩe」を発見。ただ、どこの若者知らないが、ホロコーストの記念の石の上を敷石のように飛びながら歩いていた、のには驚いた。
 その近くに、ヒットラーが自殺した「地下壕の跡」を埋めた遺跡があった。掲示板風の看板が立っていた。それには、取り壊す前の建物の写真、当時の建物の配置図、ヒトラーの写真等が掲示してあった。
 周りには高層のアパートが囲み、ぽっかりと空いた空間には、大きな一抱えもあるポプラが一本立って、空き地は少し、おおくは駐車場になっていた。
 若もの一団にガイドらしき人が話をしている光景も1.2見ることができた。
 周りの灌木の写真、駐車所の写真、空き地の写真、と撮りまくって、ゆっくりここで時を過ごした。
 ポプラの大きさから言って、ヒトラーの姿と所業を見つづけていたのでないか、との思いで、木の幹にしっかり、何回も触ってきた。
 そこでトイレに行きたくなって、昨日確かめておいたデパートのトイレへ向かった。案内標識を頼りに、トイレを探し、やっとたどり着いたら、トイレの入り口のドアに鍵がかかっていて、使用不可。オーゴッド。
 仕方ないので、ヒトラーの自殺した「地下壕」近くの、有料トイレが開いていたのは、確認しておいたので、そこへ直行。公共トイレは50セントなのに、そこは1ユーロ請求された。
 トイレが済んで、ブランデンブルグ門まで、ベルリンの壁の跡をたどりながら。
 ブランデンブルグ門についてみると、昨日と今朝のカウントダウンの舞台や簡易トイレの片付けの最中で、昨日同様、門柱に触ることが出来ない。残念。
 ただここで気づいたのは、壁の跡を目で追うと、壁の跡はブランデンブルグ門の中ではなく、西ベルリンの方に回っているではないか。だから、ドイツ統一前は、ブランブルグ門は東ベルリンにあったことに、はじめて気づいた。
 そこで、ブランデンブルグ門を後にして、ポツダム広場前駅からU2(地下鉄)でウッテンベルグ駅を下車して、ホテルへ。ホテルで少し休んで、昨日調べておいた「ポツダム駅へ」行くことにした。切符は、ABC一日切符を買ってあるのでOK。
 そこで、午後2時3分頃、ウッテンベルグ駅からU2で動物園前駅へ、そこで近郊電車S7に乗り換えポツダム駅へ。ポツダムは日本が無条件降伏した「ポツダム宣言」の出された街だ。
 会議が開かれた「お城」までは、時間の関係で行けなくとも、せめて「ポツダム駅」を降りて、駅の周りを見たかった。
 子ども頃の遠足のように、ワクワクする気持ちで電車に乗った。林の中を、霧に包まれて、電車は走る。
 たまたま、貸しきり状態の電車で、前にいた若い女性(美人)が、私のはしゃぎ様を見て、ニコッとした。
 くしゃみをして、またニコッとした。
 終点のポツダム駅のいくつか前で、下車するときに又、ニコッと。
 その時、ふと思った。
 笑顔は世界の共通語。
 勝手に、A smiling face is world common speech.と考えた。
 ポツダムの駅を降りて、駅の内外を写真に撮りまくり、帰りはポツダム駅(U7)で動物園前駅下車。歩いて
ホテルへ。日が暮れた帰り道、照明で輝く「カイザー・ヴィルヘルム記念教会」の前に、夜店が沢山出ていたので、寄り道した。屋台の店を覗いたり、教会に入って、モザイクや壁画を見た。
 暗い夜空に、ベンツのマークが白く光っていた。その奥に、ホテルの建物が昼間なら見えたはずだ。
 ホテルに帰り、日本から持参した、非常用の食料を全て食べつくす。明日、午後はホテルのチェックアウトだ。
 
 
 
2016年1月1日(金)ベルリン快晴、冷たし、歩く人まばら。
 前の夜、細かく予定を立てていたのだが、朝起きてまた気が変わった。
 6時前から朝の散歩。ホテルの前の大通りをまっすぐ歩くことにした。薄暗らがりのなか、歩道にはいろいろな花火の筒が散乱していた。
 道沿いに「桜」という名のレストランがあった。カウンター席とテーブル席で約50席あった。帰るまでに開いていたら、客になるつもりであったが、正月はお休みらしく、その希望はかなわなかった。
 7時近くにホテルで8時過ぎまでゆっくり食事。
 ①パン数種    全部少しづつ食す。
 ②ヨーグルト数種 全部少しづつ食し、2回目は気に入ったものだけ。
 ③ハムの数種 全て一切れづつ試し食べ。
 ④ジュース数種 少しづつ全部飲んでみる。
 ⑤果物 スイカ、パイナップル、ミカン、リンゴ、 
     バナナ等満足。
 ⑥甘味  蜂蜜、イチゴジャム、チョコレート、バ
      ター。
 ⑦コーヒー ボトルで、ミルク、砂糖。
  毎日、これで、朝食は今まで数カ国・数都市訪れたが、ベルリンのホテルが一番よかったような気がした。
 8時過ぎ、携帯、拡大鏡、腕時計、電子時計、電子辞書、タブロイド、お金・パスポートを、身に付けて、帽子は手賀沼歩きで使っているものをかぶり、出かけた。
 ちなみに、昨日はロシア(モスクワ)で買った、ヤクの毛皮の耳に覆いのある、モンゴル風で出かけた。
ホテルの前の道路を右折し、べルリンホテルの或る交差点を左折して、戦勝記念塔の手前の信号を右折して、林の中の道を歩く。まっすぐ行けば、ポツダム広場への道だ。
 途中、日本を含む、数カ国の大使館が右の林の中にあった。
 外国へ行って、ほっとするのは、日本の国旗と、日本の会社の支店の看板を見た時だ。また、何となく嬉しいのは、日本製の商品を街中で見る時だ。外国へ出ると、なぜか愛国者になってしまうから不思議だ。
 ところが、なぜか、1月1日の午前、大使公邸の菊の紋章のうえのポールには、日の丸が翻っていなかった。大使館の入り口はどうなっているかと、好奇心で行ってみたら、受付には明かりがついていて「外国人が2人」いてニコリともしなかった、受付の建物の後ろに、風になびく、一階くらいの高さで、日の丸がちらちら見えた。ほっとした。
 前にはイタリアの大使館があった。
 大通りを先に進むと、トルコの大使館(帰国後、国旗を調べて分かった)の中にある「数本の石碑」に全て落書きがされていた。現在は柵があって、中に入らなければ書くことも消すこともできない状態が。不思議に思って、写真を撮ったり、何回も行き来していたら、警官二人がやってきて、質問を受けた。まず、警官のひとりが英語ができるかと質問してきた。少しできると答えて、大使館の中の石碑の落書きは、なぜかと質問した。そしたら、ドイツの統一前からある都の答えであった。1987年ころとのことなら、今の警官が分かるわけはない、と勝手に納得して、バイバイ。
 先に進むと、黄色いユニークな建物が見えてきた。
 ベルリンフィルハーモニーの建物だ。入り口の柱を触りまくり、周りの写真を撮りまくった。
 近くに、ソニーセンターの高いガラス張りで半円形の建物が見えた。一体がショッピングモールになっていた。ガイドブックによると、年間数百万人が訪れる名所らしい。
 そこの十字路を左折すると、十字路に「ベルリンの壁の本物」が数ピースになって立っていた。そこに説明書きや壁の遇った頃の、西側からのブランデンブルグ門の写真も掲示してあった。
 過去に壁があり、今撤去されたところは、道路に石が埋められ「ベルリンの壁の位置と方向」が分かるようになっていた。先に歩いて、ブランデンブルグ門を見て触りたいと思っていた。途中、道路の右側に「ホロコースト記念碑」が見えてきた、近づくと信号のところの標識に「Hannah-Arendt-Straʩe」を発見。ただ、どこの若者知らないが、ホロコーストの記念の石の上を敷石のように飛びありていた、のには驚いた。
 その近くに、ヒットラーが自殺した「地下壕の跡」を埋めた遺跡があった。掲示板風の看板が立っていた。それには、取り壊す前の建物の写真、当時の建物の配置図、ヒトラーの写真等が掲示してあった。
 周りには高層のアパートが囲み、ぽっかりと空いた空間には、大きな一抱えもあるポプラが一本立って、空き地少し、おおくは駐車場になっていた。
 若もの一団にガイドらしき人が話をしている光景も1.2見ることができた。
 周りの灌木の写真、駐車所の写真、空き地の写真、と撮りまくって、ゆっくりここで時を過ごした。
 ポプラの大きさから言って、ヒトラーの姿と所業を見つづけていたのでないかと、との思いで、木の幹にしっかり、何回も触ってきた。
 そこでトイレに行きたくなって、昨日確かめておいたデパートのトイレへ向かった。案内標識を頼りに、トイレウィ探し、やっとたどり着いたら、といれの入り口のドアに鍵がかかっていて、使用不可。オーゴッド。
 仕方ないので、ヒトラーの自殺した「地下壕」近くの、有料トイレが開いていたのは、確認しておいたので、そこへ直行。公共トイレは50セントなのに、そこは1ユーロ請求された。
 トイレが済んで、ブランデンブルグ門まで、ベルリンの壁の跡をたどりながら。
 ブランデンブルグ門についてみると、昨日と今朝のカウントダウンの舞台や簡易トイレの片付けの最中で、昨日同様、門柱に触ることが出来ない。残念。
 ただここで気づいたのは、壁の跡を目で追うと、壁の跡はブラんでンブルグ門の中ではなく、西側ベルリンの方に回っているではないか。だから、ドイツ統一前は、ブラんでンブル門は東ベルリンにあったことに、はじめて気づいた。
 そこで、ブランデンブルグ門を後にして、ポツダム広場前駅からU2でウッテンベルグ駅を下車して、ホテルへ。ホテルで少し休んで、機能調べておいた「ポツダム駅へ」行くことにした。切符は、ABC一日切符を買ってあるのでOK。
 そこで、午後2時3分頃、ウッテンベルグ駅からU2で動物園前駅へ、そこで近郊電車S7に乗り換えポツダム駅へ。ポツダムは日本が無条件降伏した「ポツダム宣言」の出された街だ。
 会議が開かれた「お城」までは、時間の関係で行けなくとも、せめて「ポツダム駅」を降りて、駅の周りを見たかった。
 子ども頃の遠足のように、ワクワクする気持ちで電車に乗った。林の中を、霧に包まれて、電車は走る。
 たまたま、貸しきり状態の電車で、前にいた若い女性(美人)が、私のはしゃぎ様を見て、ニコッとした。
 くしゃみをして、またニコッとした。
 終点のポツダム駅のいくつか前で、下車するときに又、ニコッと。
 その時、ふと思った。
 笑顔は世界の共通語。
 勝手に、A smiling face is world common speech.と考えた。
ポツダムの駅を降りて、駅の内外を写真に撮りまくり、帰りはポツダム駅(U7)で動物園前駅下車。歩いて
ホテルへ。日が暮れた帰り道、照明で輝く「カイザー・ヴィルヘルム記念教会の前が夜店が沢山出ていたので、寄り道した。屋台の店を覗いたり、教会に入って、モザイクや壁画を見た。
 暗い夜空に、ベンツのマークが白く光っていた。その奥に、ホテルの建物が昼間なら見えたはずだ。
 ホテルに帰り、日本から持参した、非常用の食料を全て食べつくす。明日、午後はホテルのチェックアウトだ。
 
 
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by sasakitosio | 2016-01-24 18:07 | 今日の出会い | Trackback