憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

カテゴリ:朝日新聞を読んで( 856 )

 1月30日付朝日新聞朝刊6面に、「波聞風問」という欄がある。筆者は、編集委員・原真人氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「今月、10年ぶりに改訂された広辞苑が発売された。すぐにいくつかの説明の誤りが指摘され、ニュースになった。

 言葉ひとつ、いちいち批判されるのも日本を代表する国語辞典ゆえだろう。

 改訂版には新たな語義もたくさん加わった。

 たとえば火が燃え上がることを表す「炎上」には、インターネット上で非難や中傷が多数届く、という説明も入った。ためしに気になる言葉を引いてみた。」と切り出した。

 続けて筆者は、「デフレーション=(通貨収縮の意)物価が持続的に下落すること。企業の倒産、失業者の増大など不況や社会不安を伴うことが多いーー。

 旧版と一言一句同じだ。

 一般的な説明としてはこれでも十分。ただ、第2次安倍政権の5年を経た今は物足りない感じがしてしまう。実態とずいぶん違うからだ。

 金融危機以来、政府・日本銀行は日本経済が「デフレ」だと認定してきた。とはいえこの20年、物価が大幅に下落し続けたことはない。下落した年もマイナス1%に満たないわずかな下落がほとんど。最近はプラス0~1%で安定している。

 実体経済はと言えば、このところ企業業績は過去最高の水準だ。雇用もバブル以来の好調さである。安倍晋三首相は「物価が持続的に下落するという意味のデフレではなくなった」という。

 なのにデフレ脱却宣言まで踏み込まないのはなぜか。

 政府日銀は掲げる2%インフレ目標が未達成だからというのが公式見解だ。ただ、その理屈は苦しい。なにしろ政府も日銀も「景気は拡大中」といっているのだ。

 宣言できない本当に理由は、異次元緩和を終わらせられないからではないか。」と指摘した。

 最後に筆者は、「日銀は異次元緩和の一環で国際と株式ファンドを大量に買い続けている。

 今や苦しい政府の借金財政を支えるのも、株価の高値を下支えしているのも日銀だ。日銀がこれらの政策を止めたら、あるいは購入量を減らしただけでも間違いなく国債価格と株価は急落する。避けるには政策継続しかない、というのが本音だろう。

 ただ国債や株を永遠に買い支えることはできない。政策の「正常化」を先送りすればするほど反動は大きくなるから修正は早いほどいい。

 だが高株価とゼロ金利の微温景気にどっぷり浸った安倍政権にその気はなさそうだ。

 日銀自身もいまや引くに引けなくなった。

 自ら引いてショックを起こせば戦犯と見なされる。ならば動かぬが得、と決め込んでいる風だ。

 平均株価は26年ぶりの高値を記録。世の中にはバブルの空気さえ漂う。日本経済のじったいはしかし、異常なマクロ政策の砂上に立つ楼閣である。

 広辞苑には現状を映すこんな語義も加えてほしかった。

 デフレ=物価が2%以上の上昇しない状態。景気の良しあしはどっちでもいい。異常な金融政策を続ける理屈としてもっともらしい言葉。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「日銀は異次元緩和の一環で国債と株式ファンドを大量に買い続けている。今や苦しい政府の借金財政をささえるのも、株価の高騰を下支えしているのも日銀だ。日銀がこれらの政策を止めたら、あるいは購入量を減らしただけでも間違いなく国債価格と株価は急落する」とのこと、

 「ただ国債や株を永遠に買い続けることはできない」とのこと、

 「平均株価は26年ぶりの高値を記録。世の中はバブルの空気さえ漂う。日本経済の実態はしかし、異常なマクロ政策の砂上に立つ楼閣である」とのこと、

 等々を知ることが出来た。

 しかも、「日銀自身もいまや引くに引けなくなった。みずら引いてショックを起こせば戦犯と見なされる。ならば動かぬが得、と決め込んでいる風だ」との指摘は、無責任な指導者しか選べなかった「主権者・国民」の不幸と言うしかない。

 困るのは、国民全体が困るのだから、一人の国民の力はでどうしようもない財政危機、第二次世界大戦では結果・敗戦だが、ただ行く着くところまで行って皆で地獄を見るしかないのだろうか?

 それではあまりにも知恵がなさ過ぎるなあ!!

 

 

 


[PR]
by sasakitosio | 2018-02-02 07:05 | 朝日新聞を読んで | Trackback

1月23日付朝日新聞朝刊7面に、「波聞風問」という欄がある。筆者は、編集委員・多賀克彦氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「生産性が低いと言われる日本のサービス業、とりわけ飲食業は深刻な人手不足にも直面する。その飲食業でも、AIやICTを使い生産性の向上に取り組むチェーンがあると聞き、店舗に出向いた。」と切り出した。

 続けて筆者は、「和食チェーンのがんこフードサービス(大阪市)は関西を中心に約90店を持つ。その一つ「高瀬川二条苑」は、豪商・角倉了以が約400年前、京都につくった屋敷を改装した。明治期に山形有朋の別邸でもあったという。

 その日本庭園の廊下を配膳ロボット4台が動き回っていた。厨房で料理を載せ、パネルに示された座敷名に触れると、床に敷かれた磁気テープを読みながら進み、無線を受信して方向を転換する。

 和装の女性従業員が座敷に到着したロボットから料理を取出し、お客さまに出す流れだ。

 ロボットは昨年末に導入した。近く、従業員の手足にセンサーを取り付け、ロボット導入前と動きがどう変わったかを調べるという。

 働きながら工学博士号を取った副社長の新村猛さん(46)は、大学や研究機関とサービス業の効率化を探ってきた。

 「研究は途上だが、無駄な動きを減らしたい。

 例えば、多くの従業員がみる予約台帳は店の中心にあった方がいい。工場では人が動かずにモノを動かすが、サービス業はそうもいかない」という。

 新村さんの挑戦は10年ほど前から続く。

 最近、従業員の動きのデータをAIを搭載したシミュレーターを使い厨房のレイアウトを変えた。調理過程の一部を自動化した。

 成果として、ランチの準備に早朝出勤していた従業員の労働時間を短くできたという。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「この店の40歳代の調理長から言われた。

 「入社以来、最も楽しています。12月でもあまり残業しなかった」。

 この厨房の1時間当たり売上高は最大1.7倍に伸びた。

 時間に余裕があると、料理が美しく仕上がり、量目が均等になる。評判が上がり、予約客が増えれば、仕入れ、人員配置も無駄がなくなる。そこに好循環が生まれる。

 また、二条苑ではロボット導入以降、社員の意識が変わった。マネージャーの岡田啓さん(40)は「ロボットの活用法など従業員からの提案が相次ぐようになった」という。新村さんも「現場を担うのは人。先端技術を導入しても、働く人が腹に落ちないと成果は出ない」と明かす。

 生産性の向上と言えば、会議や残業を減らそうとなりがち。数字が改善しても、顧客、従業員の満足度が低いままでは続かない。

 がんこ創業者の小嶋淳司会長(82)も、「余裕ができた時間を接客、従業員の対話に当てるべきだ」と指示している。

 仕事の満足度が低いから人が来ない。業績が伸びない。投資ができない。働く時間が長くなる。だから生産性が低くなる。この負の連鎖を断ち切る。逆説的だが、高い生産性を実現するのは、余裕のある仕事、職場ではないか。」として締めくくった。

 「飲食業でも。AIやICTを使い生産性の向上に取り組むチェーンがある」とのこと、

 「和食チェーンの頑固フードサービス(大阪市)は関西を中心に約90店舗を持つ」とのこと、

 「働きながら工学博士号を取った副社長の新村猛さん(46)は大学や研究機関とサービス業の効率化を探ってきた」とのこと、

 「新村さんの挑戦は10年ほど前から続く。最近、従業員の動きのデータをAIを搭載したシミュレーターを使い厨房のレイアウトを変えた。調理過程の一部を自動化した。成果として、ランチの準備に早朝出勤していた従業員の労働時間を短くできた」とのこと、

 「この店の40歳代の調理長から言われた。「入社以来、最も楽してます。12月でもあまり残業しなかった」。この厨房の一時間一人あたり売上高は最大1.7倍にのびた」とのこと、

 「がんこ創業者の小嶋淳司会長(82)も、「余裕が出来た時間を接客、従業員の対話に当てるべきだ」と指示している」とのこと、

 等々を知ることが出来た。とくに、創業者の「余裕ができた時間を接客、従業員の対話に当てるべきだ」との考え方は、素晴らしいと思った。

 そして、筆者の「逆説的だが、高い生産性を実現するのは、余裕のある仕事、職場ではないか」との指摘はその通りだと思う。

 また、経営者の皆が皆、がんこ創業者のような考え方をしたならば、間違いなく日本国は政界一の豊かな国になると、思った。

 しかし、多くの経営者や株主は欲張りで、高くなった生産性を自己利益確保を最優先に考えているような気がしてならない。 


[PR]
by sasakitosio | 2018-01-24 07:06 | 朝日新聞を読んで | Trackback

 1月6日付朝日新聞朝刊社説に、「AI時代の人間」のことが載った。

 今日はこの社説を学習することにした。

 まず社説は、「人工知能(AI)のセミナーやシンポジウムが花盛りだ。

 車の自動運転に代表される、AIがもたらす明るく快適な未来。その裏側で、人間の制御を越えて世界を根底から変えてしまう「シンギュラリテイー(技術的特異点)と呼ばれる事態が訪れるのではないか、という不安も広がる。

 技術は時として、予想をはるかに上回る速度で進む。AIもそんな段階にはいったのか。人間はAIにどう向き合うべきか。

 そしてこれからの時代に備えた人づくりとはーーー。

 本格的に考えなければならない時期に来ている。」と切り出した。

 続けて社説は、「今の社会的ブームの大きなきっかけは、2年前に囲碁AI[アルファ碁]が世界最強とされた棋士を破ったことだった。

 データ処理能力飛躍的進歩が生んだAIは、生活を豊かに変える可能性を秘める。

 静岡大学の竹林洋一特任教授らは、高齢者介護の質の向上に活用しようとしている。

 お年寄りへの声のかけ方一つとっても、介護する者の姿勢や位置、音の調子、高低、タッチ有無など、多くの要素からなる。

 実際の画像をもとにそれらを分析すれば、お年寄りを笑顔にするアプローチを定式化できる。優れた介護者の育成に役立つだけでなく、認知症に関する知見の進化や理解につながることが期待される。

 一方、AI時代に対する不安の中で,最も現実味をもって語られるのが雇用への影響だ。

 AI搭載のロボットは複雑な生産現場にも進出するだろう。

 大量で多様なデータを公正・迅速に評価することが求められる市場調査、融資の判断、更に人事業務にも導入が進む。十数年後にはホワイトカラーの仕事の半分がAIに置き換えれれという見方もある。」と指摘した。

さらに社説は、「AIを活用しつつ、人間らしく働くき、生活するにはどうしたらいいのか。

「AIは統計などを使って機械的に答えを出すだけで、物事の意味は分かっていない。だから、その意味を理解し、適切に状況判断できる能力を養うことが、人にとって何より大切」

 国立情報学研究所の新井紀子教授はそう話す。

 基本となるのは、正確に読み、正確に書くという、昔ながらの力だという。

 デジタル時代はメールなど文字情報のやりとりが仕事に占める割合が高く、「誤読や表現力不足によってつまずくことが少なくない」と見る。

 教科書や新聞の文章を使った読解力テストを独自開発し、中高生らに受けてもらって弱点を探っている。

 結果は、能動態と受動態の違いに気が付かない、文章で説明されてる内容に合致する図が選べないーーーなど、決して芳しいものではない。だが、嘆いていても始まらない。協力した学校の先生たちからは、「分かっていないことが分かった」ことを前向きにとらえ、授業方法の改善をはかる動きが出ている。

 人間は計算力や記憶力でコンピューターに及ばない。それでも困らないのは、道具として使いこなせているからだ。AIについても本質は変わらない。大切なのは、AIをどう制御し、人間の幸せのために役立てるかを考え、その方向に社会を構築して行くことだ。」と指摘した。

 最後に社説は、「昨年1月、米カリフォルニア州アシロマに、AIの研究者や法律、倫理、哲学などの専門家が集い、AI開発に際して守るべき23の原則をまとめた。

 「人間の尊厳、権利、自由、文化的多様性に適合するように設計され、運転されるべきである」といった理念をかかげ、AI軍拡競争の回避や研究者同士の協力、政策立案者との健全な交流など盛り込んだ。

 このアシロマ原則は各国政府や多くの研究者を刺激し、さらに具体的な指針作りを目指す動きが盛んになっている。

 日本の人工知能学会倫理委員会は、米国の学会やNPOと提携し、インターネットを使った市民対話を開いている。

「公共の為のAI」や「労働に関するAIの影響」などのテーマ別に、誰でも、投稿された意見や疑問を読み、自ら書き込むことが出来る。今年2月まで意見を交換し、それを踏まえて実行可能な政策を提言することを目指している。

 国家や企業が入り乱れて開発を競う中、いかに秩序を維持し、人類の幸福につなげるか。

難題ではある。だがアシロマといえば、43年前に世界の科学者が集まって遺伝子組み換え技術の研究指針を議論し、一定の規制を実現させた、科学史にその名を刻む。

 AIの専門家に限らず、人文・社会科学の研究者も広く巻き込み、政治家や官僚、そして市民との対話を重ねる。その営みが人間中心の社会でのAI活用につながると信じたい。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「AIを活用しつつ、人間らしい働き、生活するにはどうしたらいいのか。

 「AIは統計などを使って機械的に答えを出すだけで、物事の意味はわかっていない。だから、租に意味を理解し、適切に状況判断できる能力を養うことが、人にとって何より大切だ」国立情報学研究所の新井紀子教授はなす」とのこと、

 「大切なのは、AIをどう制御し、人間の幸せのために役立てるかを考え、その方向に社会を構築していくことだ」とのこと、

 「昨年1月、米カリフォルニア州アシロマに、AI研究者や法律、倫理、哲学などの専門家が集い、AI開発に際して守るべき23の原則をまとめた。 

 「人間の尊厳、権利、自由、文化的多様性に適合するよう設計され、運用されるべきである」といった理念を掲げ、AI軍拡競争の回避や研究者同士の協力、政策立案者との健全な交流なども盛り込んだ」とのこと、

 「日本の人工知能学会倫理委員会は、米国の学会やNPOと提携して、インターネットを使った市民対話を開いている。」とのこと、

等々を知ることが出来た。

 人間が、道具としてAIを使いこなせるか、しかも能力的に千差万別の「多様性のある人間」が、そこの見極めが一筋縄でいかないような気がするが。固体的には、年寄りでも必死に努力して、AIを使いこなす側にいたいものだと、思っている。


[PR]
by sasakitosio | 2018-01-15 07:11 | 朝日新聞を読んで | Trackback

 11月27日付朝日新聞4面に、「風」という欄がある。

 筆者は、アメリカ総局長・沢村 亙氏だ。

今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「愛国心が惜しみなく称賛されるすぐ傍らで、不正義が糾弾される、不思議な光景を見た。

 先週観戦したアメリカンフットボールのプロリーグ戦。まずスタジアム中が起立して国家を唱和し、合間には招待客のイラク帰還兵が「わが町の英雄」として誇らしく紹介される。

 一方、フィールド脇では国歌斉唱中に片膝ついたり、拳を挙げたりする選手がいる。

 相次ぐ警官による黒人射殺などに抗議して昨夏から黒人選手らが始めた「実力行使」である。政治の中枢ワシントンでもさまざまな街頭行動が連日。繰り広げられている。

 デモや集会だけではない。

 動画を建物に映し出したり、ビラを括りつけた風船を飛ばしたり、社会派アーテイストを名乗るナディンさんはその指南役の一人だ。

 「戦略的にメッセージを伝えるには創造力とユーモアが必要」と説く。」と切り出した。

 続けて筆者は、「公民権運動、ベトナム反戦から反グローバル運動まで、米国の抗議運動の歴史は長い。スポーツも例外ではない。1960年代、メキシコ五輪では黒人選手が表彰式で拳を挙げ、モハメド・アリは徴兵を拒んだ。

 だが1年間、女性や同性愛者の権利向上、移民・難民への連隊から、気候変動や科学予算の削減撤回まで、ありとあらゆる論争が吹き出した観がある。「ここまでテーマが多様化したのは異例」とイリノイ大学のヒ―ニ―助教(社会運動)。」と教えてくれる。

 さらに筆者は、「過激な言動や物議を醸す政策を繰り出すトランプ大統領に触発された動きなのは明白だ。しかし、気がかりなこともある。

 トランプ氏は抗議するアメフト選手を「高給取りが国家を侮辱している」となじり、白人支持層の喝さいを浴びた。

 各地の大学のキャンパスでは「言論の自由」を標榜して集まる極右の若者と、ヘイトスピーチに反対する学生の対立が先鋭化する。

 為政者や権力への異議申し立てである筈の抗議が、「市民対市民」の構図になる。または、そう仕向ける力学が働いているように見えてならない。

 「民主主義が劣化してきた先に分断があった。トランプ氏は原因ではなく、その産物だ」とスタンフォード大学のマカダム教授(社会学)はいう。」と教えてくれた。

 最後に筆者は、「米国では過去50年、自党に有利になる選挙区の引き直し(ゲリマンダー)や、有権者登録に免許証など身分証明証の提示を義務付け、移民やマイノリティー[少数者]、貧困層が投票しにくくなる法律が地方レベルで静かに広がっている。

 これらが支持者の顔色だけをうかがう政治家を生む一方、自分の声は政治に届かないという不信を社会に蓄積させてきたとの指摘だ。

 1年前のトランプ氏の当選自体が、不満を募らせてきた白人労働者層による「抗議」の結実と言えよう。

 当地でしばしば「日本は政治も社会も安定して、うらやましい」と褒められる。

 だが、一票の格差、低い投票率、立場を異にするものを拒絶する政治家のとがった発言。

 日本から伝わるこれらは何の兆候だろう。どうも胸騒ぎがする。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「先日観戦したアメリカンフットボールのプロリーグ戦。まずスタジアム中が起立して国家を唱和し、合間には招待客のイラク帰還兵が「わが町の英雄」として誇らしく紹介される。

 一方、フィールド脇では国歌斉唱中に片ひざをついたり、拳を挙げたりする選手がいる」とのこと、

 「政治の中枢ワシントンでもさまざまな街頭行動が連日、繰り広げられている」とのこと、

 「「デモや集会だけではない。動画を建物に映し出したり、ビラをくくりつけた風船を飛ばしたり。」とのこと、

 「為政者や権力への意義申し立てであるはずの抗議が、「市民対市民」の構図になる。または、そう仕向ける力学が働いているように見えてならない」とのこと、

 「民主主義が劣化してきた先に分断があった。トランプ氏は原因ではなく、その産物だ」とスタンフォード大学のマカダム教授(社会学)はいう」とのこと、

 「一年前のトランプ氏の当選自体が、不満を募らせていた白人労働者層による「抗議」の結実といえよう」とのこと、等々を知ることが出来た。

 筆者には、「一票の格差、低い投票率、立場を異にする者を拒絶する政治家のとがった発言。日本から伝わるこれらは何の前兆だろう。どうも胸騒ぎがする」とのことであるが、何にが筆者の胸騒ぎを引き起こしているのか、それが知りたい!!!


[PR]
by sasakitosio | 2017-12-24 08:07 | 朝日新聞を読んで | Trackback

11月28日付朝日新聞朝刊9面に、「波聞風問」という欄がある。筆者は、編集委員・堀篭俊材氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「東京・竹橋近くのオフェイス街に、甲府盆地からみた富士山を描いた社旗を掲げる会社がある。どこか懐かしい。

 社名は「山一證券」。

 従業員20人ほどの企業買収の助言会社だ。

 今から20年前に自主廃業した山一OBで、社長の立川正人さん(73)が、2004年に立ち上げた。3年前に古巣の社名に変えた。

 立川さんが山一をやめたのはバブル真っ盛りの87年。

 その10年後に山一の命取りになる「飛ばし」と呼ばれる不良債権隠しを見つけたのが、証券マンの人生を変えた。

 「飛ばし」は「にぎり」とセットになった証券界の隠語だ。法人の顧客から預かったお金の利回りを保証することを「にぎり」と言った。「飛ばし」は運用に失敗し、損失を抱えた株や債券を顧客の帳簿から別の会社にこっそり移す粉飾の手口である。」と教えてくれる。

 続けて筆者は、「あるとき、営業企画の責任者だった立川さんの元に「飛ばし」を示す文書が回ってきた。

 「認められない」と声を上げた。不正を勇気をもって告発したが、実力者の役員ににらまれた。

 「二度と山一の門をくぐるな」といわれ、会社を去った。

 山梨出身の実業家、小池国三が120年前に創業した山一は、証券会社で初めて社債の引き受けに本格進出し、法人営業に強かった。「法人の山一」はなぜ破綻したのか。立川さんは「歴史の流れに逆らった」と指摘する。

 「高度成長期が過ぎ、企業の設備投資資金の調達を仲介する法人営業も、その役目を終えていた。それなのに「にぎり」や「飛ばし」までして、法人営業で手数料を稼ぐビジネスにこだわった」

 つまり生存環境の変化に適応できなかったのだ。「生き残るためには、いち早く個人の金融資産を運用するビジネスに舵を切りべきだった。」

 大手銀行も相次ぎ破綻した金融危機から20年。リーマン・ショックもくぐり抜けた日本の金融界はふたたび、持続可能なビジネスモデルへの転換を迫られている。」と指摘した。

 最後に筆者は、「本業の貸し出しや手数料ビジネスで、地方銀行の6割が25年に赤字になる。

 衝撃的な資産を昨年出した金融庁は、今年の報告書で「試算を上回るベースで、利益は減少している」と警告した。

 人口減による国内市場の縮小に、日本銀行のマイナス金利による収益環境の悪化が銀行の苦境に拍車をかける。

 新たな金融技術の挑戦も受けるメガバンクは、大量の人員や業務量の削減に乗り出した。

 20年前1200兆円台だった個人金融資産は1800兆円を超えたが、半分以上は言預金が占め、「貯蓄から投資へ」の本格的な流れは起きなかった。

 「銀行も証券も個人の金融資産を生かすビジネスをつくることが出来なかった。」と立川さんはいう。

 バブルに浮かれたわけでもなく、世界発でもない。忍び寄る静かな危機にどう備えるのか。「山一の教訓」はいまも問い掛ける」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「「飛ばし」は「にぎり」とセットになった証券界の隠語だ。法人の顧客から預かったお金の利回りを保証することを「にぎり」といった」とのこと、

 「「飛ばし」は運用に失敗し、損失を抱えた株や債券を顧客の帳簿から別の会社にこっそり移す粉飾の手口である。」とのこと、

 「「法人の山一」はなぜ破綻したのか。立川さんは「歴史の流れに逆らった」と指摘する」とのこと、

 「「生き残るためには、いち早く個人の金融資産を運用するビジネスに舵を切るべきだった」」とのこと、

 「本業の貸し出しや手数料ビジネスで、地方銀行の6割が25年に赤字になるーー。衝撃的な試算を昨年出した金融庁は、今年の報告書で「試算を上回るペースで、利益は減少している」と警告した」とのこと、

 「20年前に1200兆円台だった個人の金融資産は1800兆円を超えたが、半分以上は現預金が占め、「貯蓄から投資へ」の本格的な流れは起きなかった」とのこと、等々を知ることが出来た。

 「貯蓄から投資へ」のながれを作るには、新しい産業を創造するしかないのではないか。

 そのためには、既存の「産業・スステム」の廃棄をしなければならないのではないか。

 が、「原子力ムラ」に見られるように、政治・経済・社会・文化・メデイア等々が支配され、社会に大きく重い「蓋」が存在するような気がする。

 脱化石燃料、エネルギー革命が進まないのは、それを阻止する「既得権の上に生きている」人々の抵抗が半端じゃないからではないか。

 それらを押しのけ、「貯蓄から投資」「新しいビジネス」への筋道をつけるために、「戦争や革命」以外の「平和で民主的」な手段を「発見・実践」したいものだ、と思った。 

 

 

 


[PR]
by sasakitosio | 2017-12-23 07:54 | 朝日新聞を読んで | Trackback

12月18日付朝日新聞朝刊4面に、「政治断簡」という欄がある。
 筆者は、編集委員・国分高史氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「「憲法を改正すべきか、まず私たちに国民投票で聞いてもらえないでしょうか」

 先日、ある市民グループの勉強会で、参加者の一人からこんな質問を受けた。

 国会が発議した改憲案への賛否を問う国民投票は、憲法や国民投票法で実施が定められている。それだけでなく、発議前にも国民の意見を聞いてほしいというのだ。

 10月の参院選で自民、公明の与党が3分の2以上の議席を維持。自民党内では「選挙で公約したのだから」と来年中に改憲案の発議をめざして議論が進む。

 この状況に「まず私たちの声を」との異議がでるのは、改憲位ついての国民一般の考えと選挙結果との間に大きなずれがあるからではないか。

 実際、11月の朝日新聞の世論調査では「安倍晋三首相に一番力を入れてほしい政策に憲法改正を挙げた人はわずか6%に過ぎない。」と切り出した。

 続けて筆者は、「選挙で問われるのは政策だけではないので一概には言えない。ただ、こうしたズレが生じる一因は小選挙区制の特性もある。

 「民意を反映」する比例制とは異なり、勝者総取りの小選挙区制の特性は「民意の集約」だ。

 衆院選では自民党289小選挙区中215議席を得た(追加公認を除く)。得票率48%に対し議席獲得率74%に上る。 

 これによって政権は迅速な意思決定ができる。

 一方、少数派の意向は政治に反映されにくくなる。

 これを直ちに小選挙区制の欠陥と決めつけるわけではないが、選挙制度の特性を反映した国会の勢力と世論の分布には開きがあることは、十分な注意を払っておく必要がある。」と指摘した。

 最後に筆者は、「そう考えると、冒頭の市民の訴えにもうなずける。

 実はこうした事前投票は「予備的国民投票」として国民投票法制定の過程で国会で議論されていた。

 2006年11月の衆院憲法調査特別委で、公明の赤松正雄氏は「改憲案を国民投票の一発勝負で国民に判断を迫るのは少し無理がある。(改憲の)大筋の方向性をあらかじめ国民に諮ることは何らかの形で考えられていいのでは」と述べている。

 また民主党は改憲に限らず国政の重要課題二ついても諮れる「一般的国民投票」の導入を主張。「間接民主制を補完する有効な手段だ」「議会制を形がい化し、ポピュリズムの横行を招く」と言った賛否両論が交わされた。

 結局「予備」も「一般」も国民投票法に取り入れられなかったが、「さらに検討を加え、必要な措置を講じる」と付則に明記され、憲法論議の宿題として残されている。

 EU残留が国民投票で否定された英国などへの視察を受け、衆院憲法調査会の議員の間では合意形成の難しさや否決された際の影響への懸念が共有されつつある。

 ならば社会分断リスクもある「一発勝負」を避けるためにも、予備的投票を含め国民の意思を事前にくみ取る策は検討されていい。これも「憲法を国民の手に取り戻す」一つの道だろう。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「「憲法を改正すべきか、まず私たちに国民投票で聞いてもらえないでしょうか」先日、ある市民グループの勉強会で、参加者の一人からこんな質問を受けた」とのこと、

 「衆院選で自民とは289小選挙区中215議席を得た(追加公認を除く)。得票率48%に対して議席獲得率は74%に上る」とのこと、

 「実はこうした事前投票は「予備的国民投票」として国民投票法制定の過程で国会で議論されていた」とのこと、

 「結局「予備」も「一般」も国民投票法に採りいれられなかったが、「さらに検討を加え、必要な措置を講ずる」と付則に明記され、憲法論議の宿題として残っている」とのこと、

 「EU残留が国民投票で否定された英国などへの視察を受け、衆院憲法調査会の議員の間では合意形成の難しさや否決された際の影響への懸念が共有されつつある」とのこと、等々を初めて知ることが出来た。

 そして、「一発勝負」を避けるために、予備的投票も含めて検討実施すべきだ、と思った。

 


[PR]
by sasakitosio | 2017-12-22 13:21 | 朝日新聞を読んで | Trackback

12月1日付朝日新聞朝刊の17面に、「異論のススメ」という欄がある。筆者は、京都大学名誉教授・佐伯啓思氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「今年はロシア革命から100年である。10月革命(現代の暦では11月)の武装蜂起でボルシュビキが革命政府を樹立し、ソ連という世界初の社会主義国家が誕生した。

 といっても若い人にはどうもぴんとこないらしい。それもそのはずで、ソ連社会主義などというものはもはや地上から姿を消してしまったからである。

 一昔前の若者にとっては、ロシア革命やとロッキーやボルシェビキという単語は、それだけでどこか琴線をくすぐるところがあったことを思えば、隔世の感がある。

 ソ連が崩壊したのは1991年であった。

 私はちょうどイギリスに滞在していたが、左翼を自認する経済学者と話をしていたことを思い出す。社会主義に対し批判的であった私は、彼に次のように聞いた。

 「社会主義の崩壊はあなたたちには大変な痛手だったのではないか」と。すると、予想外の答えが返ってきた。

 「とんでもない。実に歓迎すべきことだ。私は決して社会主義者ではない。私はあくまでも社会民主主義者であって、ようやく我々の出番になったのだ」と。

 日本ではずいぶんと長い間、社会主義に対する幻想があった。革新政党は、社会主義や共産主義への傾斜を隠そうともしなかったし、左翼学生も、現実には不可能だとわかっていても、社会主義革命を熱く語っていた。

しかし、すでに欧米では、ハンナ・アレントを引き合いに出すまでもなく、ソ連社会主義は恐るべき全体主義国家であると、という認識が広がっていた。

 社会主義国の崩壊とは全体主義の崩壊を意味していたのである。」と切り出した。

 続けて筆者は、「では社会主義が崩壊してどうなったか。

 社会民主主義者の出番になったのだろうか。

 全く異なっていた。

 社会主義の崩壊は、自由社会の勝利であったとともに、それは資本主義の勝利であった。

 世界中がグローバルな市場競争に覆われ、アメリカ主導のIT革命や投機的な金融市場の展開によって、まさしく資本主義が凱旋したのである。
 しかし、それでどうなったのだろうか。

 「資本」が瞬時にして世界中を動き回り、「資本」の増殖を求めて、個人も企業も国家も、果てしない競争にのめり込んでしまった。

 共産党が支配するはずの中国までもが、「資本」の競争に国家ぐるみで参入してるのだ。 

 これが冷戦以降の世界の実態である。それをわれわれは「新自由主義」などという。

 しかし、この現実はまた、別種の全体主義ではないかと言いたくもなる。資本の求めるグローバルな市場経済というメカニズムがあまりにわれわれの生を圧迫しているからである。

 競争、効率性、自己責任、能力主義の支配する世界へわれわれは囲い込まれている。確かに、有り余るほどの自由はあるし、SNSを使って何でも表現でき、何でも売買できる。とてつもない自由社会であることは間違いない。

 しかし同時に、この自由社会は、我々を過剰なまでの競争に駆り立て、過剰なまでの情報のなかに投げ込み、メディアやSNSを通じて、われわれは他人のスキャンダルを暴き立て、気に食わないものを誹謗し、少しの失態を犯した者の責任を追及する。実に不寛容な相互監視社会へとなだれ込んでいる。これもまた一種の全体主義といわねばならない。」と指摘した。

 最後に筆者は、「私は社会主義にシンパシーを持ったことは一度もない。しかし、「社会」がきわめて大事だとはずっと思っている。「社会(ソサエティー)とは、たとえば福沢諭吉を引き合いに出せば、「人間交際」のことである。

 「社交」と言ってもよい。それは、人々のつながりであるが、そのつながりは、今日のSUSのようなバーチャルな、もしくは瞬時的でどこか虚構めいたつながりではない。

 相互に信頼出来る人の間に生まれるつながりである。あるいは、相互に信頼を生み出そうとするようなつながりである。顔の見えるつながりと言ってもよいだろう。そこで初めて、人々が共有できるような倫理や道徳も成立する。

 家族、地域、学校、組織、企業、それに様々な仲間の集まりやサロンや社交の場が、かってはそれなりに機能していた。

 様々な葛藤や矛盾を含みながらも、多くの人は、何らかの場に属して、そこで「人間交際」をやっていた。そうした「人間交際」の重層化されたものが「社会」である。だから、社会は一定の倫理的価値を保ちえたのである。

 このような「社会的(ソシエタル)なもの」を重視するという意味では、私はずっと「社会」主義(ソシエタリズム)に共感してきた。

 それは「社会主義(ソシアリズム)」ではない。しかしまた、新自由主義主義的な資本主義でもない。

 どころが社会主義が崩壊し、冷戦が一応終了し、新自由主義とグローバル競争の時代になって、「社会的なもの」までもが崩壊している。

 家族や地域はずたずたになっている。

 学校も機能しなくなっている。

 組織も成果主義や自己責任で窮屈になっている。

 「社交」の場であるはずの居酒屋もうるさくてしょうがない。

 もっと大きく言えば、過剰なまでの市場競争や情報化社会化が、「社会的なもの」の崩壊を促しているように見えるのだ。それを立て直すのは難しい。

 しかし、我々の日常生活がごく自然に多様な「人間交際」によって成り立っているという当然のことを思い起こせば、「社会」の復権もさほど悲観的になる必要もないかもしれない。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「今年はロシア革命から100年である。10月革命(現代の暦では11月)の武装蜂起でボルシュビキが革命政府を樹立し、ソ連という世界初の社会主義国家が誕生した」とのこと、

 「ソ連が崩壊したのは、1991年であった」とのこと、

 「しかし、すでに欧米では、ハンナ・アレントを引き合いに出すまでもなく、ソ連社会主義は恐るべき全体主義国家であるという認識が広がっていた」とのこと、

 「社会主義の崩壊は自由社会の勝利であったとともに、それは資本主義の勝利であった。」とのこと、

 「しかし、それでどうなったのだろうか。「資本」が瞬時にして世界中を動き回り、「資本」の増殖を求めて、個人も企業も国家も、果てしない競争にのめり込んでしまった。

 共産党が支配するはずの中国までもが、「資本」の競争に国家ぐるみで参入しているのだ」と指摘、

 「確かに、有り余るほどの自由はあるし、SNSを使って何でも表現でき、何でも売買できる。とてつもない自由社会であることは間違いない」とのこと、

 「過剰なまでの市場競争と情報化社会が、「社会的なもの」の崩壊を促しているように見える」とのこと、等々を知ることが出来た。

 そして、社会主義の崩壊をソ連で見たときは信じられないものを見たような気がした。生きている間にソ連崩壊を見るなんて、という気持ちだった。また、共産党が支配するはずの中国までもが、「資本」の競争に国家ぐるみで参入している姿も、異様なものを見る気がしてならない。

 共産主義が国家ぐるみで「資本の競争」に参加している、その後にどんな世界が待っているのだろうか?

 


[PR]
by sasakitosio | 2017-12-22 07:03 | 朝日新聞を読んで | Trackback

12月19日付朝日新聞朝刊15面に、「記者有論」という欄がある。筆者は、編集委員・三浦俊章氏だ。
 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「都内の大学で、20世紀の戦争とジャーナリズムについての講義を初めて三年になる。第一次世界大戦から、今世紀初頭のイラク戦争までを扱う。

 なぜ戦争が起きたのか、メデイアはどう伝えたか、がテーマだ。

 毎年、最初にこういう話をする。

 「二〇世紀後半は、まれな繁栄と安定の時代でしたが、今また不安定な世界になりつつあります。戦争の歴史を学ぶことは、皆さんにとって不可欠の教養です。」

 年を追うに従い、開校の辞がより現実味を増してきた。学生の関心も高い。授業では三つのこと伝えようと試みている。」と切り出した。

 続けて筆者は、「ひとつは、多くの戦争が、相互の恐怖心や相手の意図の読み違いから偶発的に始まっていること。

 次に、戦争という異常な環境の中で、人間の判断力が麻痺し、一般市民の虐殺が繰り返されたこと。

 そして、戦争の最初の犠牲者は「真実」であること。指導者は不都合な事実を隠そうとし、メデイアもナショナリズムにあおられ、いったん始まった戦争について批判的に考えることはきわめて難しい。

 学生たちは「受験勉強の知識だけで、戦争の実態は知らなかった」

 「人間はこれほど残酷になれるものか」と感想を述べる。だが、これは若者に限ったことではない。

 戦争についてのリアルな知識が社会から急速に失われている。たとえば私自身は父から戦場の体験を、母から空襲の話を聞いた。 

 しかし、戦争経験者が世を去り、軍事力行使が、あたかもゲームの一手のように語られる危ういなった。」と指摘した。

 さらに筆者は、「トランプ大統領は、北朝鮮への武力攻撃の可能性をちらつかせた。

 首脳会談後、安倍晋三首相は「圧力を最大限まで高めていくことで完全一致した」と語った。

 開戦が現実的な選択であるかのように伝えるメデイアもある。

 だが、「圧力」だけで外交が伴わなければ、予期せぬことが発生し、事態が制御不能になるかもしれない。過去の戦争は、武力行使が限定的なものにとどまる保証はないことを示している。

 そのとき、政治家は冷静に判断できるだろうか。民主主義は機能するだろうか。」と指摘した。

 最後に筆者は、「多くの歴史家が指摘するように、1962年のキューバ危機から学ぶべきだろう。

 ソ連のミサイル配備に対抗して、米国は海上封鎖を実施した。米軍幹部は核戦争も視野に入れて、武力侵攻を進言したのだが、ケネディ大統領が交渉による解決を図り、危機はギリギリで回避された。

 実は、あるソ連の潜水艦では、艦長が開戦したと勘違いし、核魚雷を発射する寸前までいっていた。

 平和はもろく、一瞬で崩れる。人間は間違いをおかしやすい。国際政治のリアリズムとは、本来そのような認識に基ずくべきものである。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 筆者は「都内の大学で、20世紀の戦争とジャーナリズムについての講義を始めて3年になる」とのこと、

 「なぜ戦争が起きたのか、メディアはどう伝えたかが、テーマだ」とのこと、

 「授業では、三つのことを伝えようと試みている」とのこと、

 「ひとつは、多くの戦争が、相互の恐怖心や相手の意図の読み違いから偶発的に始まっている」とのこと、

 「次に、戦争という異常な環境の中で、人間の判断力が麻痺し、一般市民の虐殺が繰り返されたこと」とのこと、

 「そして、戦争の初めの犠牲者は「真実」であること。指導者は不都合な事実を隠そうとし、メデイアもナショナリズムにあおられ、いったん始まった戦争について批判的に考えることはきわめて難しい」とのこと、等々を教えてもらった。

 また筆者は北朝鮮問題について「「圧力」だけで外交が伴わなければ、予期せぬことが発生し、事態が制御不能になるかもしれない」と警告している。この警告は当たっている、と思った。

 筆者は「ケネデイ大統領が交渉による解決を図り、聞きはぎりぎりで回避された。実は、あるソ連の潜水艦では、艦長が開戦したと勘違いし、各魚雷を発射する寸前までいっていた」とおしえてくれる。確かに自分は当時高校3年生だったが、新聞の見出しやラジオのニュースを聞いて、核戦争が始まると思った。核戦争の実態を何も知らないままで。

 

 

 

 


[PR]
by sasakitosio | 2017-12-21 13:30 | 朝日新聞を読んで | Trackback

 12月8日付朝日新聞社説に、「トランプ大統領による大使館移転の指示」のことが載った。

 今日はこの社説を学習することにした。

 まず社説は、「第一次大戦の際、英国の外相がユダヤ人の民族的郷土づくりを支持する書簡を出した。バルフォア宣言と呼ばれ、それがイスラエル建国につながった。

 宣言から先月で100年、今度は米国の大統領が、宗教都市エルサレムをイスラエルの首都と認め、宣言文書に署名した。

 20世紀以来続くのは、大国によるイスラエルへの肩入れであり、その裏で堆積するパレスチナの失望である。欧米の思惑に翻弄され、居住地や聖地を占領された怒りは大きい。

 トランプ大統領は、そんな歴史にどれほど思いをはせたのか。歴代の米政権が避けてきた一線を踏み越え、聖地の帰属を宣言した意味は大きい。

 米国は、公正な仲介人として中東和平に取り組む立場を失った。」と切り出した。

 続けて社説は、「イスラエルはすでにエルサレムを「首都」として支配している。だとしても、パレスチナの人々も東エルサレムを首都とする国創りをめざしている。

 長年の紛争を解決するには、「二国家共存」しかない。その構想をいつか実現するためにも国際社会はエルサレムの扱いを先送りし、各国とも大使館を商都テルアビブに置いてきた。

 だがトランプ氏は、大使館の移転も指示した。

 手詰まりの和平構想をさらに遠のかせる無分別な決定というほかない。

 ここにも透けて見えるのは、トランプ流の自国第一主義である。

 自由貿易協定の見直しなどと同様に、中東政策も選挙公約通り転換する実行力を誇示する狙いがあるようだ。だが、その対価となる米外交の信頼性の損失は計り知れない。

 500万人以上のパレスチナ難民は今も世代を超えて劣悪な生活を強いられている。パレスチナ自治区の中でも貧困と荒廃が続いている。

 その理不尽な問題の放置が過激派思想の温床となり、イスラエルと世界を苦しめているテロの脅威を広めてきた。」と指摘した。

 最後に社説は、「エルサレムは、ユダヤ教とキリスト教と共にイスラム教の聖地でもある。

 その地位を一方的に変えれば、世界のイスラム圏で反発を招きかねない。

 その底知れない影響を理解しないトランプ氏の暴走を、国際社会は看過してはなるまい。

 歴史上の責任をもつ英国やフランスなどは、国連などで米国の過ちをただし、エルサレム問題の棚上げと和平交渉の再開に向けて力を尽くすべきだ。

 日本政府もかねて中東安定への貢献を約束してきた。菅官房長官はこの問題について「米国を含む関係国と緊密に連携」するというが、今は米国との連携ではなく、直言を考える時だ。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「第一次大戦の際、英国の外相がユダヤ人の民族的郷土づくりを支持する書簡を出した。バルフォア宣言と呼ばれ、それがイスラエル建国につながった」とのこと、

 「宣言から先月で100年。今度は米国の大統領が、宗教都市エルサレムをイスラエルの首都と認め、宣言文書に署名した」とのこと、等々を知った時、中東でまた戦争が起きるかもしれない、と思った。

 社説指摘のように「500万人以上のパレスチナ難民は今も世代を超えて劣悪な生活を強いられている。パレスチナの自治区の中でも貧困と荒廃が続いている」状態であるならば、怒りが爆発して戦争になるかもしれない。トランプ大統領の宣言が、その引き金になりかねない、と思った。

 世界の安定よりも、世界に紛争を起こることをアメリカの大統領は望んでいるのだろうか?

 大統領が外国に兵器のセールスに歩いているアメリカだから、アメリカ本土以外での戦争はビジネスチャンスと思っているのかもしれない。

 確かに社説の「歴史上の責任を持つ英国やフランスなどは、国連などで米国の過ちをただし、エルサレム問題の棚上げと和平交渉の再開に向けて力を尽くすべきだ」との指摘、

「今は米国との連携ではなく、直言を考えるべきだ」との指摘、等々はその通りだ、と思った。

 


[PR]
by sasakitosio | 2017-12-17 07:01 | 朝日新聞を読んで | Trackback

 12月14日付朝日新聞社説下に、「ザ・コラム」という欄がある。

 筆者は、編集委員・駒野剛氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「極東は朝鮮戦争以来の危機にある。

 北朝鮮が核実験を繰り返し、11月29日にも核兵器を運搬する大陸間弾道ミサイル(ICB)の発射テストを行った。

 米国は原子力空母三隻を朝鮮半島近海に展開、戦略爆撃機B1Bが韓国周辺で訓練するなど、一触即発の緊張状態が続く。

 非難の応酬も常軌を逸している。
 北朝鮮は「米国の地を焦土化しよう」「日本列島4島を主体(チェチェ)の核弾頭で沈めなければならない」と言いつのる。

 トランプ大統領は「小さなロケットマン。彼は病んだ子犬だ」「北朝鮮だろうが誰だろうが、わが国を守る」と返す。

 「国難突破」と銘打った選挙に勝った安倍晋三首相も「圧力を最大限に高めていく」「対話のための対話は意味がない」。

 危機は極東だけに限らない。トランプ氏が在イスラエル米国大使館をエルサレムに移すと宣言したことで、中東でも対立が激化した。これは開戦前夜の様相ではないか。」と切り出した。

 続けて筆者は、「ドイツのジャーナリスト、アントン・A・グーハ(故人)が1983年に出版した小説「核の黙示録」を読んだ。

 冷戦下の欧州で東西両陣営が対峙した当時、ついに核戦争が勃発する。開戦までの日々と、核爆発後に何が起こり、人々がどう動いたか、ひとりの新聞記者の日記として描いた。

 記者は悔やむ。

 「私たちは何もできなかった。しかし、私たちはいつも自分たちがもっとよく知っているかのように振る舞ってきた。今や私たちも、蛇ににらまれた蛙のように、作動中の世界滅亡装置をじっと見ているしかない」

「軍備増強は軍事的に必要だったのか?政治的に必要だったのか?破局だったのだ。

 軍備を増強して私たちの安全は増大したのか?否!それは我々ヨーロッパ人を深淵の縁に押しやった」

 死に際に記す。

 「ローロッパは、決定的に、急速に、そして、とどまることなく荒野に代わっていく。数百万年かけて成立したものが、沈没し、灰燼に帰していく」。

 核保有国の戦争では絵空事ではない。後悔したくない私は今、書かねばならない。」と指摘した。

 最後に筆者は、「広島、長崎の悲劇から72年。当時を思い知る場所が残されている。小学校舎だ。

 ヒロシマの爆心地から西へ250mほどの本川小学校は、あの日、平日授業だった。3年生以上は集団疎開していたが、残った児童約400人と校長ほか10人の教職員が亡くなった。現在、被爆した校舎の一部が平和資料館として公開されている。

 爆心地の約460mの袋町小学校は木造校舎が全て倒壊、全焼し、唯一、鉄筋コンクリート造りだった西校舎が残った。

 疎開せずに残った児童の大半が一瞬で命を失った。校舎は被災者の救護所に利用され、壁には消息を知らせる伝言が今も見える。こちらも資料館として訪ねられる。

 長崎の爆心地の西側約500mの丘の上に城山小学校が立つ。階段を上るとトーチカのような三階建ての建造物がある。

 被爆校舎だった平和祈念館だ。教職員や学徒動員の生徒たちが死亡、自宅や防空壕になどにいた児童約1400人が亡くなったと推定されている。

 今も敷地付近で遺骨が見つかる。

 三つの校舎は修復、補強工事が施されているが、内側の壁は黒く染まり、コンクリートの間の木材が猛火で炭状になっている。

 子供たちが学び、遊び、泣き笑いした校舎に、突然、膨大な爆風と熱線が襲いかかった傷痕だ。

 核兵器の使用は、非戦闘員、それも弱者を容赦なく殺すことだ。

 北朝鮮も米国も核兵器という狂気を抑止力の名で正当化し、「核の傘」の下にある日本も禁止条約の採択に反対している。

 核廃絶を求める活動により、今年のノーベル平和賞を受けた国際NGO、ICANへの授賞式で、被爆体験を証言してきたサーロー節子さんは「核兵器の開発は国家の偉大さが高まることを表すものではなく、国家が暗黒の縁へ堕落することを表しています。核兵器は必要悪でなく、絶対悪です」と演説した。

 被爆国の記者として私は求める。

 正気に戻るため、被爆校舎で首脳会談をする。無念に死んでいった子供たちの声を聞きながら話し合え、と。無論、会談をセットするのは安倍さん。日本の首相の使命だ。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「極東は朝鮮戦争以来の危機にある」との指摘は、恐ろしい指摘だ。危機を回避するために「首相・外務大臣・防衛大臣」は体を張って、命を懸けて、欲しい。またそれができないなら、即刻国会議員も辞めてほしいと思った。

 また筆者は、「ドイツのジャーナリスト、アントン・A・グーハ(故人)が1983年に出版した小説「核の黙示録」を読んだ」とのこと、

 「記者は悔やむ。

 「私たちは何もできなかった。しかし、私たちはいつも自分たちがもっと知っているかのように振る舞ってきた。いまや私たちも、蛇ににらまれた蛙のように、作動中の世界滅亡装置をじっと見ているしかない」

 「軍備増強は軍事的に必要だったのか?政治的に必要だったのか?否!それは我々ヨーロッパ人を深淵の縁に押しやった」」とのこと、

 「死に際に記す。

 「ヨーロッパは、決定的に、急速に、そして、とどまるところなく荒野に変わっていく。数百万年かけて成立したものが、沈没し、灰燼に帰していく」」とのこと、等々を教えてくれる。

 小説とは言え、そのリアルさ、説得力に感動した。

 さらに「北朝鮮も米国も核兵器という狂気を抑止力の名で正当化し、「核の傘」の下にある日本も禁止条約の採択に反対している」との指摘は、事実であるが絶対に賛成できない。

 ここは一つ、世界から「貧困」と「戦争」をなくし、「作動中の世界滅亡装置」止めるために、唯一の被爆国、原発事故の起きた国の一つ、として、日本から「声を上げ」、日本国をしてその方向に向かわせたい、と思った。

 何せ、日本には戦争放棄を含む日本国憲法がある。「この平和憲法を世界へ未来へ」広げられれば、「作動中の世界滅亡装置」の起爆を少しは先送りできるかもしれない、と思った。

 

 

 


[PR]
by sasakitosio | 2017-12-15 18:43 | 朝日新聞を読んで | Trackback