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憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

カテゴリ:朝日新聞を読んで( 1049 )

7月12日付朝日新聞朝刊社説に、辺野古問題が載った。今日はこの社説に学ぶことにした。

 まず社説は、「辺野古の海を巡る」沖縄県と政府の対立が、再び法廷に持ち込まれることになった。玉城デニー知事の提訴方針が、きのうの議会で認められた。 

 昨年8月、軟弱地盤の発覚などを受けて、県が埋め立て承認を撤回したのが、今回の訴訟の出発点だ。

 防衛当局は、県の措置を取り消すよう石井啓一国土交通相に申し立て、認められた。裁判では国交相のこの採決の当否が争われる。」と切り出した。

 続けて社説は、「残念なのは、有識者でつくる第三者機関・国地方係争処理委員会{宮越和厚委員長}が全く機能しなかったことである。

 裁判に先立つ形で、係争委はこの問題を審査してきた。論点は二つだった。

 ①行政不服審査法によれば、国交相に申し立てができるのは国民や企業などの「私人」に限られるが、防衛当局はそれに当たるか

 ②防衛当局と同じ政府の一員である国交相に、公平公正な審査が期待できるか。

 これに対し、係争委は先月、①防衛当局の立場も私人と変わらない②行政事務は細分化され、どの機関も適正に仕事をしている。国交相がことさらに判断を歪めるとは言えない――として政府の行動を追認した。到底納得できない。

「埋めたての要件などを定めた公有水面埋立法は、私人と国を明確に区分し、扱いも別にしている。何より軍事基地を造る目的で埋め立てを許可される「私人」などいるはずがない。

②の縦割り行政を称賛するような見解も噴飯ものだ。工事は閣議決定に基づいて行われており、国交相が防衛当局とことなる見解を示すことなど考えられない。

 理屈をこね、事の本質を見ないまま、常識に反する判断をしたことの批判は免れまい。

 係争委は4年前にも同様の辺野古案件を審査した。最終的に県の訴えを退けたものの、国側の主張にも疑問を呈していた。

 その後委員長らが後退したためか、政府による既成事実づくりに屈したのか、国寄りの姿勢を今回鮮明にした。

 この係争委の判断に対しても、県は提訴を検討しているという。」と教えてくれる。

 最後に社説は、「政権の強引さは目にあまる。

 国と自治体の利害がぶつかった場合を想定した解決手段は別に用意されているのに、一般国民の権利を守るためにある行政不服審査請求という裏技を繰りだした。

 「身内」同士で確実・迅速に処理でき、工事に突き進めると踏んだのは明らかだ。

 地元の民意を無視し、脱法的なやり方を恥じず、係争委もまた期待される使命を果たさないとなれば、地方は国に従属するしかない。ひとり沖縄の問題ではない。

 地方自治体全体をゆるがす事態と考えるべきだ。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「玉城デニー知事の提訴方針が、きのうの県議会で認められた。

 昨年8月、軟弱地盤の発覚などを受けて、県が埋め立て承認を撤回したのが、今回の提訴の出発点だ」とのこと、

 「防衛当局は、県の措置を取り消すよう石井国土交通相に申したて、認められた。裁判では国交相のこの採決の当否が争われる」とのこと、

 「裁判に先立つ形で、係争委は問題を審査してきた。論点は二つだった。

 ①行政不服審査法によれば、国交相に申し立てできるのは国民や企業など「私人」に限られるが、防衛当局はそれに当たるか

 ②防衛当局と同じ政府の一員である国交相に、公平・公正な審査が期待できるか。」とのこと、

 「「埋めたて要件などを定めた公有水面埋立法は、私人と国を明確に区分し、扱いも別にしている。何よりも軍事基地を造る目的で埋め立てを許される「私人」などいるはずがない。」とのこと、

 「工事は閣議決定に基づいておこなわれており、国交相が防衛当局と異なる見解を示すことなど考えられない。」とのこと、

 「係争委は4年前にも辺野古案件を審査した。最終的には県の訴えを退けたものの、国側の主張にも疑問を呈していた。」とのこと、

 「その後、委員長らが交代したためか、政府による既成事実づくりに屈したのか、国寄りの姿勢を今回鮮明にした。この係争委の判断に対しても、県は提訴を検討している」とのこと、

 等々を知ることができた。 

 知れば知るほど、政府、係争委、などの民意無視、法令曲解、デタラメに腹が立った。これは、もう横暴を通り越して、ファシズムだと思った。

 司法が、果たして民主主義や憲法を護る「砦」に成れるのだろうか。戦後の司法の政権にたいする対応で、知る限りでは悲観的にならざるを得ない。ここは、選挙で政府・自民党に注意喚起の「お灸」を据えたいものだ。

 

 


by sasakitosio | 2019-07-17 06:29 | 朝日新聞を読んで | Trackback

 79日付朝日新聞朝刊1面に、「2019 参院選を問う ③」という欄がある。

 筆者は、編集委員・原真人氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「老後の生活費が2千万円不足するという金融庁審議会の報告書は、図らずも国民にくすぶる不安の根をあぶりだした。

 日本の財政と社会保障に「未来」はあるのか、という疑問である。」と切り出した。

続けて筆者は、「国と地方合わせた借金は約1100兆円。国内総生産の230%という借金依存度は先進国で最悪である。これは預金封鎖やハイパーインフレがあった第二次大戦に敗戦した時の数字にも匹敵する。

 にもかかわず第二次安倍政権下の6年半、この問題が国民的議論になったことはない。

 アベノミクスのもとで日本銀行が国債を買い支え、表面的には財政が維持されているからだ。

 円安の追い風受けた大企業の業績は改善し、株価も上がった。

  政権は,企業や投資家が潤えば富が滴り落ちるように経済が良くなり、結果として財政も安定する、と楽観論を振りまいてきた。 そんな「魔法のつえ」はなかった。」と切り出した。

 続けて筆者は、「団塊の世代が全員75歳以上になり、社会保障費が急膨張する「2025年問題」まであと6年。その備えに、私たち自身の負担増は避けて通れない。

 ところが政権にも国会にも、この問題に本気で取り組む意欲が感じられない。

 もし財政を消費税だけで安定させるなら税率20%以上が必要になると専門家たちは主張する。

 現実は安倍政権が2回延期した税率10%への増税をこの10月、4年遅れでようやく実施しようという段階だ。野党はこれにさえ反対している。

 さらに、安倍晋三首相は根拠もなく「今後10年間くらいは(10%超に)上げる必要はない」と言い切る。

 未来に背を向ける政治姿勢と言わざるを得ない。

 外交や通商政策もそうだ。国際社会の反発を受けながら、国際捕鯨委員会から脱退し、商業捕鯨を31年ぶりに再会した。

 韓国向けの半導体材料などの輸出規制は、元徴用工問題でぎくしゃくする韓国への事実上の対抗措置だった。

 韓国政府の対応に問題があったとしても、これでは日本が掲げてきた「自由貿易」の看板に泥を塗りかねない。国際協調より、相手国との対立を持ち込む「自国ファースト」の米トランプ流にすらみえる。」と指摘した。

 最後に筆者は、「財政も外交も長い時間軸の中で成否を判断すべき領域だ。まどろっこしくても地道にすこしずつ物事を解決し、持続可能なものにすることが肝要ではないか。

 今の政権にはそこが決定的にかけている。

 参院選で繰り広げられている与野党の論戦は「未来への責任」を果たしているとは思えない。

 政治の言葉が今の自分に心地よく響いたとしても「未来の自分」に対してどうか。

 2千万円問題への反響の大きさは、未来への責任を放棄するそんな政治への、一種の抗議メッセージだったのではないか。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「老後の生活費が2千万円不足するという金融庁審議会の報告書は、図らずも国民にくすぶる不安の根をあぶりだした」とのこと、

 「政権は企業や投資家が潤えば富が滴り落ちるように経済が良くなり、結果として財政も安定する、という楽観論を振りまいてきた。そんな「魔法のつえ」は、なかった。」とのこと、

「団塊の世代が全員75歳以上となり、社会保障費が急膨張する「2025年問題」まであと6年。その備えに、私たち自身の負担増は避けて通れない。」とのこと、

「もし、財政を消費増税だけで安定させるなら税率20%以上が必要と専門家たちは主張する」とのこと、 等々を知り、理解することができた。

 「財政も外交も長い時間軸の中で成否を判断すべき領域だ。まどろっこしくても地道に少しずつ物事を解決し、持続可能なものにすることが肝要ではないか」と筆者は指摘した。その通りだと思った。

 そして筆者は「今の政権にはそこが決定的に欠けている」と指摘する。指摘を是としたうえで、今の政権にどうやって財政や外交に「地道」な努力をさせることができるか。

 はたまた、今の政権に期待できないなら、期待できる対抗勢力をどうやって「地道」につくるか。

目下、参院選の最中だが、筆者の「政権にも国会にも、この問題に本気で取り組む意欲が感じられない」との指摘が、参院選にそのままあてはまりそうなのが、残念な気がする。


by sasakitosio | 2019-07-14 07:42 | 朝日新聞を読んで | Trackback

77日朝日新聞朝刊社説に、「余滴」というのがある。筆者は、論説副主幹・田中雄一郎氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「大阪であったG20サミットまでの数カ月間、「G」 以外の動きに注目した。

 G以外って?

 Gはグループの頭文字だが、出席者は各国トップと政府職員らで、ガバメント(政府)のGでもある。そのG20に提言しようと、非政府の「20」会合が国内で順次開かれた。

 女性をめぐる問題を取り上げた「W」、若者が世界の将来を考えた「Y」、シンクタンクの「T」、科学者による「S」・・・・。

 特に気になったのがC20だ。

 シビル(市民)のC、つまりNGO、NPO関係者らの集まりである。」と切り出した。

 続けて筆者は、「C20が始まったのは、G20に遅れること5年の2013年。

 貧富の格差拡大などグローバル化の負の側面が深刻さを増す中で、単に政府を批判攻撃するより改善への取り組みを促そうという流れが背景にある。

 G20と同様、今年は日本が初めて議長国となり、NGO関係者が準備に当たった。

 G20にかかわる日本の官僚らと意見交換し、ネットを通じて世界各地の約400人と議論。

 4月下旬の3日間、東京で開いたC20サミットには、約40カ国から850人が集まった。

 ジェンダー(社会的性差)や教育、保健。

 環境,気候、貿易。

 安倍首相に手渡した提言書にはG20意識した項目が並ぶ。

 それらを貫くのは「地球規模の課題に取り組むには多国間主義や民主主義、市民的権利、透明性と公開性が必要」との信念だ。

 しかし、G20では各国の協調どころか対立回避が優先され、関心は米中など二国間会合に集中した。思いが届いたとは言いがたい。」と指摘した。

 最後に筆者は、「C20の主張は「誰一人取り残さない」とうたうSDGs(持続可能な開発目標)と重なる。SDGsが国連で採択されてから4年となる今秋、米ニューヨークで初のSDGsサミットが開かれる。G20と違って各国首脳に直言する機会もありそうなこの会合で、どんな働きかけができるか。

 大阪ではG20の直前に「大阪市民サミット」が開催されるなど、身の回りの問題から世界共通の課題を考えようという試みが活発になっている。C20議長国の任期は11月まで、足元の盛り上がりを支えに、世界のCとともにG に向き合おう。そんな次なる挑戦に期待する。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「女性を巡る問題を取り上げた「W」、

 若者が世界の将来を考えた「Y」、

 シンクタンクの「T」、

 科学者による「S」・・・・・・・。

 特に気になったのがC20だ.シビル(市民)のC,つまりNGO,NPO関係者らの集まりである」とのこと、

 「C20が始まったのは。G20に遅れること5年の2013年。貧富の差拡大などグローバル化の負の側面が深刻さを増すなかで、単に政府を批判、攻撃するより改善への取り組みを促そうという流れが背景にある」とのこと、

 「G20と同様、今年は日本が初めて議長国となり、NGO関係者が準備に当たった。」とのこと、

 「4月下旬の3日間、東京で開いたC20サミットには、約40カ国から850人が集った。」とのこと、

 「ジェンダー(社会的性差)や教育、保健。環境・気候、貿易・投資。安倍首相に手渡した提言書にはG20を意識した項目が並ぶ」とのこと、

 「C20の主張は「誰一人取り残さない」とうたうSDGs(持続可能な開発目標)と重なる」とのこと、

 「SDGsが国連で採択されてから4年となる今秋、米ニューヨークで初のSDGsサミットが開かれる」とのこと、

 「大阪ではG20の直前に「大阪市民サミット」が開催されるなど、身の回りの問題から世界共通の課題を考えようという試みが活発になっている」とのこと、等等を初めて知ることができた。

 東京でのCサミット、知っていたら見に行きたかった。人類の持続的発展のためには、戦争をしないこと、災害から人を守ること、疾病と貧困からの開放、と等々が考えられる。それらは、グローバル化の今日、一国だけで完結できる課題でない。

 そのために、日本国と日本国民が出来ることの一つに、日本の平和憲法、基本的人権保障の憲法、国民主権の憲法、を世界に広げることがある、と思ってきた。

 だから、C20サミットで日本の平和憲法を世界に広げる運動を加えてほしい、と思った。

 さらに、貧困からの人類の開放は、地球規模でベーシックインカムの導入を目指す必要があるのではないか思うが、そのことも20サミットで議題にしてほしい、と思った。
 グランドファーザー・グループ(GG=ジジ)も立ち上げられないか、C20を運営する人たちに考えていただけないものか、とも思った。


by sasakitosio | 2019-07-12 15:14 | 朝日新聞を読んで | Trackback

6月30日付朝日新聞朝刊3面に、「日曜に想う」という欄がある。筆者は、編集委員・大野博人氏だ。今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「金融審議会の報告書騒ぎに、長崎大学核兵器廃絶研究センターの鈴木達治郎教授は強い既視感を覚えた。

 教授は、日本経済研究センターが3月に出したリポートの執筆者の一人。リポートは東京電力福島第一原発の事故処理費用は35兆円から80兆円と試算した。

政府は2016年に21.5兆円と発表していた。

 「問題提起でした」。溶けてしまった核燃料デブリを全部取り出すのは相当困難だし、リスクも大きい。取り出せるとするなら最終処分までのコストも考えるべきだ。そもそもいつ終わるかさえだれにも分からない事業。リポートの数字も確定できない要素を抱えながらの試算だが、「政府の数字は一人歩きしがち。日本に必要とされる第3者機関による監視を実践する意味もありました。」

 しかし、世耕弘成経済産業相は記者会見で、リポートについて、国の試算とは全く異なる独自の仮定に基づくものだとして退けた。

 「政府が自分と違う見方を議論しないという点で、年金問題と似ています」」と切り出した。

 続けて筆者は、「証券業界の人の話では、金融庁審議会の報告書が明らかになってから、老後の資金についての講演会やセミナーにやってくる人が急増したという。

 政府が報告書の受け取りを拒んでも、老後のためとされる投資信託への問い合わせや口座開設の注文が伸びているともきく。

 何かした方がいいなと反応した人たちは少なくないようだ。

 だが、安倍晋三首相や麻生太郎財務相(兼金融担当相)は報告書を「誤解を招いた」と批判した。

 ということは、老後を気に掛ける人々のふるまは「誤解」による見当違いの反応で、「理解」した結果ではないということなのか。

 だが、2千万円という数字はもやもやした人々の不安にひとつの輪郭を与えた。

 年金を補うお金はどれくらい必要か、そのために投資を選択するかどうか。報告書の「答え」が腑に落ちるにしろ落ちないにしろ、具体的に考えるきっかけになった。

 年金制度の問題はどこにあり、どれくらい深刻か、高齢化時代の公助と自助の関係はどうあるべきかーーー。少なくとも報告書は今の日本に必要な「問い」を立ててくれた。

 けれども政府は受け取りを拒んだばかりか、「自助努力」という言葉さえ議論の空間から排除しようとする。

 解決に要する年月の長さと莫大なコスト、そして予測しがたい困難への挑戦。

 そうした点で高齢化問題も事故原発の処理も日本にとっては、東京五輪などよりはるかに重大な今世紀最大級のプロジェクトだろう。

 それに関係する数字は長期にわたる人口動態や経済動向、不測の事態などで常に見直しを余儀なくされる。

 さまざまな試算や視点を出し合いながら、地道に手探りするしかないはずだ。」と教えてくれた。

 最後に筆者は、「政府が退けるこうした文書の内容には気がめいる。しかしもっと人を憂鬱にするのは、それが引き起こす政治の光景ではないか。浮かび上がるのは「リアリズム」の欠如だ。

 日本という国の持続可能性がもっとも問われる現実からの逃避。

 実際、年金とその根にある高齢化の問題に解決の糸口させ示せないまま、政界はいつの間にか参院選や衆院解散を巡る駆け引きに焦点を移してしまった。

 迷走というより、身もふたもないない現実を語りたくなくて話題をすり替えるふるまいに見えた。

 3.11のあと、ドイツの社会学者・故ウルリッヒ・ベック氏がこういう話をしている。

 近代社会が解決策として発明したさまざまな仕組み自体が今、新たな問題と化しつつある、と。 原発や年金制度はその典型だろう。

 政治制度そのもののも例外ではなさそうだ。社会が直面する問題を解決するためだった代表制民主主義と政党政治が、選挙の勝敗への計算に絡め取られてリアリズムから遠ざかる。そのあげく、解決をもたらすどころか自分自身が問題に成り果てる。

 それはもはや政治ではない。」として締めくくった。

読んで勉強になった。

 「金融審議会の報告書騒ぎに、長崎大学核兵器廃絶研究センターの鈴木達治郎教授は強い既視感を覚えた」とのこと、

 「教授は、日本経済研究センターが3月出したリーポートの執筆者の一人。リポートは東京電力福島第一原発処理費用は35兆円から80兆円と試算した。政府は2016年に約21.5兆円と発表していた」とのこと、

 「世耕弘成経済産業相は記者会見で、リポートについて、国の試算とは全く異なる独自の仮定に基づくものだとして退けた」とのこと、

 「証券業界の人の話では、金融庁審議会の報告書が明らかになってから、老後の資金についての講演会やセミナーにやってくる人が急増したという」とのこと、

 「年金制度の問題はどこにあり、どれくらい深刻か、高齢化時代の公助と自助の関係はどうあるべきかーーーー。少なくとも報告書は今の日本に必要な「問い」を立ててくれた」とのこと、

 「しかしもっと人を憂鬱にするのは、それが引き起こす政治の光景ではないか。浮かび上がるのは「リアリズム」の欠如だ。日本という国の持続可能性が最も問われる現実からの逃避」とのこと、

 「迷走というより、身もふたもない現実を語りたくなくて話題をすり替えるふるまいに見えた」とのこと、等等を知ることができ、理解できた。

 また筆者は、「3.11のあと、ドイツのっ社会学者、故ウルリッヒ・ベック氏がこう話していた。近代社会が解決策として発明したさまざまな仕組み自体が今、新たな問題と化しつつある、と。原発や年金制度はその典型だろう」・「政治制度そのものも例外ではなさそうだ。社会が直面する問題を解決するためのものだった代表制民主主義と政党政治が、選挙の勝敗への計算に絡め取られてリアリズムから遠ざかる。そのあげく、解決をもたらすどころか自分自身が問題になりはてる」と、教えてくれる。日本社会の現状は、筆者の言う通りだ、と思った。

 そして考えた。筆者指摘の日本の現状を打開するためにはどうしたらいいんだろう。

その理念と政策はなにか?

その担い手はだれが?

その範囲と到達スケジュールは?

 代表制民主主義が時代に合わなくなった時、時代の進展は直接民主主義を示唆しているのだろうか?

 また年金や福祉の問題も、一国で支えきれないのなら、世界・人類の福利厚生医療年金という視点で対応しなけれなならないのだろうか?

 また原発事故・偶発核戦争の回避は、地球の規模の災害であるから、世界連邦をつくり、世界統一国家をつくって対応しなければならないのだろうか?

 それらを、具体的に実現するために時間的、空間的、言語的な距離を急速に縮めてきた「通信技術」が、生かされるのだろうか?

 疑問は尽きない!


by sasakitosio | 2019-07-07 08:21 | 朝日新聞を読んで | Trackback

6月26日付朝日新聞朝刊13面に、「多事秦論」という欄がある。筆者は、編集委員・駒野剛氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「JR熊本駅から東へ10分ほど歩く。白川を超えてまもなく、目的地があった。

 入口にロープが張られ「ようこそ石光真清記念館へ」の紙。

しかし、誰もいない。

 記念館を所有する熊本市から教えられた警備会社に連絡を取り、鍵を開けたもらった・

 木造2階建ての民家が記念館である。

 石光は1868(明治元)年にこの家で生まれた、76年の神風連の乱、翌年の西南戦争を体験し上京するまで過ごした。

 西郷軍を迎え撃つ熊本鎮台司令官谷干城が石光の父真民を訪ね、2階の書斎で熊本、鹿児島の情勢を聞いたという。民家は戦の目撃者だ。

 尚武の時代に生を受けた石光は陸軍将校となり、日清、日露戦争、そしてロシア革命後の混乱期、日米などが派遣した「シベリア出兵」にいたるまで、祖国に尽くした。

 普通の軍人のような戦場での命のやりとりをするのではなく、諜報活動、つまりスパイとして敵地に入り、生業を持つ傍ら、敵の実力や配備状況など戦争の帰趨を制する秘密情報を入手することに半生を捧げた。」と教えてくれる。

 続けて筆者は、「ロシアに強い関心を持ったのは近衛師団の将校時代、「大津事件」に遭遇したことからだ。

 警備の巡査が来日中のロシア皇太子に切りつける未曾有の不祥事が起きた。

 日本中が震え上がる。強国の怒りを恐れた明治天皇自ら皇太子に謝罪する騒動になった。

 加えて日清戦争で得た中国・遼東半島を露独仏3国の干渉で放棄させられたことも、石光の対ロシア観を敏感にさせる。

 ロシア語を猛勉強し、留学の許可を得て、中ロ国境のロシア軍の拠点の都市で暮らし始めるが、軍による中国住民約3千人の虐殺事件を目にする。義和団事件に呼応すると疑われ起きた悲劇だ。石光は東アジアの血闘史が開幕したと受け取った。

事件後、陸軍から旧満州地域の交通の要衝ハルピンで諜報活動を命じられ、洗濯屋や写真館を経営しながら、ロシア軍の装備や重要施設の情報を集め、その後の日露戦争で生かされることになる。

 戦後、東京都内の郵便局長を務めるが、ロシア革命が勃発、影響調査を参謀本部次長で後の首相・田中義一から命じられる。

 ロシアに戻った石光はシベリア出兵をめぐり二転三転する祖国に疑問を持ち始める。

 残した手記にある。

 「中央と第一線の間ばかりじゃない、各機関の間にさえ、出兵の目的について統一的な考え方が出来ておらん」

 「大戦のドサクサにまぎれて僅かな兵力で東部シベリアの独立をはかろうなんて、そりゃ出来ることじゃない」

 「目的が達せられないことを承知で、犠牲を払うことが忠誠であろうか」

 「自分は与えられた責任を果たした・・・そう考えてすむことだろうか、そんな形式主義が官界にも軍界にも浸透している」

 日本はバイカル湖畔のイルクーツクまで占領するが、結局撤退に追い込まれ富と命を浪費して終わる。

野心を各国に見透かされた上、シベリア出兵の反省なく満州事変という謀略に手を染め泥沼に落ち込む。第二次大戦終盤、出兵の復讐を受けるようにソ連軍の侵攻を受け、北方領土も失った。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「「戦争でこの島を取り返すのは賛成か、反対か」戦争しないとどうしようもなくないか」。

 北方領土訪問に同伴した国会議員が、元島民に発言して衆院の糾弾を受けた。

 双方の憎悪の連鎖を増幅する戦争が、最終的な解決策にはなるわけがない。

 何より深刻に思うのが、選良の一人と言うだけでなく、東京大学経済学部を卒業して経済産業省の官僚まで務めたトップエリートの彼が、歴史に学ぼうとしていないことだ。

 過去の失敗を繰り返さないためには、歴史に謙虚に向き合わねばなるまい。

 諜報活動で、石光が得た富や名誉はほとんどなく逆に多くの借財に苦しんだ。

 1942(昭和17)年、亡国に向かう祖国を見ながら波乱の一生を終えた。

 記念館を訪ねる人は年に10件あるかどうか、だという。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「木造2階建ての民家が記念館である。石光は1868年(明治元)年にこの家で生まれ、76年の神風連の乱、翌年の西南戦争を体験し上京するまで過ごした」とのこと、

 「尚武の時代に生を受けた石光は陸軍将校となり、日清、日露戦争、そしてロシア革命後の混乱期、日米などが派遣した「シベリア出兵」にいたるまで祖国に尽くした」とのこと、

 「普通の軍人のような戦場での命のやりとりをするのではなく、諜報活動、つまりスパイとして敵地に入り、生業を持ち、敵の実力や配備状況など戦争の帰趨を制する情報を入手することに半生を捧げた」とのこと、

 「ロシアに強い関心を持ったのは近衛師団の将校時代、「大津事件」に遭遇したからだ」とのこと、

 「ロシア語を猛勉強し、留学の許可を得て、、中ロ国境のロシア軍の拠点の都市で暮らし始めるが、軍による中国住民約3000人の虐殺事件を目にする」とのこと、

 「事件後、陸軍から旧満州地域の交通の要衝ハルピンで諜報活動を命じられ、洗濯屋や写真館を経営しながら、ロシア軍の装備や重要施設の情報を集め、その後の日露戦争で生かされることになる」とのこと、

 「ロシアに戻った石光はシベリア出兵をめぐり二転三転する祖国に疑問を持ち始める」とのこと、

 「「中央と第一線の間ばかりじゃない、各機関の間にさえ、出兵の目的についての統一的な考え方が出来ておらん」

 「大戦のドサクサにまぎれてく僅かな武力で東部シベリアの独立をはかろうなんて、そりゃ出来ることじゃない」

 「目的が達せられないことを承知で、犠牲を払うことが忠誠であろうか」

 「自分は与えられた責任を立派に果たした・・・・。そう考えてすむことだろうか、そんな形式主義が官界にも軍界にも浸透している」」とのこと、

 「日本はバイカル湖畔のイルクーツクまで占領するが、結局撤退に追い込まれ富と命を浪費して終わる」とのこと、

 「諜報活動で、石光が得た富や名誉はほとんどなく、逆に多くの借財に苦しんだ。1942(昭和17)年、亡国に向かう祖国を見ながら波乱の一生を終えた」とのこと、

 「記念館を訪ねる人は年に10件あるかどうか、だという」とのこと、

 等々を知ることができた。

 読者の私が生まれる1年前に、石光真清氏は他界している。その石光真清氏は、尚武の時代を誠実に生きた人だと思った。

 自分は戦中に生まれ、戦後に育ち、小学入学の年に「朝鮮戦争」が勃発し、朝鮮特需から、高度経済成長と続く、戦争放棄の平和憲法のもと復興の時代から、青年期は高度経済成長時代と、実にいい時代に生きてきた、歴代日本人の中でも「極めて幸運な時代」に生きて来れた、といま改めて思った。

 また、1980年代、40代の頃、シベリア旅行を企画し、総勢約20人で、ハバロフスク、ウランウデ、バイカル湖、イルクーツクと旅行した。その時のテーマは、社会主義国でアジア人種で最北端の仏教寺であった。

 その時訪れたバイカル湖畔のイルクーツクまで、日本軍が占領したことは初めて知った。

その時、ガイドに質問したのは、名所旧跡はすべて革命前のものばかりだが、革命後つくられたのはなんですか、ということだった。

 革命後の建物は、住宅をはじめ国民の暮らしを支えるモノだったことに、逆に感動したことを思い出した。

 また筆者は、「「戦争でこの島を取り返すのは賛成か反対か」「戦争しないとどうしようもなくないか」。北方領土訪問に同伴した国会議員が、元島民に発言して衆院の糾弾決議を受けた。双方の憎悪の連鎖を増幅する戦争が、最終的な解決策にはなるわけがない」との指摘、

 「何より深刻に思うのが、選良の一人というだけでなく、東京大学経済学部を卒業して経済産業省の官僚まで務めたトップエリートの彼が、歴史に学ぼうとしていないことだ」との指摘、

 等々の指摘はよく理解できた。

 そして、今の日本社会での「トップエリート」は、必ずしも日本と日本国民の「平和」と「自由」と「民主主義」と「繁栄」を目指していない、ということを改めて知ることができたは、収穫であった。


by sasakitosio | 2019-07-01 20:27 | 朝日新聞を読んで | Trackback

6月23日付朝日新聞朝刊3面に、「日曜に想う」と言う欄がある。筆者は、編集員・福島申二氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「詩人の大木実が五指を擬人化した詩を書いていて、その中に(器用で働きものの、人差し指>と言う一節がある。

 たしかに、ボタンを押すたびに、缶ビールプシュとやるたびに、人差し指は働き者だと思う。

 講師役で呼ばれた大学で、半年ほど前、そんな人差し指から自由に発想している小さな文章を書いてもらった。

 戻ってきたものを読むうちに、いまや「働き者」は人差し指から親指に変わったらしいことに気づかされた。

 約50人のうち十数人が、スマートフォン時代の働き者は画面操作を主に担う親指になったという話を体験とともに綴っていた。

 なるほど、昭和のおやじの当方はスマホも人差し指だが、若い人は親指を巧みに滑らせて軽やかだ。酷使される親指を「ブラック企業の社員」にたとえた文章があったのは、長時間使用や過度な依存への自戒だろうか。

 ともあれ誰も彼もが場所を問わず、うつむきながら小さな画面をのぞき込む図は、津津浦々の日常になった。

 <はつ夏の若葉かがやくバス停にスマホと同じ数の黙あり>岩元秀人。

 一昨年の朝日花壇の一首は、一つの発明品がもたらした人と人との無機的な光景を切り取って、うなずかせる。

 文明の利器というものはいつも、恩恵とともに、予期せぬ新たな変容を生み出してしまう。」と切り出した。

 続けて筆者は、「先月、世界保健機構(WHO)が、スマホなどのゲームにのめり込んで生活に支障をきたす「ゲーム障害」を疾病と認定した。低年齢化が言われ、成長世代の脳への影響が心配されているという。

 日本では去年、、ネット依存のおそれのある中高生が推計約93万人に上っていると厚生労働省が公表した。

 7人に一人という数に驚きながら、胸に浮かんだのは「ハーメルンの笛吹き男」だ。

 中世ドイツの伝説で、不思議な男の吹く笛に大勢の子が吸い寄せられるようについていき、どこかへ消えてしまう。

 実際にあった話ともいう。

 時は移って、現代の「笛の音」はインターネットから流れてくる。我が子の魂がゲームやチャットにさらわれていくようで、心労を募らせる親御さんも少なくないだろう。

 実際ネットに吸い込まれる若者の時間は膨大だ。昨年内閣府の調査によれば小学生が一日平均118分、中学生は163分、高校生は217分だった。高校生は4人に一人が5時間以上という。

 半年ほど前、スマホを「13.5センチの檻」といいあらわした女子高生の投書を本紙声欄で詠んだ。

 スマホが壊れて一時期「手ぶら」になったことで、自分が檻のなかにいたことに気づいたそうだ。

 檻の外側の自由と豊かさに気付いたとあって頬が緩んだが、少なからぬ若い世代が小さな器に「支配」されていることの、それは証しでもあるだろう。」と指摘した。

 最後に筆者は、「およそ科学・技術の発達には恩恵と弊害の両刃がある。「科学は一つの問題を解決するのに、いつも10の問題を新たにつくりだす」といたのは皮肉屋の劇作家バーナード・ショーだった。

 恩恵や利益を求めて発明や新技術に注ぐ英知と情熱ほどには、あとから起こり得る問題への目配りがされてきたとは思えない。

 と言うより功罪の全容を見晴らすことなどそもそも不可能だ。プラスチック一つとってもそう言える。

 10年余り前、米国のある大学が、電子メールは手書きに比べてうそをつく傾向が約1.5倍になるという実験結果を公表した。

 ネットがもたらす人間心理へのそうした作用が、爆発的に広まったスマホやSNSによって増幅されて、さまざまな問題を引き起こしている感が強い。

 中傷や攻撃、いじめフェークーー深刻な副作用を、初期の開発にかかわった人たちはたぶん想像しなかっただろう。

 近代以前、人が指でできることは細々と限られていた。今はワンタッチで瞬時に世界と結び合う。それによって新しい関係や連帯が生まれ、視界が開かれていく。ネットの偉大な「功」である。

 かってない希望でありながら未知のモンスターでもあるという背反に、私たちはどう向き合っていけばいいか。立ち止まって考える賢さを、失うまいと思う。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「先月、世界保健機構{WHO}がスマホなどのゲームにのめり込んで生活に支障をきたす「ゲーム障害」を疾病と認定した。低年齢化が言われ、成長世代の脳への影響が心配されているという」とのこと、

 「日本では去年、ネット依存のおそれのある中高生が推計約93万人に上っていると厚生労働省が公表した。」とのこと、

 「中世ドイツの伝説(ハーメルンの笛吹き男)で、不思議な男の吹く笛に大勢の子が吸い寄せられるようについていき、どこかえ消えてしまう。実際にあった話ともいう。」とのこと、

 「実際、ネットに吸い込まれる若い時間は膨大だ。昨年の内閣府の調査によれば小学生が1日平均118分、中学生は163分、高校生は217分だった。高校生は4人1人が5時間以上という」とのこと、

 「「科学は一つの問題を解決するのに、いつも十の問題を新たに作りだす」と言ったのは皮肉屋の劇作家バーナード・ショーだった」とのこと、

 「10年余り前、米国の大学が、電子メールは手書きに比べうそをつく傾向が約1.5倍になるという実験結果を公表した」とのこと、

 「ネットがもたらす人間心理へのそうした作用が、爆発的に広がったスマホやSNSによって増幅されて、さまざまな問題を引き起こしている感が強い」とのこと、

 「近代以前、人が指で出来ることは細々と限られていた。今はワンタッチで瞬時に世界と結びあう。それによって新しい関係や連帯が生まれ、視界が開かれていく。ネットの偉大な「功」である」とのこと、

 等々を知ることができた。さらに筆者は、「かってない希望でありながら未知のモンスターでもあるという背反に、私たちはどう向き合っていけばいいか、立ち止まって考える賢さを失うまいと思う」と結んだ。

 たしかに、「ワンタッチで瞬時に世界と結び合う」ことはすばらしい、と思う。

 出来ることなら、「知る」ことから、「知らせる、発信できる」スキルをどうやって身に着けるか。 

 そこが課題のような気がしている。

 ために、ひび新聞を読んで「スキル」アップを図りたいと、70になってから始まったブログも7年目に入った。ほぼ毎日更新し、訪問者が延べで約89000人になった。新聞を読んでの投稿記事も約4100本になった。

 「永遠に生きと思って学びなさい」(マハトマ・ガンジー)の言葉に習って、学び、スキルアップに努めたい、と思っている。


by sasakitosio | 2019-06-29 19:16 | 朝日新聞を読んで | Trackback

6月15日付朝日新聞朝刊13面に、「多事秦論」という欄がある。筆者は、アメリカ総局長・沢村亙氏だ。今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「「グレーハウンド」。この名前に旅情を覚える日本人もいるだろう。全米の都市を格安で結ぶ長距離バス。貧乏旅行の学生にはありがたい「足」である。

 だが、メキシコと国境を接する米テキサス州の町エルパソのバス待合室で私が出会ったのはバックパッカーではなく、肌がやや浅黒く、疲れ切った顔だった。

 中米グアテマラから来たという32歳の男性は「故郷には働き口がない」。24歳のホンジュラス人の女性は「父がギャングに殺された。怖くて逃げてきた」と話した。多くに共通するのは、幼い子供を連れていること、長旅にもかかわらず身の回り品程度しか持っていないことである。

 国境で亡命を申請し、審査中は保釈された人々だ。それでも米国内に親類など身元引受人がいる彼らは幸運な方だ。

 行くあてのない大勢が施設に収容されたまま。その一つでは子どもたちが仲良く座ってメキシコのテレビ番組を見ていた。

 トランプ大統領が「米国を侵略する犯罪者、テロリストの集団」と形容する人たちである。

 これははたして危機なのか。」と切り出した。

 続けて筆者は、「「モラルの危機です」。NGOで移民や農民を支援するエディス・タピアさんは言い切った。

 メキシコ側からの人の大量流入は最近始まった話ではない。国境をはさんで厳然と存在する経済的格差に加え、中南米で横行する犯罪から逃れてくる人が後を絶たない。

 近年干ばつや洪水で家を失う人が増えた。 

 驚くことに、紛争を流れ、中南米を経由してやってくるアフリカ人も増えている。

 米国の「引力」も強い。

 農場、ホテル、建設現場からトランプ氏が所有するゴルフ場まで、好景気に少子化も手伝って、安価な労働力の需要は高まる一方だ。

 事態が一気に緊迫したのは、トランプ氏が公約した「メキシコ国境の壁」の建設が野党の反対などで頓挫しそうな気配になった昨年からだ。

亡命申請者を「不法入国」を理由に逮捕する。国境の道を封鎖して追い返すーー。。

 混乱の中で子どもが病死したり、親と離別したりする悲劇が相次いだ。

 移民摘発に人員を取られ、肝心の麻薬や武器の密輸対策が手薄になったと指摘されるほどだ。

 さらにトランプ政権は関税や援助打ち切りの脅しをかけて、メキシコや中米諸国に取り締まり強化を求めた。こうした動きが駆け込み移民を促す悪循環になっている。

 なぜ。トランプ氏はここまで「壁」や「移民阻止」に血眼になるのか。

 言うまでもなく、移民問題が自らの支持者の琴線に触れるテーマであることを直感的に理解しているからだろう。

 「移民が雇用を奪い、福祉にただ乗りしている」という主張は、グローバル化の繁栄を実感できない層に受けやすい。米社会の多様化に伴って相対的に存在感が縮んでいく白人層の不安心理にも「犬笛」のように響く。 

 「貧困や異常気象。不法滞在で働かざるを得ない移民政策の矛盾。腰を据えて取り組むべき課題なのに、政治的野心の餌食にされている」。タピアさんはそう嘆く。 」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「トランプ氏ばかりをあげつらうのはよそう。

 実は、国や地域社会を隔てる壁(大型フェンス)は地球規模で増えている。

 カナダ。ケベック大学のエリザベィト・バレー非常勤教授によると、1989年に「ベルリンの壁」が崩れた時は20以下だったが、今は70以上を数えるという。

 2001年の米同時テロを契機に治安対策の壁、続いて移民阻止の壁が次々に建てられた。だが、「ほとんど効果がない。地域経済は傷む一方、密航・密輸業者ばかりが潤っている」とバレー教授。

 つまり、政治家が「対策を講じているふりを国民に示す格好の道具」が「壁」なのだという。

 これはまさしく「政治」の危機である。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「「グレーハウンド」。この名前に旅情を覚える日本人もいるだろう。全米の都市を格安で結ぶ長距離バス」とのこと、

 「メキシコと国境を接する米テキサス州の町エルパソのバス待合室で私が出会ったのはバックパッカーではなく、肌がやや浅黒く、疲れきった顏だ」とのこと、

「 国境で亡命を申請し、審査中は保釈される人々だ。」とのこと、

 「事態が一気に緊迫したのは、トランプ氏が公約した「メキシコ国境の壁」の建設が野党の反対などで頓挫しそうな気配になった昨年からだ」とのこと、

 「さらにトランプ政権が関税や援助打ち切りの脅かしをかけて、メキシコや中米諸国に取り締まりの強化を求めた。こうした動きが駆け込み移民を促す悪循環になっている」とのこと、

 「貧困や異常気象。不法滞在で働かざるを得ない移民政策の矛盾。腰を据えて取り組むべき課題なのに、政治的野心の餌食にされている」。タピア(NGOで移民を支援する)さんはそう嘆く。」とのこと、

 「カナダ・ケベック大学のエリザベート・バレー非常勤教授によると、1989年に「ベルリンの壁」が崩れた時20以下だったが、今は70以上を数えるという」とのこと、

 「2001年の米同時テロを契機に治安対策の壁、続いて移民阻止の壁が次々に建てられた。だが、「ほとんど効果がない。地域経済が傷む一方、密航、密輸業者ばかりが潤っている」とバレー教授。」とのこと、等等を知ることができた。

 そして筆者は、「つまり政治家が「対策を講じているふりを国民に示す格好の道具」が「壁」なのだという」と教えてくれた。

 税金を使って、政治家が対策を講じているふりを示す格好の「道具」は、「壁」以外にもありそうな気がした。

 つまり、安倍内閣が超高い兵器をアメリカから買って、国の安全対策を講じているような「ふり」をしているのも「壁」に似たようなものかもしれない、と思った。


by sasakitosio | 2019-06-28 15:26 | 朝日新聞を読んで | Trackback

6月17日付朝日新聞朝刊社説に、「米・豪の報道規制」のことが載った。

 今日は、この社説に学ぶことにした。

 まず社説は、「米国とオーストラリアで、政府の機密と報道をめぐる危うい当局の動きが続いている。国の安全を理由にした先進国での言論封じの流れは、日本にとっても他人事ではない。

 米商務省は5月、告発サイト「ウィキリークス」創設者のアサンジュ被告をスパイ法違反で追起訴した。

 米軍の戦争関連文書や外交文書などを入手、公開したとしている。

 情報源の元陸軍兵は同法違反で有罪判決を受け、刑に服した。

 受け手のアサンジュ被告を訴追した背景には、機密と知りながら入手・公開する活動を封じようとする考え方がある。

 これは、合衆国憲法が定めた報道の自由を狭めかねない重大な問題と見るべきだ。米メディアの反発は当然だろう。」と切り出した。

続けて社説は、「司法省は機密が公開されたことで、米国の安全が脅かされたと主張する。

 アサンジュ被告については「ジャーナリストではない」とし、報道の自由を侵していないとしている。

 だが、誰がジャーナリストかを決めるのは政府ではない。報道の自由は市民一般に適用されるべき原則だ。ソーシャルメディアが普及し、誰もが発信できる現代では特にそうだ。

 オバマ政権下では、機密の流出に神経をとがらせながらも、情報を入手した記者の権利は守られるという立場だった。

 トランプ政権では、メディアを「人民の敵」と公言し、記者活動への圧迫が強まっている。

 一方、オーストラリアの連邦警察は今月、公共放送ABCの本部や、新聞記者の自宅を家宅捜索した。

 アフガニスタンでの豪州軍による非人道行為や、政府による市民の監視を告発した報道が、機密の公表を禁じた刑法違反の疑いがあるという。

 警察によると、記者たちは刑事訴追される可能性もあるという。

 政府関係者は、機密が保持されなければ、米英など友好国との間でテロや治安情報の交換が出来なくなる恐れがある、と正当化している。」と教えてくれる。

 最後に社説は、「こうした言い分は、特定秘密保護法や「共謀罪」法の国会論議の際に、日本政府や与党が持ち出した説明と似ている。

 どちらも安倍政権が多くの異論をはねのけて成立させた法律で、特定秘密は政府の秘密を知ろうとする行為も禁じている。

 何が秘密かも秘密とされ、政府による乱用への十分な歯止めも担保されていない。

 運用基準の中で「取材・報道の自由の尊重」が記されているが、恣意的な運用の危険は消えていない。

 「テロ対策」の名目で国民の「知る権利」や報道の自由が脅かされていないか、私たち報道機関は問い続けていかねばならない。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「米司法省は5月、告発サイト「ウィキリークス」創設者のアサンジュ被告をスパイ法違反で起訴した」とのこと、

 「情報源の元陸軍兵は同法違反で有罪判決を受け、刑に服した」とのこと、

 「受けてのアサンジュ被告を訴追した背景には、機密と知りながら入手・公開する活動を封じようとする考え方がある」とのこと、

 「これは、合衆国憲法が定めた報道の自由を狭めかねない重大な問題だとみるべきだ」とのこと、

 「一方、オーストラリア連邦警察は今月、公共放送ABCの本部や、新聞記者の自宅を家宅捜索した」とのこと、

 「アフガニスタンでの豪州軍による非人道行為や政府による市民の監視を告発した報道が、機密の公表を禁じた刑法違反の疑いがあるという」とのこと、等を知ることができた。

 アメリカや、オーストラリアで起きている現実は、安倍政権下で成立した「特手秘密保護法」の運用の「明日」を見せられているようで怖い、と思った。

 さらに社説は、「「テロ対策」の名目で国民の「知る権利」や報道の自由が脅かされていないか、私たち報道機関は問い続けていかねばならない」と主張する。その決意や良し、としたい。

 

 


by sasakitosio | 2019-06-26 20:13 | 朝日新聞を読んで | Trackback

 6月19日付朝日新聞朝刊11面に、「多事秦論」という欄がある。筆者は、編集委員・高橋純子氏だ。今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「今月初旬、新幹線に乗ったり下りたりで計4回、読者の方々と直接触れ合う機会を得た。ありがたい激励。耳の痛い苦言。いずれもそうとうな熱と若干の湿り気を帯びていて、この社会を、政治を、何とかしたいとの思いが伝わってきた。力づけられた。

 一つ気付いたのは、何か質問やご意見と促しても、女性の手はなかなか上がらないということ。

 それでも重ねてお願いすると、「普通の専業主婦なので」「難しことはわからないのですが」などと前置きしつつ、自身の考えを話してくれる。

 それは借り物でなく、生活実感に根差したオリジナルな言葉で、聞いていて楽しい。

 70代、80代の女性からいただくお便りには、私たちの時代は女が自分の意見を言うことが難しかった、と書かれていることが少ない。だから、自己主張する女性を応援しますーー。

 たくさんの「姉」たちの人生と、のみ込んできた言葉たちを思う。」と切り出した。

 続けて筆者は、「何もわかってないくせにとか、だったら対案を出せとか、政治に意見するとすぐ、型どおりの批判が飛んでくる。それでも、こうありたいとか嫌いだとか、思ったことはきちんと言葉にしていきたい。

つたなくたって全然OK。

個人的なことは政治的なこと。

思う。伝える。政治参加の第一歩だ。

 その意味で、ファッション誌「ViVi」の企画、どんな世の中にしたいか。キラキラの若い女性が主張するのは素敵なことだ。

 しかし、、そのメッセージTシャツの袖に自民党のシンボルマーク、しかも参院選を控えたこの時期になると、キラキラは濁ってギラギラとなり、ズブズブという音まで聞こえてきそうだが、「政治的背景や意図は全くない」と説明してしまう講談社はあまりにもダサい。政権与党とのタイアップに政治的背景も意図もないというなら、一体何があったのか。催眠術にでもかかっていたのだろうか。

 自民党側の責任者、甘利明選対委員長は「「自民党をよろしく」というメッセージは書いてない。自分たちが「こうゆう世の中になってほしい」というメッセージをTシャツに、何の制約も何の要請もなく書いてもらっている」から問題ないという趣旨のことを言っているが、ブブー。だから、より、罪が深いんじゃないのか。

 「自民党によろしく」Tシャツなら覚悟がいる。着るべきか否かを考える。そうやって人は政治的主体となり得る。

 なのに、かわいいモデルのキラッと光るメッセージ(自民党の政策とは何の関係もない)にまるっと乗っかり「いいね!」を獲得、思考の機会を与えないままふわっと「よろしく」を広めようだなんて、主権者をバカにしている。バカにし過ぎだ。それともあれか、むしろ、バカになって欲しいとでも?

 政党や政治家は本来、理念と政策を持って人々の理性に働きかけるべきだ。

 しかし、自民党の新たな広報戦略「#自民党2019」なるものは、カッコイイとか親しみやすいといったイメージ流布させ、人々の理性ではなく感性に手を突っ込もうとしている感がある。

 首相が最近やたら芸能人と面会し、国会に出て来ずにSNSでの一方的な発信に力を注いでいるのもその一環で、憲法改正国民投票の予行演習、との見方はたぶん、はずれていないだろう。

 故土井たか子・元社民党党首の言葉が頭をよぎる。

 「本当に怖いことは、ならなれしい顔をしてやってくる」」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「自分の頭で考え続けること、それを言葉にし続けることが、なれなれしいマーケテイング政治に対する地味だが確実な抵抗手段だと、私は思う。そうだ、読者の方々との会でも引いた詩の一節を、最後に。

 駄目なことの一切を

 時代のせいにするな

 わずかに光る尊厳の放棄

 自分の感受性くらい

 自分で守れ

 ばかものよ(茨木のり子「自分の感受性くらい」)」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「今月初旬、新幹線に乗ったり降りたりで計4回。読者の方々と直接触れ合う機会を得た。ありがたい激励。耳の痛い苦言。いずれも相当な熱と若干の湿り気を帯びていて、この社会を、政治を何とかしたいとの思いが伝わってきた」とのこと、

 「何もわかっていないくせにとか、だったら対案を出せとか、政治に意見するとすぐ、型通りの批判が飛んでくる」とのこと、

 「つたなくたって全然OK。個人的なことは政治的なこと。思う、伝える。政治参加の第一歩だ」とのこと、

 「ファッション誌「ViVi」の企画、どんな世の中にしたいか、キラキラの若い女性が主張するのは素敵なことだ。しかし、そのメッセージTシャツの袖に自民党のシンボルマーク」とのこと、

 「「政治的背景や意図は全くない」と説明してしまう講談社はあまりにもダサい。」とのこと、

 「かわいいモデルのキラッと光るメッセージ(自民党の政策とは何の関係もない)にまるっと乗っかり「いいね!」を獲得、思考の機会をあたえないままふわっと「よろしく」を広めようだなんて、主権者をバカにしている」とのこと、

 「政党や政治家は本来、理念と政策をもって人々の理性に働きかけるべきだ。しかし、自民党の新たな広報戦略「#自民党2019」なるものは、カッコイイとか親しみやすいといったイメージを流布させ、人々の理性ではなく感性に手を突っ込もうとしている感がある」とのこと、

 「故・土井たか子・元社民党党首の言葉が頭をよぎる。「本当に怖いことは、なれなれしい顔をしてやってくる」」とのこと、

 等々を知ることができた。

 そして、「自分の頭で考え続けること、それを言葉に出し続けることが、なれなれしいマーケテング政治に対する、地味だが確実な抵抗手段だと、私は思う」と、筆者は言う。その通りだと思った。

 そのためには、自分の頭を「切れ」と「深みと広さ」と「人や地球にたいし温もり」と「数歩先を見る先見性」等々が付着したものにするために、刻々・日々・年々、きょろきょろしながら歩き回りたい、と思った。

 そして、あたためて新聞は知識の宝庫だ、と思った。 

 

 


by sasakitosio | 2019-06-22 07:50 | 朝日新聞を読んで | Trackback

 6月9日付朝日新聞朝刊3面に、「日曜に想う」と言う欄がある。筆者は、編集委員・大野博人氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「憲法改正を問う国民投票の際のCM規制をどうするか。その議論に違和感をおぼえる。

 憲法という国の骨格についてなにか決める。それなら、国民への宣伝の仕方より先に、どうやって国民的な熟議を実現し実りあるものにするか、を考えた方がいいのではないか。

 CM規制には議論が必要だと思う。日本民間放送連盟(民放連)が賛否のCM量を均衡させるための自主規制はしないと決めたことをどう考えるか、賛否のCM量を測ることができるかどうかーー。

 ただ「憲法はビールや化粧品を売るのとはワケが違う。」。そう喝破したのは評論家故・天野祐吉さんだ。国民投票法案が議論されていた2006年、小紙コラム「CM天気図」で、憲法CMを否定しないけれど「テレビCMは、使い方によって強力なマインドコントロールの手段になる」と警告していた。

 であればもっと大事なのは、人々が意見を交換し、自分の考えを深める時間と機会の確保だということになる。簡単ではない。

 たとえば党派的な主張が全面に出る集会では人々が意見を紡ぐ場になりにくい。

 しかし今のところ、国民的な熟議を実現するための案は政治家からあまり聞こえてこない。

 妙案がないから、CMが勝敗のカギを握るという考え方に傾くのかもしれない。でも、それでは政治をマーケティングに変えてしまう。」と切り出した。

 続けて筆者は、「フランスで燃料費の値上げに反対した市民が始めた黄色いベスト運動は、政治へのさまざまな不満を吸収して激しい異議申し立てに発展した。

 出口なしの状況を打開しようとマクロン大統領が提案したのは「国民の大討論」だった。

 「国民への手紙」で、大統領は「不安より希望が支配するためには、私たちの将来について大きな課題をみんなで問い直そう」と訴え,市民に議論への参加を呼びかけ、政府は各地での集会や意見表明のためのネットサイトなど、さまざまな場所と機会を用意した。

 討論のテーマは税制や環境、民主主義など。

 政治家も加わり、国内各地で市民と議論する。あるいはメールや手紙で意見を政府に届ける。

 有力紙ルモンドが社説で「民主的」と評したこの試みは、年初から3月まで続いた。

 公式サイトによると、各地で1万回余りの集会があり、ネット上の議論に193万の声が寄せられ、郵便やメールで送られた意見は2万7千件になった。

 成果への評価は必ずしも肯定的だったわけではない。批判もすくなくなかった。

 肝心の黄色いベスト運動に加わった人たちは議論から遠ざかっていたとの分析もある。

 仏ロピニオン紙でアジアを担当するクロード・ルブラン記者は「大討論も結局、大統領を目立たせる舞台にしかならず、日本と同じ政治のマーケティング化は起きている」と厳しい。

 それでも、自分の声を国民に聞かせようとするより、国民の声を聞こうとする姿勢の方がより民主的だと思う。」と指摘した。

 最後に筆者は、「ご心配なく。そんなもん1日あったらできますよ」。先月、都内での対談で衆議院解散の大義について問われた自民党の二階俊博幹事長はそう言い放った。

 動画で見ると、会場に笑いがわいていた。何がおかしいのだろう。

 民主主義と選挙への軽蔑、1票を投じる主権者を簡単な宣伝で誘導できる衆愚とみるシニズム。

 社会の重要な問題を何でも政局という文脈に回収して解釈し、民主主義をマーケテングと同一視する。政界と周辺に蔓延しているそんな病理が透けて見えた光景だ。

 もとより政治の舞台は社会であり共同体だ。市場ではない。国民も消費者ではない。たとえある政策が「売れた」としても、「買わされている」と感じた人はそのうち投票所へ足を運ばなくなり、静かにボイコットを決め込むだろう。

 実際、選挙の投票率は下降傾向が続く。政治は、自分で自分の首を絞めていないか。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「憲法改正を問う国民投票の際のCM規制をどうするか。その議論に違和感を覚える」とのこと、

 「憲法という国の骨格についてなにか決める。それなら、国民への宣伝の仕方より先に、どうやって国民的な熟議を実現し実りあるものにするか、と考えた方がいいのではないか」とのこと、

「ただ、憲法はビールや化粧品を売るのとはわけが違う」。そう喝破したしたのは評論家・天野祐吉さんだ」とのこと、

 「仏ロピニオン紙でアジアを担当するクロード・ルブラン記者は「大討論も結局、(マクロン)大統領を目立たせる舞台にしかならず、日本と同じ政治のマーケテング化は起きている」と厳しい。」とのこと、

 等々を知ることができた。

 さらに筆者は、「民主主義と選挙への軽蔑、1票を投じる主権者を簡単な宣伝で誘導できる衆愚とみるシニズム。社会の重要な問題を何でも政局という文脈に回収して解釈し、民主主義をマーケテングと同一視しする。政界と周辺に蔓延している病理が透けて見えた光景」と、自民党の二階幹事長の発言をとらえた。

 指摘の通りかもしれない、と納得しながら、「政界と周辺」の志の「低さ」「軽さ」に一種の安堵感を感じる。一緒に笑っちゃいそうな自分に気が付いた。

 政界が限りなく「お笑い界」に近づいているのかもしれない。これは悪夢か!


by sasakitosio | 2019-06-22 06:54 | 朝日新聞を読んで | Trackback