憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

カテゴリ:朝日新聞を読んで( 994 )

 3月21日付朝日新聞朝刊17面に「月刊安心新聞+」と言う欄がある。筆者は、千葉大学教授・神里達博氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

まず筆者は、「「戦後」と呼ばれる時代において、重要な役割を果たしてきたモノやコトはさまざまあるが、「テレビ」の存在はやはり大きかったと言えるだろう。その影響力の強さから、かっては、評論家の大家壮一が「一億総白痴化」を招くとして厳しく批判したほどである。

 しかし近年、インターネットの普及、さらに[通信と放送の融合]といった政策の推進もあり、この社会における「地上波テレビ」のあり方は急速に変容しつつある。

 まず気付くのは広告費の変化だ。

 先日、広告大手の電通が発表した「2018年日本の広告費」によれば、「インターネット広告費が」が5年連続で2桁の成長を遂げ、「地上波テレビ広告費」とほぼ同額の、1兆7589億円に達したと推定されるという。

 恐らく今年は、両者のシェアが逆転することだろう。

 また、いわゆる「テレビ離れ」はとりわけ若年層で顕著であるとされる。その代りに彼ら・彼女らが時間を費やすのがネットワークを介した各種の活動だ。

 新しいネットの利用というと、インスタグラムなどのSNSを想起しやすいだろうが、ここで指摘しておきたいのは「ゲーム」のことだ。

 興味深いのは、ゲームをすること自体が、一種の表現活動となりつつあるという点である。」と切り出した。

 続けて筆者は、「かってのコンピューターゲームは、ハードウエアの性能上の制約から、プレイヤーの自由度は低かった。たとえば古典的なシューテングゲームにおいては、敵を攻撃するだけだった。

 ロールプレインゲームにおいては、そこにある種の「世界観」が投影されるものの、依然としてプレーヤーは、ほぼ受動的な存在であった。

 しかし、コンピューターの性能やネットワークの通信速度が飛躍的に向上した結果、自由度が著しく高まり、ゲームを通じてさまざまな活動や表現が可能になってきた。

 たとえば、小中学生も含め、若者たちが夢中になっているものが、広い仮想空間で活動する「オープンワールド型」のゲームである。

 なかでも、広大な空間に建物や施設などを自由に構築できる「マインクラフト」は世界中で大変に人気があるソフトとして知られている。

 そして動画サイトには、そのような仮想現実の世界での個々のプレイヤーの活動が投稿されており、そのようすを視聴すること自体が、すでに新たな娯楽として定着している。

また、約10年前に「ポーカロイド」と呼ばれる歌声の音声合成ソフトが開発されたことで、ボーカルも含めて音楽全体をパソコンだけで作ることが可能になった。

 これにより作詞・作曲・歌のすべてをこなす「ボーカロイド・プロデューサー(ボカロP)」が続々と登場、動画投稿サイトには多数の作品が溢れている。昨年の紅白歌合戦に

出場した米津元帥も、元々が「ハチ」の名で知られる「人気ボカロP」であった。

 さらに、ゲームを一種のプロモーションビデオ制作のツールと見立て、ボーカロイドによる音楽を重ねることで、新たな作品として表現するといった試みも、縦横無尽に行われている。

 このような新しい表現活動において最重要のプラットフォームは目下、動画サイトであろう。

 そのことを反映してか、2017年にソニー生命保険が実施した調査では、中学生の将来成りたい職業として、男子の3位に「YouTuberなどの動画投稿者」がランクインした。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「一方で、ハードウエアとしての「テレビ」は、すでに「多目的モニター」となっている。

 実際、新しいテレビのリモコンは、「地上波」のみならず、「YuTube」や、「AbemaTV」などの映像ストリーミングを選ぶボタンを、最初から備えていることが多い。

 つまり、すでに地上波テレビはさまざまなコンテンツの中の、一部の選択肢にすぎないのである。この現状を、地上波を狙ってきた人たちはどう見ているのだろうか。

 今クール、TBS系列で「新しい王様」というドラマが放映されていた。

 これは若きアプリ開発者が、東京キー局の一つを買収しようというストーリーを軸に展開する。藤原竜也扮する主人公は、旧態依然とした放送局の経営者側を、さまざまなパフォーマンスを通して批判し、「いつか誰も(テレビ)を見なくなる日が来るよ」と叫ぶ。

 やや既視感を反映しているように感じられた。

 内容も興味深いのだが、このドラマは、前半は地上波で放送されたが、後半はTBSなどが出資するインターネットテレビ「Paravi」で配信するというスタイルを取った点も、注目すべきだろう。

 アメリカの政治学者アンダーソンはかって、著書「想像の共同体」において、近代国家の「国民意識」の起源として、出版資本主義の重要性を指摘した。

 現地語による活字メディアの興隆が、近代的な「国民」の形成に寄与したという彼の議論は、各方面に大きな影響を与えたが、現代日本における地上波テレビは、類似する役割を果たしてきたと考えられないだろうか。

 もしそうだとすると、テレビの地位の相対化は、この国の姿を大きく変える要因になりうる。

 これをどう考えるべきかは、私たちの社会全体に対する問いかけとして、捉えるべきだろう。

 日本のモダンを支えてきた条件がまた一つ、過去のものになろうとしているのかもしれない。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「戦後」と呼ばれる時代において、重要な役割を果たしてきたモノやコトはさまざまあるが、「テレビ」の存在はやはり大きかったと言えるだろう」とのこと、

 「しかし近年、インターネットの普及、さらに「通信と放送の融合」といった政策の推進もあり、この社会における「地上波テレビ」のあり方は急速に変容しつつある」とのこと、

 「小中学生も含め、若者たちが夢中になっているのが、広い仮想空間で活動する「オープンワールド型」のゲームである。なかでも、広大な空間に建物や施設などを自由に構築できる「マインクラフト」は世界中で大変に人気があるソフトとして知られている」とのこと、

 「約10年前に「ボーカロイド」と呼ばれる歌声の音声合成ソフトが開発されたことで、ボーカルも含めて音楽全体をパソコンだけで作ることが可能になった」とのこと、

 「これにより作詞・作曲・歌のすべてをこなす「ボーカロイドプロデューサー(ボカロP)が続々登場、動画サイトには多数の作品があふれている」とのこと、

 「このような新しい表現活動において最重要のプラットフォームは目下、動画サイトであろう」とのこと、

 「アメリカの政治学者アンダーソンはかって、著書「想像の共同体」において、近代国家の「国民意識」の起源として、出版資本主義の重要性を指摘した」とのこと、

 「現地語による活字メディアの興隆が、近代的な「国民」の形成に寄与したという彼の議論は各方面に大きな影響を与えたが、現代日本における地上波テレビは、類似する役割をはたしてきたと考えられないだろうか」と指摘、

 等々を知り理解することができた。

 そして、筆者は「テレビの地位の相対化は、この国の姿を大きく変える原因になり得る」と指摘する。そうかもしれない、と思った。

 いまどきは年寄りがテレビを見て、新聞や本をよむ、若者はどこでもスマホとSNS。選挙に行くのは、年寄りが総体的に多い、となるようだ。

 社会の分断化、ミスマッチを最小限に食い止めるには、先々スマホで投票でも、ということになるのだろうか。


by sasakitosio | 2019-03-23 07:23 | 朝日新聞を読んで | Trackback

 3月18日付朝日新聞朝刊8面に、「風」という欄がある。筆者は、ヨーロッパ総局長・石合 力氏だ。今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「アイルランドの世界的作家ジェームズ・ジョイスの代表作「ユリシーズ」に出てくるマーテロ塔は首都ダブリン郊外の海沿いの建物だ。

 現地ガイドのシェーマス・キャノンさん(68)は、登場人物の発言にある「用心すべきもの」と言う意味のアイルランドのことわざを観光客に説明していた。

 「雄牛の角、馬のひづめ、サクソン(英国)人の笑顔」

 キャノンさんは「ジョイスは必ずしも反映国のナショナリストではなかった。でも長年の英国支配には、複雑な思いがあったのでしょう」とみる。」と教えてくれる。

 続けて筆者は、「アイルランド島の北部6州は今も英領北アイルランドである。

 南側のアイルランドも長い間、英国の支配を受けていた歴史を持つ。主要言語はアイルランド語ではなく英語だ。独立後も経済的結びつきが強い英国が、一方的に欧州連合(EU)から離脱すればどうなるか。アイルランドは英国以上に経済的打撃を受けるとの見方もある。

 現在、両国の間には、人の行き来や滞在を自由に認める「共通旅行区域」(CTA)という制度がある。

 ダブリンから高速道路を北上すると、約1時間で英領北アイルランドとの国境に達するが道路はそのまま続く。

 北アイルランドへようこそ。

 最高速度は(キロからマイルになります)と書かれた道路わきの看板は、注意しなければ見落としてしまうほど小さい。

 国境を巡る特別の対応は、実利上の配慮に加え、北アイルランドの帰属をめぐり、アイルランド統合派と英国帰属維持派が対立を続けた紛争の抑止とかかわる。

 約3千人もの死者をだした紛争は、英国とアイルランドが1998年に和平合意を結んだことで鎮静化した。

 以後、両国は帰属問題には手を付けず、人とモノの出入りを自由にすることで相互の利益を高めてきた。

 当時を知る英元外交官は言う。

 「我々は、問題を解決(solve)したのではなく、解消(deissolve)させたのです。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「英外交の英知は、今回のEU離脱交渉では見えない。英国がEUの単一市場から離脱すれば、CTAを維持するにせよ、何らかの形でモノの出入りを管理する必要が生じる。

 物理的な国境を復活させれば、紛争が再燃しかねない。解決策も解消策も見いだせていない。

 英議会が離脱協定の承認を拒み、紛糾が続く事情はそこにある。

 ロンドン・メトロポリタン大で北アイルランド紛争の資料館を運営するアイルランド人の館長・トニー・マレーさん(62)は「両国の結びつきは極めて深く、アイルランドの歴史が分からなければ、英国の歴史は分からない。でも、英国ではアイルランドの歴史は十分には教えられていない」と指摘する。

 支配される側の笑顔に傲慢や無知を見るのだ。

 マレーさんは、こんなことわざも教えてくれた。

 「アイルランド人は歴史を決してわすれない。だが、英国人は、歴史を覚えようともしない」」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「アイルランドの世界的作家ジェームズ・ジョイスの代表作〔ユリシーズ〕に出てくるマテロ塔は首都ダブリン郊外の海沿いに実在する建物だ」とのこと、

 「現地ガイドのシェーマス・キャノンさん(68)は、登場人物の発言にある「用心すべきもの」と言う意味のアイルランドのことわざを観光客に説明していた。

 「雄牛の角、馬のひづめ、サクソン(英国)人お笑顔」」とのこと、

 「アイルランド島の北部6州は今も英領北アイルランドである」とのこと、

 「南側のアイルランドも長い間、英国の支配を受けていた歴史を持つ。主要言語は、アイルランド語ではなく英語だ。」とのこと、

 「現在両国の間には、人の行き来や滞在を自由に認める「共通力区域」(CTA)と言う制度がある」とのこと、

 「ダブリンから高速道路を北上すると、約1時間で英領北アイルランドとの国境に達するが道路はそのまま続く」とのこと、

 「約3千人もの死者を出した紛争は、英国とアイルランドが1998年に和平合意を結んだことで鎮静化した」とのこと、

 「当時を知る英元外交官は言う。「我々は、問題を解決(solve)したのではなく、解消(dissolve )させたのです」とのこと、

 「英国がEUの単一市場から離脱すれば、CTAを維持するにせよ、何らかの形でモノの出い入りを管理する必要が生じる。物理的な国境を復活させれば、紛争が再燃しかねない。」とのこと、

 「解決策も解消策も見いだせていない。英議会が離脱協定の承認を拒み、紛糾が続く事情はそこにある」とのこと、

 等々を知ることができた。EU離脱問題で英国に混乱や紛糾が続いていることのおおきな「原因」を、改めて知ることができた。

 また、「支配される側は、支配する側の笑顔に傲慢や無知を見るのだ」とのこと、

 「マレーさんは、こんなことわざも教えてくれた。「アイルランド人は歴史を決して忘れない。だが、英国人は、歴史を覚えようともしない」」とのこと、等等を教えてもらった。

 そして、アイルランドと英国の関係は、中韓と日本の関係に置き換えて考えてみる必要がある、とも思った。

 


by sasakitosio | 2019-03-21 15:16 | 朝日新聞を読んで | Trackback

 3月18日付朝日新聞朝刊8面に、「風」という欄がある。筆者は、ヨーロッパ総局長・石合 力氏だ。今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「アイルランドの世界的作家ジェームズ・ジョイスの代表作「ユリシーズ」に出てくるマーテロ塔は首都ダブリン郊外の海沿いの建物だ。

 現地ガイドのシェーマス・キャノンさん(68)は、登場人物の発言にある「用心すべきもの」と言う意味のアイルランドのことわざを観光客に説明していた。

 「雄牛の角、馬のひづめ、サクソン(英国)人お笑顔」

 キャノンさんは「ジョイスは必ずしも反映国のナショナリストではなかった。でも長年の英国支配には、複雑な思いがあったのでしょう」とみる。」と教えてくれる。

 続けて筆者は、「アイルランド島の北部6州は今も英領北アイルランドである。

 南側のアイルランドも長い間、英国の支配を受けていた歴史を持つ。主要言語はアイルランド語ではなく英語だ。独立後も経済的結びつきが強い英国が、一方的に欧州連合(EU)から離脱すればどうなるか。アイルランドは英国以上に経済的打撃を受けるとの見方もある。

 現在、両国の間には、人の行き来や滞在を自由に認める「共通旅行区域」(CTA)という制度がある。

 ダブリンから高速道路を北上すると、約1時間で英領北アイルランドとの国境に達するが道路はそのまま続く。

 北アイルランドへようこそ。

 最高速度は(キロからマイルになります)と書かれた道路わきの看板は、注意しなければ見落としてしまうほど小さい。

 国境を巡る特別の対応は、実利上の配慮に加え、北アイルランドの帰属をめぐり、アイルランド統合派と英国帰属維持派が対立を続けた紛争の抑止とかかわる。

 やく3千人もの死者をだした紛争は、英国とアイルランドが1998年に和平合意を結んだことで鎮静化した。

 以後、両国は帰属問題には手を付けず、人とモノの出入りを自由にすることで相互の利益を高めてきた。

 当時を知る英元外交官は言う。

 「我々は、問題を解決(solve)したのではなく、解消(deissolve)させたのです。」と教えてくれる。

最後に筆者は、「英外交の英知は、今回のEU離脱交渉では見えない。英国がEUの単一市場から離脱すれば、CTAを維持するにせよ、何らかの形でモノの出入りを管理する必要が生じる。

 物理的な国境を復活させれば、紛争が再燃しかねない。解決策も解消策も見いだせていない。

 英議会が離脱協定の承認を拒み、紛糾が続く事情はそこにある。

 ロンドン・メトロポリタン大で北アイルランド紛争の資料館を運営するアイルランド人の館長・トニー・マレーさん(62)は「両国の結びつきは極めて深く、アイルランドの歴史が分からなければ、英国の歴史は分からない。でも、英国ではアイルランドの歴史は十分には教えられていない」と指摘する。

 支配される側の笑顔に傲慢や無知を見るのだ。

 マレーさんは、こんなことわざも教えてくれた。

 「アイルランド人は歴史を決してわすれない。だが、英国人は、歴史を覚えようともしな」」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「アイルランドの世界的作家ジェームズ・ジョイスの代表作〔ユリシーズ〕に出てくるマテロ塔は首都ダブリン郊外の海沿いに実在する建物だ」とのこと、

 「現地ガイドのシェーマス・キャノンさん(68)は、登場人物の発言にある「用心すべきもの」と言う意味のアイルランドのことわざを観光客に説明していた。

 「雄牛の角、馬のひづめ、サクソン(英国)人お笑顔」」とのこと、

 「アイルランド島の北部6州は今も英領北アイルランドである」とのこと、

 「南側のアイルランドも長い間、英国の支配を受けていた歴史を持つ。主要言語は、あいるらんどごではなく英語だ。」とのこと、

 「現在両国の間には、人の行き来や滞在を自由に認める「共通力区域」(CTA)と言う制度がある」とのこと、

 「ダブリンから高速道路を北上すると、約1時間で英領北アイルランドとの国境に達するが道路はそのまま続く」とのこと、

 「約3千人もの死者を出した紛争は、英国とアイルランドが1998年に和平合意を結んだことで鎮静化した」とのこと、

 「当時を知る英元外交官は言う。「我々は、問題を解決(solve)したのではなく、解消(dissolve )させたのです」とのこと、

 「英国がEUの単一市場から離脱すれば、CTAを維持するにせよ、何らかの形でモノの出い入りを管理する必要が生じる。物理的な国境を復活させれば、紛争が再燃しかねない。」とのこと、

 「解決策も解消策も見いだせていない。英議会が離脱協定の承認を拒み、紛糾が続く事情はそこにある」とのこと、

 等々を知ることができた。EU離脱問題で英国に混乱や紛糾が続いていることのおおきな「原因」を、改めて知ることができた。

 また、「支配される側は、支配する側の笑顔に傲慢や無知を見るのだ」とのこと、

 「マレーさんは、こんなことわざも教えてくれた。「アイルランド人は歴史を決して忘れない。だが、英国人は、歴史を覚えようともしない」」とのこと、等等を教えてもらった。

 そして、アイルランドと英国の関係は、中韓と日本の関係に置き換えて考えてみる必要がある、とも思った。

 


by sasakitosio | 2019-03-21 15:16 | 朝日新聞を読んで | Trackback

3月18日付朝日新聞朝刊4面に、「政治断簡」と言う欄がある。筆者は、編集委員・高橋純子氏だ。今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「昨今の国会審議で知った。

 トラの威を借るキツネにも①自分が虎だと思い違いしているタイプ②虎へのアピールが先に立つタイプの2種類あるということを。

 人生是勉強。

 「(国会の機能は)このような場で声を荒げて発言するようなことまでとは考えておりません」と野党議員の質問に答えた福島裕介・内閣法制局長官は②、野党議員が質問の中で用いた「うそをつき」に反応、「私のことを指されたかわからないが」といいつつ「委員会でのご発言だから、私はそれについてとやかく申しませんが、心の中で「ん?」と思ったことは申し上げたい」と述べた中江元哉・元首相秘書官は①。

 国会審議において、閣僚はいわば口頭試問を受ける学生で、聞かれたことに誠実に答える義務がある。

ましてや裏方の官僚が、全国民の代表たる国会議員の質問を揶揄したり、「とやかく申しあげないが」とわざわざ前置きして非難をにじませたりするなど許されることではない。

 「うそはついていない」と言えば事足りるのにそうしないのは、野党議員を、ひいては主権者を軽んじているからだと解されても文句は言えまい。

 公衆に奉仕すべき公僕が何を勘違いしているのか。いや、誰が勘違いをさせているのか。」と切り出した。

 続けて筆者は、「政治の世界に限らず野にある者は往々にして軽んじられ、見下され、嘲笑される。

 戦後を代表するジャーナリストの一人で、1960年代に読売新聞社会部のエース記者として名をはせた本田靖春は、「我、拗ねものものとして生涯を閉ず」で、サラリーマン化が進む社会部記者に「野糞の精神」を書いた時期があると振り返る。

 にわかに下品になって恐縮だが、と断りつつ、

 「仲間たちの求めたのは、もっと声を上げろ,ということであった。上に噛みつくには勇気がいる。お互い、そういうものはたっぷりとは持ち合わせていない。だが、空元気にせよ勇気を振り絞らないわけにはいかない」「可能ならば、全員で起ち上がって戦ってほしい。できないならせめて、野糞のようになれ」

 野糞自体は起ち上がれないない。相手に飛びかかって噛みつくなど絶望的に不可能だ。

 でも、踏みつけられたら確実に、相手に不快感を与える。お前たち、せめてそのくらいの存在になれよーー・」、と教えてくれる。

 最後に筆者は、「さて、私が「政治断簡」を欠くのは今回が最後。当欄自体、次週で閉じるー、という段になってナンだが、なんで「断簡」(きれぎれになった書きもの「広辞苑」)なんだろう?
 初代執筆者にして名付け親でもある根本清樹・論説主幹に聞いてみた。

 「巻物のような大層なものは書けない。しょせん断簡。されどその時々の政治の断面を描きとる。そんな考えを込めたような気がします」

 どんな手段を使っても「勝ったもん勝ち」

の当世であればこそ「せめて」「しょせん」を力に変えて、空元気にせよ勇気を振り絞らないわけにはいかない。野に美しい花を咲かせよう。あなたも、私も、ぼくらは生きている。

 4月、新しい欄でお会いするのを楽しみにしています。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「昨今の国会審議で知った。虎の威を借るキツネにも①自分が虎だと思い違いしているタイプ②虎へのアピールが先に立つタイプ、の二種類あるということを。」とのこと、

 「国会審議において、閣僚はいわば口頭試問を受ける学生で、聞かれたことに誠実に答える義務がある」とのこと、

 「政治の世界に限らず野にある者は往々にして軽んじられ、見下され、嘲笑される。」とのこと、

 「戦後を代表するジャーナリストの一人で、1960年代に読売新聞社会部のエース記者として名をはせた本田靖春は「われ拗ねものとして人生を閉ず」でサラリーマン化が進む社会部記者に「野糞の精神」を説いた時期があると振り返る」とのこと、

「「仲間たちに求めたのは、もっち声を上げろ、と言うことであった。上に噛みつくには勇気がいる。お互い、そういうものはたっぷりと持ちあわせてはいない。だが、空元気にせよ勇気を振り絞らないわけにはいかない」

 「可能ならば、全員で起ち上がって戦ってほしい。できないなら、せめて、野糞のようになれ」

 野糞自体は起ち上がれないが。相手に飛びかかって噛みつくことなど絶望的に不可能だ。でも、踏みつけられたら確実に、相手に不快感を与える。お前たち、せめてそのくらいの存在になれよーー」とのこと、

 等々を知ることができた。

 「野糞」の思い出は、戦中生まれの後期高齢者には、皆あると思う。また、過日インドのブッタガヤを釈迦の足跡を訪ねて歩き回った時には、今日只今の思い出でもある。

 ただその時は、まず誰もが、踏んで不快感を味わないための智恵と経験と用心の心得を身に着けていた、時代であった、と思う。

 また、「どんな手段を使っても「勝ったもん勝ち」の当世であればこそ「せめて」「しょせん」を力に変えて、空元気にせよ勇気を振り絞らない訳にはいかない」との筆者の気合いは、素晴らしいと思った。

 筆者に興味を感じたのは、著名な憲法学者へのインタビュー記事を読んでからだ。日時は定かではないが、少なくとも6年以内だ。

 屁のツッパリのようなブログでエールを送った。

 それから、筆者が紙面に登場するのを楽しみにしてきた。こ の欄が無くなるのは残念だが、次の欄で筆写の健筆を期待して待っている。

 

 

 「


by sasakitosio | 2019-03-21 07:08 | 朝日新聞を読んで | Trackback

 3月17日付朝日新聞朝刊3面に、「日曜に想う」と言う欄がある。筆者は、編集委員・大野博人氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「「国民の代表」とは選挙で選ばれた国会議員だーーー。

 首相官邸が東京新聞記者の質問を制限した問題をめぐり、官邸側がこんな見解を示した。

 記者が会見に出るているのは民間企業である新聞社内の人事の結果だとも。国民の代表たりえないという主張のようだ。

 この見解について重ねて問われた菅義偉官房長官の言葉には迷いがない。

 「見解って、事実は事実じゃないでしょうか」

 よく似た考えの持ち主が19世紀のフランスにもいた。ナポレオン3世だ。あまりにも有名な英雄のおいということもあって大統領に当選し、さらにクーデターで皇帝になった人物である。

 報道機関についてこう言い放ったそうだ。

 「私は選挙で選ばれた。だが、記者たちは選ばれたわけではない。報道を制限するのは、民間企業が権力を持つのを防ぐためだ。代表として選ばれた者たちによって表明される人民の声だけで政治をするためだ」

 この理屈が今の民主主義もむしばんでいると指摘するのはフランスの歴史家、ピエール・ロザンヴァロン氏だ。

 やはり、選挙で選ばれたトルコのエルドアン大統領やロシアのプーチン大統領を例に挙げる。

 「彼らも新聞を締め付ける時に「メディアは正統で民主的な制度や仕組みを批判するからだ」と言います」

 日々行われるべき政治家の正当性の有無を、選挙の結果だけに押し込めようとする病理。

 ふらつく民主主義の「松葉杖」としてカウンターデモクラシーという考え方を提唱している。」と切り出した。

 続けて筆者は、「「地元の議会に誰かを送り出さないのですか」

 大山礼子・駒沢大学教授は若者たちに尋ねてみた。2月に総務省地方制度調査会メンバーとして山陰の街を視察した時のことだ。

 行政といっしょに高齢化などによる課題に取り組んで成果を上げている若者たちで、都会からのIターン組も多い。帰ったきた答えは「考えたこともない」だった。

 「新しい若者から見ると、おじいちゃんたちがやっている自分たちとは関係がない組織と映るようです」と教授。

 「行政と連携すれば新しいこともできる。議会のチャンネルは不要という感覚では。でも、議会がなければ首長はやりたい放題になる。議会を拠点にすればもっと広い地域全体の活性化にも取り組めるはずなんですけどね」

 代表機能を問われているのは「おじいちゃん」ばかりの地方議会だけではない。国会もそうとうあやしい。

 たとえば女性議員がたった1割である衆議院が国民を代表しているといえるだろうか。

 沢山の世襲議員が議席を占め、その間で次の政権の担い手を争っている舞台が、今の日本の社会を反映した場所だととも思えない。」と指摘した。

 最後に筆者は、「多くの国で民主主義が迷走している。排他的な大統領が選ばれたり、ポピュリズム政治家が支持を拡大したり、国民投票が混乱をもたらしたり、民主的な仕組みが問題を解決するよりも深刻化するような例が続く。

 ロザンヴァロン氏ら内外の識者が原因と考えるのは「代表制」の機能不全だ。

 人々は自分たちが議会が自分たちを代表していると感じられない。

近年の各国での世論調査でも、議会や議員、政党への信頼度は極めて低い。

 代表されないことにいら立つ人々は建設的というより

破壊的な主張の政治家に1票投じて憂さを晴らす。あきらめた人々は投票所に足を運ぶことをやめる。

 「国民の代表」が代表できていない現実。にもかかわらず、選挙で選ばれたのだから民主的な正当性を独占できるという政治家のナイーブで傲慢な認識。それが危機を招いている。

 政治家は「国民代表」を自任するならば、毎日こう自問しなければならない時代のはずだ。

 自分は本当に代表しているか。

 官邸の反応には、その苦悩がまったく見えない」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「「国民の代表」とは選挙で選ばれた国会議員だーー。首相官邸が東京新聞記者の質問を制限した問題を巡り、官邸側がそんな見解を示した」とのこと、

 「よく似た考えの持ち主が19世紀のフランスにもいた。ナポレオン三世だ」とのこと、

「私は選挙で選ばれた。だが、記者たちは選ばれたわけではない。報道を制限するのは、民間企業が権力を持つのを防ぐためだ。代表として選ばれた者たちによって表明される人民の声だけで政治をするためだ。」」とのこと、

 「この理屈が今の民主主義をむしばんでいると指摘するのはフランスの歴史家、ピエール・ロザンヴァロン氏だ」とのこと、

 「日々問われるべき政治家の正当性の有無を、選挙の結果だけに押し込めようとする病理。ふらつく民主主義の「松葉杖」としてカウンターデモクラシーと言う考え方を提唱している」とのこと、

 「多くの国で民主主義が迷走している。<中略>ロザンヴァロン氏ら内外の識者が原因と考えるのは「代表制」の機能不全だ。人々は自分たちで選んだ議会が自分たちを代表していると感じられない。」とのこと、

「近年の各国での世論調査でも、議会や議員、政党への信頼度は極めて低い」とのこと、

「「国民の代表」が代表できていない現実。にもかかわらず、選挙で選ばれたのだから民主的な正当性を独占できるという政治家のナイーブで傲慢な認識。それが危機を招いている」との指摘、等々の指摘をしり、その内容はよく理解できた。

 そして、「政治家は「国民の代表」を自任するならば、毎日こう自問しなければならない時代のはずだ。自分はほんとうに代表しているか。」との指摘は、その通りだと思った。

 また、「ふらつく民主主義の「松葉杖」としてカウンターデモクラシーという考え方を提唱していた」との指摘も、なるほどと理解できた。

 その上で、ふと考えた。 議員は高額な報酬を受けているが、その報酬はすべて国民の血税である。そのことを深く自覚すれば、日々「自分は、報酬に見合う、いやそれ以上の仕事をしているだろうか」と、自問すべきではないか、とも思った。

 またふらつく民主主義の「松葉杖」としてのカウンターデモクラシーが、権力者の無知や横暴によって、機能不全になった時はどうすればいいのだろうか。

 いわば、「転ばぬ先の杖」としてのカウンターデモクラシーと、その先に「転んだあとの智恵」が今は必要な時代ではないか、と思った。 


by sasakitosio | 2019-03-20 15:18 | 朝日新聞を読んで | Trackback

312日付朝日新聞朝刊7面に、「波聞風問」と言う欄がある。筆者は、編集委員・原真人氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「宰相・吉田茂はジョークの達人だったらしい。

 終戦直後、国民の餓死を防ぐため、十分な量の食糧の緊急輸入を米国に直訴する。一部しか輸入できなかったが餓死者は出なかった。

 マッカーサーから、日本の統計はいいかげんだ。と責められた吉田はこう言って、いなした。

 「もし日本の統計が正確だったら無茶な戦争などしなかった。統計通りだったら日本の勝ち戦だったはずです」

吉田の孫、麻生太郎財務相の著書にあったエピソードを先月、衆議院予算委員会で立憲民主党の長妻昭氏が統計不正問題に絡めて質問した。

 麻生氏は「小学生の時、何回か聞かされた」と認めた。

 冗談でなく、統計を見誤れば国家が滅ぶこともある。野党が追及するのは当然だ。

 超多忙な首相秘書官がわざわざ一統計の調査手法について、厚生労働省の幹部を官邸まで呼びつけるというのも、かなり異常なことである。

 それでも、この問題への世論の関心のは、今一つだ。なぜだろう、」と切り出した。

 続けて筆者は、「不正のきっかけは15年前の担当者のミス、隠蔽は役所の事なかれ主義の結果だった可能性がある。その責任は追及すべきだが、野党が事実確認に力を入れるあまり、本来問われるべき問題が陰に隠れてしまうかもしれない。

 その問題とは、安倍晋三首相が統計のもつ危うさを無視し、国民受けのために都合よく利用してきたことである。

 本来、統計には誤差もあればブレもある。

 速報でプラスだった数字が確報でマイナスになることもある。毎月勤労統計にしても実質賃金にしても一つの調査や数字だけに焦点を当てすぎるのは危うい。

 ところが都合のいいデータだけを取りだし、並べ立て、「成果」や「果実」だと宣伝するのが首相の得意わざだ。

 たとえば有効求人倍率が代表的である。

 倍率がバブル期越えの高いさとなったことを、首相は「アベノミクスの成果」と誇ってきた。

 それが何度も繰り返されるうちに、国民の意識に「アベノミクスは成功」と刷り込まれていく。

 首相の説明に直近6年間で生産人口(1564歳)が480万人減ったという事実は、いっさいでてこない。

 それこそ雇用統計が好転している主因なのにである。

 統計は事実や実態を知るための道具だ。ただし意図すれば事実を歪め、国民を欺く道具にも早変わりする。」と指摘した。

 最後に筆者は、「冒頭の吉田茂のジョークには重大な事実誤認がある。 

 日本軍は、日米の資源量や工業生産力に大きな開きがあるデータをかなり正確につかんでいた。対米戦争に勝てないことをわかっていたのだ。

 にもかかわらず開戦方針都合のいいデータだけを取り出して、勝てるはずのない戦争に国民を引ずり込んだ。

 正確さだけが統計の価値を決めるわけではない。それを国民国家の為に生かそうという使い手の誠実さがあって、初めて、統計は生きる。」として締めくくった。

読んで勉強になった。

 「超多忙な首相秘書官がわざわざ一統計の調査方法について、厚生労働省の担当幹部を官邸まで呼びつけるというのも、かなり異常なことである」とのこと、

 「その問題とは、安倍晋三首相が統計の持つ危うさを無視し、国民受けのために都合よく利用してきたことである」とのこと、

 「たとえば有効求人倍率が代表的である。倍率がバブル期超えの高さとなったことを、首相は「アベノミクスの成果」と誇ってきた。」とのこと、

 「首相の説明には直近6年間で生産年齢人口(15~65歳)が480万人減ったという事実は、一切出てこない。それこそ雇用統計が好転している主因なのに、である」とのこと、

 「日本軍は、日米の資源量や工業生産力に大きな開きがあるデータをかなり正確につかんでいた。対米戦争に勝てないことを分かっていた」とのこと、

 「にもかかわらず開戦方針に都合のいいデータだけを取りだし、勝てるはずのない戦争に国民を引きずり込んだ。」とのこと、

 等々を知り、理解することができた。

 そして、安部晋三首相が、国会の答弁で「印象操作」と言う言葉を使っていた事を思い出した。

 「何度も繰り返されているうちに、国民の意識に「アベノミクスは成功」と刷り込まれていく」とのくだりは、「都合のいいデータだけを取りだし、並べ立て、「成果」や「果実」だと宣伝するのが首相の得意わざだ」くだりと合わせて読めば、安倍総理自身が印象操作を行ってきたことの証明だと、思った。


by sasakitosio | 2019-03-18 16:47 | 朝日新聞を読んで | Trackback

310日付朝日新聞朝刊3面に、「日曜に想う」と言う欄がある。筆者は、編集委員・福島申二氏だ。今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「先日亡くなったドナルド・キーンさんとともに、故エドワード・サイデンステッカーさん(2007年没)は日本文学に多大な貢献をした研究者だった。この人の名訳なしに川端康成のノーベル文学賞はなかったとさえ言われている。

 東京の下町、谷中に古くからある墓地があって、サイデンステッカーさんはよく散策した。散策するうちに、あることに気づく。 

「対象1291日と昭和20310日に死んだ人の墓がいかに多いか」と晩年の随筆集「谷中 花と墓地」に書き残している。

 大正の日付は関東大震災、昭和のほうは東京大空襲である。22年の歳月をはさんで東京の下町を炎で包み、ともに言葉に尽くせぬ惨状をもたらした。

 片や天災である。そしてもう一方は戦災だから、二つは異質の災厄だ。

 しかし、米軍は、関東大震災による木造家屋密集地の甚大な火災被害に早くから注目して参考にしたという。その意味のおいて二つの日付には暗いつながりがある。

 手元の文献によれば、米軍は日本のヒノキに似た建材を用意し、畳や家具にいたるまで忠実に再現した家屋を建てて長屋街を造った。

 木材の含水率まで調整したり、雨戸を開け閉めして燃え方の違いを確かめたりして、極めて周到に焼夷弾の攻撃実験を行ったという。

 310日未明、279機のB29が投下した30万発を超す焼夷弾に東京の下町は焼き尽くされる。一夜にして約10万人の命が奪われて、今日で74年になる。」と切り出した。

 続けて筆者は、「日本の都市を狙った米軍の周到さにには「非情」という語がふさわしい。効果が計算された冷酷な破壊だ。

 それに対して日本は、丸腰の庶民を、お決まりの精神論で立ち向かわせた。防空法は国民に退避の禁止や消化義務を課していた。「逃げるな 火を消せ」である。

 戦局が険しくなると、「焼夷弾には突撃だ」といった標語も張り出されたという。非科学的で空疎な精神主義は人々を焼夷弾の餌食にしていく。逃げれば助かったであろう人まで火に巻かれ、東京だけでなく全国の都市で空襲の犠牲を増やすことになった。

 新聞にも痛烈な反省がある。

 国が言うままに精神論で尻を叩き続けた。さらに「火と闘って殉職」「死の手に離さぬバケツ」といった類の「防空美談」をさかんに報じたのも新聞だった。

 東京大空襲に続いて名古屋、大阪なども空襲を受ける。直後の320日、本紙社説は「空襲に打克つ力」と題してこうい言うのである。

 「われらもまた本当に爆弾や焼夷弾に体当たりする決意を持って敵に立ち向かおうではないか」。同じ新聞人として胸がきしむ思いがする。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「上空からの無差別爆撃を「まなざしを欠いた戦争」と言ったのは、軍事評論家の前田哲男さんである。殺す側も殺される側も、互いを見ることがないからだ。

 「(殺される人々の)苦痛にゆがむ顏も、助けを求める声も、肉の焦げる臭いも、戦場の兵士たちには一切伝わらなかった」(「戦略爆撃の思想」から)。知覚を欠くなかで加害の意識は薄れ、殺戮のむごさばかり増幅していく。日本軍もまた中国を繰り返し空襲した。

 第二次世界大戦、ベトナム戦争など20世紀の空襲をへて、21世紀は無人攻撃機が殺意を運ぶ。

 例えば米国では、「操縦士」は国内の安全な基地に出勤し、遠隔操作で遠い紛争地の「敵と見なした人間」にミサイルや爆弾を打ち込む。

 かって爆撃照準器の下の人間を「点」と見た非人間性はいま、ピンポイント攻撃を免罪符にしつつ、無人機のモニター画面に受け継がれた感がある。それは人間の命へのまなざしを欠くAI(人工知能)兵器へとつづく道に他なるまい。

 サイデンステッカーさんに話を戻せば、下町を愛したこの人は湯島に長く暮らした。谷中の墓に限らず、東京の下町は今も「炎の記憶」を静かにとどめている。供養の碑や地蔵にはきょう、さまざまな思いがささげられることだろう。

 炎の記憶は世界の幾多の地に刻まれている空襲を、戦争を、鳥の目ではなく地べたの人間の目で考える日にしたい。」として締めくくった。

読んで勉強になった。

 「故エドワード・サイデンステッカーさん(2007年没)は日本文学に多大な貢献をした研究者だった。この人の名訳なしに川端康成のノーベル文学賞はなかったとさえ言われている」とのこと、

 「「大正1291日と昭和20310日に死んだ人々の墓がいかに多いか」と晩年の随筆集「谷中、花と墓地」書き残している」とのこと、

 「大正の日付は関東打震災、昭和のほうは東京大空襲である。22年の歳月をはさんで東京の下町を炎で包み、ともに言葉に尽くせぬ惨状をもたらした。片や天災である。そしてもう一方は戦災だから、二つは異質の災厄だ」とのこと、

 「310日未明、279機のB29が投下した30万発を超す焼夷弾に東京の下町は焼き尽くされる。一夜にして約10万人の命が奪われて、今日で74年になる」とのこと、

 「日本の都市を狙った米軍の周到さには「非情」と言う語がふさわしい。効果が計算された冷酷な破壊だ。それに対して日本は、丸腰の庶民を、お決まりの精神論で立ち向かわせた。防空法は国民に退避の禁止や消化義務を課していた。「逃げるな、火を消せ」である」とのこと、

 「新聞にも痛烈な反省がある。国が言うままに精神論で尻を叩き続けた。さらに「火と闘って殉職」「死の手に離さぬバケツといった類の「防空美談」を盛んに報じたのも新聞だった」とのこと、

 「直後の320日、本紙社説は「空襲に打ち克つ力」と題して言うのである。「われらもまた本当に爆弾や焼夷弾に体当たりする決意をもって敵に立ち向かおうではないか」。同じ新聞の後輩として胸がきしむ思いがする」とのこと、

 「上空からの無差別爆撃を「眼差しを欠いた戦争」と言ったのは軍事評論家の前田哲男さんである。殺す側も殺される側も、互いを見ることがないからだ」とのこと、

 「第二次世界大戦、ベトナム戦争をへて、21世紀は無人攻撃機が殺意を運ぶ。例えば米国では、「操縦士」は国内の安全な基地に出勤し、遠隔操作で遠い紛争地の「敵と見なした人間」にミサイルや爆弾を打ち込む」とのこと、

 等々を知ることができた。

 読んで、正確な国内情報・世界情報が伝わっていなかった戦前の日本は、国家まるごと(国民も新聞も)「正気」でなかった、ことが分かった。

 改めて、日本国憲法の基本的人権、とりわけ報道の自由、思想信条の自由等精神的自由は、民主主義に不可欠であることが、分かった。

 筆者は「炎の記憶は世界の幾多の地に刻まれている。空襲を、戦争を、鳥の目でなく、地べたの人間の目で考える日にしたい」という。

 その通りだ。人間の目でものを見、人間の耳で音を聞き、人間の鼻で臭いを嗅ぎ、人間の脳で考え、人間の心で人の痛みを感じる。そうすれば、戦争を地球上から、無くすることができるかもしれない、と思った。


by sasakitosio | 2019-03-15 18:31 | 朝日新聞を読んで | Trackback

 39日付朝日新聞朝刊13面に、「欧州季評」と言う欄がある。

 筆者は、保育士&ライター・ブレディみかこ氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「英国では「ブロークン・ブリテン」という言葉が使われ始めたのは10年以上前だった。10代のシングルマザー、幼児虐待、ドラッグやアルコール問題、暴力的なギャング・カルチャーなど社会的荒廃を意味する言葉としてそれは登場した。

 2010年の総選挙で保守党は「ブロークン・ブリテンを修復する」と言って戦い、政権交代を起こした。

 やがて「ブロークン・ブリテン」は政治的荒廃をも意味する言葉になった。議員のスキャンダルや政治腐敗、不正選挙、緊縮財政による警察やNHS(英国民保健サービス)の機能不全など、底が抜けたとしか言いようのない政治状況が「ブロークン」と形容されるようになった。

 そして最近、耳にする言葉が「ブロークン・ヨーロッパ」だ。

 この言葉で特集を組んだニュー・ステイツマン誌に寄稿したケンブリッジ大学のブレンダン・シムズ教授は、現代の欧州連合(EU)の状況を,約500年前に欧州で宗教改革の嵐が吹き荒れた時代になぞらえた。」と切り出した。

 続けて筆者は、「1500年ごろ、西はアイルランドから東はポーランド、リトアニアまで、また、北はノルウェーから南はイタリアまで、欧州はローマ・カトリック教会の「法とイデオロギー」に支配されていた。

 しかし、当時、ローマ・カトリック教会は聖職者の腐敗と世俗化で重大な危機に瀕しているとみなされていた。そのためドイツ、スイス、イギリス、フランスなど各地で宗教改革が起こり、教会の分裂が進んでいく。

 EUもまた、「法とイデオロギー」で欧州統一を目指した。が、まず南北の亀裂が現れた。南部でユーロ圏のバブルがはじけると、ギリシャ、スペイン、ポルトガルが債務超過に陥って「EUの南北問題」が発生し、緊縮財政によってさらに分断は深刻化していった。

 加えて、東西にも亀裂が走った。

 ポーランド、ハンガリー、スロバキア、ブルガリアといった国々の人々は、中央・西ヨーロッパで主流のリベラルなイデオロギーに違和感を覚えた。これらの国がシリアからの難民の受け入れで見せた対応はそれを浮き彫りにした。

 そして英国が国民投票でブレグジットを決め、メイ首相がEUと共に「ブレグジットの成功」を成し遂げたいといったとき、ユンケル欧州委員長は、成功は「あり得ない」と一蹴した。

 500年前にローマ・カトリック教会がカトリックの教義から離脱すれば救われることはないと宗教改革者たちに言ったのと似ている。

 ブレグジッとはEUが掲げるイデオロギーに対する罪だった。

 だからEUは英国を罰せなければならない。とことん欧州内で周縁化し、EUに戻るしかもうオプオプションないと英国の大半の人々が思うところまで追い込めば、愚かなことをした子は頭をうなだれて戻ってくるだろう。

 これは「しつけ」の論理だ。」と指摘した。

 最後に筆者は、「しかし、もっとポジティブなやり方がある。、と提案するのがギリシャ元財務相の経済学者で、EUの改革を求める運動団体DiEM25を率いるヤニス・バルファキスだ。

 彼はEUにも抜本的改革の必要があり、まず欧州の経済的環境を改善すべきだと主張する。

 金融危機から10年たってもその影が長く尾を引いているのは、山積みする負債と膨らんでいく貯蓄が共生する欧州の経済状況が原因だと彼は説く。貯蓄増加でマイナス金利になったドイツのような国がある一方で慢性的不況に苦しむ国もあり、緊縮財政で国民の多くは疲弊していくのに銀行と大企業は肥え太る。

 彼は欧州に必要なのはグリーン・ニューデールだという。

 欧州全土に有毒な空気をまき散らした緊縮財政を終わらせ、地球温暖化対策や自然エネルギーに大胆な投資を行い、雇用を創出し、経済成長をを促して再び欧州に希望の光をもたらせる。

 財源は欧州投資銀行が欧州中央銀行との連携で債券を発行することで賄う。自らそれを行うため、バルファキスは今年、EU議会選挙に出馬する。

 「今年はいよいよひどい年になる」と識者たちが暗い顔で警告するときに、、「欧州の春」を実現するなどと言っているのは彼だけだ。

 欧州に希望とデモクラシーが戻ってくれば、英国も国民投票をやり直し、EUに戻ってくるとバルファキスは言う。

 確かにこのシナリオは「しつけ」よりはるかに明るい。

 しかし、だからこそこれは現実味のないポピュリズムと呼ばれる。

 いつしか欧州では「明るいビジョン」と「ポピュリズム」は同義語になってしまったようだ。

 彼はその暗いマインドを払拭しようとしている。

 欧州の外でも、米国のバーニー・サンダースと連携し、世界に反緊縮運動を広げていくと発表した。

 「絶望する勇気」という本をスラヴォイ・ジジェクは書いたが、机上でそんな勇気を振り絞らなくても、ブロークン・ヨーロッパの地べたはもうその前が思出せないほどずっと絶望しているし荒んでいる。

 いま希望することの方が、どれだけ胆力がいることか。

 経済を崩壊させるのは「終わりの予感」だとバルファキスは言う。

 マインドの大転換がいま求められている。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「英国で「ブロークン・ブリテン」という言葉が使われ始めたのは10以上前だった」とのこと、

 「10代のシングルマザー、幼児虐待、ドラッグやアルコールの問題、暴力的なギャング・カルチャーなど社会的荒廃を意味する言葉として登場した」とのこと、

 「やがて、「ブロークン・ブリテン」は政治的荒廃をも意味する言葉になった」とのこと、

 「そして最近、耳にする言葉が「ブロークン・ヨーロッパ」だ」とのこと、

 「ケンブリッジ大学のブレダン.シムズ教授は、現代の欧州連合【EU】の状況を

約500年前に欧州で宗教改革の嵐が吹き荒れた時代になぞらえている」とのこと、

 「1500年ごろ、<中略>、当時、ローマカトリック教会の聖職者の腐敗と世俗化で重大な危機に瀕しているとみなされていた。そのためドイツ、スイス、イギリス、フランスなど各地で宗教改革が起こり、教会の分裂が深刻化していった」とのこと、

 「EUもまた、「法とイデオロギー」で欧州統一を目指した。が、まず南北の亀裂が現れた。南部でユーロ圏のバブルがはじけると、ギリシャ、スペイン、ポルトガルが債務超過に陥って「EUの南北問題」が発生し、緊縮財政によってさらに分断は深刻化していった」とのこと、

 「加えて、東西にも亀裂が走った。ポーランド、ハンガリー、スロバキア、ブルガリアといった国々の人々は、中央・ヨーロパで主流のリベラなイデオロギーに違和感を覚えた」とのこと、

 「そして英国が国民投票でブレグジットを決め、メイ首相がEUと共に「ブレグジットの成功」を成し遂げたいと言ったとき、ユンケル欧州委員長は、成功は「あり得ない」と一蹴した」とのこと、

 「しかし、もっとポジテブなやり方がある、と提案するのがギリシャ元財務相の経済学者で、EUの改革を求める運動団体DiEM25を率いるヤニス・バルファキスだ。」とのこと、

 「金融危機から10年経ってもその影響が長引いているのは、山積みする負債と、膨らんでいく貯蓄が共存する欧州の経済状況が原因だと彼は説く。」とのこと、

「貯蓄増加でマイナス金利になったドイツのような国がある一方で慢性的不況で苦にもあり、緊縮財政で国民の多くは疲弊しているのに、銀行と大企業は肥え太る。」とのこと、

 「彼は欧州に必要なのはグリーン・ニューデールだという。」とのこと、

 「欧州全土に有毒な空気をまき散らした緊縮財政を終わらせ、地球温暖化対策や自然エネルギーに大胆な投資を行い、雇用を創出し、経済成長を促して再び欧州に希望の光をもたらせる」とのこと、

 「財源は欧州投資銀行が欧州中央銀行との連携で債券を発行することで賄う」とのこと、

「バルファキスは今年、EU議会選挙に出馬する。「今年はいよいよひどい年になる」と識者たちが暗い顔で警告する時に、「欧州の春」を実現するなどと言っているのは彼だけだ」とのこと、

等々を知り、理解することができた。

 さらに「欧州に希望とデモクラシーが戻ってくれば、英国も国民投票をやりなし、EUに戻ってくるとバルファキスは言う」とのこと、

 「いつしか欧州では「明るいビジョン」と「ポピュリズム」は同義語になったようだ」とのこと、

 「彼はその暗いマインドを払拭しようとしている。欧州の外でも、米国のバーニー・サンダーズと連携し、世界に反緊縮運動を広げていくと発表した」とのこと、等等も教えてくれた。

 さらに筆者は、「いま希望することの方がどれだけ胆力がいることか」と指摘し、

 「経済を崩壊させるのは「終わりの予感」だとバルファキスは言う」と教えてくれる。

 自分的には、いつも夢と希望と好奇心を持ち続けたいと思っている。また、人の世のことで、不可能も絶望も後悔もないはずだ、と思い続けてきた。

 だから、この記事で「バルファキス」のことをしり、明るい気分になった。日本にもバルファキスのような人物が現れることを期待し祈りたい。

 

 


by sasakitosio | 2019-03-12 16:51 | 朝日新聞を読んで | Trackback

3月8日付朝日新聞朝刊社説に、中国の国防費のことが載った。今日はこの社説に学ぶことにした。

 まず社説は、「いったい何のためなのか。中国の国防予算が今年もまた、大幅に増やされる。

 前年から7.5%アップの一兆1898億元。日本円にして約19兆8千億円にのぼる。

 国防費の規模としては米国に次ぐ世界第2位であり、日本の防衛予算の4倍弱に達する。

 伸び率は前年から0.6%下がったが、それでも経済成長率を上回る。景気の減速に悩む中でも軍事は格別の扱いだ。」と切り出した。

 続けて社説は、「中国政府は防衛目的だとし、「脅威ではない」と繰り返す。

 しかし、これまで強引な海洋進出などを振り返れば、その言は説得力に欠ける。国際社会の不安が高まるのは当然だ。

 予算の内訳は公表されず、不透明のままだ。多くは最新兵器の開発や配備に使われている。

 現在、空母はソ連製の一隻だが、近く初の国産が就役し、3隻目も建造中という。宇宙やサイバー分野でも、軍が急速な技術開発を進めている。

 南シナ海では、軍事拠点化やを否定していたはずなのに、埋め立てた岩礁を次々に武装化している。身勝手に現状を変更し、法の支配の原則を顧みない行動は強く非難されるべきだ。

 「一帯一路」構想を巡っても、世界各地への経済進出を足場に、安全保障分野で覇権的な動きを強めるのではないか。

 そんな指摘が跡を絶たない。

 スリランカなどでは、中国が使用権を得た港湾が軍事転用されとの見方が出ている。

 中国は、日本などから侵略を受けた屈辱の近代史を持つ。

 二度と同じ目に合わないために強い軍事力を持ちたい、との思いを中国人の多くが抱いているのは事実だろう。

 だが、この急激な軍拡は自衛の範囲を超えている。アジア太平洋地域が軍拡競争に陥り、安定が崩れれば、勝者は誰もいない。

 グローバル経済時代に、強兵政策にいびつな国力を注ぐのは愚行である。」と指摘した。

 最後に社説は、「むしろ中国は責任ある大国として、軍縮を主導する立場にあることを自覚すべきだ。

 米国とロシアは最近、中距離核戦力の全廃条約からの離脱を宣言した。背景には、中国を抜きにした古いルールの意義を問わざるを得ない現実がある。

 「核無き世界」へ向けて、新たな軍縮の多国間枠組みは必要であり、その枠組みに中国は背を向けてはならない。

 日中関係は改善の方向にあるが、安保分野の交流はまだ不十分だ。中国海軍創立70年の観艦式に、海上自衛隊の参加も検討されている。こうした機会を積み重ね、信頼醸成を深めたい。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 社説は、「グローバル経済の時代に、強兵政策にいびつな国力を注ぐのは愚行である」との指摘、

 「むしろ中国は責任ある大国として、軍縮を主導すべきだ」との指摘、 

 「米国とロシアは最近、中距離核戦力の全廃条約からの離脱を宣言した。背景には、中国を抜きにした古いルールの意義を問わざるを得ない現実がある」との指摘。等々の指摘を知り、よく理解できた。

 また、社説は「「一帯一路」構想をめぐっても、世界各地への経済進出を足場に、安全保障分野での覇権的な動きを強めるのではないか。その指摘が後を絶たない。」と社説は指摘した。

 そこで、ふと考えた。中国は、莫大な対外投資をしているが、その投資が投資先国家によって一方的に強権的に又は半強制的に接収や債務放棄されないように、押さえとして圧倒的な軍事力=覇権が必要だと考えているのではなかろうか、とも思った。

 ただし、経済大国が、軍事大国になり、先々その軍事力の重みでいかなる大国であっても、崩壊してきたのが世界の歴史の示すところのような、気もしている。

 

 


by sasakitosio | 2019-03-10 15:38 | 朝日新聞を読んで | Trackback

 2月23日付朝日新聞朝刊 15  面に、「コラムニストの眼」という欄がある。筆者は、デビッド・ブルックス氏だ。今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は「私が常々思ってきたことだが、米国人は危険な外敵と対峙していることに気づいた時には団結する。

 そして驚くなかれ、現れた。中国だ。 

 米国と世界秩序にとって経済的、技術的、知的に中国が重大な脅威であることが、ますます明らかになってきている。

 テレビで日々の政治が騒々しく報じられている中で、米国人は団結し始めている。

 ペンス米副大統領と民主党のウォーレン上院議員が中国の経済政策について話すと、驚くほど似たように聞こえる。

 ペロシ下院議長と共和党議員たちが中国の人権侵害について話す時、保守とリベラルの政策立案者が、中国からもたらされる問題への対応を話し始める時、驚くほど似ている。

 過去数十年の間、中国は世界情勢にプラスの影響を及ぼしていると思われていた。

 確かに、中国政府は貿易協定に違反し、地域間の緊張を高めた。だが、中国の爆発的な経済成長は私たちの生活費を下げ、繁栄を世界に広げた。」と切り出した。

 続けて筆者は、「しかし、今いくつかのことに変化が生じた。

 第一に、中国の政権は自由化するどころか、より攻撃的かつ抑圧的になった。

 第二に経済目標を変え、中国と米国の経済を直接入れ替えられるようにした。中国の産業政策「中国製造2025」はバリューチェーン(価値連鎖)をさかのぼり、航空宇宙、ロボット工学、バイオテクノロジーなどハイテク産業を支配する仕組みだ。

 米上院中小企業・企業家委員会のルビオ委員長が発表した報告によると、中国の人工知能(AI)産業は、過去1年間で67%成長し、米国のライバルたちよりも多くの特許を出願している。ある予想によれば、中国は米国の30倍も量子コンピューターに投資している。

 私の同僚であるトーマス・フリードマンによると、中国はすでに世界第一位と第三位のドローン製造業者を抱えており、顏や音声の認識技術は米国よりもかなり先行している。

 こうした中国が単に競争しているだけなら問題はないのだが、そうではない。中国は盗んでいる。

 ブレア元国家情報長官とハンツマン元駐中国大使が率いる委員会は、2017年に中国による知的財産権の盗難で米国経済が被った損失は2250億~3千億ドル(約25兆円~66兆円)と見積もった。

 その盗難のいくつかはハッキングによって行われる。ペーパーカンパニーを介してひそかにハイテク会社を買収して技術を奪うこともある。

 単なるスパイ行為や暴力行為の場合もある。

  時には、技術と引き換えに米企業が中国市場へ参入できるように取り計らうこともあるが、中国がその知識を吸収した後には市場へのアクセスを遮断する。

 これは競争ではない。入れ替えだ。

 第三に、中国政府は新技術の経済をつかさどる中枢を支配しようとしている。

 もし中国が5G通信の基準規格を定め、AIと量子コンピューターを牛耳ることができれば、中国はルールを決めて私たちの社会や生活の隅々にまで入り込めるようになり、私たちはそれに対抗できなくなる。

 第四に、中国の挑戦はもはや経済面だけではなく、モラルと知性への挑戦だ。

 それは二つの価値体系の衝突である。

 そして今や、世界中の多くの人々が中国政府の価値観がより良いと思っている。

 かって私たちは中国が民主化すると考えていた。誤り。

 政権が自由化すると考えていた。誤り。

 中国の人々が立ち上がって自由で民主的な世界に加わるだろうと思っていた。誤り。

 米政治誌「アメリカン・アフェアーズ」に掲載されたアイオア大学の唐文方教授による魅力的な論文を読むと、米国のシステムが素晴らしいのは当たり前だと考える人々は、惨めな気持ちになるだろう。

 中国人は、米国人よりも自国の統治機関に信頼を寄せている。08年の調査では、中国人の78%が自国の政府が自分ったちのニーズにこたえていると答えた。

 日本人は33%、韓国人は21%だった。

 中国社会には、米国社会よりもはるかに多くの信頼と社会資本がある。

 中国は、社会における相互信頼のレベルがオランダに次いで世界で2番目に高いと、唐教授は指摘する。

 私たちのシステムをより良いものにしていかなければ、多くの人たちはこういうだろう。「私たちはあちらをの方を選ぶ」」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「大議論のお題は「私たちはどう対処するか」だ。ルビオ委員長の報告書「中国製造2025と米国産業の未来」は説得力があり、魅力的だ。

 「この報告書の主要な結論は、米国は産業政策に関する決断から逃げたり避けたりはできないことだ」

 自由市場を唱える共和党員はかつて、主要産業を支えるために政府が深く介入する産業政策の導入に対し、息が絶えるまで戦ってきた。

 しかし、中国の脅威は、党派を超えて考え方を根本的に変えつつある。

 ルビオ委員長の報告書は、自由市場主義と国家主義者の対立を超えて新しい道をさぐろうとしている。

 最大の変化は、米国のアイデンティティーにあるかもしれない。

 政治コメンテーターのレイハン・サラム氏がアトランティック誌で問うているように、もしわれわれに対して中国が「他者」なのであれば、その場合の「我々」とは何者なのか?

 中国が自由主義的な国際秩序に対する脅威であるならば、我々が自らのシステムを改善して、その挑戦に立ち向かう力があるだろうか。

 人的資本に投資し、制度を改革し、社会構造を修復し、そして政治システムを再び機能させることができるのだろうか。(©2019 THE NEW YORK TIMES)(NYタイムズ 、214日付 抄訳)」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「米国と世界秩序にとって経済的、技術的、知的に中国が重大な脅威であることが、ます明らかになってきている」との指摘、

 「過去数十年の間、中国は情勢にプラスの影響を及ぼしていると思われてきた。<中略>

しかし今、いくつかのことに変化が生じた、第一に、中国の政権は自由化するどころか、より攻撃的かつ抑圧的になった。」との指摘、

 「第二に経済目標を変え、中国と米国の経済を直接入れ替えられるようにした。中国の産業政策「中国製造2025」はバリューチェーン(価値連鎖)をさかのぼり、航空宇宙、ロボット工学、バイオテクノロジーなどハイテク産業を支配する試みだ」と指摘、

 「米上院中小企業・企業化委員会のルビオ委員長が発表した報告書によると、中国の人工知能(AI)産業は、過去1年間で67%成長し、米国のライバルたちよりも多くの特許を出願している」との指摘、

 「私の同僚であるトーマス・フリードマンによると、中国はすでに世界第一位と第三位のドローン製造業者を抱えており、顏や音声の認識技術は米国よりもかなり先行している」との指摘、

 「ブレア元国家情報長官とハンツマン元中国大使が率いる委員会は、2017年に中国による知的財産の盗難で米国経済が被った損失は2250億~6000億ドル(約25兆円~約66兆円)と見積もった」との指摘、

 「第三に、中国政府は新技術の経済をつかさどる中枢を支配しようとしている。もし中国が5G通信の基準規格を定め、AIと量子コンピューターを牛耳ることができれば、中国はルールを決めて私たちの社会や生活の隅々にまで入り込めるようになり、私たちはそれに対抗できなくなる」との指摘、

 「第四に中国の挑戦はもはや経済面だけではなく、モラルと知性への挑戦だ。それは二つの価値体系の衝突である」との指摘、

 「ルビオ委員長の報告書は、自由市場主義と国家主義者の対立を乗り越えて新しい道をさぐろうとしている」との指摘、

 等々を知ることができ、アメリカの現状を理解するうえで大いに勉強になった。

 そして筆者は、「中国が自由主義的な国際秩序に対する脅威であるならば、我々が自らのシステムを改善して、その挑戦に立ち向かう力があるだろうか」と問い掛け、

 「人的資本に投資し、制度を改革し、社会構造を修復し、そして政治システムを再び機能させることができるだろうか」と問い掛ける。

 アメリアの有識者の問い掛けである。日本の有識者からの、解を是非とも聞きたい、と思った。

 また、読者の一人として、世界の秩序が変革の時を迎えているのかもしれない、とも思っている。

 核兵器の拡散、地球温暖化、情報と経済のグローバル化、資本主義と社会主義と共産主義のイデオロギーの行く詰まり、トランプ大統領に象徴される「自国第一主義」「国家的利己主義」の蔓延、地球規模での「格差」「貧困」の拡大、宗教が原因での「戦争」「人殺し」の蔓延、等々地球規模の課題が山積するばかりだ。その中で、国家の存在を前提とした「国際連合」も能力不足が否めないのではないか、と思った。

そこで、地球規模で人類の平和と自由と繁栄を考える、「思想」・「宗教」・「政治組織」・「政策と運動論」が、いま必要なのではないだろうか、と思った。

 


by sasakitosio | 2019-03-08 06:36 | 朝日新聞を読んで | Trackback