憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

4月25日付東京新聞朝刊25面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、文芸評論家・斉藤美奈子氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「財務省事務次官は辞任したが、大臣や官僚や国会議員などのタワケた発言が後を絶たない。公職についておられるのだから、せめて法律くらい読んだらいかがか。

 男女雇用機会均等法に事業主に対するセクハラ防止規定(第11条)が盛り込まれたのは1997年だった。罰則規定がないなど不備な点もあるものの、2007年、17年の改正を経て、それなりに進化し、機能もしている。その内容が頭に入っていれば、何が問題かは分かって当たり前なのだ。」と切り出した。

 続けて筆者は、「前次官の言動が均等法にいう環境型セクハラなら「番記者を男に変えればいい」という意見は対価型セクハラ(セクハラを告発した人に降格や配置転換を迫るなど)。 どちらも明らかに均等法違反である。

 今度の件で女性記者の配置転換を考えた報道機関も同罪になるのであしからず。

 記者の相談に適切に応じなかったテレビ朝日もセクハラ対策を怠った点で均等法違反だし、その後の「セクハラと縁遠い方々」「ある意味犯罪」「はめられた」などの発言もペケである。」と指摘した。

 最後に筆者は、「厚労省や法務省はせっかくセクハラ対策用のパンフレットを作成しているのだ。それを今すぐ全国会議員に配りなさいよ。

 厚労大臣や法務大臣も暴言にはピシャリとくぎを刺していただきたい。

 この機に一からお勉強。永田町はまだその段階なのだ。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「男女雇用機会均等法に事業主に対するセクハラ防止規定(第11条)が盛り込まれたのは1997年だった。罰則規定が設けられていないなど不備な点もあるものの、2007年、17年の改正を経て、それなりに進化し、機能もしている」とのこと、

 「前次官の言動が均等法に言う環境型セクハラなら「番記者を男に変えればいい」という意見は対価型セクハラ(セクハラを告発した人に降格や配置転換を迫るなど)。どちらも明らかに均等法違反である」とのこと、等々を知ることが出来た。

 「「セクハラと縁遠い方々」 「ある意味犯罪」

 「はめられた」などの発言もペケである」と筆者は指摘した。

 後期高齢者なので、自分は「セクハラとは縁遠い」と、思っていた。が、改めて人のふり見て、わがふり直さなければと、心を引き締めている。ただ、女性へのセクハラをなくするために、「次官を女性にかえたら」というのも、ペケかなあ。


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# by sasakitosio | 2018-04-26 06:27 | 東京新聞を読んで | Trackback

4月23日付朝日新聞朝刊4面に、「政治断簡」という欄がある。筆者は、編集委員・佐藤武嗣氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「すべての公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」。日本国憲法は第15条で公務員の役割をこうさ定めている。

 森友・家計学園問題をめぐる公文書改ざんや、面会記録に知らんぷりを決め込む官僚には、一体どこを見て仕事をしているのかと憤る。

 安倍一強を背景に、服従を強いるかのように人事権を振りかざすのが悪いのか。安倍官邸に取り入ろうとする官僚の忖度が悪いのか。

 いずれにしても、「国民の知る権利」が、ないがしろにされていることだけは確かである。」と切り出した。

 続けて筆者は、「公文書の意義とは何か。2008年に始まった「公文書管理の在り方等に関する有識者会議」の最終報告ではこう説明している。

 「国の活動や歴史的事実の正確な記録である「公文書」は、過去・歴史から教訓を学ぶとともに、未来に生きる国民に対する説明責任を果たすために必要不可欠な国民の貴重な共有財産である」

 公文書は、権力者のために記すのではない。

 ましてや権力者や、それを忖度したものが改ざんするのは、国民と民主主義への背信行為だ。

 数年前、留学先の米国の大学で、ニクソン大統領を辞任に追い込んだ「ウオーターゲート事件」を特報したワシントン・ポストのボブ・ウッドワード記者の講演を聞いた。

 「世の中で最も恐ろしいのは何だと思う?」。

 彼の答えは「Secret govermennt(秘密の政府)」。

 政府の中で何が起こっているのか分からないことほど、民主主義にとって恐ろしい者はないと強調した。

 確かに、独裁国家は、後世に記録を残す必要もないし、むしろ都合の悪い記録は残したくない。公文書の在り方は、その国の民主主義の成熟度を測る尺度とも言える。」と指摘した。

 最後に筆者は、「政府と公文書。それにメデイアはどう向き合うか。権力者は内部記録漏洩に敏感だ。

 ウッドワード氏の講演で、私は「機密文書を入手し、それを報じて国益を損なう可能性がる場合、どう判断するのか」と聞いた。

 「知ったことは書くのが基本。ペンタゴン・ペーパーズをめぐる司法判断でも保証されている」。 それが彼の答えだった。

 ペンタゴン・ペーパーズとは、トルーマン政権など4代の政権によるベトナム戦争の政策判断や秘密工作、軍事記録が記された最高機密文書で、ニューヨーク・タイムズ紙が入手して特報した。

 当時のニクソン政権は記事掲載さし止めを連邦裁判所に要求。

 これはスピルバーグ監督の映画「ペンタゴン・ペーパーズ」でも描かれている。

「ペンタゴン・ペーパーズの司法判断」とは、連邦最高裁の判決だ。

 「報道の自由は守られ、政府の機密事項を保有し、国民に公開できる。制限を受けない自由な報道のみが政府の偽りを効果的に暴くことが出来る」と政府の差し止めを退けた。

 ペンタゴン・ペーパーズはメデイアの特報から11年、最高機密を含む7千ページが全文開示され、今では誰もが国立公文書館のホームページで閲覧できる。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「公文書の意義とは何か。2008年に福田内閣で始まった「公文書管理の在り方等に関する有識者会議」の最終報告ではこう説明している。

「国の活動や歴史的事実の正確な記録である「公文書」は、過去・歴史から教訓を学ぶとともに、未来に生きる国民に対する説明責任を果たすために必要不可欠な国民の貴重な共有財産である」とのこと、

 「公文書は、権力者のために記すのではない。ましてや権力者や、それを忖度した者が改ざんするのは、国民と民主主義への背信行為だ。」とのこと、

 「ウッドワード氏の講演で、私は「秘密文書を入手し、それを報じて国益を損なう可能性がある場合、どう判断するのか」と聞いた。「知ったことは書くのが基本。ペンタゴン・ぺーパーズをめぐる司法判断でも保証されている」それが彼の答えだった」とのこと、

 「ペンタゴン・ペーパーズの司法判断」とは、連邦最高裁の判決だ。「報道の自由は守られ、政府の機密事項を保有し、国民に公開できる。制限を受けない自由な報道のみが政府の偽りを効果的に暴くことが出来る」と政府のさし止めを退けた」とのこと、

 等々を知ることが出来た。

「 ペンタゴンペーパーズがメデイアの特報をから40年を経た11年、最高機密を含む約7000ページが全文開示され、いまでは誰でも米国立公文書館のホウームページで閲覧できる」ことを知って、アメリカの民主主義の成熟度を改めて知った。
 また、トランプ氏のような人が大統領になるようでは、アメリカの民主主義も今だしと思っていたが、「ペンタゴン・ペーパーズの司法判断」を知った今は、アメリカの民主主義は日本の民主主義の100年先を行っているかもしれない、と思った。 


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# by sasakitosio | 2018-04-25 19:51 | 朝日新聞を読んで | Trackback

4月22日付東京新聞朝刊社説横に、「時代を読む」という欄がある。筆者は、哲学者・内山節氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「古代の日本に伝えられた仏教が、最も大事にしていた考え方の一つに「慈悲」があった。

 慈悲とは他人の苦しみや悲しみに共感することでもあり、人々のために努力を惜しまない心である。大乗仏教は利他行を、つまり、自分のためではなく、すべての人々が束縛から離れて、自由に生きられることを目指した修行をきほんいしていた。

 この考え方は、仏教伝来以前から日本にあったのではないかという気がする。

 日本の人々は、大きな力を持つ自然と共に暮らしてきた。その自然はさまざまな恵みを与えてくれるけれど、ときには大災害をもたらす。災害が起きたときには、自分だけのことを考えていたのでは社会はものれず、自分の暮す社会が守れず、自分お暮す社会が崩壊してしあめば、最終的には自分の暮し維持できなくなってしまう。

 たとえ自分は無事だったとしても、被害を受けた人々の苦しみや悲しみを自分のこととして、受け止め、他者のために努力することが、日本では必要な心構えだったのである。」と切り出した。

 続けて筆者は、「ところが人間たちが自然から離れ、人工的な社会がつくられていくと、この伝統的な慈悲や利他の精神は薄れていった。そして自分が勝ち抜ければ良いというような風潮が広がっていった。

 それは自分勝手な生き方を助長しただけでなく、自分たちの利益を守る仲間の世界をつくり出した。仲間の便宜を図り合い、その一員になることによって自分の便宜も図る。そんな利益集団をいたるところに生み出していった。

 恐らく多くの人々は、最近のニュースを見ながら、うんざりしていることだろう。

 政治の世界では仲間内の政治が行われ、便宜を図り合うことによって権力の一員にいつづけようとする人たちが、醜悪な政治の世界を見せつけている。

 財務次官が辞意を表明したプロセスにも、世間では通用しない論理が官庁では通用していて、そういう集団に加わり続けていることによって、自分の利益、立場を守ろうとする人たちの醜悪さが現れてきている。

 それは政治の世界だけのとどまらない。経済の世界でも、企業の中でも、さらにさまざまな職業団体の世界でも、仲間内の利益を守り、その「仲間の世界」の一員であることによって、自分お立場を守ろうとする、そんな構造が広がっていて、そこから度々不祥事が発生してくる。」と指摘した。

 最後に筆者は、「それは日本の近代化とともに発生してきたものでだ。明治になると仲間内の論理が政治や経済を動かすようになった。

 その延長線上に「仲間内の日本」がつくられ、誰もがこの「日本」に群がることによって、アジアへの侵略を正当化させていった。そして他者に思いをはせない国家主義的な日本づくりは戦争、敗戦という社会の崩壊を招いたのである。

 今の日本では、形を変えた新しい社会崩壊が始まっているのかもしれない。

 戦前と共通しているのは、仲間内の論理が通用する雰囲気の広がりであり、他者に思いを寄せない社会の在り方である。いわば格差社会を放置している現実や、他者とともに生きるにはどうしたらよいのかを考えない外交などと、今の醜悪な政治の在り方は一体のものだと考えた方がいい。

 慈善、利他という言葉を大事にした社会を、私たちはもう一度思い出さなけならない。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「慈悲とは他人の苦しみや悲しみに共感することであり、人々のために努力を惜しまない心である」とのこと、

 「大乗仏教は利他行を、つまり自分の為ではなく、すべての人々が束縛から離れて、自由に生きられることを目指した修行を基本にしていた」とのこと、

 「人間たちが自然から離れ、人工的な社会がつくられていくと、この伝統的な慈悲や利他の精神は薄れていった。そして自分が勝ち抜けば良いというような風潮が広がっていった。」とのこと、

 「仲間の便宜を図り合い、その一員になることによって、自分の便宜も図る。そんな利益集団をいたるところに生み出していった」とのこと、

 「政治の世界では仲間内の政治が行われ、便宜を図り合うことによって権力の一員にいつづけようとする人たちが、醜悪な政治の世界を見せつけている」とのこと、

 等々を知ることが出来た。

 筆者は、「慈悲、利他という言葉を大事にした社会を、私たちはもう一度思い出さなければならなくなっている」と指摘した。

 筆者指摘の通りだと思うが、どうやうな具体的に実現していくか。

 筆者はまた、「新しい社会崩壊が始まっているのかもしれない」と指摘した。

 そうかもしれないが、その社会崩壊は果たして人類が止めることが出来るのだろうか?

それに気づいた「識者」に、善処策を考え、それの行く末を「私たち凡人」に教えて頂きたい、と思った。


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# by sasakitosio | 2018-04-25 19:17 | 東京新聞を読んで | Trackback

4月24日付東京新聞朝刊25面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、ルポライター・鎌田慧氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「「原発はアンダーコントロールにある」「平和の為の集団的自衛権の行使、日米同盟の強化」「妻や自分が森友問題に関係していたら総理も国会議員も辞める」

 この三つは、安倍首相の歴史的発言である。

 将来「平成の三大迷言」として、安倍首相の記憶とともに思い起こされるだろう。」と切り出した。

 続けて筆者は、「最初の原発に関する発言は、本人の原発に関する無知が側近の経産省出身官僚たちに利用されたと同情できないこともない。東京オリンピック開会式に首相でいたい欲望の表れだったとしても逃げ遅れた被災者の今後の健康を考えれば罪が深い。

 二つ目、安倍内閣が独善的に決めた集団的自衛権の行使容認は、「専守防衛」で厳しく規制されている自衛隊を、アメリカ政府の圧力に屈服して、「自衛隊」から「米衛隊」に転換させた。

 安倍首相はことあるごとに「日米同盟一体化」を唱え、日本を米軍需産業の巨大な消費市場にした。米資系首相と言っても過言ではない。

 三つ目。これは夫婦の事情だが、取り巻きの学校を立てさせた便宜供与の疑いは、公務員の公文書改ざんまで引き起こした。「行政の責任者」の道義的責任は大きい。」と指摘した。

 最後に筆者は、「「李下に冠を正さず」権力者の節制である。

 「腹心の友・加計氏」や「ドナルド/シンゾウ」と呼び交わしてゴルフに興じながら,なにを頼まれたか。証人喚問に値しよう。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「原発事故はアンダーコントロールにある」との安倍総理の発言は、映像と共にはっきり思い出せる。真っ赤なうそを世界に向かって発信出来る「無恥厚顔」ぶりに驚いた!強烈な印象だった。

 「妻や自分が森友問題に関与していたら総理も国会議員も辞める」と発言しておきながら、便宜供与の疑い、公務員の公文書改ざん問題まで起きている「現実」を前にして、全く責任を感じていない風な「安倍総理」って、なんだ!という気がしてならない。


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# by sasakitosio | 2018-04-25 06:42 | 東京新聞を読んで | Trackback

4月23日付東京新聞朝刊21面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、看護師・宮古あずさ氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにする。

 まず筆者は、「患者さんとこじれる時は、しばしば私の余計なひと言が絡んでいる。

 「やり込めたい」 「一泡吹かせたい」

 という押さえがたい感情。
 その結果、口を突いて出る嫌みや当てこすりが、余計な一言の正体である。

 私は余計なひと言を引き出す感情を、意地悪ホルモンと呼んでいる。元々心の闇に潜み、活性化するとやっかいな本能に思えるからだ。」と切り出した。

 続けて筆者は、「放言、暴言の多くはこれに起因ように見える。

 事務次官のセクハラ発言を巡る麻生財務大臣の発言などは、その典型ではないだろうか。

 セクハラ被害を受けた女性記者について、テレビ朝日からの抗議文書が財務省に出された。

 これを見たかと記者に問われ,麻生氏はこう答えた。

「もう少し大きな字で書いてもらった方が、見やすいと思った程度に見ました」

 まさに余計なひと言。あんなことを言って、一体何の役に立つのだろうか。居合わせた人間を不快にする以外、何の役にも立たない。実に無駄である。」と指摘した。

 最後に筆者は、「作家のフランソワーズ・サガンは哲学者サルトルについて「とても頭のいい人に意地悪な人はいない」と評した。

 本当に賢い人は他者を思い、無駄を排する知性がある。いや、そこまでは望まない。ほんの少し考えただけでも、当てこすりや嫌みが事態をよくしないことは、わかるはずだ。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「意地悪ホルモン」とは面白い。

 意地悪が、ホルモンによっておこるという発想が面白い。

 また、「作家のフランソワーズ・サガンは哲学者サルトルについて「とても頭のいい人に意地悪な人はいない」と評した」とのこと、を初めて知った。

 筆者の言も正しいとすれば、頭のいい人には、意地悪ホルモンがそもそもないのか、それとも意地悪ホルモンの発生を抑える何かが備わっているか、だが。また、故宝井馬琴師匠のことば「殺しても罪にはならぬ、腹の虫」を思い出した。


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# by sasakitosio | 2018-04-24 06:30 | 東京新聞を読んで | Trackback
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7本目のキンランを発見!花開いて、初めて気づく!

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今年、一番はや咲の月見草!機場の池の周りに毎年咲いてくれる!

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栃の木に花が咲いた!

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鬼ぐるみにも花が咲いた!今年初めての発見だ!!

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# by sasakitosio | 2018-04-23 17:31 | 手賀沼をたのしむ | Trackback

4月19日付東京新聞社説に、幹部自衛官暴言のことが載った。

 今日は、この社説を学習することにした。

まず社説は、「背筋がぞっとする異様な行為である。現職の幹部自衛官が国会議員に「国民の敵」などと罵声を浴びせた。旧軍の横暴を想起させ、断じて許されない。再発防止の徹底と責任の明確化を求めたい。

 まず事実関係を確認したい。

 民進党の小西洋之参議院議員によると、16日午後9時ごろ、国会議事堂前の公道で、現職の自衛官を名乗る男が小西氏に「おまえは国民の敵だ」「お前の議員活動は気持ち悪い」などと罵声を浴びせた。

 小西氏の警告にもかかわらず罵声は約20分続き、最終的には発言を撤回した。

 男は航空自衛官で、陸海空三自衛体で構成する統合幕僚監部の指揮通信システム部に勤める三佐。いわゆる幹部自衛官である。

 小西氏は「全国民を代表する選挙された議員」だ。その議員で組織する国会が、自衛隊の組織や活動を法律や予算で決める。指揮監督権を有する首相や内閣を文民とする憲法上の規定と合わせて文民統制(シビリアンコントロール)の

重要な要素である。」と切り出した。

 続けて社説は、「その統制に服すべき国会議員に対し、現職の幹部自衛官が罵声を浴びせるなど言語道断だ。

 自衛隊法は隊員に選挙権の行使を除く政治的行為を制限し、信用を失墜させる行為を禁じている。

 男の行為は自衛隊法に反し、文民統制を脅かす。厳正な処分と再発防止の徹底は当然としても、小野寺防衛相や河野克俊統合幕僚長らの監督責任も免れまい。

 このニュースを聞いて、戦前・戦中の旧日本軍の横暴を思い浮かべた人も多かったのではないか。

 1938年、衆院での国家総動員法案の審議中、説明に立った佐藤賢了陸軍中佐(当時)が、発言の中止を求める議員に「黙っておれ」と一括した事件は代表例だ。

 佐藤中佐は発言を取り消したものの、軍部は政治への関与を徐々に強め、やがて軍部独裁の下、破滅的な戦争へと突入する。」と指摘した。

 最後に社説は、「文民統制は旧軍の反省に基づくものであり、民主主義国家としてそれを脅かすいかなる芽も見過ごしてはならない。

 しかし、小野寺防衛省相は「若い隊員なのでさまざまな思いがあり国民の一人として当然思うことはある」と述べた。自衛官を庇うかのような発言だ。事態の深刻さをよく理解していないのではないか。

 文民統制の軽視は、イラクや南スーダンなど海外派遣部隊の日報隠しにも通底する。「いつか来た道」を歩み出してからでは遅い。自覚と規律を徹底すべきである。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「民進党の小西洋之参院議員によると、16日午後9時ごろ、国会議事堂前の公道で、現職の自衛官を名乗る男が小西氏に「お前は国民の敵だ」「お前の議員活動は気持ち悪い」などと罵声を浴びせた」とのこと、

 「男は航空自衛官で、陸海空三自衛隊で構成する統合幕僚監部の指揮通信システム部に勤める三佐。いわゆる幹部自衛官である」とのこと、

 「男の行為は自衛隊法に反し、文民統制を脅かす。」とのこと、

 「小野寺防衛相は「若い隊員なのでさまざまな思いがあり国民の一人として当然思うことはある」と述べた」とのこと、

 等々を知ることが出来た。

 最高裁が憲法の番人であり、自衛隊は国民の番犬でなけばならない、と思ってきた。しかも、外敵から国民を守るための!その、番犬が守らなければならない「国民」に向かって吠えている、きわめて異常な光景を見るようで、怖いと思った。
 また、それを擁護するかのような防衛相の発言は、自衛隊内に同じような「想い」が抑えがたく蔓延していることを表しているようで、怖い。

 シビリアンコントロールの徹底と問題点の洗い出しを、国民を上げて早急に行わないと、国民全体が不幸になる、と思った。


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# by sasakitosio | 2018-04-23 06:58 | 東京新聞を読んで | Trackback

4月22日付東京新聞朝刊27面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、法政大教授・山口二郎氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「このところ、腐敗や不品行に関して底が抜けた感のある安倍政権である。民主主義に対する脅威という点では、高級官僚のセクハラよりも、現役幹部自衛官が野党国会議員美「国民の敵」と罵声を浴びせた件の方が深刻である。」と切り出した。

 続けて筆者は、「自衛官にも思想、言論の自由はあるという奇妙な擁護論もあるだろう。

 それは誤りである。

 たとえて言えば、自衛隊は日本人を守るガードマンのようなものである。

 ガードマンの方が、自分は敵と思うものを守らないと言い出したらどうなるか。守られるはずの市民がガードマンに気に入られるようびくびくしながら生活するとすれば、それこそ主客転倒である。

 日本では今から80年ほど前に実際にそのようなことが起こったのである。軍人は武器を持っていた。危険な思想に染まれば容易にテロリストに変身した。政治家を殺害し、新聞社を襲撃し、日本は軍政一致の全体主義に転落していった。」と指摘した。

 最後に筆者は、「戦後の自衛隊はそのことへの反省から出発した。吉田茂氏は「自衛隊が国民から歓迎され、ちやほやされる事態とは、国家存亡の危機の時とか、国民が困窮している時だけなのだ。言葉を変えれば、君たちが日陰者である時の方が、国民や日本は幸せなのだ」と言った。

 自衛隊を日陰者にするつもりはないが、自衛隊の本質を言い当てている。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「高級官僚のセクハラよりも、現役自衛官が野党の国会議員に「国民の敵」を罵声を浴びせた件の方が深刻である。」と指摘、

 「軍人は武器を持っていた。危険な思想に染まれば容易にテロリストの変身した。政治家を殺害し、新聞社を襲撃し、日本は軍政一致の全体主義に転落していった」との指摘、等々はその通りだと思った。

 また、「吉田茂氏は「自衛隊が国民から歓迎され、ちやほやされる事態とは、国家存亡の危機

のときか、災害派遣の時とか、国民が困窮している時だけだ。言葉をかえれば、君たちが日陰者であると気の方が、国民や日本は幸せなのだ」と言った」とのことは、いろいろ考えるヒント与えてくれた。

 今日の幹部自衛官の野党の国会議員にたいする「国民の敵」との発言がでる状況は、吉田茂氏の「国家存亡の危機」とか「国民が困窮している時」ことを表しているのだろうか?

 それとも「自衛隊が日陰者」でなくなったことを表しているのかもしれない?

 このところ、「自衛隊に感謝しよう」とか、「憲法に自衛隊を明記しよう」とか、自衛隊が憲法違反だという声が限りなく小さくなって、聞こえなくなった」こととかで、自衛隊総体が自信を持ってきた証ではないか?

 あわせて、コントロールする側のシビリアンの「腐敗や不品行」をみれば、自衛隊の中に「ストレス」がたまるのも理解できない訳ではないが、憲法と民主主主義にとって「存亡の危機」が迫っているのかもしれない。これは、悪夢だ!!

 

 


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# by sasakitosio | 2018-04-23 06:19 | 東京新聞を読んで | Trackback

 4月21日付東京新聞朝刊25面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は文筆家・師岡カリーマ氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「アラブ人とっては「いつもの話」。

 1998年、不倫や偽証疑惑で弾劾の危機にあったクリントン米政権は、スーダンの医薬品工場を爆破した。毒ガスを製造しているというのが理由だったが、その根拠はかなり怪しかったことが後で判明。工場爆破で薬が不足し、スーダン国民には大災難だった。

 2003年3月、ブッシュ米政権は大量破壊兵器を口実にイラクに侵攻。「証拠があるはずの大量破壊兵器は結局見つからなかった。5月、ブッシュ大統領は空母に降り立ち、「任務完了」の横断幕をバックに大規模戦闘終了を宣言した。

 ところが「任務」はその後も延々と続く。

4千人を超える米兵と約20万人のイラク市民が死亡した。混乱の渦から極めて凶暴なテロ組織「イスラム国」が現れた。」と切り出した。

 続けて筆者は、「軍事行動ありきの伝統を踏襲し、やはり国内で足場がぐらつくトランプ大統領がシリア軍による化学兵器使用の証明を待たずに攻撃に出ても、もうアラブ人は驚かない。例の不吉な言葉まで繰り返された。

 「任務完了」と報道されたツイートは、実は「任務完了!」だ。この感嘆符が武力に陶酔しているような軽さを感じさせる。「アサド政権が樽爆弾で国民を殺すのは勝ってだが、化学兵器はだめだ」と言わんばかりの歪んだ義憤も、市民の苦難に対する普段の無関心に照らせば、偽善の悪臭を放つ。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「1998年、不倫や偽証疑惑で弾劾の危機にあったクリントン米政権は、スーダンの医薬品工場を爆破した。その根拠がかなり怪しかったことが後で判明。」とのこと、

「2003年、ブッシュ米政権は大量破壊兵器を口実にイラクを侵攻。「証拠がある」はずの大量破壊兵器は、結局見つからなかった」とのこと、

 「国内で足場がぐらつくトランプ米大統領がシリア軍による化学兵器使用の証明を待たずに攻撃」とのこと、等々を改めて知った。

 そして、米国に「軍事行動ありきの伝統」があるとの指摘は当たっている、と思った。

 テロを誘発しているのが「米国の軍事行動ありきの伝統」にあるように思われる中で、勇ましい「テロとの闘い」を言い続け、支持し続けることは、戦争を永続させる「論理」のような気がしてならない。

 テロをなくすることは、戦争をなくすることではないか、と改めて考えた。

 


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# by sasakitosio | 2018-04-22 06:54 | 東京新聞を読んで | Trackback

4月20日付東京新聞朝刊25面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、作家で元外務省主任分析官・佐藤優氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「週刊新潮が音源とともに報じた女性記者に対するセクハラ疑惑で財務省の福田淳一次官が18日に辞意を表明したが、問題は全く解決していない。16日、財務省が公表した福田氏のコメントによると<お恥ずかしい話だが、業務時間終了後、時には女性が接客しているお店に行き、お店の女性と言葉遊びを楽しむようなことはある>という。

 新潮社のホームページに公開された音源データによると、福田氏とされる人物が

「胸触っていい?」

「予算が通ったら浮気するか?」

「抱きしめていい?」

「手縛っていい?」

 などと話している。いったいどういう言葉遊びをする店に福田氏は出入りしているのか。」と切り出した。

 続けて筆者は、「この店で消費した飲食やサービスの代金は誰が払ったのか、ポケットマネーか公費か、それとも第三者か。

 第三者の場合、国家公務員倫理法に基づき5千円を超える接待を受けた場合は贈与等報告書を提出することが義務付けられている。

 この法律は大蔵官僚(当時)のノーパンしゃぶしゃぶなどなどの過剰接待問題によって生まれた。

 筆者が外務省にいた時期には四半期ごとに締め切りが設けられていた。外務省では、マスコミ関係者との意見交換で先方が会食費を負担した場合でも贈与等報告書を提出していた。

 財務省はではどういう運用がなされているのだろう。マスコミは徹底取材してほしい。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「いったいどういう言葉遊びをする店に福田氏は出入りしているのか」との指摘、

「この店で消費した飲食やサービスの代金は誰が払ったのか、・・・・第三者の場合、国家公務員倫理法に基づき5千円を超える接待を受けた場合は贈与等報告書を提出することが義務付けられている」との指摘、

 「この法律は大蔵官僚(当時)のノーパンしゃぶしゃぶなどの過剰接待によって生まれた」との指摘、等々を知ることが出来た。

 また、福田淳一氏のコメントを見て、昔、昔、小学生のころ「49歳の抵抗」という映画があったことを思い出した。当時は、全く意味が分からなかったが。

今考えると、同じことを、権力者がすると「パワハラ&セクハラ」と言われるんだろう、と思った。

 そして、「お恥ずかしいこと」との前書きの通り、何もかも「私が悪うございました」と頭を下げればいいものを、と私には思われるのだが?


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# by sasakitosio | 2018-04-21 07:15 | 東京新聞を読んで | Trackback