憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

7月17日付東京新聞朝刊25面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、ルポライター・鎌田慧氏だ。

 今日は,この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「サッカーW杯決勝戦の高揚もあって、もう忘れらているかもしれない。が、わたしはまだ7人一挙死刑断行にこだわっている。

 7人にとどまって13人全員でなかったのは、それではジェノサイド、国際世論に反する、との意見もあったからとか。7人でも大量処分にかわりはない。」と切り出した。

 続けて筆者は、「死刑執行命令書に署名した上川陽子法務相が、処刑前夜の5日、東京赤坂議員宿舎のパーティーで安倍首相のそばで、にこやかに笑いながら親指を立てていた。

 明朝7人が絞首台からぶら下がると知らない訳はない。

 死刑執行命令書へのサインを拒んで、任期を全うする法相は過去何人かいた。拒否しなかったにせよ、サインをした法相は自分の指を見つめ、死者の冥福を祈っている、と想像していたがそれは感傷に過ぎない。

 百七年前の1月、大逆事件で24名の死刑判決(12人は減刑)を出したあと、「法官等は横田大審院長の部屋に集まり三鞭(シャンパン)の盃を挙げ書記給仕に至るまで茶菓の供応を受けたり」とは、「東京朝日新聞」松崎天民記者のスクープである。

 今は首相の取り巻き議員が、自慢げにツイッターに投稿する。」と指摘した。

 最後に筆者は、「何があっても世の中変わらない。もやもやして苛立たしい。

 未来もよく見えない。その閉塞感と悪いやつはきっぱり抹殺する快哉が、つながっているなら、怖い世の中だ。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「死刑執行命令書に署名した上川法相が、処刑前夜の5日、東京赤坂議員宿舎のパーティ―で安倍首相のそばで、にこやかに笑いながら親指を立てていた」とのこと、

 「107年前の1月、大逆事件で24名の死刑判決(12人は減刑)を出した後、「法官等は横田大審院長の室に集まり三鞭(シャンパン)の盃を挙げ書記給仕に至る迄茶菓の供応を受けたり」とは、「東京朝日新聞」松崎天民記者のスクープである。」とのこと、

 等々を知ることが出来た。

 自分的には、死刑は廃止し、その代り文字通り「終身刑」にすべきと思っている。死刑囚は自然に死ぬまで、生きながらえて、犯行の原因究明と再発防止に役に立ってほしいと思うからだ。
 が、現在の法制下で、法務大臣に就任した以上「死刑執行命令書」に署名すべきだと思う。
 また、死刑執行命令書の署名を拒否する人は、法務大臣になることを「拒否」すべきだと思う。
 そして、必死になって死刑廃止の法律を作る努力をすべきと思う。

 

 


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# by sasakitosio | 2018-07-18 06:19 | 東京新聞を読んで | Trackback

7月16日付東京新聞朝刊21面に、「本音のコラム」という欄がある。 筆者は、看護師・宮古あずさ氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「2年前、横浜の病院で起きた入院患者の連続不審死事件。消毒液を投与した殺人事件で、31歳の女性看護師が逮捕された。大筋で容疑を認め、被害者は20名を超えるとの情報もある。事実なら、看護師が業務中に行った大量殺人事件である。」と切り出した。

 続けて筆者は、「容疑者逮捕の二日後、7月9日は看護学生に話をする機会があった。私は事件の概要を話し、はっきり言った。「この事件について、容疑者の気持ちが少しでも分かるという人は、今すぐ看護師になるのをやめていただきたいと思います」

 実際、私には全く了解不能な事件である。

 動機について彼女は、「自分の勤務帯に患者が亡くなるのが嫌だった」と言っているそうだ。

 自分の勤務帯の逝去はつらい。これは了解できる。私も勤務中5人の患者が亡くなった際、「なぜ私の勤務帯に重なるのだ」とやりきれない気持ちになった。「前後の勤務帯にずれこんでくれれば」。褒められた感覚ではないが、それほどしんどい勤務だった。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「しかし、取り繕わぬ本音も所詮、ここまで。だからといって死を操作するなど、考えられない。

 こうした事件が起きると、現場の多忙に原因の一端を求める声が上がる。温かい配慮に感謝しつつ、やはりそれは違うと思う。

 どんなに忙しい思いをしても、人を殺そうと思う人間は一線を越えている。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「2年前の、横浜の病院で起きた入院患者の連続不審死事件。消毒薬を投与した殺人容疑で、31歳の女性看護師が逮捕された」とのこと、

 「被害者は20人を超えるとの情報もある。事実なら、看護師が業務中に行った大量殺人。前代未聞の事件である」とのこと、

「「この事件について、容疑者の気持ちが少しでも分かるという人は、今すぐ看護師になるのをやめていただきたいと思います」と看護学生に話した」とのこと、

 「動機について彼女は、「自分の勤務帯に患者が亡くなるのが嫌だった」と言っているそうだ」とのこと、

 「自分の勤務帯の逝去はつらい。これは了解できる。私も勤務中に5人の患者が亡くなった。「なぜ私の勤務帯に重なるのだ」とやりきれない気持ちになった」とのこと、

 等々を知ることが出来た。

 また、テレビで見る逮捕された31歳の女性看護師の表情は、実に幼く見えた。

 筆者の「どんなに忙しい思いをしても、人を殺そうと思う人間は一線を越えている」との指摘はその通りだと思った。

 自分は、一度も入院したことがない後期高齢者だが、何時入院するかわから年齢だ。

 病院関係者には、間違えても病院が殺人現場にならないよう、万全の態勢を確立してほしいと思った。


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# by sasakitosio | 2018-07-17 06:52 | 東京新聞を読んで | Trackback

7月14日付朝日新聞朝刊17面に、「オピニオン&フォーラム 「高橋源一郎の」歩きながら考える」というページがある。

 筆者は、作家・高橋源一郎氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「麻原彰晃らオウム真理教事件の死刑囚7人の刑が執行された。日本の裁判制度の下で一度に執行された例を見つけるには、明治44(1911)年の「大逆事件」死刑囚12人の執行まで遡らねがばらない。

 明治政府は、この「社会主義者・無政府主義者」たちの「天皇暗殺未遂」を重大視し、摘発後8カ月で24人に死刑判決を下した。執行はその僅か6日後(菅野スガの処刑は翌日)である。

 この一連の「政治ショウ」は、国家に反逆しようとする者がどのような運命をたどるかを見せつけるものであった。

 数カ月前、オウムの死刑囚たちが一斉に拘置所を移送され、処刑の可能性が高まった。

 しばらくしてわたしは、オウムの拠点があった山梨県旧上九一色村を歩いた。そうそこにはオウムを思い起こすものはなにもなかった。

そして、麻原のいる東京拘置所の回りも歩いた。 どちらも、歩きながら様々な思いが浮かび上がったが、それを正確に書き記すことは難しいような気がする。」と切り出した。

 続けて筆者は、「地下鉄サリン事件があってオウムの施設に警察が入った頃、私は麻原の著作を何冊もまとめて読んだ。

 メディアから伝わってくる人物像ではなく、自分の手と頭で、彼がどんな人間なのかを知りたいと思った。

 その時も、23年たったいまも、印象はほとんど変わらない。彼の言葉はひどく単純だ。

 「人は死ぬ。必ず死ぬ。死は避けられない。その避けられない死に対して、どのようにアプローチするのか・・・・それが私たちの課題です・・・・最後に何を為せば天界へ行くのかと、それは簡単です。

 まず真理を学び、布施をなし、奉仕をなし、そして天界へ行くぞと・・・そのために少しぐらいの苦痛は落とさなければならないと」(「麻原彰晃の世界」第一巻)

 どの本も全部同じだった。

 自信たっぷり。

 断言。 

 断言。

 断言。

 俺は正しい。

 言うことを聞け。

 バカみたいだ。そんなもの読む必要なんかまるでない・・とは思わなかった。

 なぜなら、「麻原の言葉」に似たものは、実はわたしたちの回りに溢れているように思えたからだ。

 どうして、そんな愚かな言葉にひっかかったのか。いや、いまも多くの人たちがひっかっかるのか。

 オウム真理教・元「科学技術省」次官の豊田亨は、自分がどんなふうに麻原の言葉に絡め取られていったか上申書にこうかいていた。

 「(麻原の指示に従わないのは自分の煩悩であり心の穢れであると村井秀夫幹部に言われた後)自分はこの答えを聞いて完全に納得したわけではありませんでしたが、結局、村井さんのいうように、「自分の考え」というもの自体が自分の煩悩であり、穢れである、として自分の疑問を封じ込めるようになりました」(降幡賢一「オウム裁判と日本人」)

 オウム真理教に集まった人たちの多くは、元々は現代社の矛盾に悩む善男善女たちだったろう。だが、彼らに送った麻原の回答はひとことでいうなら「自分の考え」を持つな、ということだった。

 豊田は、そのことについて別の言い方をしている。

 「簡単に言えば、教祖という存在を絶対とし、その指示に対しては疑問を持たず、ひたすら実行することが修行であると考えていた」(同)

 だが、この国では、70年以上前には、国民全体が、ある存在を「絶対とし、その指示に対しては疑問を持たず、ひたすら実行」していたのではなかったか。

 この国に戦争を仕掛けた、オウムという小さな「国」は、実は相手にそっくりでもあった。

 公判の途中から、麻原は精神を病んだとも、そのふりをするようになったとも言われている。

 その真偽を判別する能力は私にはない。

けれど、麻原は、自分が何者であるかを自覚していたように思う。

 初公判から1年後、麻原は初めて意見陳述を行った。

 「(第三次大戦で「敗れて」しまった結果)もう日本がないというのは非常に残念です・・・これを米軍のエンタープライズのような原子力空母の上で行うということは、非常にうれしいというか、悲しいというか、特別な気持ちであります」(同) 幻想(妄想?)の中で、麻原は、戦いに敗れた虚構の国家の代表として、想像上の「敵国」アメリカの軍艦の艦上にいた。

 ちょうど。第二次世界大戦に敗れ、戦艦ミズリー号の甲板で降伏文書に調印した日本国の代表のように。

 その言葉は、麻原の「思惑」を超え、私たちの喉に小骨のように突き刺さる。

 こう聞こえるからだ・・あの(戦争)で、私の「国」の10万倍もの日本人を死に追いやった日本国よ、お前たちの責任はどうなったのか?

 地下鉄サリン事件の20数年前、連合赤軍と呼ばれる急進的な武装組織が世間を騒がせた。

 夢想に近い「社会主義革命」理論を掲げた彼らは、テロと内ゲバの死者10数人を残し、自滅していった。

 唯一の「正しい」理論が全てを支配する組織、という点では、オウムに酷似していたように思う。

 そして彼らも社会から激しく糾弾された。

 その頃、20歳そこそこだったわたしは、その様子を複雑な思いで眺めていた。

 メンバーの中には、知人がいたからだ。

 いや私もまた、その周囲にいた若者のひとりとして、誘われていたからでもあった。

 なぜ、あのときわたしは彼らの誘いに乗らなかったのだろう。

 この社会にはおかしなところが、あった。

 彼らは、「正しい(と彼らが考える)理論で、わたしにそれを説明した。

 確かに、彼らの主張は「正しい」ように見えた。

だが、その「正しさ」は、私には少々息苦しかった。

 社会も、その社会を否定する彼らも、どちらも私が大切にしたい「自分の考え」を気にしてくれないように思えた。

 頼りなく、弱弱しいかも知れないが、私は「自分の考え」で判断したかったのだ。仮に、その判断が間違っていたとしても。

 私は連合赤軍事件を即座に否定することが出来なかった。

 「総括」と称し、些細な理由で、彼らは同じ組織の人間たちを次々と殺していった。

 もしかしたら、私も、殺す側か殺される側かどちらかの人間になっていたかも知れないからだ。

 」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「オウム事件はどうだろうか。彼らは、私たちと無縁な、想像を絶する悪人たちで、彼らを処罰すれば、解決するのだろうか。

 戦前は、天皇に忠誠を誓うのが「正しい」ことだった。

 戦後はそれが否定され、高度経済成長期には、豊かになることが「正しい」とされた。

 きっと、今も何か「正しい」ことがあって、それにみんな従うのだろう。

 「正しい」ことは時代によって異なるが,弱々しい「自分の考え」より、みんなが支持する「正しい」考えが優先される社会のあり方は変わらない。

 だとするなら、麻原を処刑しても社会は、自分とそっくりな、自分を絶対正しいと主張する別の麻原を生み続けるような気がするのである。」として締めくくった。

 その後に、「ともに歩いて」という囲み記事がある。筆者は、編集委員・塩倉裕氏だ。

 筆者は、「旧上九一色村では、痕跡のないサティアン跡地を、迷子になりつつ探しました。

 村に来たオウム信者をどう受け止めたのか。

 髙橋さんの問いに、現地の男性は、「あなた方の社会を我々は否定している、と信者に言われた。一緒にやっていくのは無理だと思った」と振り返りました。

 社会と共生する意思がないように見える人々と共生できるのか。

 住民が直面させられた問いの重さを感じました」と教えてくれる。

読んで勉強になった。

 「地下鉄サリン事件があってオウムの施設に警察が入った頃、私(筆者)は、麻原の著作を何冊もまとめて読んだ。」とのこと、

 「メデイアから伝わってくる人物像ではなく、自分の手と頭で、彼がどんな人間なのかを知りたいと思ったのだ」とのこと、

 「彼の言葉はひどく単純に思えた」とのこと、

 「「人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。その避けられない死に対して、どのようにアプローチするのか…それが私たちの課題です。最期に、何をなせば天界へ行くのかと。それは簡単です。まず真理を学び、布施をなし、奉仕をなし、そして天界へ行くぞという思念をすると。私は来世、天へ行くぞと・・・そのために少しぐらいの苦痛は落とさなければならないと(「麻原彰晃の世界」第一巻)
どの本も全部同じだった。」とのこと、

 「どうしてそんな愚かな言葉にひっかかったのか。いや、いまも多くの人たちがひっかかるのか」と指摘、

 「オウム真理教・元「科学技術省」次官豊田亨は、自分がどんなふうに麻原の言葉に絡め取られてていったかを上申書にこう書いた。

 「(麻原の指示に従わないのは自分の煩悩であり心の穢れであると村井秀夫幹部に言われた後)自分はこの答えを聞いて完全に納得したわけではありませんでしたが、結局、村井さんの言うように、「自分の考え」というもの自体が自己の煩悩であり、けがれである、として自分の疑問を封じ込めるようになりました」(降幡賢一「オウム裁判と日本人」)」とのこと、

 「豊田は、そのこと(自分の考えを持つな)について別の言い方をしている。「簡単に言えば、教祖という存在を絶対とし、その指示に対しては疑問を持たず、ひたすら実行することが修行であると考えていた」(同)」とのこと、

 「初公判から1年後、麻原は、こう発言している。
その長大で奇怪な陳述の最後に、麻原は、こう発言している。
 「(第三次大戦で「敗れて」しまった結果)もう日本がないというのは非常に残念です・・・これを(米軍の)エンタープライズのような原子力空母の上で行うということは、非常にうれしいというか、悲しいというか、特別な気持ちであります」(同)

 幻想(妄想)の中で、麻原は、戦いに敗れた虚構な国家の代表として、想像上の「敵国」アメリカの軍艦の艦上にいた。」とのこと、

 「地下鉄サリン事件の20数年前、連合赤軍と呼ばれる急進的な武装組織が世間を騒がせた。夢想に近い「社会主義革命」理論を掲げた彼らは、テロと内ゲバの死者十数人を残し、自滅していった。唯一の「正しい」理論がすべてを支配する組織、という点では、オウムに酷似していたようにおもう。」とのこと、

そして、筆者は、「戦前は、天皇に忠誠を誓うのが「正しい」ことだった。戦後はそれが否定され、高度経済成長期には豊かになることが「正しい」とされた」とのこと、、 

 「きっと、いまも、なにか「正しい」ことがあって、それにみんな従うのだろう」とのこと、

 「「正しい」ことは時代によって異なるが、弱弱しい「自分の考え」より、皆が支持する「正しい」感挙げが優先される社会のあり方は変わらない」とのこと、等々を教えてくれた。

 結論として、筆者は「だとするなら、麻原を処刑しても社会は、自分とそっくりな、自分を絶対正しいと主張する別の麻原を生み続けるような気がするのである」と教えてくれる。

 それでは、麻原彰晃の死刑後も、別の麻原を生みつづけないためには、筆者の指摘から考えられることは、国民一人一人がたとえ弱々しくても「自分の考え」をもち、皆が支持する「正しい」考えを優先しない、ということのようだ。

 また、「天界」の「存否」そのものの考察が課題であり、弱弱しい「自分の考え」がみんなが支持する「正しい」考えに、決して劣後しないという考察も課題であるのかも知れない、と思った。 
さらに、編集員・塩倉裕氏の「ともに歩いて」を読んで、「現地の男性は「あなた方の社会を我々は否定している」と信者に言われた」とのことを初めて知った。。
 日本国憲法のもとに、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を柱として成り立っている「われわれの社会を否定する」団体=オウム真理教ってなんだったんだ、と思った。
 信教の自由・集会結社の自由の享受があって、存在している「オウム真理教」が、「あなた方の社会」を 否定している!?何とも理解しがたい思いだ。
 そして結果的には、宗教の名を借りた「大量・無差別殺人集団」であったことが判明した「団体」に対しては、日本国憲法の集会結社の自由を認めていいのか、と言う疑問が湧いてきた。


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# by sasakitosio | 2018-07-16 16:15 | 朝日新聞を読んで | Trackback

7月8日付東京新聞朝刊24面~25面のわたって「こちら特捜部」というページがある。

 中で、「カルト」は今、という見出しでカルト問題を扱っている。

 今日はこの記事を学習することにした。

 まず、記事は「1999年に人類が滅亡するーー。そんな予言が人々を不安にさせた世紀末に、オウム真理教は一連の事件を起こした。

 教団代表の麻原彰晃死刑囚(63)=本名・松本智津夫=はハルマゲドン(世界最終戦争)で信者をあおり、凶行に走らせた。

 そして新世紀。それなりに幸せな世の中に、不況が暗い影を落とす。

 7年前には東日本大震災も起きた。

 あの頃若者の心をつかんだ「カルト」と呼ばれる狂信的な宗教は今、どうなっているのか。(中沢佳子、橋本誠)」と切り出した。

 続けて記事は、「「オウム真理教?名前ぐらいしか知らない」。週末の午後らしくにぎわう東京・渋谷駅のハチ公前広場。友人と待ち合わせていた群馬県邑楽町の大学3年生の女子学生(21)は首をかしげる。「はまる人の気持ち、よく分からない」

 東京都府中市の男性会社員(24)は「地下鉄サリン事件を起こした集団とは知っている」と話す。当時の若い信者と同世代。だが「僕も友人も、カルトっぽい集団に勧誘されたことない。誘われてもまず入らない。オウムに入信した人は、洗脳されちゃったんですかね」と話した。

 地下鉄サリン事件が起きた23年前、今とは社会の雰囲気が違った。

 恐怖の大王によって1999年に地球が滅ぶという「ノストラダムスの大予言」が話題となり、なんとなく、多くの人の心に終末思想が根を下ろしていた。

 6日に執行された麻原死刑囚はハルマゲドンや「終末」を言い立てて多くの若者の心をつかんだ。そして「救済」と称し、信者を大量無差別殺人へと駆り立てた。

 今は違う。

 世紀末には何も起きず、地球も無事だった。

 男性会社員は「世界のおわり?全然感じない」と苦笑する。

 大学二年の女子学生(19)も「今はインターネットでいろんな情報や意見も手に入る。それを見ると、この先の社会が暗いとは思えない」

 終末は、若者の心に響かない。カルトは過去のものになったのか。

 「「ゴスペルコンサートをやります」「ボランテイア活動に参加しませんか」。にこやかに誘われていくと、楽しそうなコンサートを聞いたり、公園の清掃したり、いい人ばかり。次はセミナー。一泊の合宿が次は1週間・・・。マインドコントロールにかけられ、気付いたら抜け出せない」

 法政大はこんな文章で始まる文章をホームページに(HP)に乗せた。

 国際交流などの活動を装ったり、アンケートしたりで個人情報を入手するのがカルト的集団の手口。

 脱会しても学業を続けられない精神状態に陥った学生もいた。

 「サークルをかたる宗教勧誘は日常茶飯事。しつこい勧誘の相談も月一回はある」と担当者。

 定期的に消費生活センター職員によるカルトや悪質商法などの研修会も開いている。

 中央大の担当者は、「学制ガイダンスの際に、カルト系団体や詐欺の被害について指導している」。

 青山学院大は、弁護士が監修した薬物やカルト、悪質商法などの事例解説冊子を新入生に配っている。

 ソーシャルメデイアを使った接触への警戒も。

 上智大は「主催者不明のアカウントをフォローしない、安易に投稿しない」とHPで警告。

 慶応大も「ソーシャルメデイアで知らない人からサークルや勉強会の勧誘を受けて場合、まず怪しいと思ってほしい」と指導している。

 これだけ大学が学生に注意を促すのは、カルト的集団にはまる若者が後を絶たないからだ。」と教えてくれる。

 さらに記事は、「カルト的団体は、どのように生まれ、今はどうなっているか。

 西田公昭・立正大教授(社会心理学)によると、カルトは時代背景を巧みに取り入れてきた。

 1970年代は共産主義革命など政治思想的なもの、80年代は社会改革や自己啓発、90年代はバブル経済の終焉や世紀末の不安だ。

 「日本はバブルで物質的な豊かさに到達した。しかし、お金は人を幸せにせず、精神世界でしか幸せになれないと感じる人たちがオウムに集まった。

 ハルマゲドンもあおり、合わせ技で信者を集めていった。

 世紀末が終わり、2000年代に入っても、経済的な豊かさに人生の意味を見いだせない時代は続く。

 「不景気、就職難で、既存の日本のシステムに乗って大きな会社にはいっても人生の豊かさにつながらない。心の閉塞感は続いている」

 会員交流サイト(SNS)などインターネットも発達した。

 「ネットで孤独になり、心の居場所がなくなる。未来が見えない感覚は今も続いている」。

 現在は小さな団体がたくさんでき、被害に遭っている人の数は減ってはいないとみる。

 「自己啓発やNPO法人を名乗っているものもある。地球が破滅するような過激なことは言わず、個人の救済を目指すものが多い」

 11年の東日本大震災と福島第一原発事故もこんな風潮を強めた。

 「とくに原発事故は、誰も信用できないという思いを抱かせた。カルトは社会に希望が持てない時、理想郷のような話を掲げて現れる」

 「日本脱カルト教会」理事で福島県白河市の竹迫之牧師も「オウム事件の後、期待に反してカルトは増えた。「私たちはオウムと違う」などと活発化した団体が多い。ネットワークビジネスに手を出した信者もいる」と指摘する。

 東日本大震災後には、被災者に供養などの名目で接近するカルトが出現。ボランテイアや避難者を狙った勧誘はかなり尾を引いた。

 ただ、カルトが増える本質は、震災よりも格差拡大で貧しい人が増えたことにあると、竹迫氏は推測する。

 「全体で集まって一体感を感じさせ「これなら儲かる」「社会で勝ち残れる」と褒めちぎるブラック企業や自己啓発セミナーはカルトそっくり。

 集団心理で元気になる。高揚感が忘れられずリピーターになる」

 東北學院大の浅見定雄名誉教授は「オウム後の特徴は、カルト分派がたくさんできたこと。

 麻原死刑囚のような教祖がいて、心を人工的にいじるマインドコントロールを施せば、信者は着いて来て、儲かる」と指摘する。

 神道系もあれば、宗教でなく自然農法を掲げる者もある。50~60人程度の小規模の信者集めが際限なく行われているという。

 上智大の島薗進教授(宗教学)は、宗教集団に代わって国家に聖なる価値を見出す人々に勢いを感じている。

 「美しい日本の国を掲げ、外部に攻撃的、戦前の天皇崇敬、国体・皇国史観のような傾向が強まっている」と語る。」と教えてくれる。

 最後に記事は、「ヘイトスピーチや、森友学園の系列幼稚園で教育勅語を園児に暗唱させるような傾向を警戒し、「スピリチュアリティやパワースポットに人気が集まるのは、娯楽の面だけでなく、ナショナリズムに繋がっている部分もある」と見る。

 世界的にも、78年の「人民寺院」や93年の「ブランチ・ダビデイアン」の集団自殺のような宗教団体の事件よりナショナリズムが強まっている。

 「オウムは反体制的だったが、今は政権と近い所で宗教ナショナリズムが広がっている」。

 カルトは時代と共に姿を変えている。」として締めくくった。

 カルト教団は何故生まれたのか?

 それを防ぐ手立てはあるのだろうか?

 オウムの暴走は、どんな宗派にも内在するものではないのか?

 オウムに絡め取られた人々はどんな人々なのか?

 カルト教団に絡め取られない手立てはあるのだろうか?

 オウムのサリン事件が起きて以来、ずっと疑問を持ち続けてきた。その解を見つけたいとウロウロし続けている。

 この記事もそんな期待をもって、読ませていただいた。

 「カルト的団体はどのようにして生まれ、今はどうなっているのか。

 西田公昭・立正大教授(社会心理学)によると、カルトは時代背景を巧みに取り入れてきた」とのこと、

 「1970年代は共産主義革命など政治思想的なもの、80年代は社会改革や自己啓発、90年代はバブル経済の終焉や世紀末の不安だ」とのこと、

 「(オウムは)「日本はバブルで物質的な豊かさに到達した。しかし、お金は人を幸せにせず、精神世界でしか幸せになれないと感じる人が集まった。ハルマゲドンもあおり、合わせ技で信者を集めていった」とのこと、

 「カルトは社会に希望が持てない時、理想郷のような話を掲げて現れる」とのこと、

 「東北学院大の浅見定雄名誉教授は「オウム後の特徴は、カルトに分派がたくさん出来たこと。麻原死刑囚のような教祖がいて、心を人工的にいじるマインドコントロールを施せば、信者は着いて来て、儲かる」と指摘する」とのこと、

 「世界的にも、78年の「人民寺院」や「93年の「ブランチ・ダビディアン」の集団自殺のような宗教団体の事件より、ナショナリズムが強まっている」とのこと、等々を知ることが出来た。

 が、まだオウム誕生の必然性と偶然性、オウムの無差別殺人は必然的だったのか、偶然だったのか、分からない? 
 人間と宗教の根源的な理解が、必要なような気がしている。

 

 


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# by sasakitosio | 2018-07-16 11:43 | 東京新聞を読んで | Trackback

7月15日付東京新聞朝刊27面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、法政大教授・山口二郎氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「西日本を襲った大水害は、わが国の政治の底知れぬ堕落をも炙り出した。

 7月5日夜、気象庁が今まで経験したことのない集中豪雨について警報を発しているさなかに、総理大臣、防衛大臣、官房副長官が大勢の自民党議員と議員宿舎で酒宴を催した。多くの議員がこの宴会の写真を会員交流サイト(SNS)にあげた。」と切り出した。

 続けて筆者は、「この件について官房副長官は国会で野党議員から追及され、謝罪した、情報発信には今後気を付けると述べたとNHKニュースは報じた。

 百人以上の人命を奪う大災害が起ころうとしている時に危機管理の責任者が能天気に酒宴をしたことを反省するのではなく、情報発信に反省しているとはどういうことか。

 指導者の軽さには耐えられない思いである。

 おそらく、安倍首相の最大の関心事は9月の自民党総裁選挙で三選を果たすことであろう。

 そのためには、自民党の議員を手なずけ、パリ祭の行事に参加可能性を最後まで追求した。」と指摘した。

 最後に筆者は、「虚偽、捏造の内閣は、国民の命に対する責任感まで捨て去った。

 このことに国民が怒らないならば、危機感を持たないならば、日本は安倍政権もろとも滅びの道を進むしかない。

 山体の崩壊は、政治の崩壊を暗示している。

 異常気象だけでなく、政治の劣化に対しても緊急警報を鳴らすべき時である。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「7月5日夜、気象庁が今までに経験したことのない集中豪雨について警告を発しているさなかに、総理大臣、防衛大臣、官房副長官が大勢で自民議員と議員宿舎で酒宴を催した。」とのこと、

 「多くの議員がこの宴会の写真を会員制交流サイト(SNS)にあげた」とのこと、

 「この件について官房副長官は国会で野党議員から追及され、謝罪し、情報発信には今後気を付けると述べたとNHKニュースは報じた」とのこと、等々を知ることが出来た。

 筆者は、「百名以上の人命を奪う大災害が怒ろうとしている時に、危機管理の責任者が能天気に酒宴を催したことを反省するのではなく、情報発信について反省しているどういうことか」と怒っている。ごもっともである。

 また。、筆者は、「山体の崩壊は、政治の崩壊を暗示している。異常気象だけでなく、政治の劣化に対しても緊急警報を鳴らすべき時である」と指摘する。その通りだと思う。

 ただ、これからの「持続可能な」世界や人類の進むべき道、そしてその中で日本国と日本国民が将来進むべき道、目下何をすべきかを明確に示している「内閣と官僚」「与野党の国会議員」が見当たらないことが、より深刻なような気もする。

 


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# by sasakitosio | 2018-07-16 06:52 | 東京新聞を読んで | Trackback

7月14日付東京新聞朝刊25面に、「本音のコラム」と言う欄がある。筆者は、文筆家・師岡カリーマ氏だ。
 今日は、この筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「メキシコ経由でアメリカに不法入国する移民に関し、トランプ大統領は「人殺しやレイプ犯」だの「わが国に寄生する」だのといった表現を再三使い、越境する移民を子供(乳児も含む)と引き離すという暴策まで強行して非難を浴びた。

 本当にトランプ氏が言うように移民は犯罪増加をもたらしているのだろうか。

 ノーベル経済学賞に輝くアメリカの経済学者ポール・クルーグマン教授は異論を唱える。」と切り出した。

 続けて筆者は、「教授がニューヨーク・タイムズ紙に寄せたコラムによれば、米国では、不法移民を含め移民が多い地域ほど重犯罪率は低い。

 米国の凶悪犯罪は約60年前の水準まで減少しており、移民の犯罪率は自国民のそれより低いこともデータは示している。

 つまり大統領の非人間的な移民政策は「ありもしない脅威」に基づいているというのだ。

 トランプ氏はまた、ドイツでも移民流入で犯罪が増えたと主張する。実はそれも、数字が反証している。移民の犯罪は大きく報道されるので、増えたように見えるだけのことなのだろう。」と指摘した。

 最後に筆者は、「少子化日本も、間もなく移民を受け入れるしかなくなるだろう。 いまだに拒否反応が根強い背景には、治安悪化の懸念がしばしば挙げられる。

 しかし、万人の労働に正当な対価が保証され、外国人を疎外しない包容力のある社会である限り、彼らが犯罪に走る心配はないはずだ。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「教授(ポール・クルーグマン氏)がニューヨーク・タイムズ紙に寄せたコラムによれば、米国では、不法移民を含めた移民が多い地域ほど重犯罪は低い。60年前の水準まで減少しており、移民の犯罪率は自国民のよれより低いこともデータは示している」との指摘、

 「トランプ氏はまた、ドイツでも移民流入で犯罪が増えたと主張する。実はそれも、数字が反証している」との指摘、

 「少子化日本も、まもなく移民を受け入れるしかなくなるだろう。今だに拒否反応が根強い背景には、治安悪化の懸念がしばしば挙げられる」との指摘、等々の指摘は理解できた。

 そして筆者は、「万人の労働者に正当な対価が保証され、外国人を疎外しない包容力のある社会である限り、彼らが犯罪に走る心配はないはずだ」と教えてくれる。その通りだと思う。

 しかし、「万人の労働に正当な対価が保証される」ことは比較的容易な気がするが、「外国人を疎外しない包容力のある社会である」ということは日本では結構な時間がかかるような気がする。


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# by sasakitosio | 2018-07-15 07:30 | 東京新聞を読んで | Trackback

7月13日付東京新聞朝刊25面に、「本音のコラム」と欄がある。筆者は、作家で元外務省主任分析官・佐藤優氏だ。

 今日は、の筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「法務省は6日、1995年3月の地下鉄サリン事件など計13事件で殺人罪などに問われ、死刑が確定したオウム真理教元代表麻原彰晃(本名・松本智津夫)元死刑囚ら7人の教団元幹部の死刑を執行し、発表した。

 オウム真理教は「狂気のカルト」というレッテルを貼っても、問題の本質は分からない。

 どの宗教にも潜む本質的な危険性について、掘り下げて考える必要がある。」と切り出した。

 続けて筆者は、「筆者は、日本最大のプロテスタント教派である日本基督教団に所属するキリスト教徒だ。

 同志社大学神学部と大学院で組織神学(キリスト教の理論)を研究した。

 現在も研究を続けているので神学者でもある。

 筆者はキリスト教徒として、処女降臨や死人(イエス)が三日目に復活したこと、この世の終わりの日にキリストが再臨すると本気で信じている。

 近代の合理主義を基準にすれば、キリスト教徒も常軌を逸した信念をもっていることになる。

 キリスト教徒も信仰の為に死ぬことを恐れない。

 自分の命を捨てる決意をした人は他人の命を奪うことに対する抵抗感が薄れることは、過去のキリスト教絡みの宗教戦争の歴史が示している」と指摘した。

 最後に筆者は、「オウム真理教の暴発を防ぐためにわれわれキリスト教徒にもできることがあったはずだ。

 宗教の危険を伝え、防止する手段を考えることも神学者の責任だと思う。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「どの宗教にも潜む本質的な危険性について、掘り下げて考える必要がある」とのこと、

 「筆者はキリスト教徒として、処女降誕や死人(イエス)は三日目に復活したこと、この世の終わりの日にキリストが再臨すると本気で信じている」とのこと、

 「近代の合理主義を基準にすれば、キリスト教徒も常軌を逸した信念を持っていることになる」とのこと、

 「キリスト教徒も信仰の為に死ぬことを恐れない。」とのこと、

 「自分の命を捨てる決意をした人は他人の命を奪うことに対する抵抗感が薄れる」とのこと、

 等々を知ることが出来た。

 そして、筆者の「宗教の危険を伝え、(オウム真理教の暴発を)防止する手段を考えることも神学者の責任だと思う」との指摘は、そうかもしれないと思った。が、具体的にどのような手段があったと、筆者が考えているのか、次の機会に「本音コラムで」示して頂くとありがたい。

 また筆者の指摘する「どの宗教にも潜む危険性について」は、特に教えてほしいと思った。


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# by sasakitosio | 2018-07-14 06:09 | 朝日新聞を読んで | Trackback

7月11日付朝日新聞朝刊3面に、「自然エネ100%{24}水素」という記事が載った。

 今日はこの記事を学習することにした。

 まず記事は、「東京電力福島第一原発事故で全町民が避難した福島県浪江町の海岸沿いで、大規模な造成工事が進む。2020年の東京五輪・パラリンピックで使うため、太陽光発電で水を電気分解して水素を製造する世界最大級の施設をつくるという。国指導による「福島イノベーション・コースト構想」の中核事業だ。

 予定地の棚塩産業団地は、かって東北電力が浪江・小高原発を計画した場所だった。町議会は1967年に原発誘致を決議し、福島第一原発事故後の11年12月に白紙撤回した。

 東北電力は原発を断念し、13年128ヘクタールを町に譲渡する。昨年8月には、国立研究開発法人の新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が東北電と東芝、岩谷産業による水素製造のプロジェクトを採択した。

 水素製造の誘致を主導したのは町長の馬場有だ。昨春の避難解除の際、街は復興計画に「水素エネルギーを活用したまちづくり」を盛り込んだ。

 副町長の本間茂行(45)は「町長はいつも「水素。水素」。非常時に対応できることに魅力を感じていた。」という。」と切り出した。

 続けて記事は、「「原発をつくらなくて本当によかった」。

 この春、7年ぶりに自宅に戻った地権者の前田知義(79)は、つくづくそう思う。当初は原発に反対したが、途中で賛成に転じた。

 ただ、住民の反対運動は消えることなく、福島第一原発事故で計画は水素に変わった。

 だが、前田は完全に安心しているわけではない。「原発のようにここにいられなくなることはないだろうが、爆発が起きても大丈夫な対策が必要だ」という。

 昨年11月30日、風力発電から水を電気分解して水素をつくる実証施設(北海道苫前町)で、爆発事故があった。

 酸素の排気管が凍結して圧力が高まり、水素と混じって着火したのだ。

 タンクが破裂して施設の屋根やシャッターが壊れた。けが人はいなかったが、NEDOは調査結果を踏まえて今年6月に住民説明会を開き、施設の設計をやり直している。」と教えてくれる。

 最後に記事は、「水素の活用が最も期待されるのは燃料電池車(FCV)だ。だが、世界的には電気自動車(EV)へのシフトが進む。

 政府が昨年12月に「水素基本戦略」で描いた水素社会は実現するのか。

 浪江町には目が離せない状況が続く。

 水素社会の到来を夢見た馬場は今年6月27日、胃がんのため、69年の生涯を閉じた。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「福島県浪江町の海岸沿いに、大規模な造成工事が進む」とのこと、

 「太陽光発電で水を電気分解して水素を製造する世界最大級の施設をつくるという。国主導による「福島イノベーション・コースト構想」の中核事業だ」とのこと、

 「予定地の棚塩産業団地は、かって東北電力が浪江・小高原発を計画した場所だった」とのこと、

 「町議会は1967年に原発誘致を決議し、福島第一原発事故後の11年12月白紙撤回した」とのこと、

 「東北電力は原発を断念し、13年、128ヘクタールを町に譲渡する。」とのこと、

 「昨年8月には、国立研究開発法人の機構新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が東北電と東芝、岩谷産業による水素製造プロジェクトを採択した」とのこと、

 「昨年11月30日、風力発電から水を電気分解して水素をつくる実証施設(北海道苫前町)で、爆発事故があった。酸素の排気管が凍結して圧力が高まり、水素と混じって着火したのだ。タンクが破裂して施設の屋根やシャッターが壊れた。」とのこと、

 「けが人はいなかったが、NEDOは調査結果を踏まえて今年6月に住民説明会を開き、、施設の設計をやりなしている。」とのこと、

 等々を知ることが出来た。

 また記事を読んで、「政府が昨年12月に「水素基本戦略」で描いた水素社会」のこと、

 「水素社会の到来を夢見た馬場は今年6月27日、胃がんのため、69年の生涯を閉じた」とのこと、等々も知ることが出来た。

 早速ネットで「水素基本戦略」とそれに関連した「30年度予算措置」も見ることが出来た。

 脱原発の言葉は発見できなかったが、再エネ、水素社会の実現、はゴールはエネルギー革命であり、脱原発だと思った。

 新潟県の巻原発を断念し、また浪江・小高原発をも断念した「東北電力」が、この水素製造プロジェクトに加わっていることは驚きであった。  

 そして、ほっとした。

 この事業を一日もはやく成功させ、電力会社がこぞって「脱原発」後へ安心して歩み始めるためには、「再エネから水素社会の実現」は絶好のテーマだと思った。

 


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# by sasakitosio | 2018-07-13 06:40 | 朝日新聞を読んで | Trackback

7月10日付朝日新聞朝刊7面に、「波聞風問」という欄がある。筆者は、編集委員・多賀谷克彦氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「「次の仕事は、彼らが公平な評価基準で昇格する仕組みを作ることです」

 インタビューした人の言葉で記憶に残る一言がある。

 マツダの当時、デザイン本部長だった前田育男さんの言葉もそうだった。

 マツダは「魂動」というデザイン哲学を掲げ、次々と格好いい自動車を出していた。その取り組みを聞いていた時のことだった。」と切り出した。

 続けて筆者は、「前田さんが言う「彼ら」とはデザイナー、粘土模型を作るクレイモデラーらクリエ―ティブ人材だ。前田さんは「彼らの昇格試験はマネジメント力が求められる一般社員と同じ。彼らの才能は評価されにくい」と話した。

 それから4年、評価基準は大きく変わった。

 幹部社員への昇格試験はマネジメント系と異なる独自の基準が設けられた。

 感知力、創造力、表現力などのほか、情熱・志というものもある。幹部社員の職位も、マネジメント系と同様に4段階が設けられた。各段階の処遇も対等という。

 幹部社員に昇格したクレイモデラーは敬意を表して「匠モデラー」とも呼ばれる。

 人事担当の高村克彦さんは「彼らの頭上にあったガラスの天井が抜けた」という。

 職場の空気も変わった。かっては腕のいいモデラーほど、独立したり、他社へ移ったりした。それが激減したどころか、いい人材が採用できるようになったという。また、モデラーはデザイナーが描いた絵を粘土を使い、黙々と立体にするだけだったが、モデラーも一緒になって意見を言い合えるようになった。

 前田さんの後任、デザイン本部長の中牟田泰さんは「各人の強みを見出し、延ばすようにしている」という。

 平均的に仕事をこなす人材よりとがった人材を育てやすい環境になったというわけだ。

 結果、人材が育ち、マツダの車は数々の世界的な賞を受けるようになった。

 影響は、社内外に広がる。金型を作る工程では、粘土製のクレイモデルを忠実に再現しようと他にはない砥石を開発した。

 「じゃあ、経営のスペシャリストって何だ」と人材評価の議論はいい意味で逆流している、」と指摘した。

 最後に筆者は、「今ほど、デザインとビジネスが結びつけられて語られることはなかっただろう。

 ただ、マツダのような人事・評価制度は聞いたことがない。

 デザイン重視と言っても、製品の見た目を少し変えてみるだけでは成果はない。

 バブル崩壊後の家電のように、消費者ニーズとは縁遠い過剰な機能を求めたり、低価格路線を走ってきたりした経営では、クリエ―ティブ人材による改革は難しいだろう。

 マツダが次に挑戦するのは「日本の美」という。

 余計なものを徹底的してそぎ落とす「引き算の美学」である。

 広島の工場に開発中の自動車のデザインを象徴するオブジェが飾られている。

 鉄から削り出された細長いオブジェをしばらく見ていて、日本刀に近い美しさを感じた。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「「次の仕事は、彼らが公平な評価基準で昇格する仕組みをつくることです」

 インタビューした人の言葉で記憶に残る一言がある。マツダの当時、デザイン本部長だった前田育男さんの言葉もそうだった」とのこと、

 「前田さんの言う「彼ら」とは、デザイナー、粘土模型を作るクレイモデラーやクリエーテブ人材だ」とこのと、

 「それから4年。評価基準は大きく変わった。

 幹部社員への昇格基準はマネジメントとは異なる独自の基準がも設けられた。感知力、創造力、表現力などのほか、情熱・志というのもある」とのこと、

 「職場の空気も変わった。かって腕のいいモデラーほど、独立したり、他社へ移ったりした。それが激減した。それどころか、いい人材が採用できるようになった。」とのこと、

 「結果、人材が育ち、マツダ車は数々の世界的な賞を受けるようになった。」とのこと、

 等々を初めて知ることが出来た。知って、結果にも納得した。 

 また、「マツダが次に挑戦するのは「日本の美」という。余計なものを徹底してそぎ落とす「引き算の美学」である」とのこと、結果が楽しみだ。

 化粧品や衣料品、アクセサリー、靴、帽子、等々みな人間に余計なものをくっ付けて「人間」を見た目美しくすることによって、商売が成り立っているのが現実のような気がする。

 余計なものを徹底してそぎ落とした、「引き算の美学」で際立てる「人間」がどれほどいるだろうか?ぜひとも、そんな人間を見てみたい、と思った。
 高僧と称される人が、けばけばしい衣類を身に着けて登場する姿をみると、包装だけ立派にして「中身」は大丈夫かいな、といつも思っている。 

 


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# by sasakitosio | 2018-07-13 06:23 | 朝日新聞を読んで | Trackback

7月12日付東京新聞朝刊社説に、米中貿易戦争のことが載った。

 今日は、この社説を学習することにした。

 社説は、「「戦争」に例えられるほど激しさを増す米中の貿易摩擦は、両国による経済派遣の争いを示している。間に立つ日本は何をすべきか。目の前の現実と役割を冷静に見極める時を迎えている。

 世界経済の約4割を占める米中の報復合戦が日本や世界経済に及ぼす悪影響は貿易や投資、生産や消費の委縮などいくつもの試算が公表されている。新たな不況や紛争、悲劇につながりかねない。

 トランプ大統領と習近平国家主席に、自省と自制を強く求めたい。」と切り出した。

 続けて社説は、「米中の対立は何を示し、何が起きているのか。内外で様々な議論が繰り広げられている。

 1989年ベルリンの壁崩壊から冷戦が終結し、一党独裁、計画経済に対する民主主義、市場経済の勝利は「歴史の終わり」と語られた。

 しかし目の前の現実は、衰えの見え始めた民主主義のリーダー米国と、台頭する新興勢力で一党独裁の中国との安全保障も絡む先端技術の争い、経済覇権争いの様相を強めている。

 民主主義国ではグローバル化と金融資本主義の膨張が2008年リーマン・ショックとなり、米国はもちろん、欧州にも広がった深刻な経済分断は収まる気配がない。

 トランプ大統領の登場にも二つの見方がある。

一つは、米国が主導し、築いてきた自由貿易や多国間主義、自由や民主主義という価値観を自ら否定し、壊そうとしていることへのきびしい批判だ。

 その一方で、既得権益の恩恵を独占するエリート層への抗議、固定化した秩序への反発がトランプ大統領を支えているという現実もある。」と教えてくれる。

 最後に社説は、「そうした昏迷の中で日本は何をすべきか。

 崩れかねない多国間の貿易枠組みに米中を引き込み、保護主義や排斥ではなく、ルールと国際協調、自由な貿易を維持する地道な努力は不可欠だ。

 アジアでは豊かな国が増え、中国は経済力ですでに日本を超えている。

 この地域の安定と繁栄には中国、韓国との確かな信頼関係を保つ必要がある。

 短期的には多国間貿易の枠組みをしっかり堅持することだ。

 もとより日本は貿易立国であることを忘れてはならない。

 長期的には富の再分配で、より平等で堅実な社会の在り方を世界に示しことも大きな意味を持つはずだ。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「世界の経済の約4割を占める米中の報復合戦が日本や世界経済に及ぼす悪影響は貿易や投資、生産や消費の委縮などいくつもの試算が公表されている。」との指摘、

 「米中の対立は何を示し、何が起きているのか。内外でさまざまな議論が繰り広げられている」との指摘、

 「目の前の現実は、衰えの見え始めた民主主義のリーダー米国と、台頭する新興勢力で一党独裁の中国との安全保障もからむ先端技術の争い、経済覇権争いの様相を強めている」との指摘、

 「民主主義国ではグローバル化と金融資本主義の膨張が2008年のリーマン・ショックとなり、米国はもちろん、欧州にも広がった深刻な経済格差と分断は収まる気配がない」との指摘、

 「トランプ大統領の登場にも二つの見方がある。一つは米国が主導し、築いてきた自由貿易や多国間主義、自由や民主主義という価値観を自ら否定し、壊そうとしていることへの批判だ。

 その一方で、既得権益の恩恵を独占するエリート層への抗議、固定化した秩序への反発がトランプ大統領を支えているという現実もある」との指摘、等々を知ることが出来た。

 そして、社説は「そうした昏迷の中で日本は何をすべきか」と問い、

 「崩れかねない多国間の貿易の枠組みに米中を引き込み、保護主義や排斥ではなく、ルールと国際協調、自由な貿易を維持する地道な努力は不可欠だ」と指摘した。

 さらに社説は、「短期的には多国間貿易の枠組みをしっかり堅持することだ」「長期的には富の再分配で、より平等で堅実な社会のあり方を世界に示すことも大きな意味を持つはずだ」と教えてくれる。

 日本は、国際協調による平和の内に、自由と民主主義を国内に広め定着させ、国民総体が豊かに暮らしている「社会」を、この世で実現させ、世界の人々が「日本社会」と「日本人の暮らし」を目標にするような「国・社会・国民」にならなければならない、と思った。


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# by sasakitosio | 2018-07-13 06:10 | 東京新聞を読んで | Trackback