分断社会 小林秀雄はこう想う<小林秀雄の「無私の精神」。「誰かが主張する意見には決して反対せず、みんな聞き終わると「御尤も」といった。自分のことになると、弁解は決してしない「御覧の通り」と言った」>
2023年 01月 18日
1月15日付け朝日新聞朝刊3面に、「日曜に思う」という欄がある。筆者は、編集委員・曽我豪氏だ。今日はこの筆者に学ぶことにした。
まず筆者は、「小林秀雄に「無私の精神」と題された小文がある。主義より常識を、理屈より実感を尊んだ孤高の批評家らしく、世の流行からひとり屹立したような随想だ。
話自体は全然難しくない。「典型的な実行家」だった有能で無口な実業家を回顧して「口癖が二つあった」と記す。
「誰かが主張する意見には決して反対せず、みんな聞き終わると「御尤も」と言った。自分のことになると、弁解を決してしない、「御覧の通り」と言った」
そこで批評家は思考する。成功する人は「強く自己を主張する人と見られがちだが、実は、反対に、彼には一種の無私がある」。
そして「現実の新しい動きが看破されれば、直ちに古い解釈や知識を捨てる用意のある人」が有能な実業家であり、それが「一種の無私である」と。
締めでこれは時評と分かる。「保守派と進歩派との対立」の空虚さを突く。
既成の事実や知識に甘んじる人間と、来るべきそれを空想する人間は「そう変わった人種とは思えない」とし「日に新たな物の動きに歩調を合わせて、黙々と実行している人々を尊重しない点では、同じ人種だ」と続ける。
前述の実業家を念頭に「産む」行為の大切さを再確認した上で「そういう人々は、ジャーナリズムに無関係に存している事は、確実のように思われる」と結ぶ。
屹立とはこのことだ。随想が掲載されたのは1960(昭和35)年1月。岸信介首相が訪米し改定日米安保条約に調印するのと同じ月だった。」と切り出した。
続けて筆者は、「日本社会が保守、進歩両派の両極に分かれて安保闘争が激化するさなか、その限界とともにジャーナリズムのあり方を問う随想が新聞の新年紙面に登場した意味は小さくはなかろう。
63年後の今もまた、日本のみならず世界各国は、主要政策への賛否から政権の存否に至るまで深刻な民意分断状況に苦しむ。
むろん、口癖二つで済むほど、現在のネット社会は甘くはない。誰かの主張には聞き終える間もなく賛否を激烈に発信し、自分のことになると弁解と抗弁の別なく言を尽くすほかない。それは我々が生きる時代の「言論の自由」の一側面であろうし、論議の焦点や責任の所在が可視化される意義もあるに違いない。
だが一方で世間は、無口とは言わないまでも、政策の実を生む有能な実行家の出現を願うはずだ。年末年始の世論調査でも、岸田文雄内閣の支持率世論評価が低迷する一方で、野党の政治支持率は伸び悩み、支持政党なしと答える無党派層が高止まりする。
政策が既成の価値観や利権の壁を越えなければ「聞く耳」の意味はない。
対案が実現性を欠く空想どまりなら「政権交代」の訴えはむなしい。己の主義主張を絶対視し全面否定し合う状況から抜け出す頃合いだ。
与野党は昨年末、まがりなりにも旧統一教会問題を受けた被害者救済法で合意に達した。
増税の可否を含む防衛費増額から賃上げまで、より良い政策を生む国会の仕事は今年が本番だ。
与野党に共通する課題も少なくない。
現実の暮らしや将来の不安に敏感な女性や若者層の共感を得る政策はあるか。抑止力を備え国民負担に見合う経済安保体制を築けるか。
何より、課題に挑戦できるリーダー候補を性別や世代の壁を越えて用意できるか。
いずれも古い解釈知識を捨てるところから始まる。我々ジャーナリズムにも無関係な話ではあるまい。」と指摘する。
最後に筆者は、「このコラム欄のタイトルは「想う」であって「唱える」「論じる」ではない。
個人的には、読者の皆さんが日曜日にゆったりと思いを巡らす上で時代を読む補助線を多少なりとも提供できれば、と願ってきた。ニュース写真などではなく皆川明さんの絵が添えられているのも、熟思に資する多様な手がかりを競作する欄にふさわしい気がする。
今年こそ、分断の先を考えたい。筆の奥深さはまねようもないが、かの批評家に一つだけならえば、主義や流行より常識や取材の実感を大切にした「考えるヒント」を探していこうと思う。」として締めくくった。
読んで勉強になった。
「小林秀雄に「無私の精神」と題された小文がある」とのこと、
「そこで批評家は思考する。成功する人は「強く自己を主張する人と見られがちだが、実は、反対に、彼には一種の無私がある」。そして「現実の新しい動きが看破されれば、直ちに古い解釈や知識を捨てる用意のある人」が有能な実業家であり、それが「一種の無私である」と。締めでこれは時評と分かる。」とのこと、
「随想が読売新聞に掲載されたのは1960(昭和35)年1月。岸信介首相が訪米し改定日米安保条約に調印するのと同じ月だった。」とのこと、
「63年後のいまもまた、日本のみならず世界各国は、主要政策への賛否から政権の存否にいたるまで深刻な民意の分断状況に苦しむ。」とのこと、
「政策が既成の価値観や利権の壁を越えなければ「聞く耳」の意味はない。対案が実現性を欠く空想どまりなら、「政権交代」の訴えはむなしい。」とのこと、
等々を知りことができた。
そして筆者は、「与野党に共通する課題も少なくない。現実の暮らしや将来の不安に敏感な女性や若者層の共感を得る政策はあるか。抑止力を備え国民負担に見合う経済安保体制を築けるか。何より、課題に挑戦できるリーダー候補を性別や世代の壁を越えて用意できるか。」と指摘し、
「今年こそ、分断の先を考えたい。<中略>主義や流行より常識や取材の実感を大切にした「考えるヒント」を探していこうと想う。」と決意を述べた。
筆者の指摘の理解に務め、筆者の思いに共鳴しながら、考えた。
特に「抑止力を備え国民負担に見合う経済安保を築けるか。」、「課題に挑戦できるリーダー候補を性別や世代の壁を越えて用意できるか。」、との指摘は、その通りであり現在「その具体像」が見えないことに気づかされた。
また、その原因が「いずれも古い解釈や知識を捨てるところから始まる」との指摘も、納得した。が現在の指導者は、みな成功体験を引きずっているので、脱皮は不可能に近いのではないか、と思った。

