入管行政の人権侵害<名古屋の入管施設で亡くなったウィシュマ・サンダマリさん。監視カメラの映像を見て衝撃を受けた妹さんたちは「姉は動物のように扱われた」「入管は人の道を外れている」と訴えた。>
2021年 08月 16日
8月15日付け東京新聞朝刊21面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、現代教育行政研究会代表・前川喜平氏だ。今日はこの筆者に学ぶことにした。
まず筆者は、「名古屋の入管施設で亡くなったウィシュマ・サンダマリさん、監視カメラ映像を見て衝撃を受けた妹さんたちは「姉は動物のように扱われた」「入館は人の道を外れている」と訴えた。
外国人は煮て食おうと焼いて食おうと自由。1965年に池上努という法務官僚が自署で言い放った言葉だ。入管行政における人権侵害は国際機関から再三指摘されたが、日本政府はほとんど無視してきた。日本政府がこれほどまでに外国人への人権を蔑ろにするのはなぜなのか。
その答えは日本国憲法の制定の経経緯の中に潜んでいる。」と切り出した。
続けて筆者は、「GHQの草案では「法の下の平等」は「一切の自然人」を対象としていた。「外国人は平等に法律の保護を受け権利を有する」という内外人平等の規定もあった。しかし日本政府の憲法改正案では「法の下の平等」の対象が「すべて国民」と書き直され、内外人平等規定は削除された。衆議院の審議では、「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」という条文が加えられ、人権保障における日本国民と外国人の区別が明示された。人権が「国民の権利」にすり替えられたのだ。その背景には、日本という国を特別な家族だと考える国体観念の残滓があった。」と指摘した。
最後に筆者は、「それは今も日本人の潜在意識に深く残っている。この観念を根絶しない限り外国人への人権侵害は続くだろう。」として締めくくった。
読んで勉強になった。
「外国人は煮て食おうと焼いて食おうと自由。1965年に池上努という法務官僚が自著で言い放った言葉だ。」とのこと、
「入管行政における人権侵害は国際機関から再三指摘されたが、日本政府はほとんど無視してきた。」とのこと、
「GUQの草案では「法の下の平等」は「一切の自然人」を対象としていた。「外国人は平等に法律の保護を受ける権利を有する」という内外人等の規定もあった。」とのこと、
「しかし、日本政府の憲法改正案では「法の下の平等」の対象が「すべて国民」と描き直され、内外人平等規定は削除された」とのこと、
「衆議院の審議では「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」という条文が加えられ、人権保障における日本国民と外国人の区別が明示された」とのこと、
等々を知ることができた。
そして筆者は、「人権が「国民の権利」にすり替えられたのだ。その背景には日本という国を特別な家族だと考える国体観念の残滓があった」と指摘し、
「それは今も日本人の潜在意識に根深く残っている。」と指摘し、
「この観念を根絶しない限り外国人への人権侵害は続くだろう」と指摘した。
筆者の指摘の理解を深めながら、考えた。
外国人の人権軽視が日本国憲法の制定の経緯の中にあることや、法務官僚池上努氏の著書に「外国人は煮て食おうと焼いて食おうと自由」とあることを、初めて知って、ものすごくショックだった。そのショックのおかげで、ウイシュマ・サンダマリさんの事件が起こるべくして起きたことだと、納得した。
事件の経緯が分かったというだけで、経緯と結果について納得したわけではない。この事件は、自由と民主主義と平和主義の憲法を持つ「日本」の恥を世界にさらしてしまった、と思った。
これは一刻も早く、法改正して是正しなければならない、と思った。
ここ20年余、趣味の海外一人歩きの旅を楽しんできた。日本へ帰って来て、あらためて思ったのは、どの国もいろいろな人種が街中にいて純粋に「〇〇人」が圧倒的に多い国はまずなかった。その点、日本は街中を歩いているのはほぼ日本人だけだ。その意味では、日本という国を特別な家族だと考える「錯覚」が生じやすいのも現実だ、と思った。
しかし、日本と日本人が持続的に発展し、世界の中で尊敬されながら存在し続けるためには、「人類は皆兄弟」、法の下の平等は「一切の自然人」と切り替えなければならないはずだ、と改めて思った。