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憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

ハラスメントに対処するには 「エンパシー」を出発点に<シンパシーが自己の経験の延長線上で他人の感情と共振する作用である。エンパシーは、経験や価値観が異なる他人の感情と共振する作用である!>

1月14日付け朝日新聞朝刊13面に、「憲法季評」という欄がある。筆者は、名古屋大学教授・松尾陽氏だ。今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「CMやポスターがセクハラだという批判が生じ、それに対する反論も巻き起こり、インターネット上で激しく「炎上」することがある。

 2019年には、胸の大きな女性キャラクターを用いた献血を呼びかけるポスターが「環境型セクハラ」だと批判された。

 直近では、大学の公開講座で女児の残虐な絵を用いた授業内容などが裁判所によりセクハラだと認定された(もっとも、受講生に対する、事前の説明不足という問題もあった)。

 セクシュアルハラスメントという言葉が有名になったのは、1989年に起きた、ある女性の退職をめぐる裁判がきっかけである。

 男性上司が部下の女性に対し「女の武器を用いて仕事をとっている」などの発言を職場で繰り返し、その女性を退職に追い込んだ。

 裁判所によって、名誉感情などの人格権を侵害すると明確に認定された。

 ハラスメント(嫌がらせ)と形容するのは、生ぬるいかもしれない。

 しかし、この事件をめぐっても、セクハラ的言動は女性扱いをしている証拠であり、むしろ言われた女性は喜ぶべきだとして擁護する意見も当時少なからず見られた。

 あることを「当たり前」と考えていた人々が、それを「問題」と認知することは難しいことはよくある。「ハラハラ」(ハラスメントを主張することのハラスメント)という言葉も登場しているように、問題視すること自体を問題視する言葉もある。

 新しい問題をどのように「問題」として認知するのか。公共的にどう対応するかが問われている。」と切り出した。

 続けて筆者は、「2009年、アメリカのオバマ大統領(当時)が連邦最高裁判事にソニア・ソトマイヨール氏を指名した理由をめぐって生じた論争は、そのような問題を考える切り口を与えてくれる。

 氏名の理由は次の通りである。

 「我々が必要としているのは、若い10代の母親であることがどういうことなのかを理解するための心、つまり、エンパシーを持った人物である。

 貧困にあること、アフリカ系アメリカ人であること、ゲイであること、障害を持っていること、年老いていること、それがどのようなものであるかを理解するためのエンパシー、それが、私が裁判官を選ぶ基準である」

 エンパシーとは、シンパシー(共感)と同様に、感情と共振する力のことである。

 ただ、シンパシーが自己の経験の延長上で他人の感情に共振する作用であるのに対して、エンパシーは、経験や価値観が異なる他人の感情と共振する作用である。

 オバマ大統領は、人の話に真摯に耳を傾け、個別的な状況を良く把握するエンパシーの力を持った人物として彼女を指名した。

 ソトマイヨール氏は、初めてのヒスパニック系の連邦最高裁判事であり、女性としては3人目となった。

 確かに、新しい問題を問題として認知するためには、このようなエンパシーの力が不可欠であろう。

 しかし、エンパシーによって共振された感情がそれだけで公共的な価値へと引き上げられるわけではない。

 実際、先の指名に対しては、エンパシーは「偏り」をもたらし、「公平さ」を害するという批判が保守派を中心に巻き起こった。

 「公平さ」が既存のルールを杓子定規に適用することのみを意味するならば、エンパシーは公平さと対立する。

 しかし、ルール自体が、時代状況の中で作られるがゆえに、時代の偏った見方や価値観を反映してしまっていることもある。

 また、セクハラ裁判をめぐる89年の状況に象徴されるように、セクハラ被害を「被害」として認知することが難しいこともある。

 このような困難が、ルールを適用する事実認定のレベルで生じる危険もある。

 偏りを理由にエンパシーを退けることは、現状では見過ごされている別の偏りを放置することにつながりかねない。

 エンパシーには公平の実現に寄与する側面もある。

 ただ、どちらか一方の感情に寄り添えばよいという話ではない。

 エンパシーの作用は問題を認知するための出発点であって終着点ではない。

 双方の言い分を踏まえ、憲法上認められた理由(個人の自由や平等、公共空間の位置づけ)に照らしてバランスをとることが肝要である。」と指摘した。

 最後に筆者は、「価値観が多様化していく社会においては、「ハラスメント」という言葉を舞台にして新しい問題提起がなされていくことは通常のことである。分断が生じるなどと批判してそのような問題提起自体を封じてしまえば、多様な声のバランスをとることは不可能とる。

 たとえば、プライバシーという概念は、19世紀の終わりにはほとんど知られていなかった。

 しかし、20世紀を通じて、その重要性が認められ、21世紀を生きる我々にとっては、その重要性を疑うことすら困難にさえなっている。

 憲法上保障されている権利や利益も、小さな「火種」から議論が始まり、議論の積み重ねの上に、認められてきたものもある。

 このことを思えば、「火種」を簡単に消してしまってはいけないだろう。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「セクシュアルハラスメントという言葉が有名になったのは、1989年以起きた、ある女性の退職をめぐる裁判がきっかけである。

男性上司が部下の女性について「女の武器を用いて仕事を取っている」などの発言を職場で繰り返し、その女性を退職に追い込んだ。裁判所によって、名誉感情などの人格権を害すると明確に認定された。」とのこと、

 「しかし、この事件をめぐっても、セクハラ的言動は女性扱いをしている証拠であり、むしろ言われた女性は喜ぶべきだとして擁護する意見も当時少なからず見られた」とのこと、

 「あることを「当たり前」と考えていた人々が、それを「問題」と認知することは難しいことはよくある。」とのこと、

「新しい問題をどのように「問題」として認知するのか、また、そのように認知された問題に、公共的にどう対応するのかが問われている」、とのこと、

 「2009年、アメリカのオバマ大統領(当時)が連邦最高裁判事にソニア・ソトマイヨール氏を指名した理由をめぐって生じた論争は、そのような問題を考える切り口を与えてくれる」とのこと、

 「指名の理由は次の通りである。「我々が必要としているのは、若い10代の母親であることがどういうことかを理解するための心、つまり、エンパシーを持った人物である。貧困であること、アフリカ系アメリカ人であること、ゲイであること、障害を持っていること、年老いていること、それがそのようなものであるかを理解するためのエンパシー、それが私が裁判官を選ぶ基準である」」とのこと、

 「シンパシーが自己の経験の延長上で他人の感情に共振する作用であるのに対し、エンパシーは、経験や価値観が異なる他人の感情と共振する作用である」とのこと、

 「ソトマイヨール氏は、初めてのヒスパニック系の連邦最高裁判所判事であり、女性として3人目となった」とのこと、

 「実際、先の指名理由に対しは、エンパシーは「偏り」をもたらし、「公平さ」を害するといった批判が保守派を中心に巻起こった」とのこと、

 「「公平さ」が既存のルールを杓子定規に適用することのみを意味するならば、エンパシーは公平さと対立する。しかし、ルールそれ自体が、時代状況の中で作られるがゆえに、時代の偏った見方や価値観を反映してしまっていることもある」とのこと、

 「偏りを理由にエンパシーを退けることは、現状で見過ごされている別の偏りを放置することにつながりかねない。エンパシーには公平の実現に寄与する側面もある」とのこと、

 「エンパシーの作用は問題を認知するための出発点であって終着点ではない。双方の言い分を踏まえ、憲法上認められた理由(個人の自由や平等、公共空間の位置づけ)に照らしてバランスをとることが肝要である」とのこと、

 等々を知り、理解することができた。

 そして筆者は、「価値観が多様化していく社会においては、「ハラスメント」という言葉を舞台にして新しい問題提起がなされていくことは通常のことである」と指摘し、

 「分断が生じるなどと批判してそのような問題提起をそれ自体を封じてしまえば、多様な声のバランスをとることは不可能になる」と指摘し、

 「憲法上保障されている権利や利益も、小さな「火種」から議論が始まり、議論の積み重ねの上に、認められてきたものもある。」と指摘した。

 筆者の指摘に納得しながら、考えた。

 シンパシーとエンパシーについて、又その違いについて初めて知ることができた。

 そして、シンパシーは日常的に経験してきたしこれからもできそうな気がした。がエンパシーは自分には簡単でないが、努力しようと思った。ひごろ「違い」を楽しみ、「違い」に学ぶことを心がけて後期高齢者の今日まで生きてきたので、この先「経験や価値観が異なる他人の感情に共振」できるよう、心がけることにした。そのためには、どれだけ己を「無」に出来、あいてを「ありのままで理解」できるかにかかっているのだろう。

 いわば、どれだけ「相手の立場」になれるかの「努力・精進」にかかっている。この欄を読んで、自分の足らざるを教えてもらった、気がした。


by sasakitosio | 2021-01-17 18:43 | 朝日新聞を読んで | Trackback