人気ブログランキング | 話題のタグを見る

憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

ある事故死<石井紀子さんが亡くなった。67歳。1972年学生の時、「三里塚闘争」に参加した!彼女は農家の若者と結婚した10数人の女子学生のひとり。ミミズも恐怖する、東京の教員の娘だった!>

3月17日付東京新聞朝刊25面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、ルポライター・鎌田慧氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

まず筆者は、「石井紀子さんが亡くなった。67歳。交通事故だった。千葉県成田市の作業現場で明朝配送のための人参の選別し終え、軽トラックで自宅へ向かった。考え事をしていたのだろうか、自宅への曲がり角を通り過ぎた。

 U ターンして、疾走してきた軽自動車と正面衝突。ほぼ即死だった。相手の若者はエアバッグで無事だったと聞いた。」と切り出した。

 続けて筆者は、「1972年、学生の時、「三里塚闘争」と言われた、成田空港建設反対運動に参加した。突然の一方的な用地の閣議決定だったから、ほとんどが自民党支持だった農民たちを憤激させた。

 学生運動の昂揚の後で全国から学生や労働者が駆けつけ、常駐した。援農に支えられ、小学生も含めた家族ぐるみの抵抗闘争は、数多くの逮捕者、負傷者ばかりか自殺者、死者をだした。計画から54年経ったが未完成。計画変更後も混乱を極めている。」と指摘した。

 最後に筆者は、「石井紀子さんは農家の若者と結婚した10数人の女子学生のひとり。東京の教員の娘だった。「義母たちのように土に生き、土に死ぬ百姓にならねば」。それが決意だった。

 17年前に他界した義父、8年前に離婚した夫と私は懇意だった。

 「土と闘争に根を張って生きた。それで得た人生です。この在り方を続けていきます」と彼女はさわやかに語っていた。初心を全うした一生だった。合唱。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「石井紀子さんが亡くなった。67歳。<中略> 自宅への曲がり角を通り過ぎた。Uターンして、疾走してきた軽自動車と正面衝突、ほぼ即死だった」とのこと、

 「1972年、学生の時、「三里塚闘争」と言われた、成田空港建設反対運動に参加した」とのこと、

 「突然の一方的な用地の閣議決定だったから、ほとんどが自民党支持者だった農民たちを憤激させた」とのこと、

 「石井紀子さんは農家の若者と結婚した10数人の女子学生のひとり。ミミズにも恐怖する、東京の教員の娘だった。」とのこと、

 「「義母のように土に生き、土に死ぬ百姓にならねば」。それが決意だった」とのこと、

 「「土と闘争に根を張って生きた。それで得た人生です。この在り方を続けていきます」と彼女は爽やかに語っていた。」とのこと、

「初心を全うした一生だった。」とのこと、

 等々を初めて知ることができた。

 そして考えた。

 小中学校のころまで、家が専業農家であったことから、農耕馬や農耕牛用の草刈り、馬小屋・牛小屋の清掃、田んぼの畔塗、代掻き、田植え、稲刈り、脱穀、精米、等々一通り体力の目いっぱいを使って、手伝ってきた。稲刈りの時、胡氏の抜けるほど疲れた。その時、父親に「百姓の仕事以上につらい仕事はないから」と言われてきたことを思い出した。その通りだった。

 だから、ミミズに恐怖する、東京の教員の娘の女学生が「三里塚闘争」に参加し、「土に生き、土に死ぬ百姓にならねば」との決意が、イマイチ理解できない。が、「土と闘争に根を張って生きた。それで得た人生です。今在り方を続けます」とかたる石井紀子さんは、人間の生き方としては素晴らしいと思った。


by sasakitosio | 2020-03-18 05:54 | 東京新聞を読んで | Trackback