ミイラ取りの未来< 「西側」は中国を変えようとして変えられなかったばかりか、中国を利用し依存し続けるうち”中国的”に変質させられ始めているーーーー????>
2019年 11月 25日
11月24日付東京新聞朝刊社説に、「週のはじめに考える」との見出しで、中国脅威論のことが載った。今日はこの社説に学ぶことにした。
まず社説は、「いわゆる中国脅威論。乱暴な振る舞いも多い新興大国ゆえ、恐れは分かるのですが,脅威はむしろ「あっち」でなく「こっと」の内部にある気もして・・・。
30年前、中国の経済規模はまだイタリアの半分ほどでした。それがどうでしょう。その後、飛躍的成長を遂げ、2010年には国内総生産(GDP)で日本を抜いて、今や世界第二位の経済大国。
おおざっぱに、まず安い賃金と豊富な労働力が国外からの投資を引き付けた「世界の工場」として、さらに巨額のインフラ投資と国内消費の伸びに支えられた「世界の市場」として、グローバル経済に確固たる地位を築いたのです。」と切り出した。
続けて社説は、「では政治はどうか。中国共産党一党支配によってきたる人権侵害など非民主的体制について、日米欧など民主主義・市場経済陣営――「西側」はかって、口を酸っぱくして変化を迫ったものです。
天安門事件の後も経済制裁を科すなど、民主化を強く求めました。
経済的成功が民主化を導くとの楽観論もありました。
例えば世界貿易機構(WHO)加盟が確実になった時の本紙社説も「国際ルールに基づいた透明な市場競争」などによって「政治の民主化も期待できる」と・・・・・。
一つは西側に責任がありましょう。
経済発展の援助をカードに、民主化を促す策を放棄した筋があるのです。
「カネに目がくらんで」と言えば言いすぎだとしても、「世界の工場」をせっせと利用して低コストの恩恵をむさぼり、「世界の市場」の購買力に」耽溺するうち、人権状況などを批判する口数は減り、民主化を迫る声がちいさくなっていった感は否めません。
結果、独裁的体制と強大な経済力が併存する大国が出現したわけです。
それどころか、議論や手続に時間もコストもかかる民主的な体制より、独裁体制の方が競争力を持つ面もあらわになってきているからです。
しかし本来は、民主的で自由な社会でなければ、成長の原動力たる産業革新は起こりにくく、経済伸長には限度があるはずです。
中国はどうやったのか?
国家主導の産業政策、外国企業からの技術移転の強制や知的財産の盗用等などでそれを”カバー”したと、米国は見ています。
米中貿易戦争の狙いは、その流れに歯止めをかけることにほかなりません。
この争いは単なる経済戦争でなく「21世紀の世界のありようを巡るイデオロギー戦争」だとする記事が過日、米紙ニューヨーク・タイムズに載っていました。」と教えてくれる。
さらに続けて社説は、「曰く、批判者を拘束し、言論の自由を封じ、テクノロジーを駆使して国民を監視下に置くシステムをつくり、ウイグル族を収容施設に送って「再教育」をする。
まるでジョージ・オーウェルが「1984」で描くような全体主義的な国家が世界の新秩序を主導することになっては悪夢だ!
記事の趣旨はまあ、そんなところで、頷くところ大ですが、しかし、あらためて「西側」に目をやると奇妙なことにも思い当たるのです。
米大統領は人種や宗教による差別的言動を繰り返し、批判は「フェイク」呼ばわりしてメディアを攻撃する。自国主義に耽り、経済力と軍事力を誇示して多国間の協調やルールを傷つけています。
わが国の宰相も民主主義に基盤たる国会での議論を軽んじ、異論を敵視する傾向が明らかですし、一方で、与党政治家の街頭演説をやじっただけで警察に排除されるといったことも起きています。
また、欧州で台頭するポピュリズム・極右勢力には排他主義の主張が目立ち・・・。
どうでしょう。
総じて「西側」の中で、市民的自由や多様性や寛容などの価値観減衰、民主主義の退潮が見て取れないでしょうか。
連想するのは<ミイラ取りがミイラになる>という少し不思議な成句。
要は、相手を説得しようとして逆に説得される、「あっち」の考えや姿勢を変えようとして「こっと」が変えられてしまう、といった意です。」と教えてくれる。
最後に社説は、「「西側」は中国を変えようとしてかえられなかったばかりか、
中国を利用し依存し続けるうち、”中国的”に変質させられ始めているーーー。そう見えてならないのです。
脅威というならむしろ「こっち」が「あっち」の色の染まりかけている点に、より切迫した脅威を感じます。
このままだと、私たちの未来は…ミイラでしょうか。
今、最も鮮明に、言論の自由、法の支配など民主主義を守るべく必死で『中国化』に抗っているのがほかならぬ中国の内部、香港の若者たちであるというのは皮肉と言えば皮肉です。
彼らを孤立させるわけにはいきません。」として締めくくった。
読んで勉強になった。
「30年前、中国の経済規模はまだイタリアの半分ほどでした。」とのこと、
「2010年には国内総生産(GDP)で日本を抜いて、今や世界第二の経済大国」とのこと、
「経済的成功が民主化を導くとみる楽観論もありました」とのこと、
「独裁的体制と強大な経済力が併存する大国が出現したわけです」とのこと、
「議論や手続きに時間もコストもかかる民主的体制より、独裁的体制のほうが競争力を持つ面があらわになってきている」とのこと、
「この争い(米中貿易戦争)は単なる経済紛争ではなく「21世紀の世界のありようを巡るイデオロギー戦争」だとする記事が過日、米ニューヨーク・タイムズに載っていました」とのこと、
「総じて、「西側」の中で、市民的自由や多様性や寛容などの価値観減衰、民主主義の退潮が見て取れるないでしょうか」との疑問、
「今、最も鮮明に、言論の自由、法の支配など民主主義を守るべく必死で「中国化」に抗っているのが、ほかならぬ中国の内部、香港の若者たちであるというのは皮肉と言えば皮肉です」とのこと、
等々を知ることができた。
そして考えた。
「独裁的体制と強大な経済力が併存する大国の出現」が、独裁体制の崩壊(民主化)の前兆なのか、「西側」が総体的に独裁体制に変質する前兆なのか、そこのところが知りたい、と思った。
また、「米大統領の批判は「フェイク」呼ばわりをしてメディアを攻撃する」、「わが国の宰相も民主主義の基盤たる国会での議論を軽んじ、異論を敵視する傾向が明らか」等等の現象は、権力者の特質であって、その性癖は古今東西変わらないのではないか、とも思っている。
その性癖の発露を許さない「制度」と、その制度を守ることに「価値」があると考える「被支配者国民」が多数いるかどうかの差ではないか、とも思っている。

