似すぎている件<今期芥川賞候補になった古市憲寿「百の夜は跳ねて」、参考文献に挙げられた木村友祐「天空の絵描きたち」(「文学界」2012年10月号)との比較から、複数の選考委員が厳しい苦言を呈した作品>
2019年 08月 29日
8月28日付東京新聞朝刊25面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、文芸評論家。斎藤美奈子氏だ。今日は、この筆者に学ぶことにした。
まず筆者は、「遅ればせながら,今期芥川賞候補になった古市憲樹「百の夜は跳ねて」を読んだ。
参考文献に挙げられた木村友祐「天空の絵描きたち」(「文学界」2012年10月号)との比較から、複数の選考委員が厳しい苦言を呈した作品である。」と切り出した。
続けて筆者は、「ある作品が別の作品と酷似している例として、よく知られてえいるのは井伏鱒二「黒い雨」(1966年)だろう。
今日では古典に近いこの小説は被爆者の重松静馬が残した日記(2001年に「重松日記」の書名で出版)を下敷きにしており、その類似は著しい。
私があきれたのは石原慎太郎「再生」(10年)で、これは参考文献に挙がった福島智の学位論文(11年に「盲ろう者として生きて」の書名で出版)を俗化させた、安易なコピーに等しかった。
12年に三島賞を受賞した青木淳悟「私のいない高校」への疑問も拭えない。内容も文体も参考文献の自費出版物・大原敏行「アンネの日記」と酷似していたからだ。」と教えてくれる。
さらに続けて筆者は、「以上に比べると木村作品の類似度はまだ低い。それでも選考委員が古市作品を問題にしたのはなぜか。
木村が真摯に向き合った窓清掃という仕事を、古市は意匠の一つとして利用し、通俗化、矮小化してしまったせいではないか。
創作も労働もなめている。そう見えちゃうんだよ。」として締めくくった。
読んで勉強になった。
「ある作品が別の作品と酷似している例として、よく知られているのは井伏鱒二「黒い雨」(1966年)だろう」とのこと、
「石原慎太郎「再生」(10年)で、これは参考文献に挙がった福島智の学位論文(11年「盲ろう者として生きて」の書名で出版)を俗化させた、安易なコピーに等しかった」とのこと、
「12年三島賞を受賞した青木淳悟「私のいない高校」への疑問も拭えない。内容も文体も参考文献の自費出版物・大原敏行「アンネの日記」と酷似していたからだ。」とのこと、
「以上に比べると、ともに高層ビルの窓ふきを主役にしているとはいえ、古市作品と木村作品の類似度はまだ低い」とのこと、
等々を初めて知ることができた。
参考文献と似ている作品が、受賞したり、評価されていることに、驚いた。
確かに、同じことを言っても、言う人によって「重み」「信憑性」の点で、聞き手への響きに違いがあると同じように、同じようなことを書いても、書き手の「人」によって評価が異なるというのだろうか?
そして筆者は、「選考委員が古市作品を問題にしたのはなぜか。木村が真摯に向き合った窓清掃という仕事を、古市は意匠の一つとして利用し、通俗化、矮小化してしまったせいではないか。創作も、労働もなめている。そう見えちゃったんだよ」と教えてくれる。なるほど!
窓ふき仕事のことで、思い出すことがある。
自分がまだ高校生のころ、父が「窓ふき掃除のアルバイトは絶対するな!」といった。東京へ出てきて、一人暮らしになったとき、父のその言葉が妙に「熱く、湿っぽく」今日まで心から離れない。その言葉の中に、父の重く熱い「期待と愛情」を感じてきたからだ。

