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by sasakitosio

親子2代の雪冤行脚<旅館の経営を放り出して古川泰龍は63年から雪冤の行脚に出る!網代笠に僧衣草鞋の托鉢姿!お会いしたのは69年!2008年8月、80歳で他界!長男の龍樹さんがそれを引き受けた!>

8月27日付東京新聞朝刊25面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、ルポライター・鎌田聡氏だ。今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は「誤判わが怒りを天に雪つぶて」。

 獄中でやり場のない怒りと悲しみに身悶えしていた西武雄死刑囚は、やっていないのだから処刑されることはないと信じていた。

 教誨師として面接しているうちに冤罪を確信した古川泰龍の著書「叫びたし寒満月の割れるほど」(法蔵館)のタイトルも、西武雄の無念の句である。」と切り出した。

 続けて筆者は、「戦後の1947年5月、福岡市で起きた強盗殺人事件。被害者二人のうち一人の衣料商が戦勝中国華僑の重鎮だったこともあってか、裁判は拙速だった。

 砂川事件裁判など米軍占領下は迎合的。

 否認に西に死刑宣告。

 中国人を誤射した石井健治郎と会ったこともないのに主犯として処刑(75年6月)された。

 石井は殺害を認めていたのでその日に恩赦を受け無期懲役に減刑、明暗を分けた(89年仮釈放)。

 旅館の経営を放り出して古川泰龍は63年から雪冤の行脚に出る。

 網代笠に僧衣草鞋の托鉢姿。

 お会いしたのは29年」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「2000年8月、80歳で他界した後、わたしは熊本市のシュバイツアー寺を継いだ龍樹さん(59)など家族を訪問した。

 父親は手弁当の運動に殉じた。長男の龍樹さんがそれを引き受け、家族一丸となって再審運動を続けている。「本人や遺族が亡くなっても、弁護士会や第三者でも再審請求できるような法に改正したい」と龍樹さんは全国を駆け回っている。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「獄中でやり場のない怒りと悲しみに身悶えしていた西武雄氏死刑囚は、やっていないのだから処刑されることはないと信じていた」とのこと、

 「教誨師として面接しているうちに冤罪を確信した古川泰龍の著書「叫びたし寒満月の割れるほど」(法蔵館)のタイトルも、西武雄の無念の句である」とのこと、

 「戦後の1947年5月、福岡市で起きた強盗殺人事件。被害者二人のうち一人の衣料商が戦勝中国華僑の重鎮だったこともあってか、裁判は拙速だった」とのこと、

 「否認の西に死刑判決。中国人を誤射した石井健治郎とは会ったこともないのに主犯とされて処刑(75年6月)された。」とのこと、

 「石井は殺害を認めていたのでその日に恩赦を受け無期懲役に減刑、明暗を分けた(89年仮釈放)」とのこと、

 「旅館の経営を放り出して古川泰龍は63年から雪冤の行脚に出る。網代笠に僧衣草鞋の托鉢姿」とのこと、

 「(筆者が)お会いしたのは69年。2000年8月に他界した後、わたしは熊本市のシュバイツアー寺を継いだ龍樹さん(59)など家族を訪問した」とのこと、

 「父親は手弁当の運動に殉じた。長男の龍樹さんがそれを引き受け、家族一丸となって再審運動を続けている」とのこと、

 「「本人や遺族が亡くなっても弁護士会や第三者でも再審請求できるような法改正したい」と龍樹さんは全国を駆けまわっている」とのこと、

  等々を初めて知り、スゴイ人がいたものだと感心した。

 そして考えた。「無実で死刑になった人の怒りと悲しみ」はいかばかりであったかと。

真犯人はそれを知って、どんな気持ちで過ごし、死を迎えたのだろうかと。

また、捜査し、起訴し、判決を下し、刑を実行し、その任に当たった「当事者」は、いかなる死に方をしたのだろうかと。

 さらに、冤罪は誰にでも降りかかる「災難」であるから、冤罪をただすことは「国民的利益」につながることであるので、「本人や遺族が亡くなっても、弁護士会や第三者でも再審請求ができるような法に改正したい」という龍樹さんの主張はよく理解できた。


by sasakitosio | 2019-08-28 06:46 | 東京新聞を読んで | Trackback