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憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

参院を議論の府に「民主的 建設的なれ」先人の夢<「哲人エマーソンから、民主的なれ、楽観的なれ、建設的なれと書物で教えられた」と自著で記す=星一氏!>

725日付朝日新聞朝刊15面に、「他事秦論」という欄がある。筆者は、編集委員・駒野剛氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「私たちはきちんと調べただろうかーーーーーー。

 参院選投票の1週間前、福島県いわき市を訪ねた。選挙カーの連呼や候補者の練り歩き、対立党をこき下ろす舌戦とは無縁な静かな昼下がり。

 勿来市民会館に向かう。

 樹木が茂る一角に胸像が建つ。「星一先生之像」。人なつっこい笑顔が印象的だ。

 日本国憲法で廃止された貴族院に代わり国民が選ぶ参議院が新設され、1947(昭和22)年4月第一回選挙の全国区約49万票を集めトップ当選したのが星だ。

 1873(明治6)年、周辺の農家に生まれ苦学して米コロンビア大学大学院を卒業。新聞や日本紹介の雑誌を発刊する。

 「合衆国民のすべてが親切で、楽観的、進取的、協力的」「哲人エマーソンから民主的なれ、楽観的なれ、建設的なれと書物で教えられた」と自著で記す。

 ラルフ・ワルド・エマーソンは19世紀米国の思想家だ。自分だけでなく他人や職務、時間をいとおしむ「親切第一」が座右の銘になり、艱難も楽観的に立ち向かう人物を形作る。」と切り出した。 

 続けて筆者は。「帰国後、星製薬を創業、胃腸薬などに加え麻酔・鎮痛薬モルヒネやマラリアの治療薬キニーネを国産化。「東洋の製薬王」と呼ばれた。現在の星薬科大学も創設する。

 成功の裏に波乱が潜む。日本の植民地だった台湾の総督府民政局長、後藤新平と関係を深め、モルヒネの原料アヘンの払い下げを受ける。

 後藤が失脚すると時の政府に原料の処理や経理の不備を指摘され、銀行取引も厳しくなり、破産宣告に直面する。

 「公然たる動き、裏面での動き、連絡のある動き、独立した動き、いずれもが力を増しながら渦を巻き、星を深みへと引きずり込もうとしていた」。星と官憲の暗闘を小説風伝記「人民は弱し、官吏は強し」で著したのは親切第一から命名された長男親一。SP小説の第一人者、星新一である。」と教えてくれる。

 さらに続けて筆者は「星は屈するどころか戦い続ける。父が県議だった郷里の人々の依頼で1908年の衆院選に出馬し当選するが、その後は落選を重ねた。だが破産宣告の6年後、37年の総選挙に立ち2回目の当選を果たす。

 42430日の総選挙は太平洋戦争の最中だったが、星は福島3区で再選される。

 容易ではなかった。

 東条英機首相が招請した各界代表が結成する協議会が推薦候補を選ぶ翼賛選挙だったため、当選者の8割余りが推薦候補。

 だが、星は非推薦だった。

 当局の監視は厳しかったが豊富な人脈がモノを言う。福島出身の部下が多くいた荻洲立兵元陸軍中将が応援演説をした。「弁士中止」と命じる警官と怒鳴り合いになった。元首相広田弘毅も推薦文を書いた。

 当選後は科学技術の資金が足りないと政府を批判、本質を直視し意気軒昂だった。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「敗戦。参院選は5回、演説会を開いだけだった。時代は彼に未来の希望をみたのだろうか。

 選挙ポスターに「日米親善に貢献」「世界的協力発揮」などの文句が並ぶ。

 破壊された日米親善の架け橋となり、日本が国際復帰するまでの親切を構想したようだ。

 親一の次女マリナさんは「世界に奉仕する人材を育て理想の実現を目指したのだと思う」と話す。

 要は自立した個人が主役の民主化だ。参院での発言が残る。

 「国民全部が働いて生活できるような社会を日本はどうしても作らなければならない。これが本当の経済の民主化である。努力を基礎にした金融こそ日本経済民主化の鍵である。」。エマーソンの教えは生きていた。511月、訪米中に客死する。夢は後の世代に託された。

 参院選は終わった。与党の圧倒的優位は変わらない。

 それでも、与党は独善的であってはならない。 

 己より、国民や時間、職務に親切な政治でなくてはならない。

 野党は屈してはならない。

 政権の揚げ足取りでなく、国民の心に届く政策を磨かなければならない。

 それには議論の府の再建が急務である。星の見果てぬ夢が指し示している。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「日本国憲法で廃止された貴族院に代わり国民が選ぶ参議院が新設され、1947(昭和22)年4月の第一回選挙の全国区で約49万票を集めトップ当選したのが星だ」とのこと、

 「1873(明治6)年、周辺の農家に生まれ苦学して米コロンビア大学大学院を卒業。新聞や日本紹介の雑誌を発刊する」とのこと、

 「「合衆国民のすべてが親切で、楽観的、進取的、協力的」「哲人エマーソンから、民主的なれ、楽観的なれ、建設的なれと書物で教えられた」と自著で記す」とのこと、

 「帰国後、星製薬を創業、胃腸薬などに加え麻酔・鎮痛剤モルヒネやマラリアの治療薬キニーネを国産化。「東洋の製薬王」と呼ばれた。現在の星薬科大学も創設する」とのこと、

 「日本の植民地だった台湾の総督府民政局長、後藤新平と関係を深め、モルヒネの原料アヘンの払い下げを受ける。後藤が失脚すると時の政府に原料処理や経理に不備を指摘され、銀行取引も厳しくなり、破産宣告に直面する」とのこと、

 「星は屈するどころか闘い続ける。父が県議だった郷里の人々の依頼で1908年の衆院選に出馬し当選するが、その後は落選を重ねた。だが破産宣告の6年後、37年の総選挙に立ち2回目の当選を果たす。

 42年4月30日の総選挙は太平洋戦争の最中だったが、星は福島3区で再選される。中略

当選後は科学技術の資金が足りないと政府を批判、本質を直視し意気軒昂だった」とのこと、

 「敗戦。参院選は5回、演説会を開いただけだった。時代は彼に未来の希望を見たのだろうか。選挙ポスターに「日米親善に貢献」「世界的協力発揮」などの文句が並ぶ。破壊された日米親善の架け橋となり、日本が国際社会復帰するまでの親切を構想したようだ」とのこと、

 「要は自立した個人が主役の民主化だ。参院での発言が残る。「国民全部が働いて生活できるような社会を日本はどうしてもつくらなければならない。これが本当の経済の民主化である。努力を基礎にした金融こそ日本の経済民主化の鍵である」。」とのこと、

 等々を始めて知ることができた。

 この欄を読んで、星一という偉大な人物が、明治の初めに誕生し、敗戦後の日本の民主化を引っぱった、事を知ることができて、よかった。

 筆者は、「与党は独善的であってはならない。己より、国民や時間、職務に親切な政治でなくてはならない」「野党は屈してはならない。政権の揚げ足取りではなく、国民の心に届く政策を磨かなければならない」と指摘した。

 指摘の通りだと思った。

 それに加えて、マスメディアの取り上げ方も、「与党の独善」を具体的に指摘、継続的に報道し、野党の政策の実現性を検証し、野党をリードする報道をして、欲しいと思った。

 ここ数年、マスメデイアに持ち上げられた選挙のヒーローが、選挙に圧倒的有利で当選した後に、瞬く間に「メデイア化粧?」が剥げ「地の顔」があらわになり、投票した有権者、期待した有権者をがっかりさせてきたことか。

 これも民主主義の危機のような気がしている。


by sasakitosio | 2019-08-16 16:14 | 朝日新聞を読んで | Trackback