厚生団<年金制度が話題になる中、「週刊ポスト」誌で初代厚生年金保険課長・花澤武夫氏の言葉を知り、愕然とした!愕然としたのは、私(筆者)が厚生団(後に厚生年金事業振興団と改称)の職員だったからだ!?>
2019年 07月 09日
7月8日付東京新聞朝刊21面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、看護師・宮古あずさ氏だ。今日は、この筆者に学ぶことにした。
まず筆者は、「年金制度が話題になる中、「週刊ポスト」誌で初代更生年金保険課長・花澤武夫氏の言葉を知り、愕然とした。
1942年創設の年金制度は当初積み立て方式。
「支払う時に金が払えなくなったら賦課方式にしてしまえばいいのだから、それまでの間にせっせと使ってしまえ。それで昭和18年11月に更生団をつくったのです」(88年刊行「厚生年金保険制度回顧録」)」と切り出した。
続けて筆者は、「愕然としたのは、私が厚生団(後に更生年金事業振興団と改称)の職員だったからだ。看護学校も系列の学校。なお、社会保険庁解体とともに団体は消失し、残った施設はすべて売却されている。
今はまだ、どのように考えればいいか、整理がついていない。
就職のオリエンテーションでは「厚生年金の収益を受給前の若い人にも還元するのが目的の組織」と説明され納得していた。
後に年金官僚による使い込みに等しい状況が明らかになった後も、当事者意識は低かったと思う。
看護の仕事にのみ注力し、よい医療を提供することが良心的なあり方と信じていた。」と述懐する。
最後に筆者は、「看護師に限らず専門職は、組織よりも職業への帰属意識が強い傾向があるように思う。それは専門職のミッションを優先する力にもなるが、組織の悪を見逃しかねない。
改めて、組織と個人の関わりを考え、組織にいたものとしての責任を思案している。」として締めくくった。
読んで勉強になった。
「1942年創設の年金制度は当初積み立て方式。」とのこと、
「「支払う時に金が払えなくなったら賦課方式に変えてしまえばいいのだから、それまでの間にせっせと使ってしまえ。それで昭和18年11月に厚生団をつくったのです」(88年刊行「厚生年金保険制度回顧録」)」とのこと、
「なお、社会保険庁解体とともに団は消失し、残った施設はすべて売却されている」とのこと、
「(筆者の)就職のオリエンテーションでは「厚生年金の収益を還元するのが目的の組織」と説明され納得した。」とのこと、
「後に年金官僚による使い込みに等しい状況が明らかになった後も、当事者意識は低かったと思う」ともこと、等等を知ることができた。
読者の私が就職した昭和43年当時は、厚生年金や国民年金は積み立て方式だったような気がする。共済組合の年金は、退職時給与の3年分を平均して、最高7割までの年金額だった、と記憶している。その当時、先輩から共済年金はおっつけパンクするという話を聞いていた。
ただ、その共済組合に5年しか在職しなかったので、その後の年金の変遷に無知であったことに今さらながら気づかされた。
また筆者は、「改めて組織と個人の関わりを考え、組織にいたものとしての責任を思索している」としている。筆者が自己に厳しい性格であることが、よく分かった。
筆者にような「社会的責任を強く自覚する」人々が、為政者、国会議員、高給官僚、指導的学者・文化人・有識者にいれば、日本と日本人は世界一幸福な国民に、成れること間違いない、と思った。
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厚生団<年金制度が話題になる中、「週刊ポスト」誌で初代厚生年金保険課長・花澤武夫氏の言葉を知り、愕然とした!愕然としたのは、私(筆者)が厚生団(後に厚生年金事業振興団と改称)の職員だったからだ!?> : 平和憲法を世界へ未来へ... more
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