バベルの塔 ふたたび? <旧約聖書によると、人間は天に届く塔をつくろうとした、それを阻むために神は一つだった言語をバラバラにした。共同作業が無理になり建設は挫折した。>
2019年 02月 04日
2月3日付東京新聞朝刊3面に、「日曜に想う」という欄がある。筆者は、編集委員・大野博人氏だ。今日は、この筆者に学ぶことにした。
まず筆者は、「バベルの塔は、今なら建設できるかもしれないーーーー。情報通信研究機構(NICT)フェローの隅田英一郎さん(63)はそう考える。
旧約聖書によると、人間は天に届く塔をつくろうとした。それを阻むため神は一つだった言語をバラバラにした。共同作業が無理になり建設は挫折した。
隅田さんはコンピューターを使った自動翻訳研究の第一人者だ。「いっしょに働くためのコミュニケーションはできるようになります。神の怒りは買いたくないのですけど」
NICTが2010年に開発した音声アプリ「ボイストラ」はスマホなどに無料でダウンロードできる。文字や音声を即座に外国語にしてくれる。
英語や中国語ばかりか、ベトナム語やミャンマー語など31の言語で普通の会話なら可能だ。
これを元にした各種ソフトは各方面でどんどん普及している。
たとえば医療の現場。ほとんどの都道府県の救急車が搭載しているそうだ。
日本で暮らす外国人が増え、救急搬送も急増中。
症状を日本語で訴えるのは難しい。救急隊員はにいくつもの外国語の知識を求めるわけにはいかない。そこで威力を発揮する。
役所の窓口や交番など出番は増え続けている。
日本は事実上、移民社会にかじを切った。
「外国語はこれまでエリートの道具でした。でもそんなこといってられない。しかも、英語だけですまない。アジア言語の理解も必要です。」
絶妙のタイミングで自動翻訳は精度の向上を続けています。」と切り出した。
続けて筆者は、「バベルの塔建設の挫折が、人類にとって不幸とは限らないーーーー。東京大学理事・副学長の石井洋二郎さん(67)は「言語がいくつもあることに積極的な意味を見出すべきでは」と話す。専門はフランスの文学や思想だ。
「言葉はコミュニケーションツールであるとともに思考そのものです。日本語ならば考えられることが、英語では考えられないということがあります。外国語なら日本語とは違うことを考えることもできます」。
言語にはそれぞれの文化的背景や世界観がある。外国語と母国語を往ったり来たりすることが「自己相対化」の手がかりになるという。
たしかに外国語で、自分の国や文化についてなんとか説明できたと思ったとたん、相手から「どうして」と虚を突かれた経験は数えきれない。まるで「チコちゃん」に迫られる回答者のように呆然としながらも、思いもよらない視点から自分のことを考え直すきっかけになった。
「もし世界に言語が一つしかなかったら」と石井さんは問いかける。
「自分を相対化できるのは、違うものがあるからです。差異が存在するから思考が育つ。違うからこそ分かろうとする欲望も生まれます」。
だが今、グローバル世界は一つの言語、英語の世界になりつつあるように見える。
10年前、若者に外国語を学ばせるのに苦心している大学人達を取材したことがある。英国で、だ。母国語が世界言語となった学生たちは、外国語を学ぶ必要性をあまり感じていなかった。
だが、先生たちは頭を抱えていた。
なぜなら、外国語は単にコミュニケーションの道具ではなく、母語の空間にとどまっていては見えない自分に気付くのに欠かせないからだ。石井さんの懸念は、英語の国でもっとも切実だった。」と教えてくれる。
最後に筆者は、「バベルの塔建設が再開できるとしても、隅田さんが思い描くのは言語が一つの世界ではない。建設に携わる人たちが自分の言葉を話しつつ理解し合う世界だ。
「自動翻訳は、世界言語を英語だけにするといった発想とは正反対です。
機械ごしでまどろっこしいと感じた人が外国語を深く学ぶ動機になればなおいい」多様な人や文化とともに生きる社会。隅田さんはそれを広げることを、石井さんはそれを深めることを語っている。二つの視点があって、多様性は豊かさにつながる。」として締めくくった。
読んで勉強になった。
「旧約聖書によると、人間は天まで届く塔をつくろうとした。それを阻むため神は一つだった言語をバラバラにした。共同作業が無理になり建設は挫折した」とのこと、
「NICT(情報通信研究機構)が2010年に開発した音声翻訳アプリ「ボイストラ」はスマホなどに無料でダウンロードできる。文字や音声で即座に外国語にしてくれる。英語や中国語ばかりか、ベトナム語やミャンマー語など31の言語が普通の会話なら可能だ。これを元にしたソフトがどんどん普及している」とんこと、
「日本は事実上、移民社会にかじを切った。<中略>絶妙のタイミングで自動翻訳機は精度を向上させている」とのこと、
「東京大学理事・副学長の石井洋二郎さん(67)は「言語がいくつもあることに積極的な意味を見出すべきでは」と話す。専門はフランスの文学や思想だ」とのこと、
「言語にはそれぞれの文化的背景や世界観がある。外国語と母語を往ったり来たりすることが「自己相対化」の手がかりになるという」とのこと、
「「もし世界に言語が一つしかなかったら」と石井さんは問いかける。
「自分を相対化できるのは、違うものがあるからです。差異が存在するから思考が育つ。違うからこそ分かろうとする欲望も生まれます」。だが今、グローバル世界は一つの言語、英語の世界になりつつあるように見える」とのこと、
等々を知ることができた。
また筆者は、「多様な人や文化とともに生きる社会。隅田さんはそれを広げることを、石井さんはそれを深めることを語っている。二つの視点が当あって、多様性は豊かさにつながる」と教えてくれた。
一読者で高齢世代の私は、いつからか「違い」を楽しむようになった。
人からも自然からも物からも、「違い」を見つける楽しみ、「違いの由来」を調べる楽しみ、とりわけ近年は毎年年末年始、日本中がお休みの時、海外一人旅を企画し実践している。
初めて訪問した街の、歴史と、自然と、居住者や旅行者の様子、等々いつも新しい「出会いと発見」がある。出かける前に、1年かけて徹底的に調査していくのだが、かならずハプニングがある。そのハプニングを無事クリアできた時の達成感が、また次の旅行へのエネルギーになる。