人気ブログランキング | 話題のタグを見る

憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

GAFAの市場支配 情報・知識社会 公正さ焦点<「脱工業社会の到来」の著者ダニエル・ベルは、来るべき情報・知識社会とは、公共的計画によって人々の公共的な生活を向上させる社会だ、と唱えた!>

 2月1日付朝日新聞朝刊13面に、「異論のすすめ」という欄がある。筆者は、京都大学名誉教授・佐伯啓思氏だ。

今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「GAFAと総称される米国のIT4社(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)が問題となっている。

 あまりにも巨大な市場支配力を持ちすぎたためである。実際には、課税逃れや顧客情報の管理に関する問題等が指摘され、何らかの規制の必要性が論議されている。

 この問題の根は深く、今日の経済を考える上でも重要な論点をはらんでいる。

 IT系の情報産業がグローバル市場のなかで、巨大な市場支配力を持つのは当然のことで、一つの理由は、情報・知識は、通常の工業製品とはまったく違うからだ。自動車やテレビなどは、無限に生産を拡大することはできない。生産の拡張もある段階までくれば、追加的な費用が増加するため、いずれ生産の臨界点に達する。

 しかし、情報知識の場合はまったく違ている。

 設備も工場も人員も比較的少なくて済み、生産や販売に関する費用も極めて小さく、市場が拡大すればするほど、追加的な費用が減少する。

 経済学でいう限界費用逓減といわれる現象である。この場合には、ほとんど無限に市場を拡大することができる。

 簡単に言えば、最初にうまく市場に乗った企業は、ほとんど世界中の市場を手にすることが可能となる。

 当然、市場目当ての広告収入は増加するから、圧倒的な利益を手にすることができる。

 かくてグーグルの親会社は今日、約12兆円の売り上げをもち、アマゾンは20兆円近い売り上げを誇る。情報・知識産業においては、通常の市場競争原理は適切な結果をもたらさないのだ。

 第二に、情報・知識は、本質的に公共的なもである。

 ネット上に公開された情報は誰でもが閲覧できる。

 ツイッターなども公開される。

 ユーザーが使用したあらゆるデータもその場で消え去るものではなく、蓄積され保存される。つまりこれは本質的には公共性を持っているのだ。にもかかわらず、その顧客データは、特定の企業に独占され、ビッグデータとして私企業によって管理されることになる。

 ここに、今日の情報資本主義の危うさがある。」と切り出した。

 続けて筆者は、「今から40年ほど前、1970年代の後半であるが、製造業を中心とする先進国(特に米国)の資本主義はもはや限界状態にある、といわれていた。

 製造業中心の工業社会から、情報・知識中心の脱工業社会への移行が唱えられていた。

 「脱工業社会の到来」という書物をあらわした社会学者のダニエル・ベルは、来たるべき情報・知識社会とは、市場競争一辺倒の社会ではなく、公共的な計画によって人々の公共的な生活を向上させる社会だ、と唱えた。

 なぜなら、情報・知識は本質的に公共性をもつため、それは市場競争原理にはなじまないからである。

 私的利益の対象と見なすよりも、それらを人々の公共的な生活の質の向上のために使うべきたと主張したのである。

 現実には80年代の新自由主義的な市場競争や90年代のIT革命によって、情報・知識は市場で莫大な利益を生む強力な新産業へと成長した。

 その結果、GAFAと呼ばれる巨大IT企業が圧倒的な市場支配力を持つだけでなく、今日の社会のもっとも基本的なプラットフォームを形成することで、われわれの生活全般に対して大きな影響力を持つようになった。

 プラットフォームとはインフラストラクチャーである。

 それは今日の経済のみならず、われわれの社会生活や文化の共通の基盤となっている。

 いいかえれば、きわめて重要な公共的役割を担う一種の「社会資本」となっている。かくてGAFAはわれわれの生活や文化の全般において圧倒的な力を持つことになった。

 現在、われわれは経済成長率の低下に直面している。消費が伸びないので、政府も産業もIT産業への強い期待をかけ、この新産業革命によって消費を拡張し経済成長を実現しようというのだ。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「だが我々が今日必要としているのは、新手の消費財というよりも、むしろ、生活の質に関わるシステムではなかろうか。

 適切な医療体制の構築、人生の最後の向かい方、(介護や終末医療など)、人間的な力全般にかかわる教育システム、高度な専門的学術や基礎研究、家族や地域の健全な人間関係、特に地方における公共交通機関、住環境や職場環境、防災システム、伝統的な文化の継承や保護の仕組みといったものではなかろうか。

 これはすべて公共的なシステムに関わる。

 そして、これらの公共的なシステムの構築こそは情報・知識の適切な使用と不可分であろう。

 まさにかってベルが述べた通りなのである。

 今日、しばしば取りざたされる、AIやロボットやあるいは生命科学などという新規の情報・知識も,われわれの生活の質に関わる公共分野でこそ、むしろ大きな効果を発揮するだろう。

 それは、市場化されれば、どれだけ利益が上がり、どれだけ成長率を押し上げるか、という種類の問題ではない。

 ベルが、かって、情報・知識社会とは、市場競争の効率性よりも、社会的な公平や生活の質が焦点になるべき社会だと述べたことをあらためて想起したいのだ。

 もちろん、その後のITの革命的展開はベルの予想をはるかに超えたものであった。

 しかし、それでも情報・知識のもつ最も基本的な性格である公共性が失われたわけではない。

 長い目で見て、ベルの議論が全く的外れだったとは私には今でも思えないのである。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「グーグルの親会社は今日、約12兆円の売り上げをもち、アマゾンは20兆円近い売り上げを誇る。」とのこと、

 「情報・知識は、本質的に公共的なものである。<中略>にもかかわらず、その顧客データは特定の企業に独占され、ビッグデータとして私企業によって管理されることになる、ここに、今日の情報資本主義の危うさがある」とのこと、

 「「脱工業社会の到来」という書物をあらわした社会学者のダニエル・ベルは来たるべき情報・知識社会とは、市場競争一辺倒の社会ではなく、公共的な計画によって人々の公共的な生活を向上させる社会だ、と唱えた。なぜなら情報・知識は本質的に公共性を持つため、それは市場競争原理にはなじまないからである。」とのこと、

 「GAFAと呼ばれる巨大IT企業が圧倒的な市場支配力を持つだけでなく、今日の社会の最も基本的なプラットホームを形成することで、我々の生活全般に対して大きな影響力を持つようになった」とのこと、

 「プラットホームとはインストラクチャーである。それは今日の経済のみならず、われわれの社会生活や文化の共通の基盤となっている。言いかえれば、きわめて重要な公共的役割を担う一種の「社会資本」となっている」とのこと、

 「政府も産業界もIT産業への強い期待をかけ、新たな製品開発が急務だと訴える。この新産業革命によって消費を拡張し経済成長を実現しようというのだ」とのこと、等等を知ることができた。

 筆者は、「だが、われわれが今日必要としているのは、新手の消費財というよりも、むしろ生活の質に関わるシステムでなかろうか。」と指摘し、

 「それは、市場化されればどれだけ利益が上がり、どれだけ成長率を押し上げるか、という種類の問題ではない。」との指摘し、 

 「ベルが、かって、情報・知識社会とは、市場競争の効率性よりも、社会的公正や生活の質が焦点になるべき社会だと述べたことを想起したいのだ」と指摘した。なるほどと、納得した。

 そして、質の問題は、数値化するのが難しい。、為政者の恣意的な操作が及ばないような工夫、評価の点で「人の裁量」が入らないような工夫が必要ではないか、と思った。


by sasakitosio | 2019-02-04 06:55 | 朝日新聞を読んで | Trackback