ミラノ&ベニス一人旅⑤ 余話&こぼれ話
2019年 01月 18日
ミラノでは、出発前に日本で調べたネット情報では、気温が東京より10度低いとの事だったが、東京都・千葉県より暖かかった!野良犬と野良ネコは、まったく見なかった!?物もらいも3人だけ!?
その物もらいにかかわる話だが、私の風体が、寒いと思ってぼこぼこになるほど「衣類」を着込んだ行ったために、大勢の観光客の中でも極めて変わった、というより貧乏なアジアの老人に見えたらしい。
というのは、物もらいの中高年の男性が、歩いている私の前に、紙コップをさっとだした。私は、ごめんねのつもりで「手」あわせ「合掌」し、頭を下げた。と、かの物もらいの人は、さっと、紙コップを引込めたではないか?
私の合掌はこの物もらいにとって、喜捨に対する感謝の姿(僧侶の乞食)と勘違いし、せっかく集めた「寄付」を取られと思ったのかもしれない、と後で考えた。
ミラノのドゥオモの屋上(屋根の上)でのこと、足元にステンドグラスが、しかも聖堂の内側から見上げたステンドグラスだ!聖堂の屋根に上がり、ステンドグラスを足下にみる、神様に叱られないなあ、と帰国してから、ふと思った。
ミラノの街は、早朝薄暗い時間に清掃車がホテル前のゴミ集積所に来て、収集していた。町の中に、観光客らしき人々が、ぞろぞろ居たが、路上にゴミを見なかった。
朝の6時ころ、出発前の日本の柏市内の事務の前から南東の方の空、3階建てのビルの上に土星が月の下に見えた。
ミラノでは、月が土星の下にあった。星の知識にそれほど自信があるわけではないが?
また、ベネチュアの駅が、ベネチュア・サンタルチアということを初めて知った。サンタルチアという歌は聞いたことがあったが。
サンタルチア駅がベニスの島の一つのようで、線路回りが左右とも一瞬一面の海になった。また終点のサンタルチア駅を降りると、すぐ目の前が運河で、水上バスの乗り場があった。対岸には青いドーム状の屋根の教会らしきものがあった。
帰ってきて、日本でベニスへ行ってきたことを話すと、皆が皆「水は大丈夫だった」と聞く。昨年にテレビでも見た、ベニスの洪水のことを皆が
が、数年に一度のニュースをみた日本人は、あれが平常と思った人がなんと多いことかと、驚いた。
またサンタルチア駅から、サン・マルコ広場までに、島と島をつなぐ橋が沢山あり、島には教会と広場があり、その広場には、必ず井戸らしきものがあった。
一人旅のだいご味は、一瞬の不安、それが無事で済んだ時の安堵感のような気がしている。
一瞬の不安は、二日酔いのようなもので、過ぎ去れば、また初めての地へ行きたくなる。
帰ってくると、今年の年末・年始のどこへ行こうか、と調査が始まる。
莫高窟の探検もしたいし、ミュンヘン・ニュルンベルグへも行きたいし、アウシュビッツも行ってみたいしレオナルドダビンチの墓参りも行ってみたい。
写真上から、「レオナルド・ダビンチの「最後の晩餐」のあるサンタ・マリアデッレ・グラツィエ教会、中のはベネチュア・サンタルチア駅を背にした正面の運河と水上バスと対岸の教会、その下のは運河を走る水上タクシー、
一番下のは宿泊したスターホテルとドゥオモ、塔の天辺に金箔のマリア像。