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by sasakitosio

救世主が被告になる時< 救世主が被告と化した今、日本的経営には、改めて、思考停止の魔の手を振りほどく知性が求められている!覚醒の時だ!と、浜矩子のご託宣だ!いいかも!>

1月13日東京新聞朝刊社説横に、「時代を読む」という欄がある。筆者は、同志社大教授・浜矩子氏だ。今日は、この筆者に学ぶことにした。

まず筆者は、「1999年、カルロス・ゴーンが日本にやって来た。その時、彼は救世主だった。そして、2019年の今、彼はゴーン被告と化して勾留されている。 有価証券報告書への報酬過少記載問題に次いで、会社法違反の特別背任罪でも、追起訴された。

 彼は有罪なのか、無罪なのか。勾留など日本の司法制度の在り方に問題があるのかないのか。

 前者については、司法判断の成り行きを見守るほかはない。

 後者については、大いに問題がありそうだ。

 かねて、内外の人権団体が疑問視している。司法判断の成り行きと司法制度のあり方が、相互に無縁だとは言えないかもしれない。いずれにせよ、なんとも闇深き怪事件が持ち上がったものである。注視しつづけていく必要がある。」と切り出した。

 続けて筆者は、「それはそれとして、救世主が被告に変容するまでの20年間を、少し経済の視点から振り返ってみたい。

 1999年日本にとって、かの「失われた10年」が最終局面に差し掛かる時だった。

 89年末のバブル崩壊によって、日本はデフレがデフレが呼ぶ蟻地獄に吸い込まれた。その中から、ようよう、這い上がり始めたのが、90年代末から2000年代にさしかかる時だった。

 失われた10年を通じて、日本経済はデフレ病の重篤患者として入院中だった。

 それも、集中治療室に入って、さまざまな政策的生命維持装置に依存しながら命をつなぎとめる日々を送っていた。

 何とか退院にこぎつけて、病院の外に一歩出た時、病み上がりの日本経済を待ち受けていたのがグローバルジャングルだった。

 その中で生きながらえていくには、過激な超高速のリハビリが必要だった。それを痛感し、それにおびえる日本的経営の担い手たち。その眼前に降臨したのが、救世主ゴーンであった。

 つらいのは分かる。だがやるしかない。そう宣言する非常な理学療法士。だからこそ、頼りになる。救世主の後光がまぶしい。日本中の書店が、ゴーン的経営礼賛本であふれかえった。

 そして20年後、今の日本はどうなっているのか。

 端的にいえば、リハビリ疲れで基礎体力がかえって低下してしまったようである。ひょっとすると、あの「つらいだろうがやるっきゃない」という救世主のお言葉にもう一つ病魔が潜んでいたのかもしれない。

 これっきゃない。

 やるっきゃない。

 これらの言い方は、人間を決定的に思考停止状態に追いやる。ある意味で、こういう風に言われるほど、楽なことはない。ともかく、言われたとおりにしていればいい。リストラこそ、至福のリハビリなり。だから、余計なことを考えずに実行あるのみ。耐えがたきを耐えて奮励努力すればいい。辛さに耐えること自体が、自己目的化する世界だ。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「こうしてみれば、救世主が被告に転落するまでの20年間を通じて、日本的経営はそのスタイルこそ変わったが、その精神風土において何も変わらなかったといえそうだ。

 [これっきゃない・やるっきゃない]主義は、戦後長らく、日本企業にとって不可能を可能にする奇跡のフォーミラ(公式)だった。だからこそ、救世主のご宣託があれほど経営者たちのハートをわしづかみにしたのかもしれない。

 救世主が被告と化した今、日本的経営には、改めて、思考停止の魔の手を振りほどく知性が求められている。覚醒の時だ、」として締めくくった。

 読んでためになった。

 「1999年は、日本にとって、かの「失われた10年」が最終局面に差し掛かる時だった。89年末のバブル崩壊によって、日本はデフレがデフレを呼ぶ蟻地獄に吸い込まれた」とのこと、

 「失われた10年を通じて、日本経済はデフレ病の重篤患者として入院中だった。それも、集中治療室に入って、さまざまな政策的生命維持装置に依存しながら命をつなぎとめる日々を送っていた。」とのこと、

 「何とか退院にこぎつけて、病院の外に一歩出た時、病み上がりの日本経済を待ち受けていたのがグローバルジャングルだった」とのこと、

「その中で生きながらえていくには、過激で超高速のリハビリが必要だ。それにおびえている日本的経営の担い手たち。」とのこと、

 「その眼前に降臨したのが、救世主ゴーンだった、つらいのは分かる。だがやるしかない。そう宣言する非常な理学療法士。だからこそ、頼りになる。」とのこと、

 「これっきゃない。やるっきゃない。これらの言い方は、人間を決定的な思考停止状態に追いやる。」とのこと、

 等々を教えてくれた。

 また筆者は、「「これっきゃない・やるっきゃない」主義は、戦後長らく、日本企業にとって不可能を可能にする奇跡のフォーミラ(公式)だった。だからこそ、救世主のご託宣があれほど経営者たちのハートを鷲づかみにしたのかもしれない」とも教えてくれる。

 そして筆者は、「救世主が被告と化した今、日本的経営には、改めて、思考停止の魔の手を振りほどく知性が求められている」と指摘した。

 指摘の通りだと思うが、その具体的方策がなかなか見いだせない。生きている「今」の延長上に道はあるのか?それとも、生きている「今」の行き詰まりの先に別の「道」が突然みえてくるのだろうか?

 

 


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by sasakitosio | 2019-01-14 11:26 | 東京新聞を読んで | Trackback