思い出したい吉田首相の「C案」<C案はまず「全ての国と平和に生きることが、世界で普遍の願いだ」と宣言!日本と朝鮮半島を非武装地帯と定め、米英ソ中が北太平洋の軍備を制限し、国連が監視する!>
2018年 09月 27日
9月18日付東京新聞朝刊4面に、「論説委員のワールド観望」という欄がある。 筆者は、五味洋治氏だ。
今日は、この筆者に学ぶことにした。
まず筆者は、「いま米国と北朝鮮間で、朝鮮戦争(1950~53年)に関して「終戦宣言」をめぐる交渉が続いている。
現在の休戦協定を法的拘束力のある平和協定に切り替える前に、「もう戦争はしない。平和共存する」と内外に伝える政治的な宣言のことだ。
緊張が続く北東アジアに大きな転機をもたらせる可能性があるが、安倍政権は一貫して冷ややかな姿勢だ。
これを示すかのように2018年版の防衛白書は、北朝鮮の軍事的動きを「これまでにない重大かつ差し迫った脅威」とし、「脅威の基本的な認識に変化はない」と強調している。
今年になって本格化している米朝、南北間の対話の努力をほとんど評価していない。
日本はかって、朝鮮半島の平和と安定を目標とし、独自のプランを作ったことがある。
敗戦から間もなくのことだった。
当時外務省は、国際社会に復帰するため講和条約の締結の準備を開始する。
その作業の中心になっていたのが、吉田茂首相だった。」と教えてくれる。
続けて筆者は、「講和問題については、50年に対日講和担当で米国務省顧問のダレス氏(後に国務長官)との交渉が始まった。
この交渉に備え吉田は[A][B][C][D]と呼ばれる4つの作業を外務省官僚に指示した。
このことは専門家の間ではよく知られている。
その中の「C作業(案)」は異色の内容だった。
昭和史研究の第一人者である保坂正康氏が、近著「昭和の怪物7つの謎」(講談社現代新書)で取り上げている。
「北太平洋地域における平和および安全の強化のための提案」と題され、50年の12月に吉田に提出された。
朝鮮戦争はこの年の6月に始まった。激しい戦闘の末、米軍を中心とする国連軍と中国・北朝鮮軍の戦闘は手詰まり状態に陥り、休戦を求める声が強まっていた。
C案はまず「全ての国と平和に生きることが、世界で普遍の願いだ」と宣言する。
そして日本と朝鮮半島を非武装地帯と定め、米英ソ中の4カ国が北太平洋の軍備を制限し、国連がそれを監視する。
国際法を参考にし、専門家に相談して苦労して練り上げた大胆な理想論だった。
保坂氏は「C案は吉田にとっての隠し球だった」と書いている。」と教えてくれる。
最後に筆者は、「ダレスが講和条約を盾に、日本に無理な再軍備を押し付けてきたら、吉田は「結局、あなた方が望んでいるのはこういうことだろう。この地域でもう戦争はしないでほしいと開き直るつもりだったのではないか」――保坂氏はそう推理している。
ただ、実際の交渉の中で「C案」は提出されることはなく、日本は軽武装と、安全保障を米国に依存する現実路線に進んでいった。
それでも敗戦国日本が、米国に対して思い切った平和のプランを準備していたことは改めて驚かされる。
安倍晋三首相に、吉田が「C案」を準備していたようなしたたかさや、気概が感じられないのが残念でならない。」として締めくくった。
読んで勉強になった。
「日本はかって、朝鮮半島の平和と安定をめざし、独自のプランを作ったことがある」とのこと、
「敗戦から間もなくのことだった。当時外務省は、国際社会に復帰するため講和条約の締結の準備を開始する。その作業の中心になっていたのが、吉田茂首相だった」とのこと、
「講和問題については、50年に対日講和担当で米国務省顧問のダレス氏(後に国務長官)との交渉が始まった」とのこと、
「この交渉に備え吉田は「A」「B」「C」「D」と呼ばれる4つの作業を外務官僚に指示した」とのこと、
「その中の「C作業(案)」は」異色の内容だった。昭和史研究の第一人者である保坂正康氏が近著「昭和の怪物七つの謎」(講談社現代新書)で取り上げている」とのこと、
「北太平洋地域における平和および安全の強化のための提案」と題され、50年の2月に吉田に提出された」とのこと、
「C案はまず「全ての国と平和に生きることが、世界で普遍の願いだ」と宣言する。
そして、日本と朝鮮半島を非武装地帯と定め、米英ソ中の4カ国が太平洋の軍備を制限し、国連がそれを監視する」とのこと、
「保坂氏は「C案は吉田にとっての隠し球だった」と書いている」とのこと、等等を初めて知ることができた。
筆者によれば「国際法を参考にし、専門家に相談して苦労して練り上げた、大胆な理想論だった」とのこと、
「ダレスが講和条約を盾に日本に無理な再軍備を押し付けてきたら、吉田は「結局、あなた方が望んでいるのはこういうことだろう。この地域でもう戦争はしないでほしいと開き直るつもりだったのではないか」――保坂氏は推理している」とのこと、とうとうを教えてもらった。
知ってみれば、吉田茂という人は凄くて偉い人だった、講釈のネタになるような立派な人物だったんだ、と思った。