賞与が国債だった時代< 1939年5月、賞与などが100円以下は10%以上、500以下で20%以上、5000円超で45%以上、国債もしくは貯蓄債券を支給し又は購入せしむべき???>
2018年 09月 21日
9月20日付朝日新聞朝刊18面社説下に、「ザ・コラム」という欄がある。筆者は、編集委員・駒野剛氏だ。
今日は、この筆者に学ぶことにした。 まず筆者は、「勤め人にとって賞与は大切な生活給である。住み家を買ってローンを組んでから、支給されても借金払いで瞬間蒸発してしまう私でも、「干天の慈雨」そのものだ。
大切な賞与が政府発行の国債だったら、「冗談はよせ」と会社に怒鳴り込むだろう。
しかし、そんな時代が現実にあった。
1939年(昭和14)年5月、大蔵(現財務)次官が農林次官にあてた「賞与ヲ国際ヲ以テ支給スルノ件」という文書によると「国債若シク貯蓄債券を支給シ又ハ購入セシメルベキ金額ハ左記ノ標準ニ依ルコト」とし、賞与などが「100円以下ノモノ」は10%以上、500円以下で20%以上、5000円超で45%以上、などとされている。
国債賞与は前年冬にも実施された。12月6日付の東京朝日新聞は「さあ債権賞与だ各会社から申し込み殺到」の見出しで「素晴らしい売れ行き」で好評と書いた。
先の「支給スルノ件」は違う。「賞与国債支給ヲ実行セズ或ハ実行シタルモ不十分ナリト認メラルル会社」に対しては「今回ハ必ズず実行」するよう個別指導すること、会社などに最低一人の実行委員を置き、支給を促進させるようにねじを巻いている。
押し付けは強まる。39年冬から常勤者10人以上の工場に対し、警視庁に報告書を提出させることになったと朝日は報じた。」と切り出した。
続けて筆者は、「37年7月から始まった日中戦争が泥沼化、多額の戦費が必要となった上、軍需資金が市中に流れて景気は良くなったが、金余りによるインフレを恐れた。
国債を発行して余剰資金を吸収しようとしたのだ。
戦争勃発で設けられた臨時軍事費特別会計は次々と増額された。
45年2月の会計終結までに1553億9千万円が支出された。
当時の国民総生産(GUP)の倍、現在価値でざっと50兆円に相当する。
日清戦争の776倍、日露戦争の103倍。
財源の約9割が国債や借入金だ。
国債は銀行や国民の家計で保有されたが「悪性インフレの傾向はさらに強まりながら潜在化していき、戦後のインフレ爆発の火薬庫となっていった」と大蔵省が編纂した「昭和財政史」は反省している。」と教えてくれる。
最後に筆者は、「国民からの資金吸い上げは国債にとどまらない。毎月の積立預金でも行われた。
2014年1月、大阪市福島区の歴史研究員の荻田善彦さん(71)のもとに区内の住民から古いトランクが持ち込まれた。
開けて驚いた。中身は計97人分、130通の預金通帳だった。裏表紙に「銃後を守る日本婦人重い務めも笑顔でになふ」などとある。
積立額は43年3月まで月50銭、43年度は月1円、44年度月2円、45年度月4円となっている。事実上の強制預金。40年ごろは天丼1杯50銭、とんかつ30銭というから、庶民には軽くない負担だ。
この預金は町内会や職域で組織された「国民貯蓄組合」の一つ、官製組織の大日本婦人会福島市部の班会が取りまとめた。
トランクには、軍用機を国に献納した寄付金の受領書なども入っており、預金以外にも金をとられたことが分かる。
預金の目標額や使途は国が決めた。
生産設備拡充資金にも使われたが、8割近くが国債買い入れに回されたとみられる。
そして敗戦。
国は信用を失う一方、生活必需品などの物資が不足する。日中戦争前の卸売価格と49年の水準を比較すると約220倍、45年と比べても約70倍というハイパーインフレが国民の暮らしを直撃する。
戦中に発行された国債は紙くず同然となり、預金も預けた時の価格を大きく下回る。
泣きっ面に蜂どころではない。
荻田さんは「極めて過大な金銭的負担を課した上、無駄になってしまう・・・。 お国にあきれるばかりです。こうしてトランクが残ったのは、預けた人の無念を引き継いだからだと思います。」と話していた。
戦争末期、政府債務は名目GUP費で200%を超えた。しかし、敗戦という出口で、国の借金はハイパーインフレが解消した。 その陰で命の次に大切なものを失った国民の悲惨があった。
2018年度の債務は名目国内総生産比222%とはるかに悪化している。
さて、アベノミクスの出口で、この借金をどうするつもりか。」として締めくくった。
読んで勉強になった。
「1939(昭和14)年5月、大蔵(現財務)次官が農林次官に充てた「賞与ヲ国債ヲ以テ支給スルノ件」という文書」があるとのこと、
その文書によると「「国債若シクハ貯蓄再建債券ヲ支給シ又ハ購入セシムベキ金額ハ左記ノ基準ニ依ルコト」とし、賞与などが「100円以下ノモノ」は10%以上、500以下で20%以上、5000円超で45%以上、などとされている」とのこと、
「国債賞与は前年冬にも実施された」とのこと、
「会社などに最低1人の実行委員を置き、支給を促進させるようねじを巻いている」とのこと、
「39年冬から常勤者10人以上の工場に対し、警視庁に報告書を提出させることになったと朝日は報じた」とのこと、
「戦争勃発で設けられた戦費をまかなう臨時軍事費特別会計は次々と増額された。46年2月の会計終結までに1553億9千万円が支出された。当時の国民総生産(GUP)の倍、現在価値でざっと50兆円に相当する。日清戦争の776倍、日露戦争の108倍。財源の約9割が国債や借入金だ」とのこと、
「国民からの資金吸い上げは国債にとどまらない。毎月の積立預金でも行われた」とのこと、
「積立額は43年3月まで月50銭、43年度月1円、44年度月2円、45年度月4円なっている。事実上の強制預金。」とのこと、
「40年ごろは天丼一杯50銭、とんかつ30銭という」とのこと、
「預金の目標額や使途は国が決めた。生産設備拡充資金にも使われたが、8割近くは国債買い入れに使われた」とのこと、
「そして敗戦。国は信用を失う一方、生活必需品などの物資が不足する。 日中戦争前の卸売物価と49年の水準を比較すると、約220倍、45年と比べても70倍というハイパーインフレが国民の暮らしを直撃する」とのこと、
「戦中に発行された国債は紙くず同然となり、預金の預けた時の価値を大きく下回る」とのこと、
「戦争末期、政府債務残高は名目GNP比で200%を超えた。しかし敗戦という出口で、国の借金はハイパーインフレが解消した」とのこと、
等々を知ることが出来た。
筆者は「2018年度の債務は名目国内総生産比222%とはるかに悪化している。さてアベノミクスの出口で、この借金どうするつもりか」と指摘した。昔ならった、財政学では財政インフレが起きて当然の状態だと思うが?デフレ脱却だという?
戦後のハイパーインフレのキッカケは生産設備の破壊による極端なモノ不足だったのではないか。いま、日本でモノ不足でインフレが起こる状況ではない。アベノミクスの出口に待っているのは、どんな景色なのだろう?年寄りには、ぬるま湯の現在が一日も長く続くことを、祈りたい。