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by sasakitosio

財界が開く絵画展 対話型鑑賞 いま必要な能力<絵から何を感じたかを考える!直観力やそれを感じる根拠を説明できる表現力が求められる!異なる意見をどう受け止めるか!彼らと同対話するか!>

8月21日付朝日新聞朝刊7面に、「波聞風問」という欄がある。筆者は、編集委員・多賀谷克彦氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「1年前にパリのオルセー美術館を訪ねた時、日本の美術館では見慣れない光景を目にした。

 マネの代表作の一つ「笛を吹く少年」の前で、小学生十数人が床に腰を下ろしていた。

 先生らしき人が話しかけている。しばらくすると、子どもたちが次々と話し始めた。

 どうやら絵の感想を語り合っているようだった。

 日本ではこうはいかない。

 美術品は、静かに鑑賞すべきもの。何人かがおしゃべりしようものならしかられるだろうし、小さい子どももあまり歓迎されない。

 鑑賞会でも、学芸員の説明を一方的に聞くことが多いだろう。

 オルセーの光景を思い出したのは、関西経済同友会が今秋、会員企業が所蔵する絵画を持ち寄って展覧会を開き、小学生を招待するという話を聞いたからだ。

 しかも、オルセーで見たような「対話型鑑賞会」を開くという。」と切り出した。

 続けて筆者は、「美術鑑賞・教育といえば、作品にまつわる情報、時代背景や技法などが重視される。いわば「この絵はこう見なさい」という一方的な教えだ。

 対話型は違う。ナビゲーターと共に、絵から何を感じるかを考える。直観力や、それを感じた根拠を説明できる表現力が求められる。

他者の感想も聞く。異なる意見をどう受け止めるか。彼らとどう対話するか。コミュニケーションの基礎である。

 この鑑賞法は1991年、ニューヨーク近代美術館(MoMA)が開発した。MoMAに勤務し、対話型の普及に努めた京都造形芸術大教授の福のり子さんが同僚から聞いた話がある。

 小学生の男の子にモネの「水連」を見せた時、彼は「カエルが葉の上にいっぱいいた。僕が来たから池に逃げた」と言った。

 モネは蛙を描いていない。だが、彼は描かれた数多くの波紋からそう思ったらしい。

 福さんは言う。 

 「学校の授業なら、何を言ってるの、となるでしょう。でも素晴らしい想像力じゃないですか」

 対話型鑑賞によって養われる力は、子どもだけでなく、社会人にも求められるものだろう。

 私たちが受けてきた教育は、用意された答えを見つける作業だった。

 でも、対話型にあらかじめ用意された答えはない。これからの時代に求められるのは、社会の課題がどこにあるかを見つける力だろう。

 問題を見つけられなければ先には進めない。」と指摘した。

 最後に筆者は、「さて経済団体と言えば、財政や税制など自らの企業活動の利害に絡む政策課題について提言するのが仕事だった。

 ただ、国連の持続可能な開発目標(SDGs)が示すように、社会が抱える課題は多様化している。政府や公的機関だけでは解決できない課題がほとんどだ。

 展覧会を企画した一人、関西経済同友会の坂上和典さん(博報堂特任顧問)は「提言だけではなく、経済団体も地域社会、次世代の人たちに何ができるかを考えるとき」と語る。

 自らの役割を見つめ直して見つけたい問いである。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「関西経済同友会が今秋、会員企業が所蔵する絵画を持ち寄って展覧会を開き、小学生を招待するという話を聞いた。 

 しかもオルセーで見たような「対話型鑑賞会」を開くという」とのこと、

 「美術鑑賞・教育といえば作品にまつわる情報、時代背景や技法などが重視される。いわば、「この絵はこう見なさい」という一方的な教えだ」とのこと、

 「対話型違う。ナビゲーターと共に、絵から何を感じるかを考える。直観力やそれを感じた根拠を説明でき表現力が求められる。他者の感想も聞く。異なる意見をどう受け止めるか。彼らとどう対話するか。コミュニケーションの基礎である。」とのこと、

 「この鑑賞法は1991年、ニューヨーク近代美術館(MoMA)が開発した」とのこと、

 「私たちが受けてきた教育は、用意された答えを見つける作業だった。でも対話型にあらかじめ用意された答えはない。

 これからの時代に求めらえるのは、社会の課題がどこにあるかを見つける力だろう。問題を見つけられなければ先に進めない。」とのこと、

 「国連の持続可能な開発目標(SDGs)が示すように、社会が抱える課題は多様化している。政府や公的機関だけでは解決できない課題がほとんどだ」とのこと、

 等々を知ることが出来た。

 外国の町を訪れると、必ずその町の美術館や博物館を訪れることにしている。それは、その国その町の人々が「宝」としているモノを見たいからだ。そして、美術館そのものが宝物でもある。

 メトロポリタン美術館でみたゴッホの「自我像」、ルーブル美術館で見たダビンチの「モナリザのほほえみ」、プラド美術館で見たダビンチの「モナリザのほほえみ」、エルミタージュ美術館で見たダビンチの数枚、ひと筆ひと筆に全く隙がない、手抜きや気を抜いていない、ことに気が付いた。

 また、数年前にマドリッドへピカソの「ゲルニカ」の実物を見に行った。

 絵の前に立って、これぞピカソ、と思った。

 直線で描かれたことで、人の顔や、馬の顔からも、手や足や体からも、悲鳴が聞こえてきた。 

 実は、それまでは、ピカソよりオルセー美術館の色彩豊かな絵の方がいい好きだったが、ゲルニカの実物を見て、ピカソの素晴らしさを、初めて感じることが出来たことを、思い出した。


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by sasakitosio | 2018-08-24 07:11 | 朝日新聞を読んで | Trackback