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by sasakitosio

「浮浪児」< 戦争で保護者も住まいもなくなって、いく場がなく駅で暮らしていた「子どもたち」が「浮浪児」と言われた!戦争と偏見に追いつめられた「子どもたち」を思うと、胸が熱くなる!!!>

8月20日付東京新聞朝刊21面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、看護師・宮古あずさ氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「NHKが12日に放送した「“駅の子”の闘い~語り始めた戦争孤児~」はとても良い番組だった。

 取り上げられたのは、行き場がなく駅で暮らした戦争孤児、いわゆる「浮浪児」である。

 駅で寝泊まりする暮らしは、想像を絶する。
 そこに身なりのきちんとした親子が嫌そうに見る。その視線が苦しい。やりきれない。だからこそ見据えねばならないと思った。」と切り出した。

 続けて筆者は、「映像を見ながら、80代の看護師が、以前語っていた言葉を思い出した。

 「戦後浮浪児が消えて、街がきれいになったのは、精神病院のおかげといわれたもんだ」

 彼女によれば、昭和30年代の精神病院には、身元不明の若者が多くいた。姓は暮らしていた駅名などで、診断名の多くが「精神薄弱」。

 意思の疎通が難しく、突如暴れる人もいて、気の毒だったと話していた。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「番組によれば、政府は「狩り込み」と呼ばれる一斉収容を行い、一時保護施設に多くの子供を送っていた。それでも戦後2年たってもまだ駅に住む子もいたそうだ。

 どのくらいの割合で精神病院へ来た子がいたのか。現時点ではわからない。

 ただ、駅での過酷な暮らしを見れば、必要な養育と教育が決定的にかけていたのはたしかであろう。当時の精神科病院が、適した場所とは思えない。

 私たちは、戦争と偏見が追いつめた「浮浪児」のことを忘れてはならない。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

NHKが12日に放送した「“駅の子”の闘い~語り始めた戦争孤児~」はとても良い番組だった」とのこと、

 「映像を見ながら80代の元看護師が、以前語っていた言葉を思い出した。「戦後浮浪児が消えて、街がきれいになったのは、精神病院のおかげと言われたもんだ」」とのこと、

 「彼女によれば、昭和30年代の精神科病院には、身元不明の若者が多くいた。姓は暮らしていた駅名などで、診断名の多くが「精神薄弱」。」とのこと、

 「番組によれば、政府は「狩り込み」と呼ばれる一斉収容を行い、一時保護施設に多くの子を送っていた」とのこと、

 等々を初めて知ることが出来た。

 後期高齢者の自分は、新潟の田んぼの中の村で戦中に生まれたので、戦争そのものの記憶は全くない。が、小学生のころ汚い恰好をしていると、浮浪児のようだ、と母親にいわれたことを思い出した。

 今になって思えば、どこで生まれて、どこで戦争に会って、保護者や住処をなくするか、全く偶然の出来事だ。浮浪児といわれ多人々と同世代の自分は、ただただ運が良かったと言うしかない。

そして、改めて「戦争を始めた人々の罪深さ」を感じた。


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by sasakitosio | 2018-08-21 14:47 | 東京新聞を読んで | Trackback