翁長沖縄県知事の言葉 <沖縄の自己決定権を回復しなければならない!!全国の知事の皆さんに、翁長知事の爪の垢をせんじて飲ませてあげたいなあ~>
2018年 08月 19日
8月17日付東京新聞朝刊23面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、作家で元外務省主任分析官・佐藤優氏だ。
今日は、この筆者に学ぶことにした。
まず筆者は、「8日、すい臓がんの為に67歳で逝去した翁長雄志沖縄県知事の言葉でとても印象に残っていることがある。
翁長氏は筆者に沖縄の自己決定権を回復しなくてはならないと強く思ったのは、2013年1月27日、「NO OSPREY東京集会」のデモ行進の現場においてだったと語った。
筆者もこの集会に参加した。
日比谷公園から銀座までデモが行われたが、沿道に日章旗と旭日旗が立てられ、「非国民は日本から出て行け」「オスプレイを沖縄に配備せよ」と街宣車が叫び、それに応じて騒ぎ立てる人々がいた。
中国国旗を振って、あたかもデモを中国人が応援しているかのような演出をしている人もいた。
ヘイト活動の対象に沖縄と沖縄人がなっているることを皮膚感覚で感じた。」と切り出した。
続けて筆者は、「翁長氏は、「銀座通りをデモする中で、ぼくは日本がすっかり変わってしまったという感じがしたんです。ひどい妨害活動だったけれど、それより驚いたのは、銀座を歩く本土の人々の無関心です。ひと昔前なら、あのようなヘイト活動に対して、文句を言う人が沿道に必ずいた。
しかし、今では皆な見て見ぬふりをしている。日本人の沖縄に対する意識が冷淡になっている。
僕はあのときウチナーンチユ(沖縄人)の身は自分で守らななくてはならないと強く思うようになったんです」と述べた。」として締めくくった。
読んで勉強になった。
「翁長氏は筆者に沖縄の自己決定権を回復しなくてはならないと強く思ったのは、2013年1月27日「NO OSPREY東京集会」のデモ行進の現場においてだったと語った」とのこと、
「翁長氏は、「銀座通りでデモをする中で、ぼくは日本がすっかり変わってしまったという感じがしたんです。ひどい妨害活動だったけれど、それよりも驚いたのは、銀座を歩く本土の人々の無関心です。ひと昔前ならば、あのようなヘイト活動に対して、文句を言う人が沿道には必ずいた。しかし、今では皆が見て見ぬふりをしている。日本人の沖縄にたいする意識が冷淡になっている。僕はあのときウチナーンチユ(沖縄人)の身は自分で守らなくてはならないと強く思うようになったのです」と述べた」とのこと、等々を初めて知った。
沖縄のことに限らず、最近の日本人は自分のことで精いっぱいで、他人のことにかまっていられない人が多くなったのかも知れない。そして、銀座はいまや外国人の観光客であふれている街になったこともあるが。
その現象を、敏感に感じ、沖縄の自己決定権の回復を決意した翁長雄志知事は、時代が生んだ英雄のような気がした。
そして、日本中の知事に翁長氏の爪のあかでも煎じて飲ませて上げたい、と思った。