憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

平和をつくるために < 戦争は政府にとっては政治であり勝負であるだろうが!?家族や個人には人の生死でしかない!!戦争より外交!武力より対話!反戦は普通の人々の現実である!!>

8月15日付と東京新聞朝刊社説に、「平和をつくるために 終戦の日に考える」という見出しが載った。

 本日は敗戦記念日である。個人的には「終戦」より「敗戦」が好きだ。理由は、「敗戦」には、良くも悪くも為政者や国民の積極的な「意思」が感じられるからだ。

 ともかく、今日はこの社説に学ぶことにした。

 まず社説は、「きょう8月15日は戦没者の方々を追悼する日であり、また同時にどうしたら戦争をなくせるかを考える日でもあるでしょう。

 二つの事例を引こう。

 一つ目は、核兵器に関することである。

 英国とアルゼンチンが戦ったフォークランド紛争ではこんなことがあったという。

 英国の駆逐艦、シェフィールドが、アルゼンチン軍の発射したフランス製ミサイル・エグゾゼで撃沈された数日後の1982年5月7日、フランスのミッテラン大統領はサッチャー英首相から電話をもらったそうだ。」と切り出した。

 続けて社説は、「ミッテラン氏はかかりつけの精神分析医アリ・マグディ氏のところへ予約より遅れて到着し、言い訳をした。

 <すみません、先生。鉄のご婦人との諍いを治めねばならなかったもので。我々がアルゼンチンに売却したミサイルのレーダーを無効化するコードを渡さなければ四隻の原潜でアルゼンチンを核攻撃すると脅かすんですから・・・核戦争を引き起こすなんて。私は引き下がりましたよ>(東京大学出版会UP4月号、長谷部恭男氏「巡洋艦ベルグラーノ撃沈 1982年5月2日」より要約)

 精神分析医の著作(日誌)にある話で電話の有無、内容は間接情報であって真偽は分からないが、あり得る話である。

 そうだとすれば、核兵器は実際に使わないにせよ、核の力を持って英国は戦争を有利に導いたことになる。

 過去の話にせよ、核の威力は絶大で、核保有国は非核保有国に対し絶対的優位にあるわけだ。

 その威力は少なからぬ国々にひそかに核を持ちたいと願わせ実際に核保有国を誕生させた。」と教えてくれる。

 さらに社説は、「北朝鮮もその一つである。核の威力を持ってアメリカを振り向かせ、独裁体制の保証という果実を得ようとしている。

 それと正反対の世界的動向が非核保有国が集まって進める核兵器禁止条約である。核兵器の開発・保有・使用などを法的に禁止し、昨年国連で採択された。ただし各国の批准は進んでいない。

 それでも核兵器に対する人々の考え方は、徐々に変わってきているのではないか。

 持つ持たないの不公平、非人道性への倫理的拒絶、人類の破滅、サッチャー氏の逸話などは過去のものとし、核時代を非核の時代へと反転させる意思を世界は持つべきだ。そのうねりは始まっている。

 もう一つは、私たち自身のことである。

 敗戦の後、憲法9条をマッカーサー司令官とともに作ったとされる首相幣原喜重郎は回想している。

 1905年9月、日露戦争の講和直後のこと。

 ロシアから賠償金もとれなかった講和は屈辱外交と非難する東京・日比谷の大会から流れた人々が、政府への反発から交番、電車を焼き討ちし新聞社も襲った。実際は政府には戦争継続の力はもはやなく、一方国民は徴兵と戦費の為の増税で苦しんでいた。

 当時の幣原は外務省勤務で、講和全権の外相小村寿太郎から以下の述懐を聞いている。

 小村には国民の反発は予想の通りだったが、故郷宮崎県の飫肥の村に帰って驚いたそうだ。各所に小さなテーブルが出て酒が一杯ついである。小村の酒好きは知られている。一人の老人が小村の前にやってきて言った。

 「東京では大騒ぎしたそうですが、騒ぐ奴らは、自分の子供を戦争にやった者ではありません。私は子どもが3人あり、そのうち二人は満州で戦死し、残った一人も戦地におります。みんな犠牲になる者とあきらめておりましたが,お蔭で一人だけは無事に帰ってくることと思います。全くあなたのお蔭でございます」

 老人は戦争を終わらせた小村の洋服にすがって泣き、同じ光景が2.3あったという。(幣原喜重郎「外交50年」より)

 外交官の苦悩が語られ、同時に戦争のもたらす根源的な悲しみが語られている。」と教えてくれる。

 最後に社説は。「戦争は政府にとっては政治であり勝敗であるのだろうが、家族や個人には人の生死でしかない。

 国家を主語とした威勢のいい話は一時耳に心地が良いかもしれないが、注意せねばならない。

 近隣諸国への反感をあおる政治家の言葉はよく聞き分けねばならない。

 戦争より外交である。

 武力より対話である。

 戦争が多くの人の命を奪うなら、外交は多くの人に命を救うといってもいい。

 何も理想をいっているわけではない。

 反戦は普通の人々の現実である。

 国家を平和へと向けさせるのは私たちの判断と意思である。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「<すみません、先生。鉄のご婦人との諍いを収めねばならなかったもので。我々がアルゼンチンに売却したミサイルのレーダーを無効化するコードを渡さなければ、4隻の原潜でアルゼンチンを核攻撃すると脅すんですから・・核戦争を引き起こすなんて。私は引き下がりましたよ>(東京大学出版会UP4月号、長谷部恭男氏「巡洋艦ベルグラーノ撃沈5月2日」より要約)とのことを初めて知って驚いた。

 「「東京では大騒ぎしたそうですが、騒ぐ奴らは、自分の子供を戦争にやった者ではありません。私は子どもが3人あり、そのうち二人は満州で戦死し、残った一人も戦地にいます。みんな犠牲になるものとあきらめておりましたが、お蔭で一人だけは無事に帰ってくることと思います。全くあなたのお蔭でございます」

 老人は戦争を終わらせた小村の洋服にすがって泣き、同じ光景が2.3あったという(幣原喜重郎「外交50年」より)。」とのことも初めて知った。孫の誕生で、日南市を訪れた時、小村寿太郎の記念館に案内されたことを思い出した。

 戦争を終わらせる時に、必然的に外交が脚光を浴びるが、勃発しそうな戦争を外交で止めたことはないのだろうか。知りたくなった。 

 また、核による脅しをかけられたときどうするか、考えると悩ましい。

 その解決策は、相手国が核で脅しをかける気にならないような「外交関係」「友好関係」を、日日、国を挙げてつくりだす心掛けが必要ではないか、と思った。

 

 

 


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by sasakitosio | 2018-08-16 06:42 | 東京新聞を読んで | Trackback