憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

断言・断言・断言 身の回りに今も< 弱弱しい「自分の考え」より、皆が支持する「正しい」考えが優先される社会の在り方は変わらない!?だとすると、自分を絶対正しいと主張する別の麻原を生み続ける??>

7月14日付朝日新聞朝刊17面に、「オピニオン&フォーラム 「高橋源一郎の」歩きながら考える」というページがある。

 筆者は、作家・高橋源一郎氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「麻原彰晃らオウム真理教事件の死刑囚7人の刑が執行された。日本の裁判制度の下で一度に執行された例を見つけるには、明治44(1911)年の「大逆事件」死刑囚12人の執行まで遡らねがばらない。

 明治政府は、この「社会主義者・無政府主義者」たちの「天皇暗殺未遂」を重大視し、摘発後8カ月で24人に死刑判決を下した。執行はその僅か6日後(菅野スガの処刑は翌日)である。

 この一連の「政治ショウ」は、国家に反逆しようとする者がどのような運命をたどるかを見せつけるものであった。

 数カ月前、オウムの死刑囚たちが一斉に拘置所を移送され、処刑の可能性が高まった。

 しばらくしてわたしは、オウムの拠点があった山梨県旧上九一色村を歩いた。そうそこにはオウムを思い起こすものはなにもなかった。

そして、麻原のいる東京拘置所の回りも歩いた。 どちらも、歩きながら様々な思いが浮かび上がったが、それを正確に書き記すことは難しいような気がする。」と切り出した。

 続けて筆者は、「地下鉄サリン事件があってオウムの施設に警察が入った頃、私は麻原の著作を何冊もまとめて読んだ。

 メディアから伝わってくる人物像ではなく、自分の手と頭で、彼がどんな人間なのかを知りたいと思った。

 その時も、23年たったいまも、印象はほとんど変わらない。彼の言葉はひどく単純だ。

 「人は死ぬ。必ず死ぬ。死は避けられない。その避けられない死に対して、どのようにアプローチするのか・・・・それが私たちの課題です・・・・最後に何を為せば天界へ行くのかと、それは簡単です。

 まず真理を学び、布施をなし、奉仕をなし、そして天界へ行くぞと・・・そのために少しぐらいの苦痛は落とさなければならないと」(「麻原彰晃の世界」第一巻)

 どの本も全部同じだった。

 自信たっぷり。

 断言。 

 断言。

 断言。

 俺は正しい。

 言うことを聞け。

 バカみたいだ。そんなもの読む必要なんかまるでない・・とは思わなかった。

 なぜなら、「麻原の言葉」に似たものは、実はわたしたちの回りに溢れているように思えたからだ。

 どうして、そんな愚かな言葉にひっかかったのか。いや、いまも多くの人たちがひっかっかるのか。

 オウム真理教・元「科学技術省」次官の豊田亨は、自分がどんなふうに麻原の言葉に絡め取られていったか上申書にこうかいていた。

 「(麻原の指示に従わないのは自分の煩悩であり心の穢れであると村井秀夫幹部に言われた後)自分はこの答えを聞いて完全に納得したわけではありませんでしたが、結局、村井さんのいうように、「自分の考え」というもの自体が自分の煩悩であり、穢れである、として自分の疑問を封じ込めるようになりました」(降幡賢一「オウム裁判と日本人」)

 オウム真理教に集まった人たちの多くは、元々は現代社の矛盾に悩む善男善女たちだったろう。だが、彼らに送った麻原の回答はひとことでいうなら「自分の考え」を持つな、ということだった。

 豊田は、そのことについて別の言い方をしている。

 「簡単に言えば、教祖という存在を絶対とし、その指示に対しては疑問を持たず、ひたすら実行することが修行であると考えていた」(同)

 だが、この国では、70年以上前には、国民全体が、ある存在を「絶対とし、その指示に対しては疑問を持たず、ひたすら実行」していたのではなかったか。

 この国に戦争を仕掛けた、オウムという小さな「国」は、実は相手にそっくりでもあった。

 公判の途中から、麻原は精神を病んだとも、そのふりをするようになったとも言われている。

 その真偽を判別する能力は私にはない。

けれど、麻原は、自分が何者であるかを自覚していたように思う。

 初公判から1年後、麻原は初めて意見陳述を行った。

 「(第三次大戦で「敗れて」しまった結果)もう日本がないというのは非常に残念です・・・これを米軍のエンタープライズのような原子力空母の上で行うということは、非常にうれしいというか、悲しいというか、特別な気持ちであります」(同) 幻想(妄想?)の中で、麻原は、戦いに敗れた虚構の国家の代表として、想像上の「敵国」アメリカの軍艦の艦上にいた。

 ちょうど。第二次世界大戦に敗れ、戦艦ミズリー号の甲板で降伏文書に調印した日本国の代表のように。

 その言葉は、麻原の「思惑」を超え、私たちの喉に小骨のように突き刺さる。

 こう聞こえるからだ・・あの(戦争)で、私の「国」の10万倍もの日本人を死に追いやった日本国よ、お前たちの責任はどうなったのか?

 地下鉄サリン事件の20数年前、連合赤軍と呼ばれる急進的な武装組織が世間を騒がせた。

 夢想に近い「社会主義革命」理論を掲げた彼らは、テロと内ゲバの死者10数人を残し、自滅していった。

 唯一の「正しい」理論が全てを支配する組織、という点では、オウムに酷似していたように思う。

 そして彼らも社会から激しく糾弾された。

 その頃、20歳そこそこだったわたしは、その様子を複雑な思いで眺めていた。

 メンバーの中には、知人がいたからだ。

 いや私もまた、その周囲にいた若者のひとりとして、誘われていたからでもあった。

 なぜ、あのときわたしは彼らの誘いに乗らなかったのだろう。

 この社会にはおかしなところが、あった。

 彼らは、「正しい(と彼らが考える)理論で、わたしにそれを説明した。

 確かに、彼らの主張は「正しい」ように見えた。

だが、その「正しさ」は、私には少々息苦しかった。

 社会も、その社会を否定する彼らも、どちらも私が大切にしたい「自分の考え」を気にしてくれないように思えた。

 頼りなく、弱弱しいかも知れないが、私は「自分の考え」で判断したかったのだ。仮に、その判断が間違っていたとしても。

 私は連合赤軍事件を即座に否定することが出来なかった。

 「総括」と称し、些細な理由で、彼らは同じ組織の人間たちを次々と殺していった。

 もしかしたら、私も、殺す側か殺される側かどちらかの人間になっていたかも知れないからだ。

 」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「オウム事件はどうだろうか。彼らは、私たちと無縁な、想像を絶する悪人たちで、彼らを処罰すれば、解決するのだろうか。

 戦前は、天皇に忠誠を誓うのが「正しい」ことだった。

 戦後はそれが否定され、高度経済成長期には、豊かになることが「正しい」とされた。

 きっと、今も何か「正しい」ことがあって、それにみんな従うのだろう。

 「正しい」ことは時代によって異なるが,弱々しい「自分の考え」より、みんなが支持する「正しい」考えが優先される社会のあり方は変わらない。

 だとするなら、麻原を処刑しても社会は、自分とそっくりな、自分を絶対正しいと主張する別の麻原を生み続けるような気がするのである。」として締めくくった。

 その後に、「ともに歩いて」という囲み記事がある。筆者は、編集委員・塩倉裕氏だ。

 筆者は、「旧上九一色村では、痕跡のないサティアン跡地を、迷子になりつつ探しました。

 村に来たオウム信者をどう受け止めたのか。

 髙橋さんの問いに、現地の男性は、「あなた方の社会を我々は否定している、と信者に言われた。一緒にやっていくのは無理だと思った」と振り返りました。

 社会と共生する意思がないように見える人々と共生できるのか。

 住民が直面させられた問いの重さを感じました」と教えてくれる。

読んで勉強になった。

 「地下鉄サリン事件があってオウムの施設に警察が入った頃、私(筆者)は、麻原の著作を何冊もまとめて読んだ。」とのこと、

 「メデイアから伝わってくる人物像ではなく、自分の手と頭で、彼がどんな人間なのかを知りたいと思ったのだ」とのこと、

 「彼の言葉はひどく単純に思えた」とのこと、

 「「人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。その避けられない死に対して、どのようにアプローチするのか…それが私たちの課題です。最期に、何をなせば天界へ行くのかと。それは簡単です。まず真理を学び、布施をなし、奉仕をなし、そして天界へ行くぞという思念をすると。私は来世、天へ行くぞと・・・そのために少しぐらいの苦痛は落とさなければならないと(「麻原彰晃の世界」第一巻)
どの本も全部同じだった。」とのこと、

 「どうしてそんな愚かな言葉にひっかかったのか。いや、いまも多くの人たちがひっかかるのか」と指摘、

 「オウム真理教・元「科学技術省」次官豊田亨は、自分がどんなふうに麻原の言葉に絡め取られてていったかを上申書にこう書いた。

 「(麻原の指示に従わないのは自分の煩悩であり心の穢れであると村井秀夫幹部に言われた後)自分はこの答えを聞いて完全に納得したわけではありませんでしたが、結局、村井さんの言うように、「自分の考え」というもの自体が自己の煩悩であり、けがれである、として自分の疑問を封じ込めるようになりました」(降幡賢一「オウム裁判と日本人」)」とのこと、

 「豊田は、そのこと(自分の考えを持つな)について別の言い方をしている。「簡単に言えば、教祖という存在を絶対とし、その指示に対しては疑問を持たず、ひたすら実行することが修行であると考えていた」(同)」とのこと、

 「初公判から1年後、麻原は、こう発言している。
その長大で奇怪な陳述の最後に、麻原は、こう発言している。
 「(第三次大戦で「敗れて」しまった結果)もう日本がないというのは非常に残念です・・・これを(米軍の)エンタープライズのような原子力空母の上で行うということは、非常にうれしいというか、悲しいというか、特別な気持ちであります」(同)

 幻想(妄想)の中で、麻原は、戦いに敗れた虚構な国家の代表として、想像上の「敵国」アメリカの軍艦の艦上にいた。」とのこと、

 「地下鉄サリン事件の20数年前、連合赤軍と呼ばれる急進的な武装組織が世間を騒がせた。夢想に近い「社会主義革命」理論を掲げた彼らは、テロと内ゲバの死者十数人を残し、自滅していった。唯一の「正しい」理論がすべてを支配する組織、という点では、オウムに酷似していたようにおもう。」とのこと、

そして、筆者は、「戦前は、天皇に忠誠を誓うのが「正しい」ことだった。戦後はそれが否定され、高度経済成長期には豊かになることが「正しい」とされた」とのこと、、 

 「きっと、いまも、なにか「正しい」ことがあって、それにみんな従うのだろう」とのこと、

 「「正しい」ことは時代によって異なるが、弱弱しい「自分の考え」より、皆が支持する「正しい」感挙げが優先される社会のあり方は変わらない」とのこと、等々を教えてくれた。

 結論として、筆者は「だとするなら、麻原を処刑しても社会は、自分とそっくりな、自分を絶対正しいと主張する別の麻原を生み続けるような気がするのである」と教えてくれる。

 それでは、麻原彰晃の死刑後も、別の麻原を生みつづけないためには、筆者の指摘から考えられることは、国民一人一人がたとえ弱々しくても「自分の考え」をもち、皆が支持する「正しい」考えを優先しない、ということのようだ。

 また、「天界」の「存否」そのものの考察が課題であり、弱弱しい「自分の考え」がみんなが支持する「正しい」考えに、決して劣後しないという考察も課題であるのかも知れない、と思った。 
さらに、編集員・塩倉裕氏の「ともに歩いて」を読んで、「現地の男性は「あなた方の社会を我々は否定している」と信者に言われた」とのことを初めて知った。。
 日本国憲法のもとに、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を柱として成り立っている「われわれの社会を否定する」団体=オウム真理教ってなんだったんだ、と思った。
 信教の自由・集会結社の自由の享受があって、存在している「オウム真理教」が、「あなた方の社会」を 否定している!?何とも理解しがたい思いだ。
 そして結果的には、宗教の名を借りた「大量・無差別殺人集団」であったことが判明した「団体」に対しては、日本国憲法の集会結社の自由を認めていいのか、と言う疑問が湧いてきた。


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by sasakitosio | 2018-07-16 16:15 | 朝日新聞を読んで | Trackback