疑惑から政変 平成でも?<1881年の「北海道開拓使官有物払下げ事件」と「明治14年の政変」!!それは「学校法人・森友学園への国有地の払い下げ疑惑」と同様の疑惑が、政変に発展したものだった!!!>
2018年 05月 03日
4月30日付朝日新聞朝刊4面に、「政治断簡」という欄がある。筆者は、編集委員・国分高史氏だ。
今日は、この筆者に学ぶことにした。
まず筆者は、「財務省による公文書改ざんの発覚から、安倍政権の不祥事の連鎖が止まらない。
はじまりは学校法人・森友学園に国有地を不当に安く売ったのではないかという疑惑だったが、同様の疑惑が教科書に載るような歴史的事件委発展したことがあった。
1881年の「北海道開拓使官有物払下げ事件」と「明治14年の政変」である。
北海道開拓使長官の黒田清隆が約1400万円の国費を投じた官営開拓事業の廃止に当たり、土地や工場、船などの官有物を同じ薩摩出身の政商・五代友厚らに払い下げることを決めた。
ところがその価格が無利子30年賦で約39万円という破格の安値であることを東京横浜毎日新聞がスクープ。薩長藩閥政治への批判に火が付き、自由民権派による国会開設要求が強まった。
いったいだれが新聞に漏らしたのか。伊藤博文ら薩長派は、政党内閣や早期の国会開設を唱えていた参議・大隈重信らによる政府転覆の陰謀だとみて大隈を罷免。
一方で払い下げは中止し、国会を明治23年に開設する勅諭を出して、批判を鎮めざるを得なくなった。」と切り出した。
続けて筆者は、「ここから何が読み取れるのか。
早稲田大学元総長の立場から創設者・大隈の歴史的意義を研究した西原春夫・同大名誉教授に話を聞いた。
払下げ事件と政変の背景には、イギリス流の政党内閣をめざした大隈らと、ドイツ流の君主中心の中央集権国家を求めた伊藤らとの間の国家像をめぐる対立があった。
薩長政権は大隈追放後、ドイツを範とする大日本帝国憲法を天皇の命により制定した。
刑法が専門の西原氏は「珍しい分析かもしれないが」と断ったうえで、維新後の動乱を治めるには強力な中央集権が必要だったが、明治憲法が認めた統帥大権が軍部の独走を招き、敗戦の破滅へとつながったとみる。
また、占領統治からもたらされた新しい憲法によって大隈らの理想が実現したのは、歴史の皮肉だという。」と教えてくれる。
最後に筆者は、「森友問題が注目されたのは、安倍晋三首相の妻・昭恵氏が幼稚園児に教育勅語を暗証させる教育に感動し、小学校の名誉校長を引き受けたことが大きな要因だった。
教育勅語は国会開設の直前に発布され、忠君愛国を国民に強制した。1928年生まれでいまだに勅語をそらんじている西原氏は語る。
「明治の政変から敗戦をへてようやく実現した国民主権の戦後体制が、長州出身の首相ら明治国家を懐かしむ勢力によってむしばまれようとしている。戦後体制に問題があったとしても、明治には戻るべきではない」
権力者が自らに近い者に特別な便宜を図ったのではという疑惑への憤りは、古今東西変わらない。
明治と現代が異なるのは、主権者が天皇から国民に代わり、マスメディアやSNSの発達で情報が瞬時に津々浦々に届くようになったことだ。
果たして現代の民意は、「平成30年の政変」を呼び起こすのだろうか。」として締めくくった。
読んで勉強になった。
「北海道開拓使長官の黒田清隆が約1400万円の国費を投じた官営開拓事業の廃止に当たり、土地や工場、船などの官有物を同じ薩摩出身の政商・五代友厚らに払い下げることを決めた」とのこと、
「ところがその価格が無利子30年賦で約39万円という破格の安値であることを東京横浜毎日新聞がスクープ。」したとのこと、
「いったいだれが新聞に漏らしたのか。伊藤博文ら薩長派は、政党内閣や早期の国会開設を唱えていた参議・大隈重信らによる政府転覆の陰謀だとみて大隈を罷免。」したとのこと、
「一方で、払下げは中止し、国会を明治23年に開設する勅諭を出して、批判を鎮めざるを得なくなった。」とのこと、
それが、「1881年の「北海道開拓使官有物払下げ事件」と「明治14年の政変」である」とのこと、
等々を初めて知ることが出来た。
学校法人・森友学園への国有地払い下げ疑惑と似ているが、当時は国会がなかった。
いまは、国民を代表する国会があるにはあるが、その国会の与党が「嘘と居直り」の疑惑隠しの盾になっていて、非力の野党がその盾を破れないでいるのが現状のような気がした。
また、筆者の「権力者が自らに近い者に特別な便宜を図ったという疑惑への怒りは、古今東西変わりはない」との指摘、
「明治と現代が異なるのは、主権者が天皇から国民に代わり、マスメディアやSNSの発展で情報が瞬時に津々浦々に届くようになっていることだ」との指摘、等々はその通りだ。
「果たして現代の民意は、「平成30年の変」を呼び起こすのだろうか」との問いかけは、悲惨な政治の現状は理解できても、先に確固とした「明るい展望」が見えない現状では、何とも言えない。その民意の一粒として、本日(5月3日)の「東京・有明の憲法集会」に出かけてみることにしている。