伝統とルール<「伝統だから」は合理的な理由がない証拠!スポーツでも宗教でも伝統芸能でも、時代の要請や社会の変化でルールも変わる!とするとひょっとすると、女相撲も女歌舞伎も出現????>
2018年 04月 12日
4月11日付東京新聞朝刊25面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、文芸評論家・斉藤美奈子氏だ。
今日は、この筆者に学ぶことにした。
まず筆者は、「高校時代、私はフェンシング部員だった。フェンシングにはフルーレ、エペ、サーブルの三種目があるのだが、当時の女子はフルーレだけ。他二種目に参加できないのは「決闘だから」という不可解な理由だった。ちなみに現在三種目とも女子の正式種目である。
1896年の第一回アテネ五輪では全競技で女子の参加は認められていなかった。
日本でも神社仏閣や富士山など霊山の多くが1872(明治5)年以前は女人禁制だった。
スポーツでも宗教でも伝統芸能でも、時代の要請や社会の変化でルールは変わる。それが歴史の教えるところ。」と切り出した。
続けて筆者は、「大相撲春巡業の土俵上で女性が救命に当たった件は土俵のルールを考え直す好機だった。これを緊急時の「例外措置」とする限り、問題は再燃し続ける。中川智子宝塚市長が「変革する勇気も大事でないか」と述べたのは当然だろう。
とかいうと、じゃあ歌舞伎はどうだと反論する人がいるのだが、いいですか、これは女性を力士にさせろという話じゃないのだ。歌舞伎とて裏方の女性が舞台に乗ることまでは禁じてはいまい。」と指摘した。
最後に筆者は、「「伝統だから」は合理的な理由がない証拠。救命の一件はルールを変更する大義になる。不祥事が続く相撲協会。この機会に差別をなくすのは、体質改善への第一歩になるはずだ。起死回生のチャンスである。英断を求めたい。」として締めくくった。
読んで勉強になった。
「1896年の第一回アテネ五輪では全競技で女子の参加は認められていなかった」とのこと、
「大相撲春巡業の土俵上で女性が救命に当たった件は土俵のルールを考え直す好機だった」とのこ指摘、
「「伝統だから」は合理的な理由がない証拠。救命の一件はルールを変更する大義になる」との指摘、等々をよく理解できた。
平和の時代は、なぜか女性が似合う。
アメリカの平和の女神像は、女性のようだし。いまどきは、女性を排除する理屈を探すのが難しいのではないか、とも思った。女性参加を前提に、ルールを変える知恵が必要なんじゃないか、と思った。