生き方と逝き方 桜散る季節に<昨年秋の本紙Reライフプロジェクトのアンケートによれば、配偶者と同じ墓に入ることについて、「悩む!できれば避けたい!絶対に嫌だ!」と答えた女性は4人に1人!!??>
2018年 04月 10日
4月8日付朝日新聞朝刊3面に、「日曜に想う」という欄がある。筆者は、編集委員・福島申二氏だ。
今日は、この筆者に学ぶことにした。
まず筆者は、「暖地の桜はあらかた散ったが、岩手県盛岡市辺りはまだつぼみが春を抱いている。市内の大慈寺に、この地の出身で平民宰相と呼ばれた原敬の墓がある。
原は1921年(大正10)に東京駅で凶刃に倒れた。なきがらが戻って埋葬されるとき、妻は穴の深さをしきりにたずねたそうだ。「深さをよく覚えておいてくださいね」とまわりの人たちに頼んだ。わけを聞かれるとこう言った。
「私が墓に入ってから、あなた、と呼ぶのに深さが違うと困りますから、横を向けば話ができるように、平らに並べてくださるようお願いしますよ」
1年4カ月のち、後を追うように他界した浅は、望み通りに同じ深さに埋葬されたという。それからほぼ1世紀、二人の墓石は同じ形で左右に並び、仲よく語らっているかに見える。
「永眠の地」「終のすみか」の一つの理想を見る思いだが、ここに来て、墓をめぐる世相は旧変しつつある。
少子化につれて人口が減り始め、家族のかたちや人の生き方が多様化する時代である。
守る人の絶えた無縁墓が各地に目立ち、夫と同じ墓に入りたくないという妻も珍しくない時世になってきた。
原敬と浅のエピソードは、どこか遠いお伽噺のように聞こえてくる。」と指摘した。
続けて筆者は、「亡くなった者をあの世で結び合わせる冥婚という言葉は古くからあって、旧習ながらどこか詩的に響いてくる。
片や死語離婚は新しい言葉で、散文的だ。
亡くなった配偶者の親族との法的関係を断つことを言う造語だが、もともとは配偶者と同じ墓を拒む場合をそう称してきたようだ。本紙記事には1994年に後者の意味で初めて登場する。
それからほぼ四半世紀、いずれの場合も、死後離婚に至るすきま風は専ら妻の側から吹いてくるようだ。家族という役割の中で、これまで女性が負わされてきた忍耐ゆえと想像はつく。
昨年秋の本紙Reライフプロジェクトのアンケートによれば、配偶者と同じ墓に入ることについて「悩む」「できれば避けたい」「絶対に避けたい」「絶対に嫌だ」と答えた女性は4人に1人を数えた。男性は7%程度と低かった。
婚家の代々の墓への抵抗感がある人もいることだろう。
これこそお伽噺かもしれないが、評論家の花田清輝が次に話を書いた。
パリのペール・ラシューズ墓地に二つの墓が並んでいて、先にできた墓にはこう書いてある。
「ジャック・ジランーーお前を待ってるよ!」。
後の墓には「ジャクリーヌ・ジュランーーはい、まいりましたよ!」
思わず頬がゆるむ。とはいえ昨今、それが理想とばかり思っていては素朴に過ぎよう。百人いれば生き方と逝き方に百の考え方がある。
近年広まった「終活」という言葉には、形はともあれ、人が一個の人間に戻って退場しようとする静かな意思があるように思われる。」と指摘した。
最後に筆者は、「北から向かう桜前線は、今日はどこまで行ったか。ときに生きがいに結びつき、ときに死にざまに重ねて、日本人は桜に思いを託してきた。
<死に支度致せいたせと桜かな>一茶
不吉な句ではあるまい。桜の恬淡とした美しさが一茶にそう言わせる。生きているうちの旅支度を「縁起でもない」と嫌う時代では、もうないだろう。
単身で暮らす世帯が4分の1を超えたいま、弔いも墓も「家」から、「個」へとかたちを変えるのは自然な流れだ。女性専用をうたう墓所も近年目につく。
自分らしく。あの人らしく。
昨今はそれがエンデングのキーワードだと聞いたことがある。残ったものの思い出の温め方も人それぞれでいい。
美しい桜に仮託する散りざまとは異なり、人の死にはリアリズムの縮図のような事柄が入り乱れる。加えてこれからは少子に多死が重なる未体験のゾーンに我々は踏み込んでいくことになる。
難しい時代だけれど、賢く処したいものだ。人生の機微に
通じたシェークスピアの劇にこんなセリフがあった。
「終わりよければすべてよし、終わりこそつねに王冠です>(小田島雄志訳)」として締めくくった。
読んで勉強になった。
「盛岡市内の大慈寺に、この地の出身で平民宰相と呼ばれた原敬の墓がある」とのこと、
「原は1921年(大正10)に東京駅で凶刃に倒れた。なきがらが戻って埋葬されるとき、妻の浅は、墓の深さをしきりにたずねたそうだ」とのこと、
「わけを聞かれると,こう言った。「私が墓に入ってから、あなた、と呼ぶのに深さが違うと困りますから、横に向けば話ができるように、平らに並べてくださるようお願いしますよ」」とのこと、
「1年4か月のち、後を追うように他界した浅は、望みどおりに同じ深さに埋葬されたという」とのこと、
「評論家の花田清輝が次の話を書いた。
パリのペール・ラシューズ墓地に二つの墓が並んでいて、先にできた墓にはこう書いてあるそうだ。「ジャック・ジュランーーお前を待ってるよ!」。あとの墓には「ジャクリーヌ・ジュランーーはい,まいりましたよ!」」とのこと、
「<死に支度致せいたせと桜かな>一茶」とのこと、
「シェクスピアの劇にこんなセリフがあった。<終わりよければすべてよし、終わりこそつねに王冠です>」とのこと、等々を知ることが出来た。
古希すぎて喜寿近くなって、妻に墓のことを訊かれる今日この頃。妻に感動的な「セリフ」は吐かせた、原敬やジャック・ジュランの偉大さがよく分かった。妻と同じ墓に入るためには、妻より長生きし、自分で二人の墓を造るのが一番、と思っているが!?