憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

官僚とは「国民のため」か「己のため」か< 今回の事件はあってはならないことです!世間様の信頼を失ってはどうにもなりません!過剰接待で大蔵省は倒産し財務省で再生するはずだったのに!また倒産です?>

 3月29日付朝日新聞社説下に、「ザ・コラム」という欄がある。

 筆者は、編集委員・駒野剛氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「20年たった。1998年1月26日寒い日だった。夕刻、大蔵省中央のらせん階段を大勢の男たちが上がっていく。「省中の省」と呼ばれ、官僚機構の頂点にあると自他ともに認めた役所に、東京地検特捜部が強制捜査に入った瞬間を眺めながら、私は「官僚とは何者か」と考えていた。

 当時、大蔵省を取材する記者が所属する「財政研究会」の朝日新聞キャップとして、同僚と銀行破綻や財政改革などのニュースを追っていた。

 その、取材対象の人々が、収賄容疑で逮捕され、過剰接待の責任を問われて、役所を追われ、降格された。

 金融部局は分離され、名前も財務省になった。自民党幹事長だった加藤紘一氏は、「あれは罰なんだ」と言った。

 事態の処理に当たった元官僚から、決裁文書改ざんを受け手便りをもらった。

 「今回の事件はあってはならないことです。

 世間様の信頼を失ってはどうにもなりません。過剰接待で大蔵省は倒産し財務省で再生するはずだったのに、また倒産です。言葉もありません」。私も同感だ。」と切り出した。

 続けて筆者は、「1948年大蔵省入省、国税庁長官を異例の3年間務めた官僚がいた。6年前に亡くなった磯部律男だ。東大法学部在学中に学徒出陣で陸軍士官となり、敗戦後、故郷に帰ったが「食えないので」大蔵省の試験を受けた。縁あって、この人の最晩年、何度か杯を交わし、話を聞いた。

 国税庁や金融畑を長く歩み、多くの大事件に遭遇した。

 国税庁査察課長時代に代議士田中彰治の脱税、銀行局総務課長で富士(現みずほ)銀行不正融資、国税庁調査査察部長に戻って、中曽根康弘元首相の有力な支援者だった殖産住宅会長の脱税、翌年証券局審議官で日本熱学粉飾決算・・・。着いた異名は、「大蔵省の事件屋さん」。

 そして75年7月に東京国税局局長になって直面したのがロッキード事件である。

 米航空機メーカーから旅客機や軍用機の選定を巡って、巨額の賄賂が行き交い、前首相田中角栄ら受け取った政治家や、商社首脳が処断された大型疑獄事件だった。

 立憲は容易ではなかった。事件の表面化が米議会発だったうえ、政財界のトップらの犯罪だ。

 捜査着手に検察が腹を固められない中、東京国税局が動き出す。大物右翼で、資金力をテコに政界中枢に食い込んだ、ロッキード社の代理人、児玉誉士夫。

 磯部は部下に児玉の所得を調べさせる。

 当時、法務省刑事局参事官で、その後東京地検検事となって事件解明に関わった堀田力さん「この人ほど部下の信望を集め。検察から信頼された国税幹部はいない」と磯部を語る。

 国税庁の動きは捜査当局の決意を促す呼び水となっていく。

 76年2月24日、国税局査察部と特捜部は、児玉の自宅など27カ所を家宅捜索する。米国での発覚から20日ほどの電撃的な着手で突破口が開く。

 児玉金脈について磯部は「戦後の残滓」「おかしいおかしいと思いながら手を付けられなかった問題」と考えていた。

 査察の前日、東京・大手町にあった国税局に、査察官ら約300人を集めた。

 「この事件を解明できるかどうかに、税務の威信がかかっている。徹底的に追求しよう」。そして加えた。 「私が責任を取る」。時の蔵相は角栄の盟友、大平正芳元首相である。査察官らのむせび泣きが聞こえた。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「磯部の巨悪追及への執念の根っこには戦争体験があった。終戦間際、砲兵隊を率いて鹿児島県薩摩半島にいた。配備された4門の大砲に砲弾はわずか72発。撃ち続ければ数分でなくなる。どうやって戦うか。上官に問うと「いざというときには、うなるほどの砲弾が来る」とごまかされた。

 なぜか。「軍人は自分の階級を上げることしか関心がなく、国や国民のためにどうあるべきか考えなかったからだ」。

 だから、うそや不正を許さぬことが国民のためであり、生き残った己の使命と考えた。

 「正義なんてありますか」。私の問いに「ある」と断言した。しかし、正義は所与のものではない。追及してこそ得られる。

 先日、富士山麓にある磯部の墓を訪ねた。

 肩書などは記されず、ただ、「やすらぎ」と刻まれたいた。そんな大蔵官僚もいた。

 今は昔のお話である。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「1948年大蔵省入省、国税庁長官を異例の3年間も務めた官僚がいた。6年前に亡くなった磯部律男だ。」とのこと、

 「付いた異名は「大蔵省の事件屋さん」」とのこと、

 「当時、法務省刑事局参事官で、その後東京地検特捜部検事となった堀田力さんは「この人ほど部下の信任を集め、検察から信頼された国税幹部はいない」と磯邉を語る」とのこと、

 「児玉金脈について磯邉は「戦後の残滓」「おかしいおかしいと思いながら手を付けられなかった問題」と考えていた。」とのこと、

 「査察の前日、東京大手町にあった国税局に、査察官ら約300人を集めた。「この事件を解明できるかどうかに、税務の威信がかかっている。徹底的に追求しよう」。そして加えた。「責任は私がとる」」とのこと、

 「磯部の巨悪追及への執念の根っこには戦争体験があった」とのこと、

 「「軍人は自分の階級を上げることしか関心がなく、国や国民のためにどうあるべきか考えなかったからだ」。だから、うそや不正を許さぬことが国民のためであり、生き残った己の使命と考えた」とのこと、

 「富士山麓にある磯部の墓を訪ねた。肩書きなどは記されず、ただ、「やすらぎ」と刻まれていた。」とのこと、等々を知ることが出来た。

 そんな大蔵官僚がいたとのこと、今は昔の話であると、筆者言う。

 昔でも、いい人がいたことを知って、これからまたいい人が出るかもしれない、と言うささやかな「希望」を持つことが出来た。いい講談のネタになりそうだ、と思った。


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by sasakitosio | 2018-04-07 07:25 | 朝日新聞を読んで | Trackback