紛失と改ざん< 経緯を憶測すると、①ひとまず「見つからなかった」「廃棄した」「紛失した」など時間稼ぎをし、②できた時間で文書に手を入れ、③「探したら出てきました」という!!??>
2018年 04月 05日
4月4日付東京新聞朝刊25面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、文芸評論家・斉藤美奈子氏だ。
今日はこの筆者に学ぶことにした。
まず筆者は、「防衛省からなかったはずの日報がまた出てきた。イラク派遣時に陸上自衛隊が作成した日報だそうだ。
昨年2月、当時の稲田朋美防衛相が「確認したが、見つけることはできなかった」と答弁していた公文書である。
公表されてはまずい文書が手元にあった場合、人はだいたい同じことを考える。消すか隠すか書き換えるか、だ。」と切り出した。
続けて筆者は、敗戦直後、旧日本軍は戦犯訴追を回避するため大量の公文書を焼却処分した。しかし、データ時代に入って「消す」のはほぼ不可能になった。
残るは「隠す」か「換える」かだが、今度の森友文書の一件で図らずも浮上したのは「隠す」と「書き換える」は二択ではなく、セットではないかと言う疑惑である。
昨年2月、当時の財務省理財局長だった佐川宣寿氏は、森友学園側との交渉記録について「残っていない」「すみやかに事業終了で廃棄していると思う」と述べた。けれども記録は存在し、しかも改ざんされたいた。」と指摘した。
最後に筆者は、その間の経緯を憶測すると、①ひとまず「なかった」「廃棄した」「紛失した」などの言葉で時間稼ぎをし、②できた時間で文書に手を入れ、③「探したら出てきました」という。
森友のみならず、加計学園関係でも文書に関連した疑惑はのこっている。
日報に何が書かれているのだろう。「ない」とされた文書はなべて怪しい。」として締めくくった。
読んで勉強になった。
「防衛省から、なかったはずの日報がまた出てきた」とのこと、
「昨年2月稲田朋美防衛相が「確認をしたが、見つけることができなかった」と答弁していた文書である」とのこと、
「公表されてまずい文書が手元にあった場合、人はだいたい同じことを考える。消すか隠すか書き換えるか、だ。」とのこと、
「昨年2月、当時の財務省理財局長だった佐川宣寿氏は、森友学園との交渉記録について「残っていない」「すみやかに事業終了で廃棄していると思う」と述べた。けれど記録は存在し、しかも改ざんされていた」とのこと、等々を知ることが出来た。
知ってみて、うその答弁をした稲田朋美氏と佐川宣寿氏は天下に恥を晒したことになる。
普通の人間なら世間に顔向けできない、穴があったら入りたい、穴から出たくない状況の「渦中の二人」の心境はいかがなものか?
そしてまた、何故こういうことが、起きるのか?
人間の内にある「ウソの神」と「事実・事実の神」の戦いで、時間はかかっても最後は「事実・真実の神」が勝利するということか?
等々、いろいろ考えさせられた。