晴れ着と格差< 「晴れ着が着られなくなったら成人式に出られない!」と当たり前のように語られる現状に、とても胸が痛む!!むかしむかし、学生服で川崎市主催の成人式に寮の仲間と行ったなあ!>
2018年 01月 16日
1月15日付東京新聞朝刊29面に、「本音のコラム」という欄がある。
筆者は、看護師・宮古あずさ氏だ。
今日はこの筆者に学ぶことにした。
まず筆者は、「振り袖の販売・レンタル業者が成人式を目前に閉店し、多くの新成人が晴れ着を着られなかった問題。
被害者の悲嘆を思いつつ、初めて知った成人式の在り方にも、疑問を感じている。」と切り出した。
続けて筆者は、「今回、晴れ着が切られず参加しなかった被害者も多数出たと聞く。
ならば、晴れ着にかけるお金がない人はどうなるのか。
晴れ着が必須ならば、自治体主催の式典としては不適切ではないか。
ただこれは成人式に限った話ではない。格差社会が問題になる一方で、子ども関連のイベントは華美になっている。小学校の卒業式も、着飾った子供が目立つ。ここでは格差という論点がかすんでいる。
思えば幼少期、母は徹底して、「貧しい人を排除する行動はしないように」私を導いた。
例えば友人を招く誕生会は決して開かず、招かれるのも禁止。「プレゼントを買えない人もいるから」というのがその理由だった。その結果私が気まずい思いをしても、母は意に介さなかった。」と教えてくれる。
最後に筆者は、「こうした環境で育ち、私は晴れ着とも成人式とも無縁に大人になった。
よって成人式への関心は元々薄いと言うべきか。
「晴れ着が切られなくなったら成人式に出られない」と当たり前のように語られている現状に、とても胸が痛む。
今回の事件を機に、晴れ着中心の成人式こそ、見直されて欲しい。」として締めくくった。
読んで面白かった。
「「晴れ着を着られなくなったら成人式に出られない!」と当たり前のように語られている現状に、とても胸が痛む」との筆者の指摘は、確かにそうだと思った。
昭和38年川崎市生田にある学生寮から、学生衣服姿で川崎市主催の成人式に出た。その時の女性の晴れ着姿を思い出せない。
また、成人式の服装は晴れ着を着たい人はきればいいし、普段着で行きたい人はそれでいいのではないか、と思っている。
ただ、「孫子の晴れ着姿」を楽しみにして、振り込んだ「祖母祖父」「父母」の気持ちを踏みにじった、業者にはものすごく腹が立った。