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by sasakitosio

民意を担えぬ立法府の敗北< 「なんで衆議院に465人の議員がいるのか?それは465個の課題を代表するため!安倍か反安倍かで数を競うためではない!!>

 1029日付朝日新聞朝刊1面に、「日曜に想う」という欄がある。筆者は、編集委員・大野博人氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「この選挙は、与党がかって野党が負けたという総括でいいのだろうか。勝ったのは行政府でまけたのは立法府なのではないか。

 解散総選挙は基本的に、首相や大統領が議会と対立して行き詰まったときに、突破口を求めて国民に問い掛ける手段だ。

 いわば行政権力者から議会への挑戦。そう考えれば、今回の結果は行政府に対する立法府の敗北を意味する。

 安倍晋三首相は解散の理由に北朝鮮や消費税の増税分の扱いなどを挙げた。けれど、いずれの問題も政府・与党と野党の間に埋めがたい溝があらわになり、議論が暗礁に乗り上げている段階には見えなかった。

 逆に、森友・加計学園問題で野党と政府は対決していた。かといって、首相はそれについて民意の判断を仰いだわけでもない。

 何を問うているのかあいまいなまま、「政権選択」の選挙だと呼びかけた。野党はそれに乗るかのように「反安倍」で結集しようとしてつまずいた。

 国会は政府の支持基盤を再確保するための道具に成りはて、与野党の議員たちもそのための選挙にいや応なく付き合う羽目になった。

 結果が与党というより首相の勝利だとすれば、政府に対する与党議員の発言力が強まるとは考えにくい。

 他方、野党勢力は、希望の党の失速や民進党の迷走などで深手を負った。

 政府・自民党は秋の臨時国会は開かない方向で調整を始めたという。「国難」というから主権者が代表として選んだのに、選ばれた与党議員たちは議論する気がないらしい。「国難」はどうした、何のために議席にいるのか。

 結局、この選挙を通して、行政府をチェックすべき立法府は、選挙前よりもずっと弱体化してしまった。」と指摘した。

 続けて筆者は、「なんで衆議院に465人の議員がいるのか。それは465個の課題を代表するため。

 安倍か反安倍で数を競うためにいるのではない」と、今回の選挙をめぐる状況を批判するのは哲学者の東浩紀さん、

 「残念なことに、選挙では反政権側の方が数に敏感になっていた」

 たしかに、希望の党の小池百合子代表は、月刊文芸春秋11月号への寄稿で、「衆議院の過半数、233議席を獲得し、政権奪取を目指します」と宣言していた。

 そして選挙戦が始まると、その数の一人になりたくて多くの議員が合流していった。

 多様な民意を担うべき議員が、安倍か反安倍か、あるいは小池かといった行政権力につながる指導者のイメージを自らも身にまとおうと駆け出す。

 それでは、立法府のメンバーとしての使命感を後回しにし、「465の課題」をたった二つの選択肢に還元してしまうことになる。複雑な社会を代表する議会はとても作れない。

 行政府に対する立法府の退潮は、日本意特有の現象ではない。

 例えばフランスでも、マクロン新大統領が国民議会選挙でも自ら新「政党」をつくって多数派を確保した。

 行政府のリーダーが議会も手中に収めた形だ。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「内戦や独裁体制が終わったばかりの国で選挙を取材した経験が何度かある。

 1990年のルーマニア・ブカレストや1993年のカンボジア・タケオでは、人々はスーツや新品のTシャツを着て長い行列をつくり順番を待っていた。やっと手にした民主主義や選挙に精いっぱいの敬意を洗う人々の姿がまぶしかった。

 意表を突いた解散総選挙による議会の弱体化を、首相の巧みな戦略だとか、それが議院内閣制だと評することはできるかもしれない。

 しかし、その行き着く果てにあるのは、行政府の従属物としての立法府だ。

 それで国民がますます代表されているという感覚を失えば、民主主義は成り立たなくなる。

 選挙で与野党が勝ったり負けたりするのは当然だとしても、国民を代表する立法府が敗北してはならないはずだ。

 ブカレストやタケオの人々が見せた選挙への期待と信頼を思い出しながら、この選挙で失ったものの大きさを考えた。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「この選挙は、与党がかって野党が負けたという総括でいいのだろうか。勝ったのは行政府でまけたのは立法府なのではないか」との指摘、

 「国会は政府の支持基盤を確保するための道具になりはて、と野党の議員たちもそのために選挙にいや応なく付き合う羽目のなった」との指摘、

 「結局、この選挙を通して、行政府をチェックすべき立法府は、選挙前よりずっと弱体化してしまった」との指摘、等々の指摘はその通りだと思った。

 そして、「1990年のルーマニア・ブカレストや1993年のカンボジア・タケオでは、人々はスーツや新品のTシャツを着て長い列をつくり順番を待っていた。やっと手にした民主主義や選挙に精いっぱいの敬意を払う人々の姿がまぶしかった」とも教えてくれる。

 政治に対する、選挙に対する「国民の信頼や期待」をどうやって、高めるか!間接民主主義を進化させてか、直接民主主義をも活用してか、「国民が代表されているという感覚」持てるようにしなければ、と思った。今世界に吹き荒れている「自国第一主義」の嵐の跡についてくる「独裁主義者」の台頭を許さないためにも!!

 

 


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by sasakitosio | 2017-11-05 16:32 | 朝日新聞を読んで | Trackback