誰のための訪問?< 長い年月支援を継続するには、支援者が安心して支援に臨める体制が必要!しかし、最も大事なのは利用する人の意向ではないか!!>
2017年 10月 31日
10月30日付東京新聞朝刊23面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、看護師・宮古あずさ氏だ。
今日はこの筆者に学ぶことにした。
まず筆者は、「ある日の訪問看護。利用者さんの病状は落ち着き、ゆとりがある。
毎週から隔週へ、訪問回数を減らしてきたが、もう終了したいという。
「調子もいいし、自由にしたいので、訪問看護は卒業にしてください」。
妥当な判断だと思ったが、最終的には医師の指示。
「ごもっともなお気持ちですが、訪問看護は、主治医の指示。次の外来でご相談なさってください」と応じた。」と切り出した。
続けて筆者は、「しかし、利用者さんの願いはかなわなかった。
医師は終了を許可したのだが、住居の提供に関連した地域の支援者が強く継続を希望。利用者さんも折れた。
状態が良くなっても、一度始めた訪問看護を終了するのは意外に難しい。
本人が卒業したいと言っても、支援者が不安で止められない。
いったい誰のための訪問なのか?複雑な気持ちになる。
継続が必要な場合ももちろんあるが、一生続けなければならないものでもない。
こちらとしては良くなったら中止し、悪化の兆候があればすぐに再開。それが良いやり方だと思う。無理に訪問して拒否感を強めるのは得策ではない。」と指摘した。
最後に筆者は、「一方で、長い年月支援を継続するには、支援者が安心して支援に臨める体制は大事。しかし、最も大事なのは利用する人の意向ではないか。支援は時に拘束にもなる。時宜を得た支援を考えたい。」として締めくくった。
読んで勉強になった。
利用者、「調子もいいし、自由にしたいので、訪問看護は卒業にしてください」という、
看護師「ごもっともなお気持ちですが、訪問看護は、主治医の指示。次の外来でご相談なさってください」と応じた、
「医師は終了を許可したのだが、住居の提供に関連した地域の支援者が強く継続を希望。利用者さんも折れた」とのこと、
等々を知ることが出来た。
そして、考えた。筆者の訪問看護で「最も大事なのは利用する人の意向ではないか」との指摘はその通りだ。
そのうえで、利用者がなぜ訪問看護を卒業したいのか、また支援者がなぜ訪問看護を継続したいのか、その理由・原因をもう少し「深堀り」したくなった。
継続を希望する支援者にとっては、訪問看護は安心、安全、安価で不可欠な支援の輪になっているということではないか?
利用者さんにとっては、費用負担、自立心等で卒業したいのではないか?