夕暮れ悲し北朝鮮< 見わたせば 花も紅葉も なかりけり 浦のとまやの 秋の夕暮(藤原定家)!筆者は、この歌の政治性に心ひかれる?定家がこれを詠んだ前年に平家は壇ノ浦で全滅している!??>
2017年 09月 24日
9月23日付東京新聞社説横に、「風来語」という欄がある。筆者は、主筆・小出宣昭氏だ。
今日は、この筆者に学ぶことにした。
まず筆者は、「休日に、知多半島の海へ行ってきた。夏のうちにぎわった浜辺は閑散として、砂浜にボート小屋がぽつん。ふと、藤原定家の心にしみる歌が浮かんでくる。
見わたせば 花も紅葉も なかりけり
浦のとまやの 秋の夕暮
静けさと、わび、さびの心を漂わせる名作だが、私はむしろ、この歌の政治性に心惹かれる。
定家がこれを読んだのは、1186(文二)年、その前の年に平家の壇ノ浦で全滅している。
栄枯盛衰。 源平の戦いがもたらしたむなしさ、悲しさ、それを何度も繰り返す人の世の愚かさを、秋の夕暮に重ねたのだろう。」と切り出した。
続けて筆者は、「いま、いま北朝鮮が引き起こした危機で、同じように心を痛めている人たちがいる。
韓国の文在寅大統領。
彼の両親と姉は、朝鮮戦争中の1950年暮れ、北朝鮮の興南区域から戦乱の中を着の身着のままで脱出した避難民である。祖父母は北に残ったままで、3年後の53年に生まれた文氏は半島を血の海にした戦争のむごさ、悲しさを骨肉に刻んで育ったという。
なぜ大統領が北への対話路線を断ち切れず、強硬論への二の足を踏むのか、わかる気もする。
参院議員のアントニオ猪木氏。
ブラジルで育った彼は、プロレスの英雄・力道山に見いだされ、やがて師匠の故国・北朝鮮の人脈を受け継ぐ。
何度も北を訪れ、今回も「スポーツと平和」を訴えてきたそうだ。」と教えてくれる。
最後に筆者は、「こうした思いを踏みにじる北の独裁者は、ミサイルを撃ち、核をさく裂させる。自らの延命を、アメリカは核を持つ国だけは一度も侵攻していないという事実のみにかけているのだろう。
「力には力」という悲しさを呼び込むのか。
かってヒトラーとの対話を重視して第二次大戦を引き起こした経緯から、英首相チャーチルは「歴史を見ると、平和主義者がもたらした戦争がいかに多いか、がくぜんとする」と記している。 政治の冷たい現実である。」として締めくくった。
読んで勉強になった。
「韓国の文在寅大統領。彼の両親と姉は、朝鮮戦争中の1950年暮れ、北朝鮮の興南区域から戦乱の中を着の身着のままで脱出した避難民である」とのこと、
「祖父母は北に残ったままで、3年後の53年に生まれた文氏は半島を地に海にした戦争のむごさ、悲しさを骨肉に刻んでそだったという」とのこと、
「参院議員のアントニオ猪木氏。
ブラジルで育った彼は、プロレスの英雄力道山に見い出され、やがて師匠の故国・北朝鮮の人脈を受け継ぐ。何度も北を訪れ、今回も平壌で「スポーツと平和」を訴えてきたそうだ」とのこと、等々を知ることができた。
さらに、「英首相チャーチルは「歴史をみると、平和主義者がもたらした戦争がいかに多いか、がくぜんとする」と記している」とのこと。
この意味するところは、なにか考えてみた。
「平和主義者がもたらした戦争」の平和主義者の中に、チャーチルもヒトラーも入っているのだろうか?
「戦争をもたらした」とすれば、その人は平和主義者と呼んでいいのだろうか?
平和主義者とは、平和のために自分の命を捧げた「人」、命を懸けて戦争を阻止した「人」を指すのではないか?