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憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

サマショールの行方 大地が無人に還るとき< 原発周辺は、ウクライナでも特に開発が遅れた田舎だった!村にはキリスト教到来以来の民間信仰が残り民謡や民話が息づいていた!暮らしが消える!村も畑も!>

817日付朝日新聞社説下に、「ザ・コラム」という欄がある。 筆者は、GLOBE編集長・国末憲人氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「「こんなところに来る暇があったら、バカンスにでも行けばいいのに」

 ランナさん(84)は笑いながら、私を自宅に招き入れてくれた。

 ウクライナ北部のクポワトイェ村に、彼女は暮らしている。チェルノブイリ原発から南東に20キロあまり。一帯は、土壌や地下水の放射能汚染が深刻だ。

 台所から、酢漬けのキュウリを彼女は持ち出してきた。畑で採れたという。

 「いっぱい実ったんだ。遠慮しないで」

 放射線が気になるが、あまりに屈託なく勧められるので、一口かじってみる。みずみずしさとほのかな苦み。「これもどうぞ」と差し出された自家製ウオッカを口に含むと、50度近いアルコールで口の感覚がマヒしてきた」と切り出した。

 続けて筆者は、「チェルノブイリ原発事故後、クポワトイェ村を含む半径30キロ前後は立ち入り制限区域と定められ、居住が禁止された。約12万人の住民は全員避難させられた。周囲の大地は無人になったはずだった。

 実際には、故郷への懐かしさのあまり多くのお年寄りが勝手に帰村している。放射能や不便さをものともせず、当局の退去要請を無視して暮らす。「サマーショール」(自発的な帰還者)と呼ばれる人々だ。

 ランナさんはその一人。事故でいったんキエフに避難したものの、翌年村に戻った。現在は妹のソフィアさん(80)と二人くらし。

 足腰が悪く寝たきりのソフィアさんの面倒を見ながら、畑を耕し、2週間に1度来る行商から肉や魚を買う。井戸から水をくみ上げる作業が一番大変だという。

 「この村に生まれ、ここでずっと生きてきた。死ぬ時もここがいい」

 クポワトィェ村には現在、ランナさんのようなお年寄りが18人暮らす。大部分がおばあさんで、男は5人だけ。ランナさんの夫も7年前に村で亡くなった。「女は長生きするんだよ」

 サマショールに対し、政府は電気やガスなど最低限の援助を続けている。健康面の不安もあって放置できないが、かといって手厚く支援すると帰還を促しかねない。難しい問題だという。

 この村の北西にあるチェリノブイリ市は、原発から約16キロしか離れていない。事故の際に風上だったことから放射性物質の直撃をのがれたものの、住民は全員避難させられた。制限区域の管理者や放射線の影響を調べる研究者たちが週4日間駐在するだけで、永住者はいないことになっている。

 しかし、、実際にはここにもサマショールが何人かいる。市郊外に暮らすエフゲニーさん(80)はその一人。「ここは汚染がひどいけど、日本も大変だね」と、返答に困るようなあいさつで迎えてくれる。

 地元の学校で技術科の教師を務めていた。事故後、街にやってきた放射線計測の専門家たちと掛け合い、装置を修理する技術者としての職を得た。

 「以後そのままここに暮らしている。住み慣れたところが一番いいね」」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「若い人で制限地区に住もうとする人はいない。サマショールはみんな高齢者だ。

 私は8年前、ウクライナ当局の民族調査団と共にこれらの村を訪れた。当時のサマショールは200人前後。そのうちの1組、原発の風下わずか7キロの村の70代のサワさん、オレーナさん夫婦を訪ね、暮らしぶりや土地に伝わる民話を聴いた。

 「放射線なんて、ウオッカを飲んだら飛んでいくよ」。そう話していた夫婦の消息を今回たどった。5年ほど前、当局の説得に応じて2人は村を離れたという。間もなくオレーナさんが世を去り、3年前にサワさんも亡くなった。

 8年前にやはり訪れた原発の西25キロのルビャンカ村も、廃村になっていた。6人いたお年寄りの行方は分からない。サンショールの数は近年激減しているという。

 原発周辺は、ウクライナでも特に開発が遅れた田舎だった。村にはキリスト教到来以前の民間信仰が残り、民謡や民話が息づいていた。その文化と記憶も、急速に失われつつある。

 暮らしが消える。村も畑も、荒涼たる無人の地に還る。原発事故は何を引き起こしたのか。一角に立ってしばし考えた。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 読み終わって、青森県六ケ所村(まだ行ったこともないのに)に思いを馳せてしまった。

 「チェルノブイリ原発事故後、クポワトイェ村を含む半径30キロ前後は立ち入り制限区域と定められ、居住が禁止された」とのこと、

 「実際には、故郷への懐かしさのあまり多くの年寄が勝手に帰村している」とのこと、

 「「サマーショル」(自発的帰還者)と呼ばれる人たちだ」とのこと、

 「クポワトイェ村には現在、ランナさんのような年寄りが18人暮らす。大部分がおばあさんで男は5人だけ」とのこと、

「サマーショールに対し、政府は電気やガスなど最低限の援助をしている」とのこと、

 「若い人で制限区域に住もうとする人はない。サマショールはみんな高齢者だ」とのこと、

 「8年前、ウクライナ当局の民族調査団とともにこれらの村を訪れた。当時のサマショールは200人前後」とのこと、

 「8年前にやはり訪れた原発に西25キロのルビャンカ村も、廃村になっていた。6人いたお年寄りの行方はわからない」とのこと、

 等々を知ることができた。 

 チェルノブイリは1986年4月26日、福島は2011年3月11日に事故は起きた。

日本はウクライナと違って、狭い国だ。故郷を捨てて行く場所も限られている。原発事故の30年先に、福島はどうなっているのだろうか?

 


by sasakitosio | 2017-08-23 19:59 | 朝日新聞を読んで | Trackback