キリスト教出発点を発見?< 「キリスト教徒たちの故郷発見さる」 イスラエルの有力紙「ハーレツ」は、今月6日の英語電子版で大々的にこう伝えた!!>
2017年 08月 23日
8月17日付東京新聞朝刊4面に、「太郎の国際通信」という欄がある。 筆者は、ジャーナリスト・木村太郎氏だ。
今日はこの筆者に学ぶことにした。
まず筆者は、「「モーゼは神話だが、キリストは現実だ」
イスラエルではよくこう聞かされる。
エルサレム旧市街に「ビア・ドロローサ(苦難の道)」という小道がある。キリストが十字架を背負わされてゴルゴダの丘に登ったという約600メートルの道のりで、毎週金曜日にキリスト教徒たちが巡礼に訪れる。
大半はアラブ人の商店街を縫って行く石畳の道だが、その石畳がどう見ても古そうなので、もしかしてキリスト時代のものかどうか気になった。
「もちろん当時のものだよ」
イスラエルの友人はこともなげに言ったが、私はキリスト教徒でもないのに思わずキリストの足跡を確かめるようにその石畳を撫でてしまった。
ことほど左様に、イスラエルではキリストは限りなく現実に近い存在なのだが、最近もう一つ新約聖書の記述を裏付けるような発見があったらしい。」と切り出した。
続けて筆者は、「キリストはヨルダン川のほとりでヨハネから洗礼を受けた後宣教活動を始めるが、その舞台となったのがベツサイダと呼ばれる漁村。新約聖書ではそこで盲目の老人の目を見えるようにしたり、五つのパンと二匹の魚を増やして5千人に食べさせたり、湖水の上を歩く奇跡を起こして信者を増やしていったとされるのだが、その場所が現実にどこなのかこれまで謎とされていた。
ガラリア湖の北にある現在エツ・テルと呼ばれる丘の上の古跡がそれではないかと言われてきたが「ベツサイダ」は「漁師の家」という意味で、最も湖水の近くのはずだとも考えられていた。
そこで、キネレテ大学考古学研究所を中心に3年前から湖畔の調査が行われてきたが、これまで5世紀以降のビザンチン時代のものと思われていたエル・アラジという古跡の下からローマ時代の風呂場の跡や紀元前1~3世紀の陶磁器の破片などが見つかった。
「キリストの使徒たちの故郷発見さる」
イスラエルの有力紙「ハーレツ」は、今月6日の英語電子版で大々的にこう伝えた。
12人の使徒のうち、ペテロとアンドレ、ピリポの3人はベツサイダの出身で、ここでキリストに従ったと伝えられているからだ。
「それがどうした」と私は思うのだが、世界に23億人いると言われるキリスト教徒にとって、新約聖書に記されている事柄が現実に証明されることは、その信仰に及ぼす影響は少なからずあるだろう。」と指摘した。
最後に筆者は、「また、この地域がユダヤ教、キリスト教、イスラム教いずれにとってもゆかりの土地であることを考えると、こうした史跡の発見は考古学的に意味があるだけでなく、国際政治にも微妙な影響を及ばすことがあるかも知れない。」として締めくくった。
読んで勉強になった。
「最近もう一つ新約聖書の記述を裏付けるような発見があったらしい」とのこと、
「キリストはヨルダン川のほとりでヨハネから洗礼を受けた後宣教活動を始めるが、その舞台となったのがベツサイダと呼ばれる漁村。」とのこと、
「だが、その場所が現実にはどこなのか謎とされてきた」とのこと、
「「キリストの使徒たちの故郷発見さる」
イスラエルの有力紙「ハーレツ」は、今月6日の英語版で大々的にこう伝えた」とのこと、
「世界に23億人いると言われるキリスト教徒にとって、新約聖書に記されている事柄が現実に証明されることは、その信仰に及ぼす影響は少なからずあるだろう」との指摘、
等々を知ることができた。
過日、エルサレムを歩き回り、その時「ビア・ドロローサ(苦難の道)」という小道を歩いてみた。聖墳墓教会で、敬虔な祈りもささげてきた。
また、偶然、「園の墓」に入ることが出来ました。頭蓋骨に似た崖面、緑豊かな公園、洞窟の中に三つの遺体を安置した「囲い」を見た。
キリストが盗賊と一緒に磔になった、と昔聞いたことがあったので、三つの遺体安置跡を見たとき、直感的にここがゴルゴタの丘と感じた。電池が切れそうな携帯で洞窟の中の三つの「囲い」を写メール。