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by sasakitosio

「森友学園問題」の「気持ち悪さ」はどこから!?<「民間業者から政治家への見返りが、通常の表や政治献金でなく、イデオロギー的忠誠心や個人崇拝のジェスチュア―であった」ことが原因らしい???>

5月27日付朝日新聞朝刊17面に、「政治季評」という欄がある。

 筆者は、早稲田大学教授・豊永郁子氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「森友学園問題について考えた。

 これは政治家の口利きで政府が一民間事業者に国有地の払い下げについて利便を図るという、よくある政官民癒着の話ではないか。

 だが、それだけでは割り切れない何かを感じた人が多かっただろう。

 首相夫人の関与に世間の注目が集まり、夫人が公人か私人かという論点が国会で大真面目に論じられたりした。

 そんな中、ふと、この事件の気持ち悪さは、民間業者から政治家への見返りが、通常の票や政治献金ではなく、イデオロギー的忠誠や個人崇拝のジェスチァーであったことからくるのだろうと思った。

 そういえば、社会的・経済的な制裁や報酬をちらつかせてイデオロギー的な迎合を求めるのは、安倍政権一流の新しい国民へのアプローチであった。

 実際私たちを驚かせたのは、森友学園での教育の内容である。

 単に右翼的というのではない。

 異様なのは、安倍氏への個人崇拝が盛り込まれている点だ。

 学園の当時の理事長、籠池泰典氏としては、イデオロギー的ジェスチァーによって利便が得られるなら安いものと考えたのかも知れない。

 現に、国会の証人喚問などで、氏は首相への忠誠を簡単に翻している。

 しかし、私が何より注目したのは、安倍氏も籠池氏も、次世代へのイデオロギー教育の重要性がよくわかっている点だ。」と切り出した。

 続けて筆者は、「若い頃は、政治にとって最も重要なのは教育だと言われてもピンとこない。

 気の長い迂遠な話だと思う。

 ところが、世の中の風潮ががらりと変わるのを何度か体験すると、変化の駆動力が世代の交代にあるらしいこと、新しい世代があっという間に育つことに気づかされる。

 つまり次世代への教育が、意外に早く大きな効果をもたらすことを知る。

 実際、それは新しい価値観を持った若者たちを5年、10年のうちに世の中に送り込める。

 これによって、支配的イデオロギーを覆すことも可能だ。

 安倍氏とその周辺は、第一次政権時代あるいはその前から、このことを意識していたのだろう。そのイズムは徐々に目鼻を整え、浸透できる場所に浸透してきた。

 その一つの結晶が森友学園だったのだろう。

 飼い犬に手をかまれたからといって、安倍氏を侮ってはいけない。

 冷笑を浴びた10年前の「美しい国」キャンペーンも空振りではなかった。安倍氏は攻める場所と効果の時を心得ているようだ。

 リベラルはこれにどう対抗するのか。

 世代交代の油断のならなさには、2400年前にプラトンが着目している。

 著書「国家」の第8巻では、国制(政治体制)の類型と変化をめぐる議論にこのテーマが絡められる。

 巻の冒頭、プラトンは、想像上の理想国家を描き出す。

 哲学を治めた王が統治し、統治を補佐する戦士集団は、私有財産を持たず共同生活を送る。

 理想国家が実現するのは、優秀者支配制だ。

 智者が支配し適材適所が行われる「最善の国制」である。

 そしてこのあとプラトンは、理想国家がいくつかの国制を経て、「最悪の国制」、すなわち僭主(暴虐な独裁者)が支配する僭主独裁制に至る道筋を考察する。

 まず、優秀者支配制は解体が必至だ。

 解体は、世代交代が早晩もたらさす統治者たちの質の低下に始まり、勝利を善とし、戦士階級が支配する名誉支配体制に帰結する。

 だが無教養な支配者たちは富の誘惑に弱く、国制は、富を善とし、財産の多寡が支配者を決める寡頭制に変化する。

 寡頭制のもとでは、貧富の差が国民を分断し、貧民や無頼の徒も表れ。

 やがて革命がおこり、何でもありの民主制が生まれる。

  民主制では自由が善だ。すべての価値観が平等であり、どんな生き方も称揚される。

 無頼たちはいまや政治家となって民衆の喝さいをを競う。彼らの中の一人を民衆が押し立て、他もその一人に従うとき、独裁制が誕生する。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「ではそれぞれの国制と同じ価値観を持ち、国制を成り立たせる人間がどうして生じるのか。

 その説明が面白い。

 端的には、親子間の確執があればよい。

 優秀者支配制的な内面を持つ父親への母親の愚痴は、息子を名誉支配的な人間に育てるだろう。

 名誉支配的な家庭の若者は、親の不名誉な失脚を契機に、カネがすべての寡頭制的な人間に転じる。

 けちくさい寡頭制的な親に反発する息子は、悪い友人お誘いで様々な欲望を解き放ち、民主制的な人間に生まれ変わる。

 民主制的な親の子供には、最初からタガがない。

 誰かに強烈な欲望を植え付けられ、これが他の総ての欲求を圧倒するとき、彼は僭主独裁的な人間となる。

 いかにもありそうな話ばかりではないか。

 親たちの奉じる国制がどんなに磐石でも、こうした子供たちによって次の国制の誕生が促される。

 さて、世代交代が絡むがゆえに、私たちが思う以上に政治体制は変わりやすく、変化も唐突でありうる。

 何でもありの民主制をすでに経験した感のある私たちは、そろそろ民主制の次におこる「最悪の国制」にあっという間に陥る可能性に注意した方がよい。

 森友学園流のイデオロギー教育に対する呑気が禁物なのは無論である。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「そういえば、社会的・経済的な制裁や報酬をちらつかせてイデオロギー的な迎合を求めるのは、安倍政権一流の新しい国民へのアプローチであった」との指摘、

 「実際、私たちを驚かせたのは、森友学園での教育の内容である。単に右翼的というのではない。異様なのは、安倍氏への個人崇拝が盛り込まれている点だ。」との指摘、等々の指摘はその通りだと思った。

 また、「世帯交代の油断のならなさには、2400年前にプラトンが着目している」とのこと、

 「著書「国家」の8巻で、巻の冒頭、プラトンは理想国家を描き出す」とのこと、

 「理想国家が実現するのは、優秀者支配制だ」とのこと、

 「そしてこのあとプラトンは、理想国家がいくつかの国制を経て、「最悪の国制」すなわち僭主(暴虐な独裁者)が支配する僭主独裁制に至る道筋を考察する」とのこと、

 「優秀支配制から名誉支配制に帰結する」とのこと、

 「名誉支配制から寡頭制に変化する」とのこと、

 「寡頭制から民主制が生まれる」とのこと、

 「民主制から独裁制が誕生する」とのこと、等々を教えてくれる。

 さらに筆者は、「プラトンはそれぞれの国制と同じ価値を持ち、国制を成り立たせる人間がどうして生じるかの説明」が面白い、という。

 「優秀者支配制的な内面を持つ父親への母親の愚痴は、息子を名誉支配的な人間に育てるだろう」と指摘、

 「名誉支配的な家庭の若者は、親の不名誉な失脚を契機に、カネがすべての寡頭制的な人間に転じ得る」との指摘、

 「けちくさい寡頭制的な親に反発するその息子は、悪い友達の誘いで様々な欲望を解き放ち、民主制的人間に生まれ変わる」との指摘、

「民主制的な親の子供には、最初からタガが無い。誰かに強烈な欲望を植え付けられ、これが他の総ての欲求を圧倒するとき、彼は僭主的な人間となる」との指摘、等々は2400年前のプラトンの著作が、今も通用することに、驚いた。

 最後に筆者は「世帯交代が絡むが故に、私たちが思う以上に政治体制は変わりやすく、変化も唐突でありうる」と教えてくれる。

 民主制の次におこるという「最悪の国制」にあっという間に代わる可能性には、注意をしなければ、と思った。

 


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by sasakitosio | 2017-06-02 14:17 | 朝日新聞を読んで | Trackback