日本の平和主義 不戦が死文化しないか <「近年の戦争は自衛権の名において戦われたのであるます。満州事変然り、大東亜(太平洋)戦争然りであります(1946年6月。吉田茂首相帝国議会答弁)>
2017年 05月 27日
5月16日付東京新聞社説に、日本の平和主義のことが載った。
今日はこの社説を学習することにした。
まず社説は、「自衛のための戦争なら何でも許されるーーー、そう考えるのは誤りである。
振り返れば、日本に限らず「自衛」の名を借りて、侵略戦争を起こしてきたからだ。
1946年6月。新憲法制定の帝国議会おける吉田茂首相の答弁を振り返ってみよう。
<近年の戦争は多く自衛権の名において戦われたのであります。満州事変しかり、大東亜(太平洋)戦争しかりであります。今日わが国に対する疑惑は、日本は好戦国である。いつ再軍備をなして復讐戦をして世界の平和を脅かさないともわからないということが、日本に対する大いなる疑惑であり、また誤解であります>
だから、9条を定めこの誤解を正さねばならないという吉田の主張である。導き出されるのは、9条は自衛戦争も含めた一切の戦争という戦争を放棄したという、憲法の読み方である。」と切り出した。
続けて社説は、「最も主権国である以上、自衛権をも否定するものではないと解されてきた。
そして政府は自衛のため必要最小限の実力を保持することは憲法上認められるとしてきた。その実力組織こそが自衛隊だった。
学問の上では違憲・合憲のやり取りは今も続くが、国民の生命や自由を守るための実力組織としての存在は、国民から支持を得ているのは間違いない。
ところが、安倍晋三政権下で他国を守る集団的自衛権の行使の問題が起きた。
歴代の内閣法制局長官「憲法改正をしないと無理だ」と述べたのに、一内閣の閣議決定しただけで押し通した。「憲法の破壊だ」と声があがったほどだ。安全保障法制とともに「違憲」の疑いがもたれている。
今までの個別的自衛権は自国を守るためであったし、「専守防衛」が任務であった。それなのに任務が”突然変異“してしまった。他国や同盟国の艦隊などを守る任務は明らかに9条の枠内から逸脱している。歴代の法制局長官もそう指摘してきた。」と教えてくれる。
最後に社説は、「安倍首相は9条一項、二項はそのまま残し、三項以降に自衛隊を書き込む改憲案を提唱している。もともと不意の侵入者に対する自衛権だったのではなかったか。
もし米軍とともに他国まで出かけていく自衛隊に変質していくのなら、9条の精神は死文化すると言わざるを得ない。
平和憲法を粗末にすれば、「自衛」の名を借りた、自衛戦争をまた引き起こす恐れが出てくる。」として締めくくった。
読んで勉強になった。
「1946年6月。新憲法制定の帝国議会における吉田茂首相の答弁。<近年の戦争は多く自衛権の名において戦われたのであります。 満州事変しかし、大東亜戦争然りであります。 今日わが国に対する疑惑は,日本は好戦国である。いつ再軍備をなして復讐戦をして世界の平和を脅かさないとも分からないということが、日本に対する疑惑であり、また誤解であります>」とのこと、
「もっとも主権国である以上、自衛権をも否定する者ではないと解されてきた」とのこと、
「今までの個別的自衛権は自国を守るためであったし、自衛隊は「専守防衛」が任務であった。
それなのに任務が”突然変異”してしまった」とのこと、
「もし米軍とともに他国まで出掛けていく自衛隊に変質していくのなら、9条の精神は死文化する」とのこと、等々を知ることができた。
「平和憲法を粗末にすれば、「自衛」の名を借りた、自衛戦争を引き起こす恐れが出てくる」との、社説の危惧は至極もっとだと思った。
日本国憲法の制定時、圧倒的多数で可決したが、「我が国の自衛権を放棄して民族の独立を危うくする危険がある」との主張で、反対したごく少数の政党と個人がいたと、聞いている。
が、その政党は今日、社説や吉田茂首相の「自衛の名の下で戦争が行われる」との主張についてどのように考えているのだろうか?