日本発の半導体 問われる中核産業の将来図 <日本発の半導体を主導して育てる日本の経営者が現れない!!明治維新から150年、敗戦から72年、原発事故から6年、護送船団システムにも危機が!??>
2017年 04月 14日
4月11日付朝日新聞朝刊7面に、「波聞風問」と言う欄がある。 筆者は、編集委員・堀篭俊材氏だ。
今日は、この筆者に学ぶことにした。
まず筆者は、「4月は悲喜こもごもの異動の季節だが、回り道をした経験がその後の人生に役立つことがある。
東北大名誉教授の舛岡富士雄さん(73)の場合もそうだった。
舛岡さんは46年に東芝に入った。最初に配属された研究部門で開発した製品が売れない。
「自分で売ってみせる」と営業に移り、米国のコンピューター会社を回った。
なかなか売れずに1年で営業を首になるが、「お客さんは性能より安い製品を求めている」と学んだことが、日本発の半導体フラッシュメモリーの発明に生きた。電話をかける手順などを記憶するこの半導体は、電源を切ってもデータが消えない。
舛岡さんは1980年代、安価でつくる技術を開発した。
いまはスマホや自動車、家電に使われ,様々なものをネットで結ぶIOT時代を支える技術として期待される。」と教えてくれる。
続けて筆者は、「「虎の子」に育った半導体を東芝は売却する。原発事業で抱えた巨額の損失を穴埋めするには、背に腹はかえられないからだ。
米国や台湾メーカー、外資系ファンドが買収に名のりをあげ、「日本の先端技術が流出してしまう」と国や経済界が心配する声があがる。
とはいっても、1次入札に加わる日本企業はいなかった。官邸で「日本連合」を作り、2次入札から米国勢と組む構想が浮上したが、及び腰の印象はぬぐえない。
かって日本の半導体は「産業のコメ」といわれ、政府もその育成を支援した。コンピューターや通信機器に使われる量産メモリーの分野で80年代は世界を席巻し、米国との間で貿易摩擦も生んだ。やがてアジア勢に追い越され、電機大手では東芝だけが世界とわたりあってきた。」と教えてくれる。
最後に筆者は、「技術流出の問題について、舛岡さんは「すでに30年前に起きている話だ」という。
舛岡さんが発明した「NAND型」と呼ばれるフラッシュメモリーを製品化するとき、東芝は韓国サムスン電子から、お金や技術者を受け入れている。
舛岡さんは「安いお金で技術を韓国に売り渡した」と映る。
舛岡さんは退社したのち、東芝を相手どり、発明の対価を求めて訴訟を起こしたことで知られる。11年前に和解しているが、OBの一人として「半導体を売った後、東芝はどうやって生き残っていくのか」と再生の絵姿がみえない古巣を心配する。
東芝の半導体の売値は1.5兆円以上とされ、大規模装置を必要とするために設備投資などに毎年3千億円かかるといわれる。
おいそれと手を出せる事業ではないが、リスクを取り、日本発の半導体を主導して育てる日本の経営者が現れないのはさびしい限りである。ある財界トップは「衰退するこの国の象徴だ」と手厳しい。
ビジョンのないままでは技術は流出する。
日本を引っ張る産業の将来図をどう描くのかが問われている。」として締めくくった。
読んで勉強になった。
「東北大学名誉教授の舛岡富士雄さん(73)の存在を」知ることができた。
「虎の子」に育った半導体事業を東芝は売却する」とのこと、
「米国や台湾メーカー、外資ファンドが名乗りをあげ、「日本の先端技術が流出してしまう」と国や経済界から心配する声があがる。
とはいっても、一次入札に加わる日本企業をいなかった」とのこと、
「舛岡さんが発明した「NAND型」と呼ばれるフラッシュメモリーを製品化するとき、東芝は韓国のサムスン電子から、お金や技術者を受けいれている。舛岡さんには「安いお金で技術を韓国に売り渡した」とうつる」とのこと、
「OBの一人として「半導体を売った後、東芝はどうやって生き残っていくのか」と再生の絵姿が見えない古巣を心配する」とのこと、
等々を知ることができた。
同じように原発事業を手掛ける、日立製作所や三菱重工には、原発産業から一日も早く手を引いて、その培った技術と人材を「自然エネルギー産業」に投入し、世界の自然産業の先頭を走って いただきたい、と思った。