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by sasakitosio

糸魚川・アスクルの教訓 「火の地震」都市は備えを <「世界三大火事」!西暦64年のローマの大火!1657年の江戸の大火!1666年のロンドンの大火!>

3月17日付朝日新聞朝刊15面に、「月刊安心新聞」と言う欄がある。筆者は、千葉大学教授・神里達博氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「昨年末、新潟県糸魚川市の店舗から発生した火事は、折からの強風にあおられて拡大、創業200年と言われる老舗割烹「鶴来家」なども含め、144棟を焼いた。

 鎮火までに30時間を要し、面積にして約4万平方メートルが焼失する大火災となったが、避難勧告を市が早期に出したこともあり、犠牲者が出なかったことは不幸中の幸いだった。

 一方、事務用品通販会社「アスクル」の埼玉県三芳町の物流倉庫で先月発生した火災でも、およそ4万5千平方メートルが焼失した。倉庫内には紙類など燃えやすいものが多く、また建物の構造上、注水が容易でなかったことから、消火作業は難航した。その結果、火の勢いが衰えるまでに6日がかかり、完全な鎮火には12日余りを費やした。こちらも幸いにいして犠牲者は出なかった。

 二つの事件は、条件の全く異なる火災ではあるものの、鎮火が難しく、いずれも「東京ドーム一個分」が焼失したという点では共通する。

 私たちの社会にとって、依然として火災が大きな脅威であることを思い知らされた事例と言えるだろう。

 米国ペンシルベニア州には、炭鉱火災が鎮火できず、有毒ガスが発生するなどしたため、住民がまるごと移住を余儀なくされた町がある。

 しかも50年以上経た現在もいまだに燃え続けている。

 似たような炭鉱火災はインドやトルクメニスタンにもあり、実は北海道夕張市にも約90年前の火災で閉鎖されて以降、今もくすぶり続けている炭鉱跡がある。

 人類は、火を扱うことで他の生物とは全く別の未来を切り開いてきた。

 しかし、炭鉱と言う特殊な例ではあるものの、人類は火と言うものをいまだにコントロールできていないのかもしれない、そんな不安を感じさせる話である。」と切り出した。

 続けて筆者は、「「世界三大火事」と言うものをご存じだろうか。

西暦64年のローマ、1657年の江戸、そして1666年のロンドンの大火を指すという。

 その江戸の火事は、講談の「振袖火事」のことだ。

 ある振袖を着た娘が亡くなり、その同じ振袖を引き継いだ別の2人の娘もなくなったため、不吉だからと寺で焼こうとしたところ、火がついたまま空を舞い、ついには江戸を焼くつくしてしまったという。

 この怪談は後世の創作とされ、実際の出火原因はよくわかっていない。

 だが犠牲者は10万人を超え、焼失面積は20平方キロ、これは東京ドーム400個以上に相当し、江戸期最悪の被害をもたらした火災であったのは間違いない。

 ほぼ同じ時期にやはり大火に見舞われたロンドンは、罹災後、国家的な事業として石造りによる耐火建築化がなされていった。

 一方、江戸でも防火対策が進んだが、耐火性を高めるよりも、延焼を防ぐための幅の広い道路「広小路」や「火除地」など空間を作るといった、いわば都市計画によって対応しようとした。

 両者のリスクマネジメントに対する姿勢の違いは対照的である。

 明治維新以降は、東京も耐火建築が増えていき、江戸期のように市街地が広範囲に燃えるというような火災は減ったが、同時に建築物が増えたために建築物の密集度は高まり、潜在的な危険性が高まった。

 そのような東京の脆弱性が明確に可視化せれたのは、1923年の関東大震災であろう。

 広く知られている通り、これは「火の地震」であった。最新の研究では、死者・行方不明者の総数は約10万5千人と推定されているが、最初の地震動による圧死が1万数千人であるのに対し、9万人を超える人々が火災によって亡くなったとされる。

 特に被害が大きかったのは両国にあった「陸軍省被服厰跡地」である。

 たまたまそこには、7万平方メートル弱の工場跡の空き地があり、自宅が倒壊した人々など約4万人が、家財道具など持って避難してきたのである。

 当初は、難を逃れることができて安どした様子すらあったという。

 ところが周囲から火事が接近して荷物に火が付き 、さらに「火災旋風」と言う現象も起こったことで、避難者のほとんどが死亡した。

 実は、江戸末期の「安政江戸地震」でも、大正の関東大震災と同程度の揺れが襲い、火災も起きたが、焼失面積は関東大震災の方がはるかに大きかった。

 主な原因としては、強風の影響が指摘されている。

 しかし同時に、個々の建築の耐火性が高まっても、都市全体としての防災機能は必ずしも向上していなかったということも、考えられるだろう。」と指摘した。

 最後に筆者は、「ここで冒頭で言及した二つの火災について改めて考えてみよう。

 いずれも、地震と無関係の単独の火災であったから、ライフラインがとまることもほぼなかったし、消火のための資源は一定程度投入できたはずである。

それにもかかわらず、風速や建物の構造などの条件次第では、現代の消火技術でも容易に鎮火することができないことが明らかになった。

 たとえば仮に、首都直下型地震が起きた場合、同時多発的にこのような火災がが発生し、しかも水道が止まり、道路もまともに使えないという状況は十分に生じうるだろう。そのとき、東京はどこまで、いつまで燃え続けるのだろうか。

 東日本大震災では「水」に多くの尊い命が奪われた。だが地震の恐ろしさはそれだけではない。未来の「世界三大火事」に「東京20XX年」と言った言葉が加わらないようにも、私たちの社会は、都市システム全体の防災対策を、更に真剣に進めていくべきであろう。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 昨年末の新潟県糸魚川市の店舗から発生した火事、事務用品通販会社「アスクル」の埼玉県三芳町の物流倉庫で先月発生した火災、

 「この二つの事件は条件は全く異なる火災であるものの、鎮火が難しく、いずれも「東京ドーム1個分」が焼失した点で共通している」とのこと。

 「米国ペンシルベニア州には、炭鉱火災が鎮火できず、有毒ガスが発生するなどしたため、住民が丸ごと移住を余儀なくされた町がある。しかも50年以上を経た現在もいまだに燃え続けている」とのこと。

 「似たような炭鉱火災は、インドやトルクメニスタンにもあり、実は北海道の夕張市にも約90年前の火災で閉鎖て以降、今もくすぶり続けている炭鉱がある」とのこと。

 「西暦64年のローマの大火、1657年の江戸の大火、1666年のロンドンの大火、これを「世界三大大火」という」とのこと。

 「東京の脆弱性が明確に可視化されたのは、1923年の関東大震災であろう。広く知られている通り、これは「火の地震」であった。

 最新の研究では、死者不明者の総数は約10万人と指定されているが、最初の地震動による圧死が1万数千人であるのに対し、9万人を超える人々が火災によって亡くなった。」とのこと。

 「風速や建物の構造などの条件次第では、現代の消火技術でも鎮火することができないことが明らかになった」とのこと。

 等々を知ることができた。

 関東大震災が起きてから94年、3.19から6年、日々の地震のニュースを見るたびに、首都直下型大地震ではと、心配している。

 やむを得ず東京へ出かけるときは、帽子をかぶり、着替えを持ち、消毒薬を持ち,ホカロンを持ち、煎餅をもち、いざとなったら歩いて自宅に帰ってくる「覚悟」をしていく。

 

 


by sasakitosio | 2017-03-20 17:24 | 朝日新聞を読んで | Trackback