原発再稼働 責任と倫理は何処へ<規制委は「安全」を判断しない?安全の保証はどこにもなく?事故の責任を負いきれるものもない?地元の意見と電力会社でゴー?せめてゴー責任は負ってほしいが!>
2017年 03月 10日
3月1日付東京新聞社説に、「原発再稼働 責任と倫理はどこに」のタイトルで原発再稼働のことが載った。
今日はこの社説を学習することにした。
まず社説は、「関西電力大飯原発3.4号機が規制基準に「適合」と判断された。そして電力業者は、当然のように再稼働へと走り出す。誰も「安全」と言えないものを、なぜ、動かすことができるのか。
「適合」の審査書案がまとまるたびに不思議に思う。
原子力規制委員会の審査は結局、誰のため、何のためにあるのだろうか。
昨年6月、大飯原発で想定される地震の揺れの大きさについて「過小評価されている」と関電が示した計算に“外部”から異論が出た。
指摘したのは、前委員長代理の島崎邦彦・東京大名誉教授。
地震予知連絡会長なども務めた地震学の泰斗である。熊本地震の観測データなどから疑問がわいた。
規制委が別の手法で独自に再計算した結果、「審査で了承した揺れをさらに下回る結果になった」と、その意義を退けた。
その後規制委は「信頼性が低い」と再計算の結果を自ら撤回し、関電の計算が改めて妥当とされた。
基準のあいまいさが露呈したと言えないか。
式の立て方で結果がころころ変わる。
「そんなの当てにならない」と不安になるのが、普通の市民の感覚だろう。
それでも関電の計算に従って、地震動を見直さないまま、大飯原発3.4号機は、3.11後の新たな規制基準に「適合」すると判断されたのだ。」と指摘した。
続けて社説は、「最新の科学的知見を取り入れて適否を判断する――。
3.11の教訓に基づく新規制基準の根本方針だったはずである。
島崎氏が辞任したあと、規制委に地震動の専門家はいないまま。
専門家である島崎氏の疑念について、果たして議論は尽くされたといえるのか。
3.11の教訓が生かされているとは思えない。
規制委は「安全」を判断しない。最後に決めるのは関電だ。
安全の保証はどこにもなく、事故の責任を負いきれるものもない。利害関係を有する”地元“以外は、意見を通すすべもないーー。
これが原発規制の現実なのだ。」と指摘した。
最後に社説は、「間もなく6年、世論調査では依然国民の過半数が再稼働には反対だ。なのになぜか、被災地から遠い西日本の原発は淡々と動き出す。
規制委の審査結果をもとに、地元や国民、電力事業者の知見や意見を総合し、ドイツのように科学と倫理に基づいて、責任をもって再稼働の適否を最終的に判断できる機関が必要だ。それが無理なら、原発はやはり動かせない。」として締めくくった。
読んで勉強になった。
「関西電力大飯原発3.4号機が規制基準に「適合」と判断された」とのこと。
社説は「「適合」の審査書案がまとまるたびに不思議に思う。原子力規制委員会の審査は結局、誰のため、何のためにあるのだろうか」との指摘は、大いに理解できる。
「規制委は「安全」を判断しない。最後に決めるのは関電だ」とのこと。
「安全の保証はどこにもなく、事故の責任を負いきれるものもない」とのこと。
「利害関係を有する”地元”以外は、意見を通すすべもない」とのこと。これが原発規制の現実とは、恐ろしい。
無責任を認める無責任な原子力規制委員会?
この体たらくを変えるのには、どうすりゃいいのか??識者の皆さん、教えてください!!