米国の立憲主義<立憲主義の思想=「仮に民主的なものであれ、権力が下した判断が個人の人権を不当に侵害することは許されない」!その上厳格な三権分立!いいねえアメリカ!!>
2017年 03月 04日
2月26日付東京新聞朝刊4面に、「時代を読む」という欄がある。筆者は、東大教授・宇野重規氏だ。
今日はこの筆者に学ぶことにした。
まず筆者は、「さすがのトランプ氏も米大統領になれば、少しは現実的になるだろう、そんな期待が吹き飛ぶこのひと月であった。
メキシコとの国境に本当に壁を築こうとしたかと思えば、電話会談でオーストラリア首相と険悪な雰囲気になるなど、話題に事を欠かない。
メデイアとの対立や、人事の混乱などは、もはや織り込み済みの印象さえある。
しかし、やはり注目すべきは、テロ対策を理由に中東・アフリカ7か国からの入国を禁止した大統領令であろう。
各地の空港で入国禁止となった人々が拘束され、これに対する抗議活動が相次ぐなど、世界的混乱をもたらした。
ワシントン州の連邦地裁は早速、大統領令の一時差し止めを命じ、不服とするトランプ政権の控訴も、連邦高裁で却下されている。
はたしてこの裁判は連邦最高裁まで行くのか。
新しい大統領令を準備するかを含め、トランプ政権はどのように巻き返していくのか。当分の間、この問題から目を離せない。しかしながら、ここでは少し日々の報道を離れて、原理原則の問題について考えてみたい。」と切り出した。
続けて筆者は、「そもそも日本の読者にすれば、大統領の下した命令に対し、州の司法長官が違憲と訴え、裁判に持ち込まれるということ自体が不思議な光景だろう。日本に置き換えてみれば、国の判断に対し、県が違憲訴訟を起こすようなものである。
さらには、裁判所が即座に判断を下し、結果として国の法令の効力が一時停止されるというスピード感も、司法が国に対してなかなか積極的に判断を下さない日本と比べて新鮮である。
トランプ大統領自身、このことに対し、「ばかげている」と怒りを隠さない。実際彼を支持する世論も少なくない。とはいえ、ここには米国独自の連邦制と三権分立に対する無知と誤解がある。
米国においては連邦よりも州の方が、歴史が古い。州はその主権を保持しており、連邦憲法に認められた権限だけ連邦にゆだねているにすぎない。
連邦がやり過ぎたと思えば、州は違憲訴訟を起こすことを躊躇しないのである。
さらには厳格な三権分立である。日本では学校の教科書で学ぶばかりで、なかなかリアリィテーを感じられないこの仕組みが米国では存在感を発揮する。
今回の大統領令の停止についても、合法的に米国に入国する権利を持つ市民の権利を不当に侵害するものとして、法のしかるべき手続きを踏んでいないと判断された。」と教えてくれる。
最後に筆者は、「背景にあるのは立憲主義の思想である。仮に民主的なものであれ、権力が下した判断が個人の人権を不当に侵害することは許されない。
いっときの世論の判断と憲法によって保障された権利がぶつかった場合、その対策を示すのが立憲主義の精髄である。
裁判所に基づく大統領令の一時停止は、立憲主義が一つのストッパーになって、民主主義の暴走を防ぐのである。もちろん、司法権は絶対ではないし、権力の側からの巻き返しもあるだろう。
しかし、少なくとも、司法権の判断によって時間を稼ぎ、その間に立憲主義と民主主義の摺合せを行うことが可能になる。
一定の民意の支持を得たトランプ政権の暴走が今後も続くとすれば、ますます立憲主義の持つ意味は大きい。
三権分立の意味も改めて考えてみる必要があるだろう。」として締めくくった。
読んで勉強になった。
「米国においては連邦よりも州の方が歴史が古い。州はその主権を保持しており、連邦憲法に認められた権限だけ連邦にゆだねているに過ぎない。連邦がやり過ぎたと思えば、州は違憲訴訟を起こすことを躊躇しないのである」とのこと、
「さらには厳格な三権分立である。」とのこと、
「今回の大統領令の停止についても、合法的に入国する権利を不当に侵害するものとして、法のしかるべき手続きを経ていないと判断されたのだ」とのこと、
「背景にあるのは立憲主義の思想である。仮に民主的なものであれ、権力が下した判断が個人の人権を不当に侵害することは許されない。いっときの世論の判断と憲法によって保障された権利がぶつかった場合、その対策を示すのが立憲主義の精髄である」とのこと、
「裁判所に基づく大統領令の一時停止は、立憲主義と民主主義の衝突を意味する。いわば立憲主義が一つのストッパーになって、民主主義の暴走を防ぐのである」とのこと、
「一定の民意の支持を得たトランプ政権の暴走が今後も続くとすれば、ますます立憲主義の持つ意味は大きい。」とのこと、等々を知ることができた。
アメリカでは、立憲主義が司法にも州にも国民にも生きているらしい。
トランプ政権の暴走も、民主的に選ばれた独裁者の暴走も、立憲主義が一つのストッパーになっていることが分かった。
日本の為政者も国民も、アメリカの立憲主義と三権分立の徹底を学び、実践すべきだと、思った。
さらに、政権の暴走を止められるのは、立憲主義の思想と、その思想を実践する司法であることが、改めて分かった。
選挙で負けた野党が、選挙で勝った政権の暴走を止めるのは、ほとんど不可能なのかもしれない。スローガンは、残念ながら願望だった!