憲法公布70年 感激を忘れぬために<「憲法公布 感激裡に挙式」皇居前で数十万の民が「君が代」を唱和!>
2016年 11月 17日
まず社説は、「70年前のきょう、日本国憲法が公布された。戦争犠牲者を思い、国内外に不戦と平和を宣言したのだ。その感激を忘れぬように努めたいと思う。
「今日はなんという素晴らしい日であったか」
元首相の芦田均は憲法が公布された3日の夜、日記の冒頭にそう記した。
「生まれて今日くらい感激にひたった日はない」と続く。
その日は午後2時から東京の皇居前広場で祝賀大会が開かれていた。日記は描写する。
秋晴れに推進されて数十万の民衆がこの広場に集まってきた。一尺でも式場に近付こうとして左に揺れ右に揺られつつ群衆は汗をふいている。」
両陛下が馬車で二重橋を出ると群衆は帽子やハンカチを振った。
楽隊が「君が代」を奏すると一同が唱和した。芦田は涙をこぼした。周囲の人々も泣いていた。
「陛下が演壇から下りられると群衆は波うって二重橋の方向へ崩れる。ワーという声が流れる。
熱狂だ。
群衆はお馬車の後を二重橋の門近くへ押しよせており。 何という感激であるだろう。私は生まれて初めてこんな様相をみた」」と教えてくれる。
つづけて社説は、「中部日本新聞(中日新聞)は翌日の朝刊一面に「憲法公布、感激理に挙式」、「社会面に「都に鄙に表情は明るい」と見出しを立てて報じている。
芦田は憲法原案を審議した衆院小委員会の委員長であり、その年8月24日に衆院本会議で次のように語っている。「戦争放棄の宣言は、数千万人の犠牲をだした大戦争の体験から人々の望むところであり、世界平和への大道である。」
この憲法は多くの戦争犠牲者の上に成り立っていると同時に、当時の人々が強く平和を望んだ上に立っている。それを忘却してはならない。」、と指摘した。
さらに社説は、「終戦の1945年を中心として、コンパスを回すように歴史をさかのぼってみよう。
ちょうど71年前に当たる1874年には台湾出兵があった。明治政府による最初の海外派兵だった。
94年からは日清戦争、1904年からは日露戦争をした。
ロシア革命をうけて、18年からシベリア出兵、27年から3度にわたり中国への山東出兵・・・。
31年には満州事変を起こし、37年からは泥沼の日中戦争へ、さらに41年からは無謀な太平洋戦争へと突き進んだ。
富国強兵策から「世界の一等国」になりつつ、結局は破滅の道をたどったのである。
国内外での「流血の歴史」である。
ひるがえってコンパスを45年から2016年の今日まで回してみれば、この71年間は「無血の歴史」である。
根幹に平和主義の憲法があったのは疑いがない。
先人たちは実に賢明であった。
憲法の力で戦争を封じ、自由で平和な社会を築いたからだ。
それを考えれば、今は大きな歴史の分岐点に
歴代内閣が否定してきた集団的自衛権をの行使を解釈改憲によって認め、安全保障法制を数の力で押し切った。
軍事的価値を重んずるかのような政権である。
次に目指しているものは、憲法改正なのは明らかでくあろう。
国民が求めていないのに、受け入れられやすい改憲名目を探す。
この「お試し改憲」は目的がないという意味で動機が不純だ。
「改憲のための改憲」は権力の乱用であるという指摘がある。
今、我々が見ているものは、覇権主義的な権力の姿ではないだろうか。
「憲法の番人」たる内閣法制局、日銀、公共放送たるNHKの人事・・・。民主制度に仕組まれたさまざまな歯止めを次々とつぶししてから進んできた。
いくら党是といえ、戦後でこれほど憲法を敵視する政権は無かった。
明治時代には自由民権運動があり、さまざまな民間の憲法試案がつくられた。その中に植木枝盛という人物がいた。思想家であり、第一回衆院選挙で当選した政治家でもあった。「東洋大日本国憲法按」という憲法按を書いた。」と教えてくれる。
最後に社説は、「人民主義や自由権、抵抗権などを求めた先進的な案である。彼には「世に良政府なるものなきの説」という演説原稿がある。―――
人民が政府を信ずれば、政府はそれに付け込んで、何をするかわからない。世に良い政府などないと説いた。1877(明治10)年の言説として驚く。こんな一句で締めくくられる。
「唯一の望あり、あえて抵抗せざれども、疑問の一字を胸間に存在し、全く政府を信ずることなきのみ」
「疑」の文字を刻んで、今の政治を見つめよう。」として締めくくった。
読んで勉強になった。
「1874年には台湾出兵があった」、
「1894年からは日清戦争」、
「1904年からは日露戦争」、
「ロシア革命を受けて、1918年からはシベリア出兵」、
「1927年から三度にわたり中国への山東出兵・・」 、
「1931年には満州事変」、
「1937年から泥沼の日中戦争」、
「1941年からは無謀な太平洋戦争」、等々を知ることができた。1945年から過去の71年は、国内外の流血の歴史であった、ことを改めて知った。
そして、1945年から2016年の71年間は「無血の歴史」の中で、自分が今生きてこれたことは、永い日本の歴史に中で、極めて稀有な「良い時代」に生きているんだと、思った。
また、植木枝盛に「世に良政府なる者なきの説」という演説草稿があり、そこには「人民が政府を信ずれば、政府はそれに付け込んで、なにをするか分からない。良い政府などないと説いた」とのこと、
また植木枝盛は、1877年に、「唯一の望あり、あえて抵抗せざれども、疑の一字を胸間に存し、全く政府を信ずることなきのみ、と言っている」とのこと、等も知ることができた。
140年も前の人に、いまを教えられたような新鮮さを感じた。