立つ人 立たぬ人 <安倍首相のスタンディングオベーション、「敬意」という薄紙に包んだものはなんだ?>
2016年 10月 24日
今日は、この筆者に学ぶことにした。
まず筆者は、「気味が悪い。
気色が悪い。
気持ちが悪い。
あら日本語って本当にバリエーション豊富。
ねえ僕ちゃん、どれにする?
私はやっぱり「味」かしら・・・って何お話がしたいかというと、先の安倍晋三首相の所信表明演説、自民党のスタンディングオベーションである。
「心からの敬意を表そうではありませんか」
なぜ海上保安庁、警察、自衛隊に限って敬意を表するのか。
日本はかってそうやって、すこしずつ道を外していったのではないかーーー。言葉を並べて違和を表明することはできる。でもどこか、わずかだけれど、ずれてしまう。
何となく恐ろしく、気持ちがよくない=気味が悪いと「大辞林」は言う。
そう。 うまく言葉にならない。野党の追及が精彩を欠くのもそのためだろう。
だからと言ってほっておくと、私たちは慣れる。
気味の悪いことはすぐに普通のことになる。
別に政権が意図しているとは思わないが,馴らされる過程に今あると思う。 キミガワルイ。
初発の違和を手放さず、たどたどしくとも自分なりの言葉にして、対峙するしかない。」と切り出した。
つづけて筆者は、「というわけで。なぜ我が胸中に気味が悪いという感情が湧いたのか、掘り下げてみる。
つながったのだ。起立・拍手と、昨年5月、安全保障法制と自衛隊のリスクをめぐる首相の国会答弁が。
「自ら志願し、危険を顧みず職務を完遂することを宣誓したプロ」
安倍氏は、自衛隊を「プロ」と評した初めての首相だ。いや、正確には2008年、当時の福田康夫首相が自衛艦と漁船の衝突事故に絡み、海上自衛隊を「海上交通のプロ」とは言ってはいるが、文脈が異なるので除外する。
さて自衛隊は、何のプロなんだろうか。
どうして首相は、何のプロであるかを言明しないのだろう。
「もちろん、それでもリスクは残ります。しかし、それはあくまでも、国民の命と平和な暮らしを守り抜くために自衛隊員に負ってもらうものであります」
そこにかぶさる今回のスタンデイングオベーション。
殺す、殺される、危険を顧みず、だってプロだからーー。
「敬意」という薄紙にくるまれているものは何だ?」と指摘した。
最後に筆者は、「立つ人あれば立たぬ人あり。
米プロフットボールリーグ(NFL)49ersのコリン・キャパニック選手は、試合前の国歌演奏時、不起立を続けている。
米国内での人種差別への抗議を意図したものだが、国歌への思い入れがけた違いのかの国、しかもスター選手の所業ゆえ、賛否両論が巻き起こっている。
オバマ大統領は「憲法で保障されている表現する権利を行使している」と擁護したという。
比べるつもりはない。ただ書いておく。
安倍首相は、敬意だから、野党議員も座って拍手すればよかったという趣旨の話を、若手議員らとの会食の席でしたそうだ。
はい、今日はここまで。
起立――――でつい立っちゃったアナタ、後で職員室へ。」として締めくくった。
読んで大変勉強になった。
先の安倍晋三首相の所信表明演説、自民党の国会議員のスタンでングオベーションをみて「筆者は気味が悪い」と感じたとのこと、
「なぜ海上保安庁、警察自衛隊に限って敬意を表するのか。
日本はかってそうやって、少しずつ道を踏み外していったのではないかーー。」との指摘、
「安倍氏は、自衛隊を「プロ」と評した初めての首相だ。」とのこと、
「さて自衛隊は、なんのプロなのだろうか。どうして首相は、何のプロであるか言明しないのだろう。」と指摘、
「殺す、殺される。危険を顧みず。だってプロだからーーー。「敬意」という薄紙にくるまっているものは何だ?」と疑問を呈した、 等々を知ることができた。
特に、「安倍首相の「敬意」の薄紙にくるまれているものなんだ?」との指摘は、ゾッとした。スタンディングオベーションした「自民党議員」は、何を創造していたのだろうか、マスメディアを通して一人一人の思いが、分かるといいなあと思った。